情けない話だが、ナミが傍にいるのは当然だといつの間にか俺は誤認していたらしい。その証拠に、今俺の手を離れて1人で島に向かうその姿に、俺の足は凍り付いたように動かなくなっちまっているのだから。
少し前から様子がおかしかったのは間違いないってのに、それを気にかける余裕さえ無い。指先が、恐ろしい速度で冷たくなっていくのを自覚している。
呼吸の仕方さえ、今は分からない。ナミが居なけりゃ俺は、呼吸するのさえままならなくなるのか。
そんな俺の肩に手を置いた人がいて、それにより顔を上げれば真剣な顔で島を睨みつけているコラさんがいた。その時、動けない俺に代わってかナミを追い掛けて降りようとするペンギンとシャチを引き止めたのは、コラさんの鋭い1言。
「誰も追うな!……全員船に待機だ」
「「副船長!?」」
珍しくキリッとした様子で命じるコラさんに、皆も副船長としてのコラさんなのだと気付く。それを受けてコラさんが言ったのは、この島は最初に降りた人間が自分で帰るまでは他が降りると不味いのだという現実。
そして、恐らく帰った時にその腕に子供を抱いてるだろうと言われ、三日の停泊が必要と言われれば俺にもこの島について察しができた。成程、この島は……。
「植物の島か」
「あァ、誰を抱いてくるか、楽しみだな」
「ベポか家族なら、許容範囲内だ。許してやろう」
「ブハッ……!ロー、お前自信がねェのかよ!!」
コラさんは腹を抱えて笑うが、相手はナミだぞ。自信なんか持てるか。
逃げ道与えなきゃ、苦しむ事になるのは明白だ。その逃げ道が、ナミに対してなのか、俺に対してなのかは依然として不明だが。
そう思って顔をふいっと背けた時、そろそろとした足取りで帰って来るナミの様子に妙な緊張感が走る。それから何処か怯えた様子で俺を見ながら、距離を取りつつ抱いているお包みを優しく撫でた。
我が子を守ろうとする猫のような動きに、俺はなんで警戒されるのかと不思議に思う。この場合怯えるべきは、俺だろうに。
「お帰り、ナミ」
「た、ただい、ま」
「それは、なんだ?」
わかっていて問いかけるのは、その顔を見るのが怖いからか。だが、ナミもまた泣きそうな顔で、悲しげな雰囲気で俺を見てはお包みに視線を落とすのを繰り返す。
それからナミは何かを決意した様子で、お包みを大切そうに胸に抱いて問い掛けてきた。その様子は、儚くも強く、眩しい。
「ロー、その、怒らないから正直に言って。近年……私以外と、その……した?」
「は?する訳ねェだろ。足りないってんだったらいくらでも抱いてやるか「本当に!?」」
そんなに抱いて欲しかったかと内心で突っ込んでから、そんな筈は無いなと溜息1つ。何処か様子の可笑しいナミに眉を寄せた時、コラさんが成程なんて頷いてナミに近寄ると、お包みを示唆して問い掛けた。
「顔を見てもいいか」
それに僅かに緊張した面持ちになったナミが頷くと、コラさんは本当に楽しそうに笑って、それからありがとうと言いつつその布を外した。そうしてその布の下から出てきたのは、明らかに俺で……。
最も強く愛する相手に擬態する……という説明文を思い出せば顔も赤くなる。そんな俺にナミは、本当に覚えは無いのかと声を震わせていた。
「もし、他の人との子でも、私……ローの子なら育てたい。無関係なら、勿論親を探すわ。その上で見つかれば返してあげたいと思う。でも、見つからないとか、親がローなら、私……この子を育てたいの……!!」
「……それは、無理な相談だな。諦めろ」
「そんな!?私もちゃんと分かってるわ、海賊船で子育てが難しいってのは。お願いロー私「ナミ、それは植物だ。3日しか共には居られねェ」」
どうやらナミは、この島についての情報が無いらしい。俺を愛するが故に俺に擬態したそれを見て、ナミは俺が他の女に産ませたと思ったらしいと気付けば、俺の子ならと育てるつもりでいるナミが微笑ましく思える。
それにしても……アレだけ俺に始終張り付かれていて、どうやって俺に他の女とする時間があると思えたのか甚だ疑問だ。基本的に潜水してて、島に降りるのも誰かと1緒だったと思うんだがなァ?
その大半が俺はナミと行動を共にしていたのに、どうやって俺が他の女を孕ませられると言うのか。……まァそんだけ似てりゃ、疑うか。
「ナミ、ソレは俺の子じゃねェ。どちらかと言うなら……ナミの子だ」
「……へ?」
「最も愛する人に擬態する植物。それがその子供の正体だ。つまり、ナミから俺への……愛情の証だろう」
俺の言葉に合わせるようにお包みの布がはらりと落ちて、頭上から双葉が生えているのを確認したクルーは笑いだし、ナミは真っ赤になって蹲った。どうやら今日も、この船は平和らしい。
その後少し距離置いて俺をチラチラと見てくるナミに首を傾げていたら、潤んだ眼差しで俺を見て、思い詰めたような顔で言う。その様子は、迷子の子供のようにしか思えない。
違うなら捨て猫だ。拾ってやるから、さっさと近付いて来いよ。
「ロー……」
「……どうした」
「ごめんなさい」
「何がだ?」
重ねて問い掛けたからか、ナミは泣きそうにその顔を歪ませる。そんな様子が可愛いとか言ったら、クルーに叱られるだろうか。だが、珍しい現象を利用して少しくらい虐めても良いと思わねェか?
「疑って……ごめんなさい」
「……あァ、そんな事か。俺に擬態されてんだ。仕方ねェだろ。……俺に似た子を拾って来てくれた事に、寧ろ喜んでるから、気にしなくていい」
「……怒ってない、の?」
「あァ、ナミに愛されてるのがわかって、嬉しいだけだ」
そう言ってナミの腕を掴み引き寄せ、そのまま腰を抱けばナミは子供を強く抱きしめながらも嬉しそうに微笑む。双葉が無ければ、これもまた未来の縮図なのかも知れねェなと思いながらナミの唇にそっと自分のそれを重ねようとした時、肋骨の辺りに何かが当たった。
なんだろうかと見れば俺を睨み付けるふてぶてしい顔をした、植物がいる。ドカドカと人を殴り付け、離れろと全身とその表情で伝えてくるのだ。
「てめェ……」
「あら、お腹すいたのかしら?さっきまで大人しかったのに。ごめんね、ロー。今お水あげちゃうわね」
そう言って哺乳瓶で水を飲ませ始めるナミは、聖母の像を彷彿とさせる。それに甘えている子供もまた、その像の1部にさえ思える程だ。
その子供がナミに見せる幸せそうな顔は、俺が昔ナミに見せていただろうものや、家族に見せていただろうものと重なる。だが、ナミが子供から視線を外して他と話したりしてる時に俺へと向けるその表情は、まるで……誰も信用出来ないとコラさんを刺した頃の俺と良く似た顔で……。
嗚呼、嗚呼!認めてやる!
お前は俺に上手く擬態してるよ。そっくりだ!!
「だが、ナミは俺のだぞ」
忌々しく思うからか、俺が無意識に近い状態で落とした呟きを聞き取ったらしく殺気立つ子供。俺に挑むとは、いい度胸だ……。
即座にroomと言いかけた所で、肩を叩くコラさんを睨めば辞めとけと言われちまう。……わかってんだよ、クソッタレ。
「分かってる。アレに手を出せばナミにその反動が行く」
「それだけじゃねェよ。乳幼児と張り合うなっての」
「俺のナミだぞ!?」
「だが乳幼児の見た目した、植物だぞ。張り合うなよ……」
やっとの思いで手に入れた妻だぞクソッタレ。なんで突然現れて、そんな当然みたいに受け入れられてんだよ。
「ナミとの間に産まれたと思って、父親体験しとけって、な?」
「……ならガキなんざ、いらねェな。俺からナミを奪う存在なんざ何1ついらねェ」
「……そういう所、兄上と似てるよな「コラさん、何か、言ったか?」」
「イイエ、何も、俺は何も!」
「ふん……」
植物はナミの前では愛らしく笑い、全力で甘える。だが、俺には分かりやすく敵対心を向けて来て……。
……可愛くねェ……。昼間ナミが自分から表に出てる奇跡は確かに奴の功績だろうが、他は存在を許すきっかけにさえなりはしない。
それでも1日中子供の世話をしていたナミは、夜それが眠ると流石に少しだけ疲れたような顔をした。それから俺の元にトテテテっと近寄ると、珍しく自分から抱きついてきてくれるのだから気分も向上する。
「ナミ、どうした?」
「ローと、近いのに遠くて……少し、寂しかった」
「ナミ……」
なんて可愛いんだとその細い身体を抱きしめ、その手で軽く頭を撫でながら手を滑らせると髪を指に絡める。軽い毛先が丸まってるのは、俺の指に絡みたいからだと思っているが、ナミとしては面倒なだけらしい。
そっとナミの額にキスをして、優しくベッドにナミを沈めたその瞬間、悪魔が盛大に泣き出した。それを受けてそれまで少女のような顔で甘えていた俺の妻は、俺の腕をするりと抜けて子供の元へと移動しちまう。
凄い技術だなと褒めてやる気には、到底慣れない。思わず引き留めようと伸ばした手を睨まれ、子供抱いたナミから1言。
「メッ!後にしてちょうだい!」
「俺とそいつの、どっちが大切なんだ!?」
「……ロー、分かりきった事、聞かないでよ」
分からないから聞いてんだろとは、流石に余裕のない今も言えはしない。そんな俺に困ったような、照れたような顔でナミは言う。
「ローに似てるから、愛しいのよ。……まだ、自分じゃ何も出来ないんだから、泣いて助けを求める子を突き放すなんて……私、できない」
「……悪かったよ」
「ふふ、数日だけ……我慢してね。パパ」
その瞬間から、俺は文句を封じられた。いつもズカバコしてんだから、いつかこんな日も実際来るかも知れないと気付いちまったのだ。
そうなればもう、仕方ないだろう。この三日、耐えながらいつか来る日の為に予行練習だと思うしか。
だが、実質その三日は異様に長く感じられた上に、その苦痛の為に俺は大切な事を1つ、見落としていた。ナミが誰よりも愛情深く、そして弱い女であるという現実を。
そして迎えた最終日、双葉だったその頭上の植物は今やなんだかよく分からないが花を咲かせている。キスすらまともにできない3日は、地味にキツかったが、それももう終わると思えば俺の足取りは軽い。
覚束無い足取りで森の中を歩くその姿を、心配そうに見守るナミに少し心が慰められていた。優しいナミは子供と手を繋いで歩くと、身体を子供の方に傾けている。
だから、それだと腰に負担がかかり過ぎるから辞めろと説得し、漸く手を離させた所だ。初心者ママにありがちな事らしいが、まったく……無理してんじゃねェよと思うが、大半の母親は無意識でやってんだよな、これ。
まだナミは母親じゃねェし、そもそも自分の子じゃねェだろと思う。それでもまァ、ナミだからな。
そのまま日当たりの良い場所を見付けて、駆け出そうとして転んだ子供を見て慌てて駆けていく姿は、明らかに母親だ。痛かったねなんて言いながら起こしてるが、素直に甘やかすなと思う。
自分で立てる。手を貸すなと思うが、それにより嬉しそうにナミに笑う子供を見れば、昔の俺よりは素直だなとも思う。
だが、その動きが止まり強く抱きしめながら震えている事に気付けば俺も動きを止めざるを得ない。そこへ来て、気付く。
ここで手放せば、それと別れる事になるのだ。3日間、片時も離れずに傍に居た、惚れた相手に似た生き物……。
どうして、気付かなかった。ナミが、傷付かない筈無かっただろう!
「まー?あーうああ?」
「ううん、どうもしない。ごめんね、心配かけちゃったね」
「まー、はーて。ぱー、いわああうやちけうよ?」
「ふふ、大丈夫よ。パパ、優しいから。ごめんね、ママ、離せなくて、ごめんね」
……素直に言おう。何言ってるか分からねェ。
なんでナミには通じんだよ。何語だよそれ。
普通に会話してる様子に頭が微かに痛む。これでは、離せないよなと。
だが、ナミはそっとその身体を離すと優しく微笑み元気でねと言う。それに子供は頷いて駆け出すと日当たりの良いその場所で、ナミと俺に視線を向けた。
「べー!!」
「……この、クソガキ……」
「まー、だーしゅき!!」
「絞める」
「辞めろロー!大人気ない!!」
止めるコラさんを振り払おうとした時、子供が真剣な顔で唇だけを動かした。泣かせんなよと動いたのを見て、知能指数は見た目にそぐわなかったらしいと思い知らされる。
そのまま光に包まれて立派な植物へと変じたそれは、まさにこの世界に相応しい。だが、それを見たナミがその場で崩れ落ちてハラハラと涙を落とすのを見れば、クルーに帰ってろと言う他俺に何が出来るというのか。
「よく、耐えて見送ったな」
「っ……!!」
「ナミの愛情が、あいつをあんなに立派な植物にした。あいつは、もう大丈夫だ」
「……っ!……ロー……!!」
「よく、頑張ったな……」
抱き締めて、頭を撫でて、そうしてナミが落ち着くまで優しい風が吹き抜けるその場所で、俺は二人の時間を満喫した。帰ったら手当してやらないと腫れちまうなとその顔を見て思いながらも、俺はそっとナミに問い掛ける事は辞められない。
「次は、娘にしような」
「え?」
「息子だと、またナミを取り合う事になりそうだ。だから、娘にしてくれ」
「ロー……?」
「帰ったら、仕込むぞ」
俺の言葉に泣いていたのとは明らかに違う理由で赤くなったそれに、いつまでも初心だなと笑ってその身体を抱き上げる。そして植物へと視線を向けて1言。
「立派に育てよ、長男」
予定より数日長く停泊したこの島で、彼等の子が宿ったのかは定かでは無い。ただ後にこの島は、宝玉の書いた手記によりカップル達で溢れかえる有名な観光地になるのだが、それはまだ、誰も知らない小さなこぼれ話。