船の中にある執務室に入ると、書類がキッチリ整えられており、その他に封筒が1つとお茶とお茶請けが用意されているのが見えた。お茶のセットを見た時、嫌な予感が全身を駆け巡る。
視線を慌てて向ければ、時既に遅く、敵に襲われても気付かない鉄壁の執筆モードに入っているのがわかる。天候の異変があると動き出すが、他は寝食さえ忘れるのだから困った奴だと言わざるを得ない。
それでもわしの為にと、茶と茶請けまで用意されていては、叱る事もできん。何よりもその可能な限りわしの仕事を全て終わらせてくれているのでは、本来ならば礼を言って然るべきじゃとわかっちょるのじゃが……。
これでクザンのように遊んでいたり怠けていたりならば、叱る事も出来るんじゃがのォ……。実際センゴクさんに船に乗った時は描いて欲しい、と頼まれている海図だと分かるからこそ、困ってしまう。
その上で今日中にマリンフォードに1度帰還予定となっており、それに合わせてセンゴクさんを含め上層部全員に手紙を出してイベントの事を伝えてあるのだ。そうなりゃ、責める事は出来んか。
わしへの手紙だけは直接の上司だからと言うのもあってか、細やかな気遣いも入っている。わしに嫌われとると思っていても、礼儀はキッチリ守るんじゃから無下に扱う事は出来んな。
内心で言い訳のように呟いてみたが、同居を初めて半年じゃ。相手はまだ14歳である。
相手に想いが伝わらないからと何かする事も出来ず、無邪気に慕ってくるそれに深く息を吐く。ふと視線を向ければ、羽根ペンを器用に動かして、迷い無く線を引いて行くその姿が既に玄人の雰囲気を醸し出している。
明らかに14歳としてはおかしいじゃろう。そうは思うが、恋人と呼ぶ事も許されない同居人の勤勉さは饒舌に尽くし難い程であり、こうなってもおかしくはない事を理解しちょる。
……手紙を見ればイベントで仮装もとあるが、仮装するまでもなくいつも姿を自在に変えちょろうがとナミを見て思う。食べたい物があれば材料を揃えてくれと書かれたそれに、言われた通り材料の手配を済ませれば、恐らくナミが家で作ってくれるんじゃろうと思えば表情は勝手に笑みに変わる。
ロギアであるわしに対して、怪我しないでねと心配するその善人度は、度し難い程と言える。そんなナミがわしの傍でなければ眠らないと気付いたのは、先月の事。
……あの魚達にされた事を思えば仕方の無い所ではあるが、不愉快にはなる。飲食も毒味なしでは出来ず、1人で寝れば魘されるっちゅうに、助けを求める事もできんでナミは苦しんどる。
わしが傍におるけェ、頼って来い。そう口に出せればまだしも、言葉にするにはナミと己の年齢差とナミへの邪な想いが邪魔をする。
マリンフォードに帰り着くと既にイベントの準備が大半出来とって、普通に受け入れられたらしいと理解する。仮装と言われても何も思い付かず、報告書も上げにゃァならんと内心で言い訳をこぼして何もしない選択肢を選ぶ。
食材は手配してあるから、家に勝手に届いている筈じゃと逃げの1手。報告書を書いていれば、珍しい事におつるさんが執務室に入って来た。
「やっぱりナミを、あんたにつけて良かったみたいだね」
「どういう事じゃ?」
「1般人への被害が極端に減ったよ。ナミが止めてると聞いてるが、違ったかい?」
「あのお人好しが傍におるのは、やりにくいんじゃがのォ」
わしの言葉におつるさんは、その方が民間人に被害が出なくて良いよと笑う。その言葉が終わると同時に、紙袋を渡された。
なんだと思ってそれを見れば、おつるさんが言う。その表情はやけに楽しそうで、何か企んでいるのかと1瞬疑いそうになった程。
「どうせイベントに関する事は見るだけで、衣装の1つも用意しちゃいないんだろう。ナミに着せてやりな」
「……露出の多いもんは「スカート丈の長い魔女の衣装だから大丈夫だよ。サカズキはいつからナミの父親になったのかね」」
言葉を遮って面倒臭いと言うのを隠さずに、溜息を落とすおつるさんにわしの方が溜息をつきたいと思わされる。肩書きはわしの方が上でも、おつるさん達よりも立場が上とはならんのが正直な所じゃと分かっとちょる。
そこからはおつるさんを無視して書類を片付けていれば、気付けば明け方。その足で書類をセンゴクさんの部屋に届けてから、嫌な予感に苛まれつつ船に戻る。
……まさか、いや、ナミならば有り得るかのォ!船室のドアを蹴破る勢いで開けば、予想通りナミが机に向かっちょった。
……帰っても眠れないのならば、海図を描いてた方が有意義だわと笑う様子が、目に浮かぶ。だがそれを許していては、問題なのもわかっているのでその手を掴んで動きを止める。
それに驚いたような顔で振り向いたナミは、嬉しそうに微笑みを浮かべた。無邪気な幼い笑顔は、信頼が滲んどる。
「サカズキ大将、お帰りなさい」
「それは自宅で聞きたかったもんじゃの」
「ふふっ、だってサカズキ大将の居ないあの家は、広すぎて寂しいんだもの」
可愛い事を言って誤魔化そうとするナミを抱き上げて、帰宅する。わしには何をされても抵抗しないナミに、そんなに信用するなと心から思う。
無駄に歳を重ねとらんかったら、とっくに襲っちょるな。そう思うのと同時に自嘲する。
それに気付いたのか、ナミが心配そうにわしに視線を向けて来るのが分かる。わしはその視線を受け止めるように顔を上げた。
「サカズキさん、何かありましたか?」
海兵としての勤務時間以外では、大将とつけずに呼ぶナミだが……まだ互いに制服を着ている事を考えれば珍しい。
「いや、なんも……。あァ、つるさんからナミに預かった服がある。帰ったら少し寝て、それを着て挨拶に行っちょけ」
「……はい、分かりました。サカズキさんは何か仮装するの?」
「いや、わしは……ナミの作る食事を楽しみにしちょるだけじゃァ」
わしの言葉にナミは嬉しそうに笑って、なら頑張って作りますねと言う。それに笑い返せば、安心したように微笑むから力が抜ける。
帰宅してすぐにナミをベッドに下ろして部屋を出ようとした時、マントを掴まれた。何事かと視線を向ければ、泣きそうな顔をしている事に気付く。
「……1緒に、居てください」
「それは……」
「1人だと、眠れないと思うから……1緒に、寝て欲しいの」
……どんな拷問なのか。ナミの部屋として用意している1室は、元々はわしの家だからわしの寸法で造られとるし、ナミ用になってるベッドも本来わしが使えるように造られとるから、そういう意味では問題も無いんじゃが……。
ベッドと机、クローゼットが1つずつある他は全てが本棚。いや、棚もあった筈がいつの間にか本棚として使われちょるな。
元々棚だった名残か、1番上だけ写真立てと閉じられた小さな鏡、予備のペンやインクが置かれている。そんな部屋にて小人宜しく座るナミが、潤んだ瞳で見詰めてくるのだ。
現実感の全くないここで……部屋を見渡し現実逃避をしようと試みて失敗を悟り、どうしたら良いかと真面目に考える。わしが使っていた時とは、全く雰囲気の異なる部屋じゃな。
「サカズキさん、お願い。ベッドが嫌なら、私がサカズキさんの布団に行くから……1緒に、寝よ?」
辞めい!違う意味に取れるじゃろうが!
声に出来ない叫びを脳内で繰り返しつつ、頷いたのは惚れた弱味か。明らかに泥沼に自ら入り込んだと思いつつ、共に眠……れる筈も無く、ナミが怯えた様子で縋りついてくるのを抱き締めながらただ寝かし付ける。
信頼される事自体が多くは無い。その信頼がこれ程痛みを伴うのは、初めての経験じゃと溜息1つ。
目覚めたナミが魔女に扮して、おつるさんの元へ向かうのを見送ってから少し仮眠を取れば、目覚めた時にはナミの料理が並べられていた。最後に菓子も用意していたようで、目覚めたんですか?と言いながら目の前に置かれたのは色とりどりのクッキー。
「トリック、あ?とりー……じゃったか?」
「Trick or Treatですよ。お菓子どうぞ」
「意味は……?」
「寝ぼけてますか?なんか、可愛い」
そう言って無防備に触れて来るナミの手を掴み、寝起きで働かない頭の代わりに体が本能に従って動く。驚いているナミを抱き寄せて、その唇を吐息ごと奪うように重ねる。
苦しそうな息の中で、ナミは抵抗せずにいるから夢かと勝手に脳が判断する。現実ならば、怯えて泣くじゃろう。
「菓子を最後まで食っても……?」
「か、菓子って、私!?」
まだ上手く魔法を使えない魔法使いは、Trick or Treatと上手く言えもしない寝惚けたマグマに、抱き潰されるしか道はなかった。どうやら甘いお菓子は、愛しい人の姿をしていた模様。