波間の向こうを目指して(新・本編side) 作:夢枕 七変化
心地好い眠りから目覚めたのは、腕の中にいた温もりが離れようとしたから。それでも、手櫛で髪を整えてる姿さえ愛しく見えるとか、末期だと思う。
無言で傍から離れようとするから、無意識の内に逃がすものかと腕を伸ばしてその細腰を抱けば、簡単に戻って来る。怒るでもなく、慌てるでもなく、ただ驚いた様子を見せたナミの唇をそっと塞ぐ。
「んっ……ふっ……ぁ……」
驚きからか抵抗するナミは、けれどその力が異様に弱い事に気付く。殴ったりする力はそれなりにあるのに……いや、待てよ、ナミはそう言えば力は昔から無かった気がする。
こんな風に押え込むって事をしなかったから、気付かなかった。ナミはいつも、小手先の器用さで戦っていたのだと気付けば、ある意味で騙されてたなァと思う。
ずっと遠く思えていたナミの強さは、俺達を守る為の虚勢。こんなに細くて小さな身体の影に隠れて、俺達は守られて来た。
頑丈に思えたその心と身体は、俺達の為に虚勢と言う鎧でそう見せていただけのハリボテで、実際はこんなにも甘く柔らかい。その熱い吐息も、甘さも、何もかもが今は俺のものだ。
誰にも渡さねェ。やっと、手に入れたんだ。
「や……ルフィ……っ!まっ……」
呼吸を整える為に離れた唇の隙間で、制止しようとするナミの声。その声も含めて貪れば、困った様子を見せるのに、結局は俺を受け入れてくれる。
甘えちまうぞ、馬鹿ナミ。そう思ったら、漸く俺の中の渇きが癒えた気がした。
「ナミ……おはよう」
「んっ……おはよ」
熱った顔で、甘い声で、優しい眼差しで、ナミは困ったように笑う。なんか、いつも困らせてるよな、俺って。
そう思ったけど、またナミが出て行こうとするからそれを止める。なんでそうやってすぐに、俺から離れようとするんだよ。
「なんで何も言わずに、ベッドから出ようとしたんだよ」
拗ねたような自分の声に少し気恥ずかしくなるのは、ナミが困ったような柔らかな声でそれに応えたから。きっと、本気で悪気なんか無いんだろうな。
「ルフィはまだ寝てると思ったから……」
「起こせよ。起きた時ナミがいなかったら焦るだろ」
勝手にどこかへ行こうとしたナミに悪戯のつもりで首を舐めたら、ビクビクと反応する。黙って耐えるかと思ったら、可愛い声で誘うんだから質が悪ィと思う。
その上これで、本人は抵抗してるつもりなんだと分かるから苛つく。煽ってるとしか思えねェ声で、言葉で、香りで……惑わせておきながら本人は至って本気で抵抗してるつもりなのが分かる。
「ルフィ……ダメっ……ぁ……」
「……ナミ、本気で喰いたくなるから少し黙ってろ。俺、これでも我慢してんだぞ」
そう言って身体をズラしつつナミの胸に唇で触れる。その反応が可愛くて、つい跡を残したら反応が薄い。
怒ってるのかと顔を上げたら、涙に潤む眼差しを向けられた。視線を絡めれば、困ってますって伝わって来て、なのにその表情は色っぽい。
そんなナミの反応に己の下半身が元気になるのを感じて、むしろ痛い程のそれに困っちまう。これで、無自覚なんだぞ……?
溜息を落とした俺に、ナミは泣きそうな顔をする。……別に、怒ってるんじゃないけど、でもよ。
「……どうしても、ダメか?」
「だめよ。私はアンタ達と違って〝普通〟の〝か弱い〟女の子なんだから、医者の言葉に逆らってたら生きられないのよ」
そっか、駄目か。ケチだな。
それよか、ナミの言葉なんかおかしい気がする。そう、思い出すのは俺とかエースやサボを相手に一度も負けた事の無い無自覚で最強な姿。
何より、何か、ナミがブチ切れて暴れた記憶が微かにあるんだよな。……確か、俺、ナミを止めようとして……抱き着いたぞ。
シャンクスと対等に戦ったナミの、悲しい美しさ。正気を失って笑う、ナミのそれは苦しい程に覚えてる。
俺達を背に戦うナミとその残像。俺の声を聞いて戻り優しく笑ってくれた笑顔が、血に濡れていたのは鮮明に覚えてる。
ナミは昔から、大切な人達の為なら簡単に死んじまう。死なせたくねェから、傍にいたいと願うのは当然の事だと思うんだ。
俺の為に死ぬのでは無くて、俺の為に生きて欲しい。ナミをこの世に繋ぎ止めるのに必要なら、ナミが望まなくても俺は何でもしちまうだろう。
憧れと感謝が独占欲に変わって、俺の仲間にした後からはその全てが俺の物だと思っている。まだナミの中で俺とほぼ同列にいる兄達を少し思って、小さく笑みが溢れた。
「……昔っからナミはそう言うけどよ、あの当時も鬼みたいに強かったエースやサボを庇って戦ってたナミが普通のか弱い女の子ってのは、無理があると思うんだよ。それに、本気になった時多分今1番生き残れるのはナミだぞ」
俺の言葉にむくれた表情を見せるのは、本気で分かってないからなんだと分かる。だからこそ、伝わらないもどかしさが溜息になった。
そういや、ナミは自分が暴れたの……覚えてないんだよな。素直に、綺麗だったけど……そういう問題じゃないと思うんだ。
たぶん、あの時からだと思う。サボとナミが、色々な意味で似た空気を出すようになったのは。
サボはあの時から、ナミを母親と姉の狭間にいる家族として認めて、尊敬して、追い掛けた。それにより……似ちまったんだろうなァ。
怒り方とか、若い方とか、過保護な感じとか。エースは、だからこそサボにも弱いんだろうけど、でも結局折れるのはいつもナミとサボの方。
それでも、その優しさは強さに裏付けられたもの。そしてその強さは、ナミの努力はもちろんあったけど、シャンクス達のおかげなのも今ならわかるんだ。
「分かってねェ……。ナミは逃げ足だけで生き抜いたと思ってるみたいだけどよ。……相当強いぞ、お前」
「何言ってるのよ。どうしたって私は耐久力も無いし、基礎体力も足りないし、筋肉も少ない。クリマタクトがあってなんとか逃げ回れてて、それによって生き抜けてるだけだもの。クリマタクトが無ければ……1般市民と変わらないわ」
「あのな、1般市民は武器をそもそも扱えねェよ。俺なんて剣とか全く使えねェじゃんか!」
どうだとばかりに胸を張る。俺はナミに教えて貰ったけど、何にも身につかなかったぞ!
教えられたからって、何でも出来るようになる訳じゃない。俺は、道具を使って戦うのは合わないんだ。
「……私は、扱えるだけで、戦ってるって言えないのよ。本当に……いつも、適わない」
落ち込んだ様子から怯えた様子に変わる。そのまま悔しそうに、でも見えない何かを怖がって小さくなるその姿。
何を怯えてるのかと思ったら、ナミは自分を責めているのだと分かった。弱さは罪だと、そう思ってるのが何となくわかる。
ナミの戦っている相手は、ナミ自身。誰よりも自分に厳しいナミらしいと言えば、そうなのかも知れない。
「ナミ……ナミ、聞けよ。ナミ」
「……ルフィ……?」
少し虚ろな瞳に俺を映す。その緩慢な動きで、何となく確信的な物を掴んだ気がしたんだ。
だから、言葉にする。ナミの事で気になってる所を確認する為に。
「何考えてるか、全ては分からねェけど、ナミは万能タイプなんだから、1点集中型の奴らにその得意分野で勝てないからって気にする必要はねェんだよ」
「……へ?」
「ナミは元々頭を使って生きてるのに、力でも勝とうとか……何目指してんだよ。ゾロは世界1の大剣豪だけどよ、今の勢いで行くとナミは〝誰にも何1つ負けねェ完璧人間〟目指してる事になるんだぞ」
俺の言葉にナミは、ハッとした様子を見せる。本気で気付いてなかったらしい事に、胸が痛くなったのはナミがどうして完璧を求めるのか分かっちまったから。
優しくて臆病なナミが何を求めているのか。それを、知っちまったからだろう。
「……少しさ、肩の力抜けよ。なんの為に仲間がいると思ってんだ。……ナミが1人で全員守って、庇って、養う必要なんかねェんだよ」
「ルフィ……」
「ナミは俺の傍に居たらいい。そうしたら、必ず守ってやる。そんでその分、俺を導いてくれたら、後は楽しく生きるのがナミの役目だ」
俺が船長なんだ。何にもできない俺を、何でも好きにやらせてくれるナミに、どうして完璧を求めるんだよ。
いつも、支えてくれる仲間だけど、支えられるだけなら何の為に俺は居るんだ。仲間を……ナミを、苦しめる為だけの存在が、何故許されると思うのか分からない。
「俺は戦って、仲間を……クルーを守るのが船長としての役目だ。その代わり、他は何もできねェから、だから助けて貰ってる。料理はサンジに、航海術を含めた船の上での事は殆どナミに、俺は剣も使えねェからそこはゾロに任せてる。狙撃はウソップに、怪我とか病気はチョッパーに頼りきりだ。そうだろ」
否定なんてさせない。俺が選んだ最高の仲間達だ。
俺は支えて貰って、ここに居る。だから、ナミにも一人で抱えないで欲しい。
わかって欲しい。誰か一人でも欠けたらダメだけど、誰か一人でもこの海では生き抜けないんだって事を。
「ナミは航海士なんだよ。俺の大切な仲間なんだ。……なのに、航海士以外にも色々な仕事を俺達はナミに押し付けちまってる。できないのもあるけどよ、それでも間違いなくナミの負担は大きい。だからよ、頼むからよ……ナミ、戦いとかそう言う事まで背負い込まないでくれ。俺達にも、荷物を持たせてくれよな」
「……っ!……ルフィ……」
泣きそうな顔でナミは俺を見る。それが愛しい。
今は〝航海士〟ってより〝恋人〟って感じがして、なんか嬉しい。……恋人……っていやあ、言い忘れてた!!
「……そうだ、まだ言ってなかった」
そうだよ。ナミの事、ちゃんと俺は怒ってたんだ!
……忘れてたけど。ナミに、怒ってんだぞ!!
怒ってるのに、泣きそうになる。声が、勝手に震えちまうんだ。
「……後少し医者に診て貰うのが遅かったら、ナミは死んでたんだって聞いたぞ。馬鹿ナミ。……生きててくれて、ありがとう。でも、次にんな無理したら、部屋に閉じ込めるからな」
「そうしたらこの船、遭難するんじゃない?」
脅迫するように言う俺に、ナミは小首を傾げる。こんな時、現実しか見ないのってどうなんだよ。
遭難するのが困るなら、ナミは俺が独占するから……泊めとけばいい。俺は、次何かあったらナミを閉じ込めるぞ!
「その間は船停めとくから気にすんな」
「……サンジ君が死んじゃうわよ。食料不足に頭悩ませて」
そんな事を言いながら、そっと抱き締めて来る腕。いつものように甘やかすのではなく、どこか甘えるようなナミの行動に、怒りと悲しみが霧散する。
だからナミがその後忙しそうにしてるのを邪魔することも無く、色々動き回るのを眺めながら釣りしたりチョッパーと遊んだりして過ごす。その途中でウソップとチョッパー、カルーと一緒に冷蔵庫の中味をちょっと貰って食べてから、皆で釣りをして時間を潰していたらサンジが俺の頭を持った。
その為に首がみょーん!って伸びたけど、サンジが何したいのか分からなくて見ていたら、冷蔵庫の中味って言われて視線を逸らす。
「落ちると危ねェから、こっち来い」
「いや、あの、サンジ……?」
「甲板で話をしようか。なァ……船長?」
これは、怒られるやつだ。よし、誤魔化そう。
確実な状況にならなければ、サンジは怒らねェ。……ナミは、何でか怒るけどよ。
「いやいや、もう、ほんと。なんも、知らねェから、俺はっ」
「オイ何目ェそらしてんだ。ちゃんと俺の目を見ろ」
サンジは短気だ。ナミなら、可愛く謝れば許してくれるのに、サンジには謝る方が危険だと俺は知ってる。
だから誤魔化す。あ、あの雲っ美味そうな形してるなー!
「じゃあ聞くがな。しっかりアラバスタまで持つ様に、俺がちゃんと配分しといた8人分の食料が、少し目を離した隙に何故消えるんだ?」
問い掛けに合わせるようにしゃがむサンジ。そのまま視線を無理に合わせようとしてくるけど、俺はサンジの方は見ないからな!
だけど、何で俺だけバレそうなんだろう。他に食べた仲間の名前を出すつもりは無いけどよ。
「ムダな抵抗はよせ。てめェはポーカーに向かねェ人間なのさ」
ゲップがでたのは、何かの問題があったとしか思えない。なんでこのタイミングで出るんだよ!?
匂いでバレるかと焦る俺に、サンジは首を傾げた。誤魔化せたのかと思った時に向けられたのは、さり気ない言葉。
「おい、口のまわりに何かついてんぞ」
「しまった!!食べ残し!?」
「おめェじゃねェかァ!!」
「ふべェ!!」
そうして蹴り飛ばされた俺のそれに気付いたのか、ナミが船内から顔を出した。それから俺は何も言わなかったし、サンジも気付いてなかったのに、ナミは迷い無く三人を甲板に引きずり下ろしてから拳で制裁を与える。
その神業的早さには、流石にサンジも何も言わずに見ていたけど、甲板で倒れてる恋人を無視してサンジと冷蔵庫について話し合うのはどうなんだよ。酷いんじゃないか?
そうして膨れていたら、いつの間にかビビの国について話し始めたから、近くで一応話だけは聞く事にしたけど……ムズカシイ。なんでこんな、ムズカシイ話になってんだ?
「とにかく、クロコダイルをぶっ飛ばしたらいいんだろ?」
同じ言葉を俺が繰り返してる間に、話はどんどん進んで、でも俺はよく分からなくてただ、倒せば終わるって事じゃねェのかよ……と、思っていた。それから数日後、俺達は出逢う事になる。
変で面白くて、でも信じちゃいけなかった……心優しい、未来の友人と。そんな事とは知らないまま、俺達はサンジに怒られつつ先へ進む船の中で突き進んでいた。
夜も海で泊まる事無く航海を続けられるなんてのは、奇跡に近い事なんだという事を、俺達は分かっていなかった。何より、ナミのやってる金を稼ぐ行為がどれ程の価値を持っているのかを、本当に理解していなかったのだと痛感させられるのは……随分先の未来。
波間の向こうを目指して、俺達は進む。ビビを故郷へと送り届ける為に。