最近食事をしている姿を見ていないと気付いたのは、机に向かう妻の顔が妙に熱っていたからだ。思い返せば最近ショーの時間を除くと、忙しさを理由に共に過ごしていなかったな。
そう言えば、ショーの後で水分補給をしている様子も見てはいない。まさかと思い、タナカを呼べば困り果てた様子で姿を見せたので聞かなくとも答えが分かっちまう。
「……何日だ?」
「現在で三日です。明日の朝も食べなければ、まる四日になります。それでも、シャワーだけは浴びるのですよね……」
「……ナミの好むホットミルクを用意しろ。いっそ、シャワーを浴びなければ臭いで気付けるってのにな」
「スルルルルルル」
返事なのかさえ怪しいタナカからの返答に聞きつつ、俺はナミが大切に育てている蜜柑に手を伸ばす。全て同じに見えるので、分からないなりにとりあえず色がしっかりと変わっている物を選びひとつもぎ取り部屋に戻る。
そのタイミングで戻って来たタナカに仕事が早いなと小さく笑みを浮かべれば、タナカは当然だと頷く。どうやらうちの妻は、俺の部下達に随分と愛されているらしい。
「妙な相手ばかり惹き付ける女だ」
「テゾーロ様を筆頭に……で、ございますか?スルルルルルル」
「……タナカ」
「これ以上お怒りを買わぬ内に、退散致します」
金という信頼でのみ繋がっていた筈の存在が、いつの頃からか気安い友のような空気を纏う時が増えた。これもナミの影響だろうかと小さく息を吐き出してから、用意されたホットミルクともぎ取って来たばかりの蜜柑をそっと机の隅に置く。
俺が置いた物ならば、食べるのはもうわかっている。だからこそ、俺も強くは出られないところがあるのは仕方ない事だろう。
どれ程孤独に慣れた者でも、それがつらくない訳では無い。孤独である事を気付いていなくても、無意識で正体不明の苦しみや失望感から脱出しようと足掻き、結果いくら得ようとも無意味な輝きを集めてしまうのが人間と言う生き物の性なのだから。
幸福を、温もりを知らないままに生きていたのであれば、それを耐えられたとしても……俺はステラを知ってしまった。それ故に、地獄と呼ぶにも生温い世界で生きて来たのだ。
そんな中で無邪気に、無条件に己を愛する小さな温もりがあれば、信頼を寄せられれば……心は揺れ動く。それを手離したくないと願い、囲い込むのは必然だ。
……その光が強すぎるが故に、羽虫が集るのだけは納得出来ねェがな。そう思って深く溜息を落とすが、現実は変わる訳もない。
そんな暗い思考を打ち払うついでに、妻との時間を作るかと部屋を後にする。商談を片付け、次回のショーは三日後だと告知してから、天竜人に対する対応を指示して、必要な上納金を納めておく。
これで暫くは安泰だろう。ゆっくりと部屋で過ごすのも悪くは無い。
そんな事を考えながら部屋に戻れば、少しの飲食をしたらしい妻が眠ったのを見つける。そうなれば、そっと抱き上げてベッドに運んだのは当然の事。
小さ過ぎて、壊しちまいそうだ……と、幾度目か分からないことを思う。机に残された飲みかけの冷えたミルクと、半分程残る蜜柑はタナカに対処させようと静かに呼びそれを指示しておく。
「んっ……てぞ、ろ」
「傍にいるから、寝てろ」
「ん……」
寝言なのか、本当は起きているのかと考えて……小さく首を横に振る。嘘をつけないのは、ナミの美点であり短所だ。
そっとベッドに寝かせては見たものの、離れ難く思っちまった俺は、そっと頭を撫でてそのまま共にベッドに入り込んだ。安眠効果の高いナミを抱いているからか、俺が共に眠りへと誘われたのはまもなくの事だった。
目覚めたのは、ナミが腕の中でモゾモゾと動き出したからだが、それを責めるつもりはない。目覚めたのならば、今日はリゾット辺りから食べさせるか等と考えてしまう程度には、これでも心配している。
口に出す事は、この先もできないような気がしているけどな。この歳になるまで、皮肉とハッタリ、度胸と実力を駆使して生きて来た男に、今更素直に愛を語れと言う方が無理のある話だ。
「うそ!?もう夕方!?」
「朝焼けだ。……眠れたみたいで安心した」
飛び起きたナミに言葉を向けたが、これが俺自身驚かされるような甘い声が出た。どうやら俺は、こんな声も持ち合わせていたらしいと初めて理解する位には、ナミには自然と甘い対応をしてしまうらしい。
そんな俺の葛藤を知らず、ナミはカレンダーを見て小首を傾げる。それから何かを考え始めたと思ったら、そのまま自分を抱き締めて震え出すから、見ていて飽きないのは事実。
「おはよ」
「……ああ、おはよう」
何か隠してるなとは思うが、それを根掘り葉掘り聞き出すのもおかしいだろうと思う。そんな事を思いながら挨拶を交わしていれば、妙にモジモジとした様子で伺うように俺を見てくる。
「ど……「そう言えば、朝ごはんって……」」
とうしたんだ?と、声をかけるより早く言われた言葉に表情が抜け落ちるのを感じた。何故そうまでして食事を拒むのか。
いや、毒を散々に使われていたのだからそれが理由なのは分かるんだが……納得はできない。そして、許してやる気もない。
「食わないって選択肢は無いからな。今朝、朝食を食ったとしても四日ぶりになる。これ以上は看過できない」
「あ、れ?食べて、無かった?」
そう言ってテヘヘと笑うナミは確かに可愛いが、許してやる事はできない。だからこそ、即座に給仕を呼んで食事を用意されるかナミが作るかを問かければ、自分で作るというので任せる事にした。
相変わらずの手際の良さで用意されるのは、魚を基本的に使わない物だ。それは、俺が過去に魚人に助けられた過去がある事に由縁している。
それを言うなら、ナミは寧ろ憎いから、もしくは怖いから食べたくないのでは無いのかと思うがそうでは無いらしい。前に鮪の唐揚げって美味しいのよとタナカと話していたから、俺のいない時には食べているらしい事も知っているからだ。
……本来海だから魚の方が良いのだと分かっていて、可能な範囲で俺の心を慮るのだから可愛いと思わない訳も無い。これだから、俺はナミに勝てないのだ。
そうして頭に入りもしない読書をしている間に用意された朝食を二人で食べていれば、妙な事を言われる。それは悪戯な空気を纏っているから、嘘なんだとは分かるが……不愉快だ。
「ねぇテゾーロ、もしも私に……テゾーロよりも大切な人ができたって言ったら……どうする?」
「始末する」
「……か、家族、だから……殺さないでって言ったら?」
「なんだ、姉と母親か。そんなもの今更で……「その他の家族って、言ったら?」」
その言葉で1瞬呼吸が止まる。つまり、子供か。
だが、嘘なのは分かりきっている。ナミもそれを理解した上での問い掛け。
つまりは、将来的な事を示唆しているのか。いや……今日は
もしくはナミの家族が妊娠出産をして、新たな弟妹や甥、姪ができる可能性の話となる。この場合、どれであっても俺に否は無い。
「どんな嘘でも、もしもナミが望むなら、それは現実にしてやりたい。俺は嘘偽りなく、どんなナミでも愛していると断言出来るのだからな」
「なっ!?それ、どっ」
「今日は四月一日だろう。意味は自分で考えろ」
動揺するナミにニンマリと笑ってやれば、潤んだ眼差しで挑むように睨み付けてくる。その様子からどうやら俺とベッドに篭もりたいらしいと理解して、食事の後は軽い運動をする事を決意した。