美しい肢体を流れる汗は、俺の劣情を刺激して理性を失わせる。背を弓形にしならせた瞬間に、突き出された胸を刺激してやれば甘い声は途切れること無く室内に響く。
そうして意識を失った愛しい妻を清めて寝かせたのは、深夜と呼べる時間帯だった筈だ。だと言うのに、陽が海に横筋をつける程度の時間帯にガタガタと音が聞こえて来れば、それにつられように目を覚ましちまう小さな温もり。
離してなんかやるものかと腕に力を込めたが、寝惚けている俺から抜け出すのは他愛ない事だったらしく、俺の身体がバランスを崩さないようにと差し込まれた枕により身体が支えられちまう。この時点で、妻の小ささが身に染みる。
枕と同等なサイズ感。それを襲う己をだからと言って恥じ入る気にもなれないのだから、救われねェな。
そっと俺の頭を撫でる手が優しくて、睡魔が当然のように襲って来る。この香りが、良くないんだよな……。
俺の名を〝宝物〟だと言って笑う女に、俺は振り回される。俺にとっては……何よりもナミが宝物だと、そんな言葉さえ告げてやれない自分が少し切ない。
その後うつらうつらとしながらも様子を見ていれば、呑気な様子で着替えをしていて、だが下着が元に戻っているのが少し不満だ。こんな事なら、尻尾が消えない方が良かったか。
もうすぐ到着する島は風が強い事で知られているからか、ナミは行った事もない癖にズボンをはいている。身体のラインが見えるから、それはそれでいい物かも知れないと思いつつ見詰めれば、何も知らないナミは1人で甲板……と言うか、部屋のバルコニーと言うかに行っちまう。
仕方無く起きて上着を羽織れば、服を着た方が肌寒いと言う現象に、小さく舌打ちが漏れる。それが真実だとして、ナミが居ないと寒い……だ、なんぞと、誰が言えると言うのか。
ナミの背後に立てば、その視線の先に何があるのか分かっちまう。ショッピングモールか。
この船でも大抵揃うだろうに、何が気に入らないのか。煌びやかな衣装が恐ろしく似合うと言うのに、何故か必要最低限でしか着ようとしないナミが分からない。
ならばと思い服を着させなければ、それはそれでまたいじけるのだから困りものだ。気紛れな猫そのものだと思えばこそ、先日まであった耳と尻尾は失わずにいて欲しかったと今更ながら思う。
先日迄の事態に対して、
そんな事を思った時、目の前でナミの肩にあったショールが飛ばされて行く。金を伸ばしてそれを掴み取り戻してやったのは、その布切れの為にナミが柵から落ちそうになっていたからだ。
布は海に落ちるだろうが、この位置ではナミは下にある屋根に墜落して、そこからまた追いかけようとして海に落ちるだろう事は想像にかたくない。だからこそ、取り戻せてよかったと心底思わされる。
もう、飛ばされないようにとナミの肩にかけるだけではなく、しっかりと巻き付けた上で縛ってやれば妙な感触に指が驚く。見れば刺繍がされていて、その刺繍が……昔海賊をやっていた頃の旗印と良く似ていた。
それそのものならば、ナミもその時代を知っているからなと思えて終わった。だが、その物ではなく似ているだけで別モノであったのだから、驚くのも無理は無いだろう。
その横にナミを示す蜜柑と風車が寄り添うように刺繍されていれば、これが俺をイメージしたものである事に疑いようは無い。こんな胸に宿る温もりを、俺は他に知らない。
俺に当然のように向けられるのは、俺が望む事さえ諦めたもの。俺が捨てた母に、幼い頃求めていたであろうもの。
刺繍でさえ、俺を独りにしないナミを愛しく思わない筈も無い。それを素直に口に出せる程若くは無く、それを利用して口説ける程老猾でもない自分が微かに呪わしく思える程度には溺れている。
「あ、ありがとう……」
「海に落ちなくて良かった」
照れて赤くなっているナミは、俺がこの刺繍に気付いた事を察したのだろう。だからこそ、俺にも照れが伝染する。
たどたどしく礼を告げるナミは、歳若いでは無くて既に幼い。だからなのか、俺の言葉も多少ぶっきらぼうなものになっちまった。
そんな俺を気にしていないのか、ナミは笑う。穏やかに、愛らしく。
「ふふ……」
「ん?」
「私、甘ったれになったなぁって思って」
「……足りない」
何を言い出すのかと思ったら……。初めて俺に抱かれた日でさえ、甘えとは縁遠かったナミが何をほざいているのか。
俺はナミ1人くらい、いくらでも甘やかしてやれる財力も権力も持ってるというのに、それを行使させてくれないのはナミだろう。叶うなら俺は、もっとナミを甘やかしたいんだ。
そう思って唇を開いた瞬間に浮かび上がる俺の妻。前からそんな気はしていたが、どうやら俺の妻は天使だったらしい。
空に浮かぶ人間が、これ程迄に違和感を感じさせない等、他に理由が無い。それでも、天に帰らせるつもりは欠片も無いのだがな。
その身体に金を付着させていて良かったと心底思ったのは、初めてかも知れない。金で操り、俺の腕に連れ戻してやれば微かに震えるその身体。
寒かったのではなく、恐らくは怖かったのだろう。冷静であれば、ナミなら難なく解決出来るような問題だったが、恐怖で判断力が鈍っていたのだろうと理解できた。
「……必ず、守ってやるから、怯えるな」
「てぞー、ろ……」
「…………今日は、二人であの島、散策するか」
「え?」
泣きそうなナミに何か気晴らしをと思った時、こんな事しか言えなかった自分に絶望する。こんな俺の、何処が、帝か。
妻一人、満足に笑わせてもやれない。何だかんだと怒らせたり、何より悲しませてばかりだ。
「たまには、良いだろ」
「……デート?」
キョトンとした顔で俺を見上げるその姿に、言葉が詰まったのは何故なのか。小さくない舌打ちをした俺の腕に絡み付くようにして、少し照れたような顔をされては俺も認めない訳にはいかなくなる。
可笑しいだろう。ナミも成人はしている筈だと言うのに、どうしてこんなにも可愛いんだ。
「そのつもりだ。……嫌か?」
「ううん、嬉しくて、幸せ」
へにょんとした顔で笑われれば、目立たない服装で島を歩くのも悪くないかと思わされるが……目立たない服なんぞ、持ち合わせていただろうか。もしくは出掛けてから目立たない服を買って着替えるのも手だろうかと考え、とりあえずナミに出かける支度をさせる事にした。
色合い的にあまり目立たない物に着替えた俺は、ナミの支度が済むのを待って共に船を降りる。世界規模で見れば平均程度の俺の身長も、海で生きる者以外から見れば大柄である為にどうしても目立っちまう。
その上、真横に妖精がいては目立たない方法等は存在しない気がしてくる。……何か、ナミの可愛さを隠せる衣装は無いだろうか。
何をしている訳でも無いのに視線を集める愛らしい妻に、視線を向ける全ての男共を始末したい衝動にかられる。これが、自分の船であれば気にもならないと言うのに、不思議なものだ。
「テゾーロ!見て、これ可愛い!」
声に導かれるようにして向けた視線の先で、ナミが笑う。あァ……もう、ナミお前、笑うな。
可愛いのはお前だと勝手に言葉を紡ぎそうになるのを抑えて、不敵に笑ってやるが……ナミは気にした様子もない。それどころか本気で楽しそうにその手にしているのは、緑色の目付きが極端に悪い猫のぬいぐるみだ。
「……可愛いか?」
「うん!テゾーロと似てる!」
「…………ほォ」
「ピンクのスーツ作って着せてあげたいなー」
ウキウキした様子を隠さないナミに、どの辺が俺と似てるんだと問い詰めたくなる衝動を抑える。……そもそも、俺と似て可愛いって事は、ナミの中で俺は可愛いのか。
愛おしそうに俺を見詰めるその様子に、店員に視線を向けて金を投げ渡すと慌てた様子で釣銭を持ってこようとするから、それを視線で止める。それから営業用の顔と声で言葉を告げた。
「このまま貰っていきますので、そのままおさめてください」
「え?いつ支払ったの?」
「良いから行くぞ。……それ、欲しかったんだろう」
「うん!ありがとう!」
ぬいぐるみを抱いて笑うナミを見て、このまま服でも見に行くかと思う。その時、この島特有の強風……春一番と呼ばれる物が吹き付けてナミを拐おうとするのだから慌てもする。
「ナミっ!」
咄嗟にその身に付けていた金を利用して自分の元に戻したが、俺から離れて何処へ行こうと言うのか。俺は、喪わずに済む為にこの力を手にした筈だというのに、何故簡単に俺の手元から消えようとする?
春一番が春を連れて来る風だと言うのなら、俺からナミを奪わないでくれよと思う。春の女神を思わせるナミだからって、風が俺の春を奪わないでくれ。
「テゾーロ、大丈夫よ。私は傍にいるわ」
優しい声が俺に向けられる。頭を撫でる細く、小さな手が愛しさをたたえて……。
「……ナミが悪い」
「え?」
可愛すぎるから、誘拐されるんだ。可愛く見えない服を探しに行くと決意して、島にある洋服店を回り始める。
その後、ナミに何を着せても可愛いだけだと絶望するのは、分かりきった未来だったのかも知れない。俺の嫁は、俺を困らせる天才だ。