粗悪な作りの鬘が蒸れて、異様な不快感に襲われる。ずっと走り回っていたからいい加減足も疲れてきたし、上等とはいえない薄い布の服が張り付くのも煩わしい。
不自然にならないように視線で周囲を確認するけれど、人混みに逆らう人影は見えない。どうやら追っ手は撒いたみたいね。
ずっしりと重い財布を片手でも弄びながら、小さく舌を出す。シャンクスはドフラミンゴとの遭遇の後、私を船から降ろしてくれなくなったから、隙をついて船を飛び出して来て買い物とかを済ませようとしてる訳よ。
下着とかは消耗品の1種だし、毎月面倒なものも来るし、男がいたら買いにくい物だってあるのに……。シャンクスは過保護が過ぎると思う。
娼婦に変装して、金持ちらしき男から上手に財布だけ巻き上げたつもりだったのに、まさか周囲にいた客が全員部下だったなんてついてない。この土地のマフィアか何かの幹部に手を出してしまった面倒さに、汗をぬぐって肩を1度だけ回す。
どうにもお宝とお金を前にすると無茶をしがちなのは、もう習性に近い気がする。反省する気は欠片もないし、その証拠に追い回して来た幹部らしい男達からも貰える物は貰ったんだけど……今日は買い物を諦めるしか無さそうね。
すぐにでも帰りたいけど、念の為に島の飲み屋街から、娼館街に潜り込む。この姿ならこっちの方が目立たないから、少し何処かで休みたい。
男の気を引く為としか思えない、安っぽい服を購入しておいて正解だったわ。船を出てから現在までに2度、変装を既に済ませている事を思い出す。
夜のガラスに映る姿をしげしげと見つめる。少し乱れた黒髪の鬘も、少々ケバい程のメイクも、露出の多すぎる衣装も、この街にぴったりとはまっている。
髪の色が変わるとこんなにも印象が変わるのねと、何処か他人事みたいに思うのはあまりにも可愛い顔立ちの為だろう。それでいてこのナイスバディだもの、シャンクスも過保護になる訳よね。
幼い頃の私を知り、その後も何年も共に過ごして来てるから保護者の気分が抜けないのだろうと思えば、分からなくもない。先程からチラチラと下卑た視線を感じるのを、気付かないフリでで人混みをすりぬける。
露骨に金を取り出そうとする男を軽くあしらって、もっといい服を買えば良かったかしらと内心で舌打ちする。例えば、1晩で財産が吹っ飛びそうな高級娼婦の装いだとか。
でもそんな姿ならこの場所に紛れ込めないから、結局逃げ回る為にこういった姿になってたわよねと思い直す。それに、あまり目立つとまた変なのに絡まれても嫌だし。
人の少なくなった辺りで、せめて鬘だけでも取り去ろうとしたところで、不意に視線を感じた。熱の篭った……けれども何故か知ってるような気がする、強い視線。
「っ!?」
振り向き視線が絡んだ瞬間、心臓が掴まれたような衝撃を受けた。両側に1目でそれとわかる上等な女を侍らせて、シャンクスはまるで知らない男の様な気配を纏って、ゆっくりと顔を傾けて視線だけで私を犯すような熱を送って来る。
汗が、流れ落ちる。顔から顎へ、そして胸へと落ちたそれが私に逃げろと言う。
なのにも関わらず爪先から迫り上がるような、ぞくぞくとした感覚に思わず肩を抱いて後ずさるのが精一杯。そんな初心な反応に、シャンクスが笑ったのが分かる。
赤い髪の、顔に傷のある、見慣れた髭男。彼は間違いなくシャンクスの筈で……彼等が女を買う事に対して忌避感は全く無いけど、いつもとは明らかに違う空気を纏っている為か、知らない人に思える。
「悪いな、今日はやっぱりやめておく」
肩を叩かれた女達があからさまに不機嫌な顔をして抗議したけれど、自然な動きで胸元に輝く宝石を挟まれれば歓声をあげた。それから女達は機嫌良く元来た道を引き返して行く。
その様子を、足を縫い止められたようにただただ見つめる。シャンクスは、私が誰であるか気付いて女を買うのを辞めたのだろうか。
だとしたら船を抜け出してきたのだから、叱られる前に逃げなくてはと思うのに。あるいは、声をかけなくてはと思うのに、何もできない。
狼に頸椎を押さえられた野兎のような心持ちになる。こんな、色気を無駄に振り撒いてるシャンクスなんて知らない。
シャンクスは女達を形だけ見送って、さて、と言いながら振り返った。いつものとはまた違った種類の、甘やかな笑みがシャンクスの顔に浮かんでいる。
いつもの様にラフなサンダルで雑に近づいてくるのに、逃げ出す隙が見つからない。女を買う時いつもこんなに臨戦態勢なのかと、師匠と弟子として向かい合って来たこれ迄に1度も感じた事の無い緊張感が私を包む。
今し方数十人の男に追いかけられていたそれよりも、目の前にいるたった1人が怖い。シャンクスが迫ってくる事が怖い。
……怖い?何故、だって、シャンクスは私の師匠で、私の船長で、兄の1人みたいな関係で……。
それともこの男はシャンクスではないのだろうか。左目に傷のある、赤い髪の……そう、近過ぎて忘れがちだけれど、新世界の王の1人。
吐息がかかる程に近づいて、背中が壁なのだと漸く気がついた。初歩的すぎるミスに、どうしたらいいか分からなくなる。
単純に呑まれていたのだ。私の顔を覗き込む為に、顎へと骨張ったシャンクスの指がゆるゆると触れると、グイッと片手で持ち上げられる。
見定めるような、楽しむようなその気配に、いつもこうして女を選ぶのかと仄暗い焔を思わせる何かをその瞳の奥に見た気がした。その熱が、指先から私に移行して来ているかのような錯覚に襲われる。
熱いのは、この島の熱気のせいだろうか。それとも、シャンクスに酔わされて居るのだろうか。
キスしそうな程に近づいて、シャンクスはにやりと笑う。餓えた獣のような獰猛な気配を纏って……。
「今夜はお前に決めた」
低く囁かれたシャンクス決定に、いつも女を買う時こうなのだろうかと余計な事を考えたら胸が確かに軋んだ。何故か、泣きたくなって、でも泣いたら私だとバレてしまうからとその衝動に耐える。
いつもは簡単に気付かれるのに、私の変装技術上がったのかしらなんて巫山戯た事を考える余裕も無い。腰を抱かれてそのまま強く抱き締められれば、抵抗なんてしたって既に何の価値も無い。
そのまま近くの部屋に連れ込まれれば、どうやって名乗り出せばいいのかさえ分からない。こんな形で初めてだなんて……そんなの……。
「……怯えなくて良い。痛くはしないと約束してやる」
「っ……!」
声が、出せない。せめて声が出せれば、それだけで私だとシャンクスにわかって貰えると思うのに。
……気付かれて、いつもの関係に戻るのが惜しいのか。……どうして、惜しいの?
だって、私はいつもの関係に満足してる。寧ろ、今のこの窮地をどうやって切り抜けるか考えてる所なのに。
「念の為に言っておくが〝お前が誰であっても辞めるつもりは無い〟から、覚悟しておけ」
シャンクスは言葉と同時に服を脱がせて来るから、肩のそれを見られたら終わりだとその手を掴む。お願い……気付かないで、私が誰なのか知らないままで居て。
娘を見るような優しくも暖かい眼差しを失うのも、今女として求められているこれを無かった事にするのも、私は嫌だと思ってしまったから。だから、左肩だけは見せたくない。
いつもより少し高い、可愛らしい声を意識して出す。私は今ナミじゃない。
「シャワーだけ、先に使わせテ。私、初めてなノ」
「……それ程待てそうもねェな」
「汗を、拭う程度でも良いから、少しだけ3分でいいから、心を決める時間が欲しいノ」
私の言葉にシャンクスは1分だけだと言い放つ。それを受けて私はシャワー室に駆け込むと、慌てて左肩に包帯を巻き付ける。
刺青を隠した所で見計らったかのようにシャワー室のドアが開かれ、左肩に包帯を巻くために服を脱いでいた私はそのままの姿でシャンクスにベッドへ運ばれる。ベッドがギシリと音をたてて、それにより身が竦む。
けれども熱い眼差しでシャンクスは私を見つめて……獰猛な獣のような口付けを降らせてくる。これ迄のキスは全て手加減されていたのだと、街で買う女にはこんなにも激しいものを送っていたのだと思い知らされる。
それ程多くキスの経験がある訳じゃないけど、シャンクスが上手いのは分かる。何も、考える事が出来なくなるような激しい口付けに、私は翻弄される。
キスをしながらもシャンクスは私の体を愛撫していくから、お願い待ってと声を上げそうになる。何も知らない体なのに、まるで求めてるみたいに反応するから、それが浅ましく思えてつらくなる。
唇が離れた瞬間、思わずシャンクスと呼びそうになって、それを耐えればシャンクスは私の秘部に指を差し込んでくる。名を呼べば、何故知ってるのかと言う話になりかねない。
「ンンっ!」
「……少し、キツイな。指で慣らしてやるから、痛みは「痛くても、良い。だから、早く」」
その先は唇を塞がれてしまって、言葉になる事はなかった。何故かシャンクスの瞳に獰猛な獣のようなそれの中に、切な気な色を纏ったのだけは気になったけど。
シャンクスの雄が宛てがわれて、ビクリと体が震える。勢いでこんな事になって、後悔しないかと自分に問い掛けるけど、ここで私だとバレて何もされない方がきっと後悔する。
自分の想いに気付かないフリで、今だけは初めて客を取った娼婦として……。初対面の人としてでも良いから、シャンクスに抱かれたい。
いつからこんなにもシャンクスを男として見てたのか、そんなの分からない。ずっと慕ってきたのは間違いないけど、それがどういう意味で慕ってたのか私自身にだって分かりはしないのだから。
気付きたくないのよ。私は、ただシャンクスを師匠として……慕ってるだけなの。
そう思い込もうとして、でも……体はやけに正直で……。シャンクスの雄がゆっくりと埋め込まれれば、確かにキツイし痛みもあるけど……でも、どうしたって嬉しくて……。
……お願い、気付かないで。私だと気づいたら、きっとシャンクスが傷付いてしまうから……。
熱い楔が私の中に全て埋め込まれると、私の呼吸が落ち着くまでシャンクスは動きを止めてくれる。見知らぬ女なのに、シャンクスはやはり誰にでも優しいのね。
「……動いても、大丈夫そうか?」
優しく問い掛けられて、それに頷けばシャンクスは確かに笑った。それから、私の事を気遣いつつ腰を動かす。
どちらも特に言葉は無い。抑えきれない声が、微かに漏れ出るだけで後は互いの息遣いと体が発する音が響くばかり。
熱くて……苦しくて……でも、幸せで。狡いとは分かってるのに、私が誰なのかを知られたくなくて……。
どちらの汗なのか、それとも私の涙なのか、それさえも分からないものが流れ落ちるのを感じる。そしてどちらの体が出したものか分からない液体で、ギシギシと悲鳴を上げているベッドの上は明らかに湿って行く。
その内に中にあるシャンクスのそれが、膨張したのを感じ取れば、慌てて腰を引くけどシャンクスはそれを許してくれない。でもそれは流石にルール違反。
思わず名を呼んで静止しかけた時、シャンクスが呻くように声を出した。
「逃げるな、ナミッ!」
「え……?」
その瞬間放たれた熱に、その衝撃に悲鳴を上げる。今、シャンクスはなんて……?
荒い呼吸の中で、シャンクスが〝私〟を真っ直ぐに見ているのを感じて、背筋が冷たくなる。まさか、気付かれて……それは、困る。
「……お客さん、割増してよネ。それはルール違反ヨ」
「……そうだな、悪かった」
シャンクスはそう言って、己を抜き去ると明らかに多過ぎる金額を投げ寄越した。それを受け取って、私はありがとうと微笑みを向ける。
……後は、シャンクスやベックに気付かれないうちに船に帰るだけ。早く、帰らなきゃ。
船に帰ったら、これまで通りに、変わらず師弟としてやって行かなくちゃ……。大丈夫、私はこの思い出だけでやっていける。
体格とかが似てたからでもいい、シャンクスが1瞬名を呼んでくれた。それに、心が救われた気がしたのは確かだもの。
私の想いは勘違いなのよ。だから、何もつらくなんてない。
「いくらお客さんがいい男でも、いつも中に出してたら、身に覚えのない子供迄押し付けられるヨ?気を付けテ。それじゃ、ありがとうネ」
衣服を身に付けて、言葉だけ残して、シャワーも浴びずに部屋を飛び出す。早く、帰らなきゃ……私である事に、気付かれる前に、想いに、気付かれる前に。
船に戻ると自分の部屋でざっと着替えて鬘も外す。今まで身に付けていたものは、全て纏めて海に放り投げて沈めてしまってからシャンクスの部屋にあるシャワーを使う。
まるで今までずっと部屋にいたみたいにして、帰りを待たないと。月のものでもないのに流れる血液に、この体に対して罪悪感が芽生えるけどこればかりは許して欲しいとも思う。
そもそも私が、シャンクスを拒める筈が無いのよ……。
ケバい化粧も無くなって、いつもの蜜柑の匂いに身を包んで……包帯で隠していた左肩のそれを解放してから、普段通りの服装に着替える。まだ、ベックもシャンクスも帰ってはいない。
部屋で本を手に、月明かりの差し込む窓辺に向かう。月明かりで本を読むのならば、誰の迷惑になる事も無い。
本を読んでる分には、動かなくていいから重くて痛い腰も、誤魔化しが効く。そう思っていたら、部屋のドアがノックされる音が聞こえた。
顔を上げて視線を向けると、返事が無くても開けるのが普通になってるベックの姿が見えた。けれど何故か、少し驚いたような顔をしていて……。
「……泣いてたのか。そんなに、泣ける本なのか?」
言いながら私の事をじっと見て、ベックはクローゼットを勝手に開けて中からショールを取り出した。何をしてるのかと思ったら、腕を掴まれて立たされる。
ベックは無駄な事はしないからと素直に従えば、首にショールを巻き付けられてしまう。その手付きや眼差しは、妙に優しい。
「……今夜から、数日は冷えるから、首や胸元をしっかり隠しておけ。いいな?」
そう言ってベックは強く私を抱き締めて、囁くように言った。その抱き締めてくる温もりに、何故か胸が苦しくなる。
「泣くくらいなら、初めから逃げておけば良かったんだ。馬鹿な奴。……この先何かあれば、逃げて来い。匿ってやる」
「ベック……?」
「お頭だろう。ナミを泣かせたのは」
確信を持って言われてしまえば、否定はできなくて。でも、シャンクスは何も悪くないから……。
「私が、望んだの。私が……勝手に、好きなの」
「……片想いのままで、構わねェのか?」
確かめるように、静かに問い掛けてくるベックに私が頷く事で応えれば、抱き締めてくれていたその腕から力が抜けて、代わりに頭を2度ポプポプと撫でられる。そんなベックに視線を向けると、穏やかな笑みを向けられた。
「ナミの好きにしたらいい。事、これに関しては俺は全面的にナミの味方で居てやる」
「なんか、シャンクスが悪いみたいな言い方ね」
「年齢差を考えろ。それに、可愛くもないお頭より、可愛い妹を優先して、何が可笑しい?」
悪戯に笑ったベックはそう言い残して部屋を出て行く。そしてドアを閉める直前に、言葉を残される。
「2つ、忠告だ。お頭は馬鹿じゃねェってのと、首や胸元は晒すな。……分かったな?」
「うん、ありがとう」
よく分からないままに頷けば、分かってねェななんて言いながらドアが閉められる。首や胸元にシャンクスが残した跡が大量にあるのだと気付いたのは、翌朝になって鏡を見た時で、顔が自然と赤くなった。
それから帰って来たシャンクスを見て、普段通りにお帰りなさいと声を掛ければ、何故か泣きそうな顔でシャンクスが笑った。それから、ただいまとだけ言って珍しく素直に部屋に帰ったのを見送り、私はベックの言っていた言葉のもう1つの所については、既に綺麗さっぱり忘れていたのだった。
……全て、いつも通りに。変わらない事を望んだのは自分なのだから。
小さな変化は確かに感じていたのに、それも全て気付かないフリで私は明日にでもスった物で買い物に行こうと呑気に計画する。まだ数日はこの島に船は停泊する予定だから。
この作品、珍しく突然思い付いて書いたやつなんですよ。
つまり、リクエストじゃ無かったの。