1度は失った腕を撫で摩り、無理に送り出したあの日を思う。謝る事も出来ないままに立ち尽くす俺に、二度と会う事は無いと信じていたクルー達が飛びついて来てくれて、ナミはそれを微笑ましそうに見ているだけだった。
宴を開いて、楽しそうに笑う仲間を見て、麦藁屋が笑う。良かったなと言われて、あァ……と頷いたその日の夜、ナミは俺の前に姿を見せなかった。
怒っているのだろうか。それとも、1人で泣いているのだろうか。
そんな事を思った翌朝、ピアノの音が聞こえて、釣られるように足を向けた所にナミが居た。いつの間にかゾウの中でその地位を確立させていた愛しい妻は、木漏れ日の中で鍵盤を叩いている。
歌声は優しくも物悲しい。歌詞そのものはそこまで悲しくも無いのに、悲しく聞こえるのはきっとナミの心が泣いているからだろう。
約束を破棄しようとした俺に対する恨み節ならまだ良いのだが、ナミのそれは少し違う。自分の価値を見失ってるのが、その歌から伝わって来る。
ナミに、そんな想いを抱かせるつもりはなかった。ただ、俺としてはナミだけでも生きて欲しかったし、あの時はそうしなければドフラミンゴにナミを奪われると思ったんだ。
俺はナミを人質に取られたら、世界が滅んでも構わないと思っちまうと自分でもわかっていたから、だから逃がしたのだが……わかっていても、きっと悲しかっただろう。他人を責められないナミだからこそ、苦しんだだろう事がわかる。
歌が終わって、演奏も終わる。そんなナミに近寄ろうとした時、ナミがハッとした様子で言った。
「あ!!防災の日!」
それが何だかは分からないが、とりあえず俺は伝えなければならない。俺はナミを誰よりも……。
「必要としてる」
立ち上がったその瞬間を狙って抱き締めて、囁きを落とす。そんな俺にナミは、満面の笑みで言葉を返してくれた。
「うん、ありがとう。私も防災の日は必要だと思うわ」
……まず、その防災の日とやらから離れろ。今俺の言った言葉の意味は、そうじゃねェよ。
と言うか何故そんな解釈になった。1度お前の頭スキャンさせろ。
そんな諸々の事が1気に脳内を駆け巡るが、小首を傾げるナミを見て全ての言葉が霧散した。言うだけ無駄だ。
その代わりに、少し冷静になった脳が言葉を紡ぐ。確かに防災は大切ではある、だが今はそれよりも……。
「それも必要だけどな……今は、再会を喜びたい」
そうして重ねた唇は、何処か懐かしい気がした。それ程長く離れてた訳でも無いのに、何年も会えていなかったような……そんな気がしちまったんだ。
キスだけで伝わるものがある。そして、伝わらない事もある。
今はただ、愛しさと謝罪の意味を込めて、ナミとこうして生きている喜びを分かち合いたい。ただ、それだけを望んでいる。
その後、予定外に大きな同盟を結ぶ事となった俺達だが、麦藁屋は黒足屋を連れ戻しに行くと言いだして、ナミが俺に困ったような視線を向けた。弟を心配しているのだと、わかってるが……ナミ、お前は俺の妻だろう。
そう言うのは簡単だ。だが、その事をナミ自身わかってるから何も言わないんだろう。
脳内は葛藤の嵐だ。だが、約束を守らなかった俺が今ここで引き止めるのはどうなんだと思い、断腸の思いでナミの背を押す。
「ナミ……行くか?」
「でも……ローと離れるのも、やだ……」
「……作戦の関係もあるから、ナミはどちらに所属してくれても問題はねェ。まァ、そう言われて、嬉しくも思うが……心の準備が整うまで、デートでもしながら考えるか」
「いいの?」
「ナミをこれ以上、泣かせたくないからな」
結局俺は、ナミに甘い。実際ナミを早くにワノ国へ連れて行っても、何かやって貰うような事は無いだろう。
居てくれれば、俺の心は穏やかだし、クルーを纏めるのも任せられる。それでも、リスクがその分高まるのも確かだ。
あの国では、ナミの姿は目立ち過ぎる。それならば、麦藁屋と行動を共にして貰う方が安全かも知れねェ。
ただ、その場合は、俺とナミがまた離れると言う現実に耐えられるのかどうか……。問題はそれだけだ。
ナミと共に戦禍の傷跡が生々しいゾウを歩けば、ナミが小走りで商店の立ち並ぶ地域へと足を進めた。そこには先日話した防災系の物を取り揃える店もあり、キャンプセットと防災系の物は案外似ているのだなと思わされる。
「ポリエステルで作られた容器に入ってる消毒液だわ」
「瓶と違って割れる心配が無いから、災害時にも船が荒波に揉まれた時もいいかも知れないな」
それでも、瓶の方が選ばれるのは、臭い移りの関係や薬品の状態を目視で確認できる所にある。薬品を選ぶ時のミスを防ぐ目的もあるが……。
やはり1番の理由は、長期保存が可能な所だろう。空気に触れる可能性が少ないのは、保存の面で効果が大きい。
「なら、この脱脂綿タイプは?」
「……成程、これなら各自に持たせておけるな」
手荷物に混ぜて持ち運べるのは役立つだろう。大怪我をした時の応急処置にも間に合うし、基本的にはどこでも即座に消毒だけでも出来れば違って来る。
人数分のそれと、ストックに少し買い込んでおきたい。元々獣に近い住民が多いからか、薬品の種類は豊富では無いが、持ち歩きに特化した物が多いのは良い特徴だな。
「ピンセットとかの裁縫セットもあると、簡単に傷口縫えるわよね。でも注射器は薬品とセットだから、持ち運びとか考えたら防災グッズとしては不向きかしら……」
真剣に悩むナミは、明らかに意見が医者のそれに近い。薬については、鎮痛剤と胃薬を飲み薬として持つ他は塗り薬として化膿止めと止血剤があれば、他は人のいる所での処置を目指すのがいいだろう。
飲み薬と言う物は、薬として含んでいい成分量が定められている。その為風邪薬と鎮痛剤では、鎮痛剤の方が解熱に特化しているのだ。
風邪薬と呼ばれる物には鼻水止め、咳止め、解熱剤、吐き気止め等の効果が含まれている為、それぞれの成分を均等に入れてあるのが総合風邪薬。鼻から来る風邪用には、鼻水止めが強く含まれる等の違いがある。
ならば熱に効く風邪薬なら、解熱剤が多いのではないかと思われやすいが、風邪薬である以上、他の薬の効果も入るのでそれ程わかりやすい効果は見込めない。効能が四つあるならば、均等で25%で、その中で割合を増やされた物、減らされた物があったとして30%程をしめるのが精々である。
それに対して鎮痛剤は、痛みを麻痺させる成分と、痛みは熱を生むので、その解熱効果の薬としての二種類だけで作られている。つまり、薬の成分の半分……50%が解熱剤なのだ。
これを元に考えれば、とりあえず熱だけ下げたいなら解熱剤で十分な上に、怪我をした時に動く為にも鎮痛剤があればいい。痛みと熱さえ対処出来れば、移動くらいは可能になるだろう。
そんな話をしながら選んだ物を防水加工のされた小さな鞄と共に購入して、それぞれに名前とうちのマークを入れて貰うように注文した。予備のそれには、マークだけ入れておけば対応としては充分だろう。
「……疲れてないか」
「ローがいるから、疲れないわ。楽しいと疲れた感じがしないわよね」
「それは、後で纏めてくるぞ」
動いてる時には動けるのに、1度座ったら立てなくなるのと同じだ。身体が興奮状態にあり、疲労を感じていないだけで実質は疲れているから後でそのしっぺ返しが来る。
そんな事を言いながら買物を済ませて、全員分の防災グッズが完成するのを待つ。その待つ間、休憩を兼ねて何処かの店にとの話が出たが、このゾウには飲食店と呼べる物が見当たらない。
仕方なく川辺に腰を降ろせば、ナミが手荷物をガサゴソとあさり、何かを取り出した。そっと差し出されたそれは、明らかに弁当箱だ。
「これ、どうしたんだ」
「作ったのよ」
「……俺と出かける事になったのは、突然だっただろう」
いつ作ったのかと驚く俺に、ナミはああ!と今更気付いたような声を出す。どうやらナミの中では、弁当を持っているのは当然の事だったらしい。
「ここ、ゾウには私先に来てたじゃない。それで、飲食店の概念が無い事に気付いて、皆お弁当持ち歩こうって話になってたのよ。それで、料理できる人の負担軽減も兼ねてそれぞれが二品とか作って、全員分同じお弁当が作られてたの」
そう言われて開けてみれば、中には確かにナミが作っただろう物と、ペンギンが作ったらしい物、コックが作ったらしい物が入っていた。誰がどれとわかる物はそれでも半数程だ。
そしてナミは弁当を四つ持って出ており、ベポとコラさんには途中会った時に渡しておいたらしい。俺と別行動する時に、俺に渡すつもりがそのまま1緒に行動する事となり、渡さないままだったと言われれば納得出来る。
「個別じゃないから、嫌いな物があったらこっちにちょうだい。代わりに好きなのあげるわ」
その言葉に頷いて豚肉の梅肉炒めをナミに箸で摘んで差し出せば、パクリと食べるその様子に気分は餌付けとなる。それの返しにと卵焼きを差し出して来るから、ナミの箸から貰えば自然と笑みが浮かぶ。
誰にも邪魔されないこうした時間は珍しいと、内心で笑いながら、穏やかな時間を満喫した。その後完成した防災グッズを手に帰り、配って回ればそれだけで大騒ぎだ。
騒がしくても、穏やかでも、どちらも尊く感じる位には……俺もこいつらが大切なのだと痛感させられる。今日もやっぱり、俺の周りは笑顔と愛で満ちてる。