偶然の遭遇(光源氏14)
カリーナを守ろうと船を沈めた直後、当然私も海水に沈む事になってその冷たさと感触で意識が海水の中で浮上する。呼吸ができない事で僅かに焦るけど、空の樽が身体を引っ張ってくれるから冷静になれば危ない事は無い。
このまま流れに身を任せてしまえば沈んでしまうけど、船の沈む流れが出来た時に、必ずその近くに上昇海流が生まれる。これは力学の問題にも通じる話。
棒の上に重りを乗せて、重さに耐えられずに棒が折れた時、重りの下になる部分と、重りよりも上になる部分が出来るのと理屈は同じ。なので、上にあがろうとせず横に移動すれば、勝手に海面へと押し上げて貰えるのだ。
ただし、その勢いは凄まじい。下へと引っ張る力も、海面へと戻ろうとする力も強烈なのだ。
何とか上昇海流に乗れば、後は流れに逆らわなければ良いだけ。そうして海面に出て、咳き込みつつも呼吸を整えながら辺りを確認すればカリーナの姿が見えた。
樽に乗ってとりあえず海から出る事を優先したけど、その刹那感じ取ったのはサイクロンの発生。慌てて視線を動かせば、私の方へと近寄ろうとするカリーナの姿。
「そんな小舟だと持たないわ!逃げなさい!カリーナ!!」
「逃げるって……」
「サイクロンが来るわ!急いで!」
「それならまずはナミがこの船に乗りなさいよ!樽よりはマシでしょう」
その言葉に確かにと思う。私が操舵するなら、何とかなるだろうから。
そう思ってカリーナの小船に乗り込むのと同時に、小舟が予想を上回る揺れ方をした。何事かと視線を向けた先に居たのは、まさかのベックで……白髪混じりと言うか、真っ白なそれに少し呼吸を忘れてしまう。
「ナミ」
名前を呼ばれただけで、泣きそうになる。私は昔からベックには甘えてばかりだ。
いつもは優しいベックの声が、今日は少し硬い。それが心配なのに、ベックの顔を見ただけで力が抜けてしまいそうになるの。
「ベック……?」
「もう、大丈夫だ。うちの船に移動しろ。……二人ともな」
その言葉によりカリーナを見れば、少し戸惑った様子を見せながらも頷いてくれる。だから私はホッと息を吐き出してから、ベックに視線を向けて笑う。
カリーナが拒絶しないでくれて良かった。赤髪の皆なら、カリーナをちゃんと守ってくれるわ。
「ベック、ありがとう。カリーナをよろし……く……」
そこで私の意識は完全に潰えた。潰える直前に、ベックの悲痛な悲鳴を聞いた気がしたけど、どうなんだろう。
意識が戻ったら、船医が即座に飛んで来てアワアワとしてるのが見えた。それが何だか暖かくて、大丈夫よと笑ってゆっくりと身体を動かす。
拷問され慣れてるから、こんな時にどうやって身体を動かせば良いのかは分かってるのだ。なので、船医が止めるのも聞かずに歩き出した。
だって、カリーナの姿が見えない。見聞色の覇気を使う体力は無いけど、ベックかシャンクスに聞けばわかる筈。
そう思って皆の声を頼りに進めば到着したのは食堂で、ドアを開ければ何故か泣いてるカリーナと妙に冷たい顔したシャンクスと、困ったような顔をしてるベックが見えた。カリーナが、何かやらかしたなら謝らないと。
「シャンクス、ベック……助けてくれて、ありがとう。カリーナが何かしたの?」
「「「ナミ」」」
三人の声が重なって、私は仲良しねと笑いながらカリーナの頭を撫でてその頭を胸に抱き締める。強がりなカリーナの涙は、カリーナ自身余り見せたいものじゃないと思うから。
大丈夫、ちゃんと守るから。彼等は、話の通じる海賊だもの。
カリーナを抱く腕に力を込めて、目の前の二人を見詰める。そして、シャンクスへと視線を定めた。
「妹分の不始末は、私の不始末。私が責任を取ります」
「ナミ……その言葉の意味を分かってて、口にしてるんだろうな」
シャンクスが低く問掛ける。こんな時、シャンクスは船長なのだと思い知らされるけど今更後戻りなんてできる筈もない。
迷う必要は無いもの。守り切れなかったのは、私の落ち度……ここは私がケジメを付けるべき。
「はい。私にできる事であればなん「ナミ、それ以上は言うな。……お頭、ナミは俺が預かる。この状態で何かさせるのは不可能だ」」
私の言葉を遮ったベックが、そっと私の背後に回る。そこで少し息を止めて、深く溜息を落とした。
それを確かに感じるけど、理由が分からない。腕が妙に震えそうになるのと、何か関係があるのかな。
その時背中に貼り付いてるみたいに感じてた服が、少し冷たく感じて……汗でもかいてるのかなと気付く。でも、その下へと流れて足を伝うように何かが落ちるのを感じれば汗だけでは無いのかもと思う。
「お頭、この馬鹿猫を寝かせて来る。……このままにしたら、喪うぞ」
「……っとに、ナミは自分の事には無頓着なんだよな。ベック、任せたぞ」
「ああ」
カリーナと当然のように引き離されて、抱き上げられる。そのまま歩き出されてしまうと慌てるけど、でもカリーナが着いてくる事を確認したらホッとしてしまう。
そんな私にベックは困ったように笑うから、相変わらず優しいなと素直に思う。でも、甘えてばかりも居られない。
「ベック……ごめんなさい」
「ん?」
「さっき庇ってくれたの分かってるけど、責任は……私の命で補わせて欲しいの」
「……馬鹿になったか」
「頭は良い方だと思うけど?」
意識が、朦朧とする。このまま意識を失えば、きっと楽になれると分かるけど、カリーナの事もあるし、何より……私の死が伝わらないとそろそろ帰る期限になってしまう。
それを過ぎたら、逃げたと思われて皆が……。私は、あの人達を喪えない。
だから、私は笑ってお願いする。まだ、意識を保てると自分に言い聞かせながら。
「カリーナをお願いしたいの。それと、私の首を、送って……もう、時間が無いのよ」
「……何処に、送ればいい?」
その言葉に肩から力が抜ける。理由も何も聞かないで、理解してくれる賢さが少し切ないけど。
でも、何でかな。その感情を上手く読み取れないの。
いつもなら、その瞳を見れば分かるのに。どうして……かな……?
「東の海、コノミ諸島、ココヤシ村にある……アーロン、パー……く……」
私は自分の声が遠くなっていくのを感じながら、でも、必死になって言葉を紡ぐ。これで、皆は無事でいてくれると信じられるの。
だから、最大限の感謝を込めて微笑む。私を殺してくれて、ありがとう……と、その言葉がどれ程ベックを傷付けるのかも分からないままに。
けれども、私は目覚めてしまった。意味がわからなくて辺りを見てみれば、渋い顔したヤソップがいて驚かされてしまう。
「質問は受付ねェ」
何も言う前にそんな事を言われては、何も声を出せなくなってしまう。そんな私にデコピン1発でベッドへと戻す荒業を使われて、思わず恨めしさ全開で睨めば困ったような顔をさせる。
「まずは、うちの理性の塊から理性をお前が奪った事で現在放送禁止レベルの惨劇が起きてる事を伝えておく。次に、お前が助けようとしたお嬢ちゃんは『助けてくれてありがとう。女の子は賢く生き抜かないとね』と告げて去っていった。そして、お前は重症だからベッドから出んな。俺はその見張りだ」
赤髪の理性の塊と言われて思い浮かぶのは、やっぱりベックで、でも惨劇って何だろうと首を傾げる。こんな私に、ヤソップは答えてくれる気配を見せない。
ただ、シャンクスやルーの姿も、他の幹部の皆の姿もない事が何とも複雑な気持ちにさせられてしまう。そもそも、重症なのは良いとして、なんで私は生きてるの?
私が生きていたら、アーロンに皆が殺されてしまう。そう思って縋るようにヤソップを見た瞬間、ドアが静かに開かれた。
血みどろの姿で顔を出したのはベックで、大怪我でもしたのかと慌てて身体を起こしたら、そのままベッドから転がり落ちそうになる。咄嗟に受身を取ろうとしたけど、そんな私をベックが支えてくれた。
「危険な事しようとするな」
「だって、ベック、血が……!!」
「全て、返り血だ。……ああ、ナミが汚れちまうな。悪い」
そう言って私をベッドに戻してそっと離れようとする。でも、そうじゃないの!
本当に怪我、してないのかな。そう思ってその腕を、離れるのを拒むように掴むとベックの動きが止まった。
「そんな事、ない。大丈夫なら、ベックが無事ならそれでいいの」
「シャワーでも、浴びるか。二人で。俺も血を落とさないと不味いだろうし、ナミも血で汚しちまったからな」
そう言って微笑むベックは、でも何故か瞳が怒りに燃えている。何か怒らせたかなと思うと、甘えていいのかわからなくて声を失う。
そんな私の様子を見て、答えを勝手に判断したベックが抱き上げるから、私はそれにより素直に運ばれる。ベックから落ちてくる赤い雫は、明らかに他人のソレなのに、何故か涙のようにも見えて心配になって無意識で手を伸ばす。
そっと頬に触れると、ベックが無言のままどうしたのかと問い掛けてくるから、つい笑ってしまう。言葉にしなくても、ある程度伝わる関係性が何だか不思議な気がして。
「ベックが……泣いてるように、見えたの」
「……もっと早く、ここに来れば良かったと思ったら泣きたくもなる。助けに来るのが、遅くなって悪かった」
「え?」
その言葉でまさかと思う。移動中に通過している甲板から辺りを見てみれば、見えているのがココヤシ村だと分かってしまった。
そして、見えなければいけない巨大な建物が存在しない事に気付く。その犯人は、こうなれば答えなんて出てるようなもの。
「ベック……」
「建物を破壊したのは、ルーだ」
名前を呼べばベックは視線を逸らして、言い訳のように言葉を口にする。分かってて、そんな言葉で誤魔化そうとするなわて……!
「ベック……!」
「もう、村は……いや、島は安全になった。〝仲間〟の故郷だ。お頭が見捨てる筈も無いだろ」
わかってる筈なのに、誤魔化そうとする。私を、騙そうとする賢くて、優しくて、残酷な人。
でもダメ。騙されてあげられないよ。
「ベックッ……!」
「…………俺に」
私の呼び掛けにようやく応える気になったらしく、ベックは足を止めて私を真っ直ぐに見詰める。その瞳は渇いているのに、悲痛に咽び泣いているように思えてしまう。
どうして……そんなに苦しそうなの。やっぱり、返り血だけじゃなくて、怪我をしてしまったの?
「……っ……!……俺に……!ナミを殺せる筈が無いだろう!!」
「……ベック……」
「ナミならできたか?俺が傷付き倒れているのを見付けて、治療して、目覚めた途端に殺してくれと微笑まれて……!!殺せるのかっ!!」
その言葉に、息を飲む。酷い事を、させようとしたのだと漸く気が付いて、頬に触れていた手が首の後ろへと移動した。
そうして強く抱き締めるようにすれば、ベックの痛みが少しは和らぐような、そんな気がして。私は、村の皆を守る事しか考えてなかった。
その為に、ベックを傷付ける可能性を本気で見落としていた。悲しませるなんて、少しも思わなかったの……。
「ごめんなさい。私、自分の事しか考えてなかった」
「ナミが、家族を愛し過ぎているのは知ってるが、ナミは周りの気持ちを分かってねェ。そうやって守られた相手の気持ちも考えろ。遺される俺達の事も……少しは、考えてくれ」
「うん。ごめんなさい。……殺さないでくれて、助けてくれてありがとう」
お詫びに死ぬのではなく、生きて恩を返さなければ。私は誰かを傷付けたい訳では無いのだから。
守りたかったの。大切な人達を。
でも、だからこそ私のそれはエゴとしか言えないものだったと気付く。私を守る為にゲンさんが傷付いて倒れたそれでさえ悪夢でしか無かったのに、そうして庇われて生命を喪われてしまったのなら……。
愛しくて、大切な人達だから、守りたかった。愛しくて、大切な人達だから、迷惑をかけたくなかった。
その結果、血に濡れてるベックが泣いている。表面的には泣いてなくても、心が泣き叫んでるのが分かるの。
「ごめんなさい」
「本気で反省してるか?」
「うん」
素直に頷けば、ベックが海賊の顔をした。これは本気で怒ってるぞ……と思うけど、宥め方が分からない。
「なら、家族に別れを告げて来い。……今日からナミは、赤髪海賊団の〝女神〟だ」
「え?私〝妹〟じゃないの?」
「妹でもあるが……罰として、女神として旗印にしてやる」
赤髪海賊団に帰って来いと笑うベック。残酷で甘やかな罰に、私は笑顔で頷いた。
こんなにも甘やかな罰があるなんて、私はこれまで知らなかったの。だからそう、シャワーを浴びてから赤髪の皆に助けて貰った大切な家族へと、別れを告げつつ荷物を纏める。
止めようとするゲンさんと、好きにしなさいと笑うベルメールさんと、ブレスレットをくれた優しい姉と、心配そうに薬や本を色々持たせてくれるドクターに手を振って、私は旅立つ。幼い頃に夢見た願いを叶える為に。
『いつか、自分の目で見た世界地図を描きたいの!!』
本来の彼女が目指した、途方もない壮大な夢は……この人達の傍でなら叶えられる気がするから。大切な家族に別れを告げて、愛しい仲間達にただいまと笑いながら飛び付いた。
ここもまた、私にとっては大切な家族の集う場所。昔から、変わらない暖かさを与えてくれる人達。
「お帰り、ナミ」
「見習い〝女神〟ただ今帰船致しました!船長、副船長、幹部の皆様、帰船が遅くなりました事、お詫び致します。これよりまた、御指導ご鞭撻のほど宜しくお願いいたします」
「……良く帰った。赤髪の象徴が離れているにしては、長過ぎる旅だったな。罰として!……もう二度と、この船を降りられると思うなよ」
「……はい!」
シャンクスの言葉を受けて、笑う。そんな私をベックが優しく見詰めてくれるから、小走りで駆け寄って問い掛けた。
罰だと言うから女神は受け入れたけど、そんな事よりも重要な事があるの。前は結局シャンクスと同室だったけど、もう14歳だものそんな訳にはいかないでしょ?
「あの、私の部屋ってどうなるの?皆と雑魚寝?」
「……ナミは、俺の部屋だ」
「何を!?俺の部屋だろ!」
「お頭はナミの仕事を邪魔する上に、必要になっても仕事の手を止められないから同室の意味がねェだろ」
監視の意味もあるのかと納得すれば、私に異論はない。子供とはいえ女の子だし、この位の対応は当然なのかもしれない。
幹部の皆も、幼女に手を出した仲間を殴るとかしたくないだろうから。まだまだ発育不足な自分の身体を軽く見てから、少しだけ近くなった皆との距離に笑う。
「ベック、よろしくね」
「……ちゃんと、守ってやる」
「いや、そこはちゃんと戦えるように鍛えてよ」
少しむくれて言えば、幹部の皆がまだまだガキだなと笑い出すけど、いじけてるシャンクスはその輪に入ろうとしない。そう言えば昔は、シャンクスの部屋で一緒に寝てたもんね。
確か、安眠効果があるって言う理由だったけど。同時に、夜中に敵が攻めて来た時の為の対処だと知ってた。
だから、何かお礼をしないとと考えたのは当然。安眠できそうな、そこそこのサイズがある物……。
「シャンクス、何か抱いてる方が寝やすいなら、抱き枕作ってあげようか?」
「……いらねェ。てか、そうだよな。ナミだもんな。ベック!手を出すなよ!」
「それは、約束しかねる。だが、壊したりはしねェさ」
そう言って笑うベックにシャンクスは怒り出すけど、壊れやすい何かをシャンクスとベックは共有してるのかな。よく分からなくて首を傾げたら、優しく笑う幹部の皆に交代で頭を撫でられた。
歓迎して貰えてる現実が嬉しくて、役立ってみせると内心で誓う。だから私は笑顔で宣言する。
「皆の役に立つなら何でもするから、私の事は好きに使ってね!」
その瞬間空気が凍る。何か変な事言ったかと考えるけど、答えは出ない。
それでも困ってベックを見上げたら、何故か盛大に溜息を落される。小さく、上目遣いは身長のせいに違いない……って呟いた気がするけど、気のせいかな?
「まだ、ガキだからって事で許せるギリギリのラインだな。……まァ、ナミはそのままでいい」
ベックの言葉を皮切りに、皆も頷きだす。そして、守ってやるからなと宣言されてしまえば、修行付けてってば!と叫ぶように怒鳴ったのは当然だと思う。
笑い声を響かせながら、まだ見ぬ明日に心ときめかせて、私達は進んで行く。波間の向こうを目指して。