戦争になる直前で何とか収まりの着いた事件は、今もナミの心を蝕んでいる。隊長格にはもう大丈夫だが、それ以外の奴らに触れられると怯えた眼をするんだよな……。
前よりも頻繁に悪夢を見るようになったらしいナミが、俺の腕の中でしか眠れなくなったのは分かりやすい変化だ。……そして、事ある毎に俺に視線だけでもう刀は持たないのかと問い掛けるから、困っちまう。
刀は封じたんだがね……。あの時も帯刀はしていても、使うつもりは無かったってのに……。
最愛の女を喪ってしまうかも知れない。そう思った時、俺は本当に無意識で刀を手にして乗り込んでいた。
そんな事を思い出していたら、ナミが1人でそっと俺の腕を抜け出したから溜息が落ちる。……俺が起きてる事に気付かなかったとは、珍しいな。
トイレだとか気候がおかしいとかでは無さそうなそれに、さてどうしたものかと考えて上着のように着物を羽織って表に出てみる。寒空の中、部屋着と殆ど変わらない姿で表に出ている愚かしいお姫さんを見つければ、どうしたものかと思案しちまう。
世界なんかより、戦えない筈の妹達より、ともすれば親父よりも……俺にはナミが大切なのだと気付かされたのは、それ程遠い過去では無い。水平線から仄かな明かりが見えたと思ったら、当然のように海に炎を撒き散らしたかのような光景へと変わる。
ゆっくりと頭を出し始めたそれは、眩しいばかりか大気の空気を1段と冷やす厄介な状態。このままでは新年早々病気になっちまいそうだなと、足をナミに向けて動かした時言葉が聞こえて来た。
「あけましておめでとう。今年も1年、平和でありますように」
「ナミ」
名を呼べば少しだけ驚いた様子で振り向いたナミが、何故か切なそうにその瞳を潤ませるから、思わず両手を広げて待機しちまった。すると迷い無く駆け出して俺の胸に飛び込む、俺の恋女房。
「寒かった……」
「そうだろうね。こんなに冷えて……ナミに何かあれば、俺の方が持たないのだとそろそろ理解して欲しいところさね」
「うん、心配かけてごめんね。ありがとう」
ただ抱き締めているだけでは、笑うナミの震えは止まりそうもない。そう思って上着として羽織ってきた着物をナミの肩にかければ、少しは違うだろうかと期待する。
甘えるように身を預けてくれるナミの震えが、身体の寒さだけが原因とは思えないが、今それを追求するつもりは無い。ナミが話したくなる時まで、話せるようになる時まで待つ程度の忍耐力は持ち合わせているつもりだ。
だが、身体の震えが落ち着くのと同時に向けたられた作り笑顔により、俺の心が簡単に冷える。このお姫さんは息するように自然に、自分の痛みや苦しみを隠そうとしやがるんだから困ったもんだよ。
少し部屋で休ませてやった方が良いと判断してナミを部屋に連れ戻せば、当然のようについてくる無防備さ。俺にこれ迄何をされたか、賢い筈なのに忘れちまったのかね?
けれどもナミは部屋に到着するのと同時に小さく笑うから、何かおかしいものでもあったかと首を傾げる。そんな俺を見てナミがニンマリと笑うから、その顔をつい生意気な……と思って見つめた時、動いた唇。
そうして音もなく紡がれたのは〝ナイショ〟と言う簡単な単語。だから俺はそれに笑って、お仕置が必要だねと抱きしめてやった。
笑うナミからは、既に陰りは見えない。幸福を詰め合わせて形にしたような、そんな様子で居てくれるナミに俺の頬は自然と緩んじまう。
「もう、寒くないか」
「うん、ありがとう」
そう言って微笑むナミの表情はただの幸福な少女ではなく、俺を愛する芯の強い女だと分かるもの。これだから、俺はナミに勝てないんだろうな。
それを自覚した瞬間に、俺の身体は震えだして、情けない顔になったのを見なくても自覚しちまう。こんな顔見せられるかとナミを抱く腕に力を込めてやれば、苦しい筈なのに可笑しそうに笑うナミが居て……俺は永遠に勝てないだろう事を幸福の中で自覚した。
そのまま少しじゃれ合い、新年の挨拶兼ねてそれぞれが雑煮を食べる為の朝食の席へと向かう。そんな時見えて来た近くの島へ寄る事で話が纏まれば、俺とナミは少し気晴らしして来いと早々に送り出されちまった。
あれからそれなりの期間が経ったってのに、皆ナミにも俺にも甘過ぎる。……まァ、俺が居ないと島に降りなくなったナミを思えば、家族としては当然の処置かも知れないけどな。
「ナミ、眼を閉じてな」
「イゾウ……?」
「綺麗に、着飾ってやるさね」
「歩けるようにしてよ?」
「……おや、信用がないな」
指摘が無ければ歩けないようにするつもりだったのだから、ナミの苦言は正しい。だと言うのに責めるように言葉を口にして、ナミを揶揄う俺はきっと性格が歪んでいるのだろう。
それなのに全てをわかってるかのように、困った人ねと言わんばかりに笑うのだから、ナミは本当に手放せないと思わされる。そうして少しばかりじゃれ合いながらも俺の妻である以上振袖は無理だからと、打掛けを着せてやればナミも驚いたような顔をした。
「イゾウ、これ……」
「
「あ、ありがとう……」
丸髷と吹輪はどちらも日本髪の名前ではあるが、丸髷は代表的な女髷だ。勝山髷と呼ばれる事もある。
武家の奥方に多く結われているものであり、珍しくもないもの。もうひとつ人気の髪型もあるが、こちらの方がナミに似合う気がしたのだ。
対して吹輪は大名家の姫君の髪型である。ナミは俺のお姫さんだからこちらも捨てがたがったが、どうしたってナミは俺の妻である事の方が俺の中で優先度も高いのだから仕方ないだろう。
「さて、逢い引きと行こうか……お姫さん」
「喜んで」
そうして船を降りれば、どうしたってナミが美し過ぎて人目を集めちまう。これはどうにもならないとわかっていても、やはり不愉快ではある。
俺の妻を見るなとは、無理な話だとわかっている。だが、見ている奴等が全員ナミを攫おうとしてるような気がするのだから、不快な気持ちになるのは仕方ないだろう。
そんな時見えて来たのは、何を祀ってるのかは不明な神社。ワノ国と何処か似通ったそれに無意識で足を向ければ、ナミも懐かしそうに鳥居を見上げていると気付いた。
……本当に、謎の多いお姫さんだよ。それでも、全てを暴く気はねェがな。
「……ナミ、御籤があ」
気付いた事を伝えようとして声が途切れる。その理由は、ナミが何やら屋台をじっと見詰めていたから。
そこには射的があり、じっと見つめているのはオレンジ色の猫の形をしたぬいぐるみ。……ナミと、似てるな。
「欲しいか?」
「え?」
「あの猫、欲しいのか?」
俺の問いかけにナミは少し戸惑いを見せる。欲しいと言わないだろうかとも考えたが、ナミが少し真面目な顔でその猫を見詰め続けるから答えを待ってやる事にした。
通常の四足猫ではなく、二足歩行をする予定としか思えない長い尻尾を持つ猫。服まで着ている上に、肩に何やら模様がある所までソックリである。
「……うん、なんか、他人と思えなくて」
「生き別れの妹なら、引き取ってやらないとな」
ククッと喉で笑えば、ナミは少しだけ膨れる。その様子が可愛くて、笑いが止まらなくなるのを自覚しながらも小銭と弾を交換すると、とりあえずその猫を取ってやった。
それをほらよと渡せば、嬉しそうに抱き締めるからこんなんで喜ぶとは手軽だと思いつつも悪い気はしない。残った弾を使って何かをとは思うが、めぼしい物は見当たらずに困っちまう。
その時瓶に入った金平糖を見付けてそれを撃ち落とせば、ナミが横で無邪気に大喜びするのだから困っちまう。他にナミが喜びそうな物はあるだろうかと景品棚を見るが、答えは見つかりそうも無い。
「さて、他に欲しい物はあるか?」
「……あの、手ぬぐいが欲しいわ」
「手ぬぐい?」
「この猫ちゃんに、羽織らせてあげたいの。肩出してて寒そうだし、イゾウに何か羽織らせてもらった時みたいに見える気がして……」
和柄の手ぬぐいを見てそんな事を言うから、わかったよと請け負ってそれを手に入れるとナミは幼子のように笑う。だから愛おしくて、ついその額に口付けを落としちまった。
ただそれだけの事で額を押さえながら真っ赤になるのだから、いつまでウチのお姫さんはウブなままなのだろうと笑ったのは当然の事だ。……その前の発言を受けて、俺が赤くならなかったのは長く生きて来たからだろうな。
そのまま猫を抱いて離さないナミの腰を抱いて歩き出せば、先程見付けた御籤の所に到着した。そこでそれぞれ籤を引いて……固まる。
簡単に言えば、俺は大切な物を見失いやすいから目を離すなと書かれていて、ナミの方はと視線を向ければ俺も自然と眉が寄っていた。家族は振り回されるだろう事が書かれていて、恋愛では多数の縁があると書かれている。
これはどう読み解くべきか。御籤は、悪い事が起きる可能性を示したりもする。だが、ただ、そんな事が起きるぞとの暗示をする事があるのだ。
今回のそれは、どちらなのか。だが、どちらにしても、俺はナミから目を離すつもりも、誰かに奪われるつもりもないからと抱き締める。
その時少し遅れて上陸していたらしい兄弟達が駆けて来て、俺達を取囲むとナミの姿に大騒ぎしてよく見せろと言い出す。だが、誰が離してやるかよ。
見られたら穢れるとか、減りそうで怖いとか言ってやれば余計に俺からナミを奪い取ろうと躍起になる兄弟に、離してやるもんかと笑ってやる。いい歳したおっさんが……と言われないのは、男なんてのはいくつになってもガキだからだろう。
そうして俺は、大切な人達に囲まれながら、Happy new year!!と言葉を紡ぐ。愛しい女を他の誰にも触れさせない為に強く抱き締めている。