新たな島をオーブンが占拠したので、ナワバリの範囲が広がった。そうママに言われた俺はナミを伴いその島の測量と、その近海の海図を得る為に船に乗り込んだ。
そんな時にナミは海を眺めながら、小さな願いを口にした。不安そうに揺れる瞳は、相変わらず美しい。
「いつか色々と落ち着いたら、自分の目で見た世界地図が描きたいと……そう願ったら、怒る?」
「……それに答える前に1つ聞かせろ」
「なぁに?」
小首を傾げつつ海から俺に視線を移したナミが問い掛けてくる。軽い感じで甘えるように言っているが、これはもしや……ずっと前からのナミが内に秘めていた願いなのではないだろうかと、そう思えてならない。
俺を愛していると言って甘やかしてくるのに、自分の事は殆ど教えないナミに、微かな苛立ちと切なさが胸に宿る。俺の裸の心を平然と受け止めて笑う癖に、どうして自分のそれは器用に隠しちまうのか。
「その〝世界地図〟は、いつから描きたいと思っていたんだ?」
「……幼い頃からの夢だったの。でも、叶う筈も無い事は自分が1番よく分かっていたわ。でも、今カタクリとこうして過ごしていて……カタクリが許してくれるなら、付き合ってくれるなら、叶うかもって思ったの」
その言葉に俺はその小さな体を抱き寄せて、潰さないようにだけ気を付けながら抱き締める。ナミは突然のそれに驚いた様子を見せながらも、甘えたように擦り寄るから最低限の事が終わったら2人でゆっくりと酒でも呑もうかと誘い出す事しか出来なかった。
本当は何故素直にもっと早く言ってくれなかったのかと言いたいところだったが、こればかりは仕方ない。普通にしていると腰までだって届かない位小さな妻をひょいと抱き上げて、海が良く見える位置で腰を降ろす。
片時だってお前を離したくはないと、それくらいは願っても許されるのではないだろうか。視線も意識も全て海に奪われるのならば、せめてその体だけでも俺が抱き締めている事位は、許して欲しい。
その日は海図や地図を描いていて1睡もしなかった妻を朝になってから叱り、昼過ぎまで寝かせたが……。仕事はしっかりと終えているのだから優秀過ぎるだろうと、無理しがちな愛妻の額にそっとキスをした。
目覚めたナミにシャワーでもと勧めている間に食事を用意させて、店にも連絡を入れて個室を用意させる。俺の体格等を考えてそうしておくのが安全と判断したのも勿論だが、俺とナミの食事する姿を誰かに見せたくはないと思ったのが主な理由だ。
個室のそこへは注文したら運ばれて来るので、俺達は運ばれる時だけ口元を隠しておけば良い。年齢の近い兄弟や姉妹は知っているし、ママも知っているが他は俺の素顔を知らないのが当たり前だった。
なのに、ナミは初めて見た時からそれを当然として受け入れてくれた。見せたくないのだと言えば、誰かに見られそうな時はさり気なく俺を庇う勢いだ。
……それにしても、この小さな体のどこにこの量の酒が入っているのか。理解に苦しむ。
「人に見られたくないって言って、いつもは外食とかしないのに珍しいわね」
「夜景が綺麗だと聞いたからな。……たまには、ナミに自分で用意した物以外も楽しんでもらいたかった」
「ありがとう……」
俺の為にと食事も何も全て作ってくれる愛妻に、たまにはゆっくりして欲しい。……菓子だけは中々作らないが、それは仕方ない事だろう。
嬉しそうに酒を口にするナミは、俺に視線を向けるとほんのりとその頬を染める。いつまでも初心な様子を見せる妻に、笑ってしまうのは仕方のない事だろう。
「私の書いた作品に〝白雪姫〟って言うのがあるのは知ってる?」
「あァ……童話だったな。あの話は、ナミと似ている」
「……え?」
「無防備で、美しいお姫様の話だろう。……ナミは、俺の大切な姫だ」
死んでも口付けで還ると言うのならば、何度でも口付けてやる。とは、言えなかったが、その時ナミの元に酒が運ばれて来た。
赤い酒を呑み、ナミは自嘲するように笑うから、どうしたのかと思わず見つめてしまう。切な気なその瞳が、憂いを帯びた横顔が美しくて見蕩れているなんて……そんな事を言ったら、また本気にせずに怒るんだろうか。
「騙されて毒の林檎を食べさせられたお姫様は、王子様からの優しいキスで息を吹き返すんだけど……まぁ、実際には有り得ないわよね」
そう言いながらも何処か憧れや焦燥を感じさせるその雰囲気に、何か言ってやらないとと思う。それにしても、ナミは相変わらず美しい。
「好きな人からのキスで目覚めるとか、憧れるわ」
「キスで毎朝起こしてやろうか?」
思わず口から飛び出したその言葉に驚いたのはナミだけではなく俺もだ。だがナミは直後に嬉しそうにはにかんだ笑みを浮かべたので、言ってみて良かったのかも知れないと思う。
「……お願いしちゃおうかな」
甘えたようなそれに、ドキリと心臓が高鳴る。思わず抱き寄せようとした所でひらりと立ち上がったナミが、風に当たると言うので口元を隠して共にと立ち上がると、先に個室を出たナミがその場で倒れた。
「ナミ!?」
珍しいなんてものじゃないそれに、慌てて抱き起こしたが反応が殆どない。呼び掛け続けて、やっと反応したと思ったら苦しそうに、縋るように、俺に震える指先で触れつつ言葉を紡ぐ。
「かなら、ず……むかえ、にき、て……」
そうして意識を失ったナミを船医に診せようと立ち上がると、慌てたような声が割り込んで来た。守ってくれる海賊の人達に危害を加えたりはしないと言って、部屋と医者を用意させて欲しいと言われれば今後の事を考えて頷く他ない。
もしもナミに何かあって、それがこの島のせいだとなればママは躊躇い無くこの島を消滅させるだろう事は想像にかたくない。ナミはママの〝お気に入り〟であり、俺の〝愛妻〟だ。
だがそうなれば、この優しいを超えて甘いナミが気に病むのはわかり切っている。……自分のせいだと、嘆く姿は見たくねェ。
だからと思い用意された部屋に連れて行き、寝台へと寝かせれば俺が使っても問題ないサイズの部屋である為にナミが小人に見える。ナミのサイズなら俺の居場所が無くなるのだから仕方ない事ではあるがな。
そうしてナミを診察した医者から肉体には問題がない、あるのはコブだけと言われ、ならば肉体以外に問題があるのだろうとその様子から判断する。だが、責めたり殺したりすればナミが嘆くだろうと考えれば、下手に手出し出来ない。
甘過ぎる愛妻に少しの溜息を落としつつ、とりあえず居ても役立ちそうにない2人を帰す。ナミに何か起きているなら、それに合わせて俺が対処すれば良い。
誰にもナミと深く関わらせたくは無い。関われば関わった分、ナミは〝ソレ〟を大切にして、自らを犠牲にするのだからな。
「んっ……ぅ……」
「ナミ、起きたか」
声に反応して近付くと、虚ろな瞳が俺を映した。……何かあるな。
「ナミ、不調はあるか?」
「いいえ、不調はございませんわ。ですが……その、貴方はどなたですか?
「……成程。そういう事か。……ナミ、俺はナミの夫だ。ナミ、今、自分のフルネームは言えるか?」
「えっ?」
俺の問い掛けにフルネームってと小さく呟いてから、頭を抑えたナミにさてどうしたらいいだろうかと思う。常に愛情を振りまいてくれる優しいナミの瞳が、俺に向けられないだけで世界がモノクロに感じる程の絶望だとは考えもしなかった。
俺の世界の色彩は、ナミだったのだと思い知る。世界が突然暗くなった。
「……私は、そう……シャーロット・ナミ。私が、この人を幸せにすると、あの日、誓って……でも、それは、誰?っ!!」
苦しそうに喘ぎながらも記憶と戦うナミは、妙な色香を称えている。俺の……愛妻。
「ナミ」
「え?」
口付け1つで生き返るのならば、何度でも口付けて見せよう。抱く事でナミを取り戻せるのならば、死んでいても迷わず抱ける。
そんな想いを胸に抱きながら、無防備に顔を上げたその唇を奪い尽くすように重ねれば、いつもの様に求めてくる事も腕を回す事も無いナミが、ただ呆然とそれを受け入れる。この無防備さは明らかに天性のものだと理解出来たが、何も嬉しくねェな。
そんな事を思いながらそっと寝台へとその体を沈めた時、ナミの反応が変わりそっと両腕がシーツから離れて俺の首へと回された。それにより気付く。
そっと唇を離せば、その隙間でナミが優しくその瞳を細めた。愛情を宿して……甘く、囁くようなその声に、俺の世界が1気に色付いたのを理解する。
「カタクリ……突然
「ナミッ!」
強く……強く抱き締めれば、苦しいと言いながらもごめんねと謝る優しい声に、泣きそうになる自分を自覚する。俺を幸せにすると、誓ったのだから勝手に消えるなと囁けば小さく、けれども確かにナミは頷いてくれた。
「カタクリ……私ね、きっと……何度忘れても、何度でもカタクリに恋をするわ。だからお願い、何度でも迎えに来てね」
「……恋を、してくれたのか?」
俺の問い掛けに真っ赤になったナミは、小さな声で話し始める。それはナミらしい言葉でありながら、途中から言い訳のようになっていて、その必死さが愛しい。
「誰なのか分からなくて、素直に聞いた瞬間、カタクリ捨て犬みたいな瞳で私を見るから……放っておけなくて……なのに、私を愛しそうに見ておきながら、急かしたりしないで見守っててくれたでしょ?だから、その……優しさに惹かれて……だから……!」
「……ありがとうナミ。俺もきっと、何度でもナミに恋をする。そして、最後には必ず愛するだろう」
その先2人に言葉はいらなかった。ただ、互いを見つめ合い、そっと口付けを交わす。
1つに重なったその体が離れるのは、いつまでも帰らない2人を部下達が心配して探しに来た数日後の事となったが、そればかりは仕方ない事だろう。互いの事しか見えないくらいに、双方が溺れ合っているのだから。