困り果てた様子を隠せないで姿を見せたドラゴンさんに、コアラがそっとトレイを差し出した。そこに何が用意されているのかは不明だが、ドラゴンさんが無言のまま頷いて受け取るのと姿を消すのは同時だった。
「コアラ……今のは?」
「あァ、見てたの?ナミちゃんが三日机に張り付いて離れなくなってるのよ。今回は、ドラゴンさんが肩掴んでもダメだったみたい」
「それは……」
今回は相当酷いなと溜息が落ちる。そうなると、サンドイッチと飲み物でも持って行ったのだろうか。
そう尋ねるより早く蜜柑とホットミルクよと言われて、何だか納得しちまう。チョイスした側のそれも、与えられる側も、それなら違和感は無い。
その後日が沈んで少しした時に、ドラゴンさんのサインが必要となり執務室へ向かうものの、室内に居ない。特に出かけるとは聞いてなかったんだが……と思った所で、ふとナミの所か?と思い至る。
とりあえずナミの様子も知りたいし、行ってみるか……。コレにサイン貰わないと、俺もどうにもならないしなァ。
そうして邪魔する事への罪悪感を僅かに抱きつつもナミの部屋を目指し、ドアをノックした瞬間に出て来たのはドラゴンさんで……。唇の前に指を立てている姿に、俺は呼吸さえ忘れそうになる。
「……今、寝ている。なんの用だ?」
「あの、書類にサインを、それと様子を見に」
「入るか?」
その言葉に頷きそっと入室すれば、寝ているナミの目の下に色濃い隈があるのを確認しちまう。困った姉貴だよ……と溜息を落とせば、その間にドラゴンさんは書類にサインをしてくれていた。
入室直前に、なんでドラゴンさんがナミの部屋なのに入るのに許可を与えられるだけの権限持ってんだよ。とか、寝てるのが誰なのかを伝えようともしないのは、横着が過ぎないか?とか。
その他も含めて諸々思ったのに、全て吹き飛ぶ。それくらいには、ナミが弱っていた。
「この後、どうしますか?」
「俺か?サボがいれば眠り続けるだろうが、二人とも消えれば起きるだろう。だが、サボはコアラの所へ帰るだろう?」
その言葉に微かに耳が赤くなる。そんな俺の頭を軽く撫でたドラゴンさんは、また明日と唇の動きだけで伝えて来るから、そっと部屋を後にした。
そんな些細な仕草も、男なのに色気あるな……と考えた所で背中に冷たい汗が流れた。もしこのままナミが寝込みを襲われたら……と、微かに考えたが、ドラゴンさんは女子供にそんな事はできないし、流石にナミももう子供じゃ……ん?
ニブニブ姉妹は、どちらも男っ気が無くて、コアラは俺が最初の男だった。ナミは俺かコアラが貼り付いてるか、ドラゴンさんと仕事していて……。
という事は、もし、未経験でドラゴンさんの理性が焼ききれたら……!?
「ねェ、何ひとりで百面相してるの?」
「うおおぉ!?」
突然背後から声をかけられた俺が驚きの声を上げれば、呆れを隠さないコアラが肩を竦めてみせる。それから俺の顔を覗き込んで、困ったような顔をして見せた。
「ナミちゃんの件?」
「え?」
「サボ君がそんなに人間臭くなるの、ナミちゃんの事くらいじゃない」
その言葉を聞いた瞬間、呼吸が僅かに止まった。コアラは、俺とナミの関係を疑ってるんだろうか。
そんな事はないのに。俺は、コアラしか……。
「……そりゃ、俺の〝母親代わり〟をしてくれた姉だからな」
「うん、知ってる。ナミちゃんの対応もそうだもんね。最近ちゃんと理解できたよ。小さい息子を心配する、若いお母さんみたいな感じなんだなぁって……。それで、どうしたの?」
コアラの言葉にホッと息を吐き出したのは、誤解がないと理解出来たから。まァ、俺を〝幼い〟息子表現してるのは気に入らないが、ナミは確かにそんな空気だからとそこは我慢しておく。
そんな事よりも、今はドラゴンさんがナミを襲わないかだ。見た目だけなら!ナミは極上であると理解しているので、心配になる。
「ナミが部屋で寝てて、その部屋にドラゴンさんがいて、ドラゴンさんの理性が焼ききれたらどうしようかと」
「……サボ君、野暮だよ。それにもしそうなったら、そのまま貰ってもらえば良いじゃない。そうなれば……」
「ん?」
「ドラゴンさんが正式にサボ君の親になるんだし、良いんじゃない?」
「なっ!?」
なんだよ、正式な親って!ナミは俺の実母じゃねェぞ!
そう言おうとして、でも、俺が確かに理想の母として慕っていた事実もあるからこそ、言い返せない。声を詰まらせる俺に、コアラは悪戯に笑うばかり。
「サボ君、ドラゴンさんの事大好きだし、ナミちゃんも幸せになれるだろうし、いい事しかないわよ」
「……だってよ、ナミ、男経験多分無いし」
「いつかは、誰かで経験するんだから、息子はそんな事気にしないでいいのよ」
「恋愛面に関してだけは、ナミは俺から見たら妹枠だからな!?」
「ワガママねー」
話している内に落ち着いて来た俺は、生意気な口調で笑うコアラを部屋に連れ込んだ。そうしてそのまま、朝まで可愛い歌声を聞かせて貰う事にしたのはその前の会話でやられっぱなしだったから……とも、言えるだろう。
朝になると少し涸れた声でコアラに苦情を言われて、悪かったと謝りつつその要望に応えるように水などを運んで行く。それでも食堂まで抱いていくのは却下されるのだから、謎すぎると思う。
そっと腰を支える形で食堂に迎えば、それだけでも恥ずかしそうにするコアラに、それなら素直に運ばれれば良かっただろうと言えば睨まれちまう。……まァ、コアラが可愛すぎるのがいけないと俺は思うけどな。
そうしてコアラを座らせてから、二人分の食事をテーブルに運んだ時、入口付近が妙にざわめく。視線を向ければドラゴンさんがナミを横抱きにして入ってくる所で……これは、やらなくて良かったと心から思わされた。
「サボ君、わかった?ああなる所だったのよ。その上、比べられるところだったの」
「俺とコアラは付き合ってるから良いとして、ナミとドラゴンさんの関係って何なんだよ?」
「……さァ?それは、サボ君……」
「ん?」
「頑張って聞き出してよ!」
何かを期待した俺が馬鹿でした。って、完全に丸投げか。
まァ仕方ねェか。コアラだし。
「これまでに、どれだけ失敗してると思ってんだよ?コアラも気になるなら、協力してくれよな」
「何が、気になるの?」
「そりゃ、ナミとドラゴンさんの関け……!?」
質問して来たのが本人だと分かれば、絶句もする。そんな俺に小首を傾げたナミは、当然のように言う。
含みも何も無い、無邪気な笑顔で。本気で、そう思ってますって空気を醸し出しながら。
「仲間よ」
「……そう、だな」
これ以上、何が聞けるだろう。この世界一鈍い馬鹿な姉に、何を言えばいい?
そんな事を思いながら席に座り目の前に積んである飯を食い続けてると、コアラがナミと何やら小声で話を始めた。それに対して困ったような顔をするナミがいて、いつもの変わらない光景に小さく笑っちまう。
そうして俺が飯を食い終わるのと同時に、ナミが封筒をヒラヒラと目の前で揺らし始めた。何事かと思ってじっと見詰めれば、それを二つに増やす。
「……手品か?」
「まぁ、今のはそうだけど……。この先は違います。片方には、サボの大好きなラーメン食べ放題チケットが、もう片方には……」
「ん?」
首を傾げる俺に、ナミは淡々と説明を続ける。その様子に気負いはない。
「サボの、恥ずかしい過去が記された手紙が入っています。それをどちらがどっちを持っているかは、内緒です」
「うん?」
「今から1時間後に来るクーちゃんに、逃げきれた人が持ってる封筒をあげちゃいます」
「待てコラ!ラーメンはともかく、恥ずかしい過去って!」
言ってる側からナミは、片方をコアラに差し出した。それを神妙な顔でコアラが受け取ったかと思うと、無邪気な笑顔で俺に言った。
「記事にされちゃうね」
「巫山戯んなー!!」
「おほほー!私達を捕まえてご覧なさぁい!」
そう言ってナミはクリマタクトを振り回す。そうしてその場でナミとコアラが量産され……逃げ出した。
待てよと声を出す暇もなく、駆け出す俺。どっちがどっちを持ってるか分からないが、同時に2人を追うのは無理がある。
それならば体力の尽きかけているコアラを先に狙い、その後ナミを追いかけるべきだろう。逃げている間に、ナミが勝手に体力を消耗するのも期待できる。
そう決めて全力で駆け出した俺は、ナミの能力を舐めていた。……コアラが捕まらねェ。
全力で援護してるのか、コアラの幻が大量発生している。仕方ないかと深呼吸をして、見聞色の覇気を用いれば見付かる二人の姿。
それぞれ離れたところにいるのに、どうやってサポートしてるのか本気で謎だ。そうして見聞色の覇気と月歩、そして剃を用いて全力で追いかけた俺が捕まえたコアラが持っていたのは、何かの書かれた封筒が入っている。
奪い取り広げれば、中からは妙に美しい文字。それに目を通して、その場に崩れ落ちたのは当然だろう。
『ウッソだよーん!今日はエイプリルフールだからね!
って、信じた?
二枚目を見てみよう!』
嘘かよと脱力しつつ、重なっていた便箋のもう1枚を取り出す。そこには、やはり文字が書かれている。
『コアラ、好きだ。これ以上の事もしたいくらいに、だから……俺の彼女になれよ』
……まて。本気で、待てよ。
おかしいだろ。どう考えてもっ!
「なんで、ナミがこの言葉知ってんだよ!?」
「サボ君」
「なんだよ」
「……ラーメンのチケット欲しいなら、二枚目を今、音読して。そうしたら、ラーメンのチケットをあげるわ。でも、断るなら……」
「なら?」
「今夜からは、別な人のベッドで寝るわ」
今日がエイプリルフールなら、嘘かもしれない。それでも、真実だった時俺は耐えられないだろう。
だから俺は覚悟を決める。もっと色々計画もあったが、ここで逃すつもりは無い。
「どんな嘘でも、もしもコアラが望むなら、それは現実にしてやりたい。俺は嘘偽りなく、どんなコアラでも愛していると断言出来るのだから」
「……そんな事書いてないよね!?」
「それでも、俺以外のベッドで寝る事は……許してやれそうにない。……俺から、離れんな」
「サボ君!?」
「コアラ、好きだ。これ以上の事もしたいくらいに、だから……俺の妻になれよ」
その直後声を失ったコアラを、そっと抱き締める。この言葉は、エイプリルフールとは無関係な、俺の本気だ。