※この作品はR-18です。

波間の向こうを目指して(新・本編side)   作:夢枕 七変化

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甘え

 苦しそうな呼吸を繰り返すその身体は、恐ろしく熱い。ビビの発案で誰か1人が常にナミの側にいて、他の1人が針路確認と言う名前の見張りをする事になったのは、ナミの側から誰も離れようとしなかったからに他ならない。

 それでも、交代で上に見に行ったり、何か異変があれば1人を残して全員で対処しに行く姿は、ある意味滑稽だ。だってよ、今俺達が必死でやってる事をナミは1人で平然と、当然のようにやってのけていたのだから。

 そう思えば、その有難みが嫌という程に分かる。ナミがやっていた事は、決して当たり前ではないのだと、俺達は戦いの時ナミを守っていたけど……実際普段護られて支えられているのは俺達の方だ。

 空白の航海日誌は、見様見真似でビビが埋めている。在庫チェックは、サンジが1人で唸っていた。

 ティータイムとナミが呼んでいた俺達の楽しみにしていたオヤツの時間は消えて、掃除される事の無くなった船内は驚く程に汚れて行く。嵐が近付いた時には、意識なんか無い状態でもナミが小さく〝船を動かして……〟とか言うから、ゾロとウソップが必死で操縦してくれて、それでも的確な指示がない事で多少では無い揺れが襲って来た。

 その為に食器も随分ダメになっちまって、食器棚にドア付けようかなんてウソップが言い出して、サンジが感涙していた。それくらい、この船はナミによって成立しているのを様々と見せ付けられる。

 俺とナミだけが居る今の船室は、苦しそうなナミの息遣いだけが響く。そっと男部屋に続く小さな窓へと視線を向けた時、ナミの声が聞こえた。

 

 「ベルメールさ……ん、ノジ……コ……必ず……まも……から……」

 「ナミ!?どうした!?」

 

 何を言っているのか不明瞭なその言葉に、思わず近付く。だけど、本当は聞こえていた。

 聞きたくなかったんだ、ナミが過去に囚われて苦しんでる現実を。でも、汗を滲ませながら苦しげに喘ぐその姿に、どれ程無理をさせていたのかを痛感させられちまう。

 涙の滲むその顔を見て、病気で苦しいから悪夢に魘されているのだと気付かされる。でもよ、ナミ……夢の中にいるアーロンは、殴れねェよ。

 

 「うっ……んぅ……」

 

 痛みに耐えているのだろう。苦悶の表情がそれを物語る。

 寝ているのに、泣かない。意識なんて少しも無いのに、悲鳴も含めて何も声を出さないようにしてるのが分かっちまった。

 ……俺を、呼べよ。夢の中だって、助けに行くから。

 できもしない事を、本気で思う。夢の中にいる敵はどうしたって殴ってやれないのに。

 そっとナミの眠るベッドに入り込み、その身体の下に俺の左腕を差し込む。そうして右腕を上に回して、できるだけ優しく抱き締めるのが、今の俺にできる精一杯。

 

 「大丈夫だから、そのまま寝てろ。必ず守るから」

 

 この声が届けばいい。そうしたらきっと、ナミの夢の中に俺が出て、少しはナミの中にいる俺が頑張るだろうから。

 俺の声が聞こえたのか、ナミはその表情を微かに和らげて、涙を滲ませなくなった。それだけでも、少しは役立てたのかなと思わされる。

 そうしてナミの寝息が安定した時、戻って来たゾロに俺が引きずり出されたのは、見付かったのがサンジやビビじゃ無かっただけマシなのかなと思えた。でもよ、俺もナミを抱いてたけど寝てたのに、酷ェよな。

 ゾロと二人でナミを起こさない程度に喧嘩してたら、サンジが戻って来た。ゾロに持っていたトレイを差し出すと、交代だと告げる。

 「今は、ビビか?」

 「ああ、ビビちゃんの分と、野郎共の分はここに運ぶからビビちゃんにそれだけ伝えてくれ。これはお前の分だ」

 「分かった。ありがとう」

 

 そうしてゾロは貰ったトレイを手にお礼を行ってから、サンジと共に部屋を出る。それと入れ替わりでウソップが入って来て、ナミの顔を覗き込む。

 心配そうなその顔が、何だか俺の心を少し慰めた気がした。それくらいには、俺の心も荒んでいたのかも知れない。

 その後はビビが戻り、サンジが全員分の食事を持って来て、それ食ったら片付けた。そのまま見張りしてるゾロ以外の全員で、ナミの近くで丸くなって寝ちまった。

 そうして寝ていたら、何か物音がして目が覚める。何だろうと思いながらも、何かあったから音がするのは間違い無いからと頑張って起きようとしてみる。

 視線を向ければ身体を起こしたナミが幸せそうに微笑む姿があって、少しは回復したのかと期待する。けれどもそっとベッドから足を下ろそうとするその様子が妙に危なっかしく見えて、慌てて近付けば何とかナミが床に落下する前に受け止められた。

 落ちないように頑張るのではなく、何故か受身を取ろうとするナミが心配で、心臓が痛くなる。いつもは俺よりずっと低い体温なのに、今日は妙に熱くて……トロンとした瞳で俺を見詰めるその姿は妙に艶っぽい。

 そんなナミが無防備に俺へと抱き着いて、耳元で囁くように言った。それは便所に行きたいというもの。

 ……そりゃ、生きてんだから当然だよな。でも、歩けそうもねェし、なら、連れて行くか。

 そう判断するや否や、俺はナミを抱き上げる。それに対してナミは、いつもならば絶対にしないレベルで甘えて来るから、少しではなく頬が緩んじまう。

 美味そうな蜜柑の香りを漂わせながら、俺に頭を預ける。熱の為にそうするしかないのだろうが、ナミの性格なら遠慮して無理しようとして後ろにひっくり返るかと思っていたから、この状態はハッキリ嬉しいと言えるだろう。

 便所のドアの前に到着して、そっとナミの様子を伺うけど、気付いてる様子はない。呼吸は荒くないけど、その息が熱くて……首筋がゾクゾクする。

 わざとじゃないと分かっていても、首筋に息が当たるのが変な気持ちになっちまう原因だろう。二人きりなのも、ヤバい理由だろうな。

 

 「立てるか?」

 「頑張るわ」

 

 俺の言葉にキリッって感じで返事を返されたけど、だからこそ余計にそれが信用できない。……別に、できるとか、問題ないって言ったんじゃないから嘘じゃねェんだけどさ。

 何だろう。便所の中で倒れたりしないだろうな?

 

 「……すっげェ不安になる言葉だな、おい。その単語でこんなに不安になったの、俺は初めてだぞ」

 「ふふ……!」

 「笑ってる場合かよ……」

 「だって……でも、トイレに着いてこられないでしょ」

 

 ついて行っても、狭くて何もできないのが玉に瑕だ。そう思って俺が唇を尖らせると、フラフラと壁に手を伸ばして何とか進んで行く。

 倒れるのも心配だけど、それより立てなくなったら困るよな。あんまり遅かったらドア叩くか。

 

 「気を付けて行けよ」

 

 遠くに旅立つ訳でも無いのに、見送るしかできない俺にはそれが千里の道より遠く感じる。その後漸く戻って来たナミを抱き上げて部屋に戻そうとしたら、水が欲しいとか手を洗いたいとか言われちまう。

 本人にどんなつもりがあるのかはわからないけど、ぽやんとした表情で甘えるように言われたら、俺に勝ち目はない。キッチンに連れ込んで椅子に下ろしてから、見様見真似にはなるけどナミの飲める物を用意してやる。

 ナミなら蜜柑だろ。ナミは俺達に、その辺にあった草とかで……ミント水?とか、果物のレモンでレモン水とか作ってくれてたけどよ。

 確か、レモンは皮ごと使ってたな……と思い出して、蜜柑を軽く水で洗ってから包丁で切り、水に入れて行く。そんな俺をナミが凝視してるけど、ケーコーホスイエキとか言うのは何入ってたか覚えてねェから作れねェぞと思う。

 

 「このまま本当は少し置いとくんだろ。でも取り敢えず、これで我慢して1杯飲んどけよ」

 「……ルフィ、そんな事、できたんだ?」

 

 赤く熱った顔で、ぼーっとした様子でそんな事を言う生意気な口を塞いでやりたくなる。けど、今はそんな事できないなとグラスに今作った水を入れてナミへと差し出す。

 それだけなのに、なんか、顔が熱い気がする。もしかして、俺もナミとお揃いの熱なのか?

 

 「いつもナミを見てたから、多少は覚える。ほら、良いから飲めよ」

 

 ナミは、俺が差し出したそれを迷いなく口にした。それが、どれほどの信頼なのか、今の俺には痛い程よく分かる。

 コクコクと飲むその姿が妙に幼く見えた。それはいつも、どれだけ俺達の為に無理をしているのかを見せ付けられているような、そんな気持ちにさせられるほど。

 だからだろうか。ナミに、俺の中にあった苛立ちとも悲しみとも似ている喜びを伝えたくなったのは。

 

 「……ゴメンじゃなくて、ありがとうってナミが言ってくれた時、嬉しかった」

 

 俺の言葉にナミは視線を向けてくれる。でも、チビチビと子猫が水を飲むみたいな飲み方は変わらない。

 自分でも驚くくらい穏やかな声が出てる。それはきっと、いつもなら言えないような言葉をちゃんと伝えられてるからだろう。

 

 「今までナミはさ、俺とか他の奴に愛情振りまいても、絶対にそれを受け取ろうとはしてくれなかっただろ」

 

 ナミは俺の言葉を聞いてる筈なのに、不思議そうな顔をする。それから静かに溜息を落とすから、本当に自覚してなかったんだと知る。

 だけど、俺はこれに関してだけは譲るつもりは無い。ナミは、自分にだけ厳しい馬鹿だ。

 実年齢よりも少し幼く、甘ったれな所を隠して、優しい姉や母を演じちまう。全ての苦しさや痛みを笑顔の裏に隠しちまうナミの、唯一嘘をつけない場所。

 それが、この髪かも知れない。俺の指を近付ければ、それだけで簡単に俺を離さなくなる。

 

 「何かしてやれば〝ゴメンね〟だし、庇えば逆に心配掛けちまうし、どんなに痛くても苦しくても、泣くの我慢するしよ……」

 

 痛くない筈がないんだ。優しさの塊であるナミが、大切な人を目の前で何人も喪って……その人達に憎まれ続けて……。

 心の痛みが麻痺して、分からなくなる位になって……その上で、自分で自分を傷付けて泣くナミの姿を思い出す。そうしてやっと俺に助けを求めてくれたのに、ビビが来たらまた〝お姉さん〟に戻っちまった。

 俺は別に姉貴が欲しい訳じゃない。勿論姉貴モードなナミも可愛いし好きだけど、でもやっぱりこんな少し甘えて来るホワホワしたナミが1番好きなんだ。

 そう思ってそっとキスをしたら、ナミは惚けたみたいに俺を見て、熱以外の理由で赤くなった顔を隠すように慌ててグラスに視線を戻した。……本当に、恋愛(こういう)事に慣れてねェよなァ。

 

 「そんなナミがさ、村を出てからは〝ありがとう〟って言ってくれるようになったし、何かあった時心配してくれてるのは変わらねェけど、お帰りとか言って笑ってくれるようになっただろ」

 

 俺に対して恐ろしく過保護で、自分に対しては恐ろしく無頓着。足して二で割れって思う。

 この足して二で割るって言葉はナミが教えてくれたのに、自分には置き換えられないんだからダメだよなァ。……俺の知ってるナミは、昔から完璧なんかじゃないんだよ。

 それに俺はさ、ナミに完璧なんて求めてない。不格好で良いんだ、だから、俺の前でまで強がらないでくれ。

 過保護で無防備な姉であり、誰よりも強くて優しい母であり、厳しく賢い師でもあった。でも何より、どんな時も弱さを見せられない普通よりずっと気の弱い、初恋の美少女なんだ。

 

 「心配ばかりかけて、でもそれがルフィだから仕方ないわよね。とか言ってナミは困ったみたいに笑ってるのがいつもだった」

 

 甘ったれで、心配症で、優しくて……本当は泣き虫で。なのに、全部我慢しちまう強がりで意地っ張りで、気高い女。

 子供(あの)頃から何も変わらない。少しもその辺だけ成長してくれない厄介な女。

 

 「それがさ、変わっただろ。やっと、対等になれた気がしたんだ。だから……嬉しい」

 

 なんでも完璧にできて、知らない事はなくて、優しくて、強い、歳上の幼馴染。そんなの、妄想だ。

 俺の傍に居たのは、大人にも弱さを見せる事ができない不器用な女の子。優しいのも、甘いのも間違いないけど、何かを守る時しか強くない、本当は臆病な女の子だった。

 ……今度こそ、守ってせる。俺が愛する、最高の女。

 ふと見ればナミのグラスは空になってて、それを気にしてるナミを抱き上げて戻る。さっさと寝かせて、早く良くなってもらわないとな。

 

 「後で取りに来るから、気にすんな。今度からは、俺が守るから……たまには頼れよな」

 

 ナミの身体に負担にならないように気を付けながら、そっとベッドに降ろす。そうするとさっき思い出した、短剣を振り下ろしていた場所に触れちまう。

 あんなに切り刻んで、それなのに痛かったのは心の方だなんて……どれだけ、あの日までのナミは辛かっただろう。どうして、もっと早く気付いて助けに行けなかったんだろうって、自分を呪いたくなる日もある。

 あの頃から、ナミは独りで抱えてたんだ。俺達の事を愛して、守って、育てながら……村の事さえ守り続けていた。

 泣きそうになった俺に、ナミが腕を絡める。それに驚いてる間に、慈愛に満ちた眼差しで、触れるだけのキスをして……そのまま、寝ちまった。

 ……元気になった俺の分身に、幸せそうに眠るナミの姿に、つい、本音が口から零れ落ちる。勿論起きてたからって、病気のナミは襲えないとは分かってるけどよ。

 

 「……ヤり逃げかよ」

 

 頭と心と何より分身を落ち着かせる為に、水を片付けたりしに行く。そうして俺もまた、ナミの寝顔を眺めながら眠りに落ちた。

 その後も交代で、ずっとナミに誰かはついているようにしていた。ナミが目覚めると、水とか食いもんとか、ひとくちでも良いからと食べさせたりしようとしてみる。

 そんな俺達にナミは優しく微笑むから、本当につらくないのかと錯覚させられそうになっちまう。……なァナミ、俺達はそんなにも頼りないか?

 そんな事を思う俺に、寝言で〝ありがとう〟とか〝だいすき〟とか言ってくるから、悲しみも怒りも持続しなくなる。本当にナミって、狡いよなァ。

 優しくも残酷なナミは眠る。仲間達に守られながら。

 自分が姫だと気付けないままに、女王として生きる事に慣れ過ぎた少女は、深く深く眠り続ける。そんな姿に俺達はただ、少しでも早く島が見つかる事を願っていた。

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