当然のように船の進路を変えたシャンクスに、私は首を傾げる。だって、目的地が明らかに東の海だったから。
……マキノさんに会いたいとか?
結構自由に動き回ってるし、目的のない移動も多いけど、流石に新世界から東の海へ行くと言われたら首を傾げたくもなる。海賊王の命日はこれ迄気にしてなかったから、今更処刑場に行きたいなんて事もないだろう。
そうなると何が目的なのか……?
首を傾げる私にベックが、どうしたと言いながら近付いてくる。それに素直に考えを伝えれば、頭をぽふぽふと撫でられてしまう。
「ベック?」
「良いから、東の海に向かえ。後で説明してやる」
「ベックが言うなら良いけど……」
この船の苦労人は明らかにベックで、そのベックが是と言うなら問題は無い。優しく笑ってくれるベックに、私はいつも甘えてしまう。
「……浮気は、有り得ねェから安心していい。何かあれば、俺が責任持って撃ち殺してやる」
そう言って笑顔で銃を構えた姿に、疑いませんと叫んだ私はおかしくないだろう。こんなんだから、私の甘え癖が治らないのだ。
ベックのこういうのが、本気なのか冗談なのかよく分からないわと言えば、ヤソップが引き攣った笑みでナミが関わらなきゃ全て冗談だがなと言う。その有り得ない回答に、揶揄われたと判断した私はべー!と舌を出してその場を去る。
結局その後、凪の帯を当然のように抜けて、赤髪海賊団は東の海へと安全に航海してのけた。こうなると既に彼等は人間ではないのではないかと疑いたくなるけど、冷静に考えて四皇と呼ばれる彼等が普通の人間である筈は無いのだ。
「ナミ、どうした?」
「四皇って、人間には務まらないんだなぁって考えてたのよ」
ルーに問い掛けられて、私はチラリと視線を向けつつ言う。けど、返ってきたのは呆れを隠さないもの。
「ナミもその〝四皇〟に所属してるって事、忘れるなよ?」
「私は守られてるだけの非戦闘員じゃない!ルーのばぁか!」
ルーにブーっと膨れながら言えば肉を持ってない方の手で頭を撫でられた。その手が優しくて、時に切なくなる。
「ナミは充分強い。ただな、ここのトップ2人がナミには過保護過ぎるだけだ」
「それ、何の慰めにもならないから……」
いじけたような気持ちになる私に、ルーはよしよしと頭を撫でてくれる。それから小さく首を傾げるので、どうしたのかなとその顔を見詰めた。
「ナミは、俺の名前ちゃんと分かってるよな?」
「ラッキー・ルーでしょ?」
「名前の所、もう1度言ってみろ」
「ルー?」
私の言葉にルーはニマニマと笑い、可愛いなァって言うけどなんだと言うのか。首を傾げた私に、ルーは言う。
「ルウなんだけどなァ」
「うん、ルーでしょ?分かってるってば!」
「まァ、ナミがそう呼ぶから、俺の愛称がルーになってるんだし、可愛いから良いけどな」
そう言って満足そうに頷いたルーは、もう1度私に向かって、弱くは無いからな!と繰り返して去って行く。ルーの意味のわからないそれを首を傾げつつ見送って、蜜柑の木に会いに行けば、相変わらず優しい香りを振りまいていた。
そのまま蜜柑のお世話をして、こんな感じかなと顔を上げるといつものコロンの香りが潮風に乗って運ばれて来る。見れば船縁に腰を降ろして、私を眺めているシャンクスがいて、何か用事だったのかなと首を傾げた。
「……風呂でも、入ってくるか?」
「なんで?」
「ナミが蜜柑になってるからだ。枝と葉にまみれてるぞ」
言いながら髪の毛からそっと枝や葉を落として、優しく笑うシャンクスに顔が赤くなる。とうして私は、何時までも子供みたいなんだろう。
そんな私をそっと抱き締めて、大きいのだけは取ってやるなんて言いながら楽しそうに髪を弄るシャンクスに、私はそっと身体を預ける。大切にされ過ぎて、その愛に溺れてしまいそうだと思うのは……それが怖く思えるなんて言うのは、贅沢な悩みなのかな。
挨拶に来たエースが去って行ってから、少しの時が経過している。今頃どこで暴れてるのかな?
その後現れた従姉妹さんは、結局あの後どうしているのだろう。調べても分からなくて、謎が深まるばかり。
「ほら、だいたい取れたから後は風呂入って来い」
「ん……。でも、針路見てないと」
「もう東の海入ったから、問題ねェよ。ゆっくり入って磨き上げてこい。……俺の為に、な?」
無駄に色気を振り撒く髭面を突き飛ばして、私は風呂場へと逃げて行く。な、何が俺の為に、よぉー!!と、声にも出せない文句を心中で叫びながら。
色々と落ち着かせる為に本気でのんびりと磨き上げて、ゆっくりと蜜柑の皮が浮かんだお風呂に浸かる。蜜柑の皮からお菓子や洗剤も作れるけど、それでもどうしたって余るのだ。
何かを作るのが面倒な時は、生ゴミ用のネットに蜜柑の皮を入れて乾燥させておけば、それだけで立派な入浴剤となるのだ。これの場合、市販されている入浴剤とは違い塩素等が含まれない為、残り湯を洗濯に使うのも、植物に与えるのも問題は無い。
その上、蜜柑の成分を肌から吸収するので風邪予防になる他美肌効果やリラックス効果を期待できる。つまり!蜜柑は素晴らしいのよ!!
お風呂で使った後の蜜柑の皮で油汚れの酷いところを擦ると、綺麗に出来ます。と、脳内で蜜柑の宣伝をして心を落ち着かせた私が表に出ると、見えた景色に息を飲む事となる。
見慣れた海岸とヤシの木。潮風に混ざって届く香りは、ベルメールさんの蜜柑。
「「ナミー!!」」
懐かしいと言うにはおかしい筈の、僅か2年会わなかっただけの母と姉の姿……。変わらない、愛情溢れるナミと呼ぶ声。
「ベルメールさぁん!ノジコぉー!!」
何も考えずに2人の元へと甲板の床を蹴って飛び出せば、両手を広げて受け止めてくれる。そんな2人に顔を埋めた時、困った様子で着いてきていた大切な人の存在に気付く。
「船が泊められるまで待てよ」
「ナミ、少し実家に寄って来ると良い。……此方が説明していた物です。宜しくお願いします」
「確かに賜りました。お任せ下さい」
シャンクスの言葉に続いて、ベックが箱をベルメールさんに差し出して言えば、その箱をノジコが受取り、ベルメールさんが返事をする。私は状況把握が出来ないままに、2人に連れられて実家へと帰りお茶をしたりしながら髪を整えてもらう。
「お風呂上がりなのね」
「うん、ちょっと、蜜柑のお世話に夢中になって、枝とか塗れになったら入って来いって言われて……」
「楽しんでる?辛い事は、ない?」
ノジコは無言で髪を乾かしたりセットしていて、ベルメールさんが心配そうに聞いてくる。それに私は、ひとつひとつ答えて行く。
幸せだと、皆優しいのだと。毎日が楽しくて、愛されている事が……不安になるのだと。
「ナミ……結婚、するって?」
「うん。シャンクスに……船長にね、プロポーズされたの。ずっと、師匠として慕ってると思ってたけど、違ったんだなぁって気付いた時には、もう、離れられなくなってたの」
「ナミは、後悔しない?歳も随分上だし、ナミはまだ16歳なのよ」
そんな言葉に笑ってしまう。だって、そんなの気にした事も無かったから。
確かにいつも子供みたいな反応してしまう私もいるけど、ほれはシャンクスにだけだし……。シャンクスの方が私に対して子供っぽい事をするから、何と言うか年齢差とか気にならなかったの。
「気にならないわ。私、シャンクスが可愛いし、あの人ね、結構脆いの。支えてあげたい。力も実力も何も敵わないけど……私が良いって言ってくれるの。……私、シャンクスが好きよ」
「ベルメールさん、ナミは多分そのシャンクスが初恋だったと思うよ。あの頃、別れてきたって言った時にはもう、愛してたんだろうから……認めてあげてよ」
ノジコの言葉に私が驚いて動揺していたら、ベルメールさんは寂しそうに笑うと、仕方ないわねと言う。もしかして、反対……されてたの?
思わず首を傾げたら、ベルメールさんにクスクスと笑われてしまった。そして、優しく抱き締めてくれる温もりに私は静かに眼を伏せる。
「ベルメールさん、私……反対されても、この想いは抑えられない。私、ベルメールさんもノジコも愛してるけど、シャンクスの事はね、独りにしたくないの」
「……仕方ないわね」
そう言ってベルメールさんは私から離れると、箱を開けて中から取り出したのは見事なウエディングドレス。それに息を飲めば、悪戯にその笑みを深めた。
「ナミの副船長からね、認められると思ったら着せて表に連れ出して欲しいって言われてたのよ!……認めてあげるから、着ちゃいなさい!」
言われるままにノジコとベルメールさんに内臓飛び出す勢いでコルセットを締められつつ、ウエディングドレスを着せられる。1人では着られないし、そもそも刃物使わないと脱げないタイプのコルセットに泣きそうになるけど、それでも祝ってもらえる事が本当に嬉しい。
そんな中で2人は、私を締め上げながらとは思えない位楽しそうに会話をする。私は苦しくて会話に参加出来ないけど。
「ノジコは、初めから賛成だったのよね?」
「当然!だから、初めから髪をそのつもりでセットしてたでしょ」
「……まァ、ナミが子供みたいな顔で笑ってたから、許しても良いわ。それに」
そう言って言葉を止めたベルメールさんは、意味ありげに笑う。ドレスアップした私はそんなベルメールさんに不安な思いで視線を向けると、ノジコは肩を竦めた。
「そっちは、どうにも出来ないわ」
「な、なに!?」
「「ゲンさんよ」」
その瞬間私は、漸く着たばかりのドレス姿で、ドアを蹴り破る勢いで開けてシャンクスの元へ向かう為に1歩足を踏み出し、動きを止めた。傷のある眼の所に、青アザ作って笑ってるシャンクスがいたから。
「ナミ」
優しく笑うシャンクスに泣きそうになりながら、そっと足を踏み出す。そして、その頬に触れると、そのまま強く抱き締めていた。
「シャンクス、ありがとう……」
「あァ、勝ち取って来たぞ。だから、俺の愛妻となる覚悟を決めろ」
「あい、さい?」
「ただの妻で終わらせられるか。俺が全力で1生愛し抜いてやるんだ。愛妻以外の肩書きは有り得ねェ」
そう言って笑うその顔は少し情けないけど、誰よりも、何もよりも愛しい。ねぇ、私はシャンクスに何を返せるかな。
こんなにも優しくて、こんなにも弱い人を私は他に知らない。こんなにも強くて、こんなにも酷い人を私は他に知らないの。
「私ね、シャンクス」
「うん?」
「家族の為に死ぬつもりで居たの。ずっと、死にたいと思っていたのよ」
誰も、何も言わなかった。皆が集まってるのが分かったけど、今はシャンクスしか私には見えない。
声は、震えてないかな。少し不安になるけど、ちゃんと私の言葉でシャンクスに伝えたいの。
「でもね、私は今〝生きたい〟と思うのよ。……贅沢で、我儘な願いなのは分かってる。それでも、シャンクスや赤髪海賊団の皆の傍で、生きていきたい」
「……俺は」
微かに声を震わせて、シャンクスは言う。そして、顔は笑ってるのに、静かに涙を落とすそれに息を飲み私が声を出せなくなる。
「その言葉を、ずっと……聞きたかった」
「……っ!」
「すぐに、我が身を犠牲にしようとするナミに、俺の為に生きていたいと思って欲しかったんだ」
「シャンクス……」
かろうじて出せた声は、不明瞭で掠れてる。なのにシャンクスは泣きながら嬉しそうに笑うから……。
「愛してるよ、ナミ。俺の愛妻」
そう言って重ねられた唇。神父も居ない、神にも誓わない。
ただ、互いに互いへと誓うだけの結婚式。私は、俺は、
立派な教会も、厳かなる鐘の音もない。あるのはただ、大切な人達からの祝福と、風に運ばれて来た潮と蜜柑の香りだけ。
でもきっと、それが何よりも贅沢で幸福なものだと私達は知っている。大切なものを何も零さないように必死に抱き締めながら、私達は幸福を瞳に宿して微笑み合った。
波間の向こうを目指して、大切な人と共に、未来へ向かって船を出す。いつか波間の向こうに眠るその時まで、共にあり続けようと誓い合って。