歌声が聞こえて視線を船内に向ける。そこそこのサイズがあるこの船は、キッチンと寝室に使える部屋の2つが船内として存在していた。
船の設備としてキッチンを優先したのか、それとも時間が無くて適当に選んだ結果なのかは不明だ。風呂はシャワーだけだがまァ……私と2人ならば問題無いだろう。
歌の邪魔をしないように、そっと船内に入ればナミは窓の外へ向けて歌っていた。その歌が桜をモチーフにしているので、首を傾げてしまう。
先日、桜の咲く無人島には連れて行った筈だがな。その時床に桜の花弁が舞い込んでいるのを見て、どうやら近くにあるらしいと気付けば納得もする。
そんなタイミングでナミは歌い終えたらしく、私の存在に気付くと泣きそうにその瞳を潤ませるから、笑顔を向けて手を広げてやる。それだけで、ナミは駆け出して来るのだから可愛いものだろう。
珍しく甘えて来る歳若い恋人の様子から何かあったのは分かるのだが、思い当たる事がない。さて……どうしたと言うのだろうか。
「ナミ、どうしたんだい?」
「海賊一番くじが当たったの。重箱に卵焼きとか詰めて、お花見とかどうかしら?……でも、難しいわよね」
別れの時が迫っているのを考えれば、その答えを導き出したのも無理らしからぬ話だ。だがね、私はナミの憂い顔等望んでいないよ。
別れは必要な事。双方の為に、な。
だが、それを憂うのは大歓迎だと言ったらナミは笑うだろうか。そして、他の理由で憂うのは、望まないと言ったならば……。
離したくはない。離れたくもない。
だからこそ、別れを惜しんで泣いてくれるのは、憂いてくれるのは正直嬉しい。だと言うのに、実際憂い顔を見ればそんな顔をしないで欲しいと願ってしまうのだ。
そっとその頭を撫でてやれば、驚いた顔で私を見上げる無垢な瞳。これでしっかり女なのだから、分からないものだな。
「この船の上でなら、可能だろう。降りなくともナミは測量もできた筈だね」
「できる、けど……?」
「私の知る、多くの春島を巡りながら、ゆっくりと花見をしつつシャボンディ諸島へ向かうとしよう。その時に共に食べるのは、ナミの作った弁当と言うのはどうかな」
「嬉しい、ありがとう」
そう言って顔を隠すように抱き着いてきたナミの背中を撫でながら、珍しい事もあったものだと上機嫌に笑う私がいる。いつもこうして甘えて貰えると、私としては嬉しいのだがね。
甘えて来るそれが愛しくて、そのままベッドに運んで美味しく頂いた翌朝、産まれたての子鹿を思わせる足取りでシャワーを浴びに向かうその背を見送る。やはりもう少し、ナミには体力をつけさせた方が良かっただろうか。
そんな事を考えながら甲板に出て潮風に当たっていると、いつの間にか隣に姿を見せたナミから恨めしそうな視線を向けられてしまう。それには流石に思い当たる事が多過ぎるので、苦笑するしかない。
「ナミ、私が悪かったよ。だから、そんな顔しないでくれないか」
「レイさんの馬鹿。野獣……ケダモノ……!」
「全て否定しないが……その言葉は全て、私を煽ってるだけだよ」
「なんで今ので煽られるの!?」
そっとナミの腰を抱き寄せて、顎を掴むとその瞳を覗き込む。その結果赤くなったナミが潤んだ瞳で見つめて来るが……これは、煽られるのも当然だろう。
蜜柑の香りが強まり、恥ずかしそうに視線を逸らすナミを抱き寄せて囁くように教える。こんな顔を私以外に見せたら、許しはしないとの思いを込めて。
「男は野獣だのケダモノだのと言われると、そうなって欲しいのだと……警戒という名の期待をされているのだと判断する生き物だ。私以外に、こんな事をさせたら……許してはやれないから、覚悟しなさい」
そう言って首筋に唇を落としながら服の中に手を入れようとしたら、ナミから覇気を纏った拳が飛んで来てそれを躱す。見れば微かに乱れた姿で瞳を潤ませて、それでも睨み付けてくるのだから刺激されるというもの。
「……船の上でお花見でしょ!?レイさんの馬鹿!!」
「私にはナミ以上の花なんて存在し「シャッキーの方が美人よ」」
ガルル……と言ってるのが伝わるような言い方に仕方ないなと両手を上げて降参の意を示せば、ナミは素直に肩から力を抜いた。この警戒心のなさはどうしたって心配になる。
ルフィは強くなったが、ナミを守る事が出来るだろうか。本気になれば敵はいなくとも、基礎が甘過ぎる恋人が心配でならない。
そんな私の気持ちを知りもせずに、ナミはお弁当作ったわよーと楽しそうに笑い手招く。この子は全くと笑いながら、私はナミの横へと向かう。
色鮮やかなその中身を見て、花見の為に作ったのが伝わって来る。そんな中で、各段に用意されている味違いの煮豆に頬が緩む。
……教えた事は無かったと思うが……そうか、無意識で他より多く手を出したりしていたのかも知れないな。細かい所を良く見ているナミに、ふっと笑うとナミはそれに微笑み返してくれる。
けれども花の咲く島が見えてくれば視線は島へと向かい、花より団子ならぬ、花より島々なナミがメモを取り始める。それは既に腰掛けで何かをしている人間の空気ではなく、歴戦のそれを生き抜いた最強の戦士が持ち合わせるものだ。
ナミの敵は海であり、島であり、空。それと同時に、それらはナミの最大の味方なのだろう。
……参ったな、これ以上堕ちる事は無いと思っていたが……更に惚れ込んでしまいそうだ。桜の花弁がナミに構ってくれと言うようにまとわりついて、けれどもそれに1瞥もしないナミは邪魔をする事さえ本来ならば許されないだろう。
それでも構って貰いたいと願ってしまった。それ故に、作ってもらった花見弁当を食べ尽くしたら、花より団子な爺さんは……目の前に居る蜜柑団子に食らいつこうと小さく笑う。
何も知らずに蜜柑の香りを漂わせる小動物は、メモを終えると船を動かし次々とその島々の情報をメモして行く。桜の花弁が降り注ぐその場で、けれども彼等がそれに意識を向ける事はほぼ無い。
ただそれぞれ己が大切に思うものに意識を向けて、今を盛大に楽しみながら生きているのだ。それを分かっていながら、目前に迫った別れを耐える為に蜜柑の果汁を求めて手を伸ばす。
「……ナミ、そろそろ俺に酒の提供をして貰おうか」
「あっ……レイリー……!?」
「花見に酒は必須だろう?」
弁当を食べ尽くし、女の様子が区切りになったと示した瞬間にそんな事を言って抱き上げた男を、止められるものは存在しない。船内に入った2人に続くように数枚の花弁がついて行ったが、その船内で何があったのかは……当人達と数枚の花弁だけが知っている。