海軍船がもう居ないかを確認し、ついでに近くの島まで飛んで必要な偵察を終えて帰ると、甲板で手を振る愛しい女が見えた。俺は腕以外を人の姿に戻して、腕は羽根のままそっとその細い身体を抱き締める。
すると漸く帰ってきたのだと実感出来る。だが、そっと俺に回された腕が、いつもより力が入っていない事に気付けばどうしたのかと思う。
その直後に滑り落ちていくそれに慌てて身体を支えれば、くにゃりと力の抜ける熱いそれに慌てて船医を呼ぶ。だが、顔を覗かせた船医達は何だか平和ボケした顔をしていた。
「おー、マルコ帰ったのか。もう流石に海軍もいな「すぐに採血の準備と毛布、氷嚢、氷枕を用意してくれ!」」
「え、ナミ!?わかった、すぐに持って行くから部屋で待ってろ!」
「点滴も頼むよぃ!」
そんな俺達の騒ぐ声にさえ、ナミは反応を見せない。こんな風に倒れるまで何故無理をするのかと問い詰めたいが、考えてみれば不可抗力でもあると気付く。
結婚式の後、ナミは本当に休んでいる暇が無かった。赤髪達は居座り続ける上に、ナミの家族がナミから離れようとしなかったのだ。
家族達は俺達が船で東の海まで送り届ける事になり、それに否は出なかった。ナミが生まれ育ち、その命と人生を全て捧げて守ろうとしたその場所を見てみたいと……そう思う者も少なくなかったからだ。
だがそれに赤髪達も金魚のフンよろしく着いて来ては、流石に問題だった。赤髪達も1応は四皇の1角なのだから、少しは自覚を持って貰いてェ所だと思う。
そうなれば当然、赤髪との接触で同盟でも結ばれてはと海軍が軍艦を何隻も連ねて来やがった。そんな中でナミは、戦えない家族を守りながら気晴らしになればと言っては演奏会を開く。
だと言うのに書類仕事は無くならねェし、作家としての執筆もしないと不味いってんで、溜まった仕事を夜になると片付けていた。……つまりは、俺とナミにはハネムーンと呼ばれる期間は無かった訳だ。
それは良いが……まァ、ナミは寝てる時間が無かったのだから病になってもおかしくは無い。見ればナミは浅い呼吸を繰り返して、全身を赤く染め上げて、いつもは仄かに香る蜜柑のそれを強くしている。
「ナミ……」
「まる、こ……?どうし、たの?どこか、いた……い?」
「あァ、胸が痛いよぃ」
この体調じゃ意識だって殆ど無いだろうに、俺の返事にナミはつらそうに瞳を揺らして、マルコは頑張りすぎてるから疲れたのかしらなんて言い始める。どうやらこの馬鹿は、自分の体調不良を自覚していないらしい。
「まるこがかえったら、たべてもらおうとおもって……」
「ナミをかい?」
気分を楽にできればと微笑み、おどけるように言葉を口にする。するとナミは頬を赤く染め、瞳を潤ませた状態で小さく頷いた。
「……うん?うん、私の作った、ケーキなんだけどね」
こら待て、違うなら頷くな。そこで頷かれると随分ご無沙汰な俺としては、結構キツイ。
そう思ってみても、当人はパイナップルの入ったケーキなのよと笑うばかりだ。これは相当だなと思いながら部屋に運び、そっと寝かせれば熱く火照ったその顔で、俺を真っ直ぐに見詰めてくる。
「……ナミ?」
声をかけるとにへらと、力無く笑ったナミが俺の手を握って来る。そしてその手を頬に触れさせると、嬉しそうに笑うのだから、たまらない。
「マルコ、大好き。おかえりー」
「あァ、ただいまよぃ」
「パイナップルの紅茶作ったから、後でケーキと……1緒、にたべ……」
そこまで言って、ナミはスっと眠りに落ちた。まるでそれを見計らったかのように入って来た船医達にナミの検査と治療を任せて、俺は部屋から顔だけ出してサッチを呼んできてくれと通りかかった弟に言う。
それにより頷いた弟は、まだ最近入ったばかりの思春期真っ只中の相手である。その為か、俺を見た瞬間に顔を赤く染めて去って行ったので、随分奥手な組らしいと気付く。
……ありゃァ、結婚したって事は……と、色々考えちまってるタイプだな。イゾウの所のだった筈だから、1応気にかけさせるか。
何処かで女を教えておかないと、面倒な事になりかねねェ。ナースに手を出すのは、余程の覚悟が居るからなぃ。
ナース相手にもしも遊びだったなんて事になれば、親父が黙っちゃいねェ。この船において、俺達は大切な息子だが、娘に関する親父の甘さは世界に轟く程だ。
その筆頭が、今は病で倒れてるがねぃ。部屋から俺が出るとナミは起きちまうから、今は部屋で出来る仕事をするかと書類に手をのばすが、何も書けない。
思考も手も、全く働こうとはせずに、視線さえ書類の文字をまともに追ってはくれない。今は兄弟がナミを診てくれていると言うのに……で、ある。
どれ程頭で理解していても、どうしたってナミが気になっちまうんだなぃ。今の俺には、何も出来ないのはわかっているというのに。
その時ドアがノックされて、顔を上げるとサッチが姿を見せた。それにホッと息を吐き出した俺に、サッチは珍しいものでも見たような顔をして来る。
「弱ってんな、マルコ」
「弱ってんのはナミだよぃ。俺は何ともない」
「……自覚ねェの?マルコ、尻尾出てるぜ?」
言われて見ると、不死鳥の尾が確かに生えている。それにより、完全に人に戻り切れていなかったと気付く。
そんなに焦っていたのかと自分を笑いつつ、サッチにケーキと紅茶について聞いてみる。すると驚いたような顔をした後、待ってろなんて言うから持って来てくれるらしいと理解した。
「まる、こ……」
「おーい、隊長!奥方が隊長じゃねェと嫌だとさ」
「寝言に妬くなよぃ」
そう言って笑いながらベッドに近寄ると、採血結果等を差し出される。それを見ながら、単なる疲労から来る風邪だと分かりまずは一安心と息を吐き出せば、兄弟達は何だか微笑ましそうに笑っていた。
それに頬をかきつつなんだよぃ?と聞けば、嬉しそうに笑い、口々に穏やかになったとか、人間らしくなったとか言われては、今まで何だと思われていたのかと苦笑する。それからナミの眠るベッドにそっと腰掛けて、ナミの頭を撫でようとした。
だがその瞬間に掴まれた手は、俺の動きを阻害する。弱い力なのにも関わらず、振り払えずに居るのは、俺が離して欲しくないと願っているからなのか。
「ほら、ナミは隊長が良いんですよ。俺達が触ると、身体が寝てるのに緊張してるんですから……」
「ナミは、色々あったから触れられるのが苦手なんだよぃ。悪いな」
「なら、俺達は帰ります。今夜1晩安静にしてれば治ると思いますから」
「あァ、ありがとなぃ」
出て行く兄弟達の背中を見送り、気を遣わせたなと苦笑する。そんな俺の手を、寝ているのに嬉しそうに握るナミが、譫言のように俺を呼ぶ。
それが愛しくて、だがここで手を出せる筈もない。それ程に俺はナミが愛しくて、大切で……だからこそ惑わされそうになる。
頼れるのは俺だけだとでも言いそうな程に、幾度と無く繰り返して呼ばれるのは俺の名前。誰にでも甘く優しいが、俺には甘えてくれると言う現実が、心を温かくしてくれる。
「自分の名前を、こんなにも大切に思えた事はねェなぃ」
思わずそう呟いてナミの額にそっとキスを落とせば、その瞬間に開けられる扉。俺の様子に苦笑したサッチが、けれども迷い無く机にケーキと紅茶を用意してくれる。
サッチは手を動かしつつ、病人を襲うなよなんて軽口を叩くからそのセットを運んでくれと頼む。それから俺はナミを起こす為に、身体を軽く揺すりつつ声をかけた。
「ナミ、起きろぃ」
「んっ……まる……?」
「あァ、1緒に食うんだろぃ?持って来て貰ったから、起きろ」
俺の言葉に小さく頷いたナミを支えるように起こすと、サッチが秘密兵器だと言ってケーキの横にアイスを乗せてみせた。それはナミの熱が高いから、そうしたのだろうとわかる。
その証拠に俺の皿には、そんな物は存在していない。アイスの上にはミントが添えられていて、なんだその特別待遇はと少し思う。
「ナミちゃん、ほら、あーん。できるか?」
「ん、さっち、ありがとう」
「熱高いと、冷たい物が欲しくなるからな。口直しのミントは、オレンジミントだぞー」
「さっちやさしーね、うれしー……」
熱のせいか舌っ足らずな上に、妙に素直だ。いつもの穏やかな微笑みではなく、気の抜けたような幼い笑みを浮かべるそれは、貴重である。
そんなナミの姿にサッチはスプーンを震わせ、くわっと目を見開き、暫し黙る。そして唸るように俺に言った。
「……おい、パイナップル。お前の妻可愛すぎねェ?」
「フランスパン、今更何言ってやがる。ナミが産まれたその瞬間から、この世に人と言う存在が滅する迄変わる事無く、ナミと書いて可愛いって読むんだよぃ」
言いながら空中に『
「真面目な顔して何言ってやがるんだか。にしても、マルコにはちゃんと身体預けるんだな」
「へ?」
首を傾げるとサッチはナミにアイスを食べさせながら、事も無げに言った。話を聞いてみればら俺がいない間にも1度熱を出したが、誰かが支えようと手を伸ばすとキリッと表情を引き締めて何事も無かったかのように歩き出しちまってたのだと言う。
おかげで診察も何も出来なくてなと言われると、これは弱ったりして、死にかけてる猫かと本気で思う。まァ、猫なら主人からも隠れちまうけどなぃ。
「ナミ、ちゃんと診て貰わないとダメだよぃ?」
「やー!」
「ナミ!」
「だって……まるこにしか、肌、見せたくない……」
この時程、サッチが同じ部屋にいてくれて良かったと思った事は無い。人間、本当に理性が切れる音を聞く事があるんだと学んだ瞬間でもあった。
「……な、ら、仕方ねェ……なぃ」
「そこ、認めたらダメだろ!?ナミちゃんをもっとしっかり叱っ「こんな可愛い事言われて、それ以上何を言えるってんだよぃ!?」」
「もう黙れ、色呆けパイナップル」
そう言ってサッチが俺の口に押し込んだケーキは、中にパイナップルが入っていて、本当に美味い。これは良いな、甘過ぎなくてと思って頷くとナミがそんな俺を見て嬉しそうに笑った。
「マルコ、美味しい?」
「……あァ美味いよぃ」
口の中の物を飲み込んで答えると、ナミは嬉しそうに笑う。それが無邪気であるのに、熱の為に使われる言葉が際どい。
「まるこが、私の、食べてくれてうれしーな。おいしーなら、もっとたべてね」
その瞬間固まった俺と、吹き出して咳き込むサッチ。それなのに、何も分からない様子で首を傾げるナミ。
「マルコの好みに合わせて、準備したの……だから、残さずたべてね。まるこに、よろこんでもらいたくて……ナイショで練習したのよ」
際ど過ぎる発言により、今すぐナミを喰いたいと思い、そっとその頬に指先を伸ばしたら……サッチに頭を殴られてほらよと差し出された紅茶を飲む。それがまた美味くて、少し落ち着いた心と頭でナミは俺の胃袋まで掴む気かと笑う。
そんな俺にナミは幸せそうに笑うと、魅力が足りないから胃袋掴まないと逃げられちゃうなんて、ありもしない事を言い出す。それに笑って、逃げねェし、逃がさねェよぃと囁きを落とした。
ケーキと紅茶を少しずつでも食べたナミの頭を撫でて薬を飲ませると、ナミは俺の袖口を掴み、不安そうな顔をする。それに俺が首を傾げると、サッチは小さく笑い、お休みとナミにだけ声をかけて部屋を出て行った。
「マルコ、どこも、行かない?」
「……あァ、今夜はもう、傍から離れねェよぃ」
「うれし……な。マルコ、いっしょに、ねよ」
「……回復したら、また同じように誘ってくれると約束するなら、な」
俺の言葉に頷いたナミに、俺は内心白旗をあげつつ不死鳥へと姿を変える。それからそっとナミを羽根で抱きしめるようにすると、ナミが甘えたように擦り寄ってきて、鳥の姿で良かったと思わされる。
いつもより強く感じる蜜柑の香りに翻弄されながら、俺はナミが笑うならそれだけで良いのだと痛感させられる。俺の焔で少しでも早くナミが回復するように、そう祈るのは仕方ない事だろう。
「マルコ、また、ケーキ作るから……」
「楽しみにしてるよぃ。今は、寝ような」
「うん、おいしく、たべてね……おやすみ」
俺の言葉に頷いたナミと共に、鳥の姿で眠る。そんな俺達がいつまでも起きて来ないと、翌朝起こしに来たイゾウが見て、親父にハネムーンの為に休みをあげてくれと頼んでくれたのだと知るのは、少し経ってからの事だった。
猫と鳥は、今日も仲良く少し過労気味な日々を過ごしている。だが、そんな彼等を家族がいつも見守っているのだから、恐らく問題は起きないだろう。