波間の向こうを目指して(新・本編side) 作:夢枕 七変化
美少女
俺が初めて彼女を見た時、素直に綺麗だと思ったんだ。翳りのある美しい女性、感想はそれだけだった。
その日、レストランに突然砲弾が撃ち込まれた。勿論、誰かと戦っていたりした訳でも無いのだから、突然である事は当然なんだが。
その犯人を取り押さえて連れて来て見れば、明らかにガキで……その上言い訳が阿呆。何が海軍が放った砲弾を弾き飛ばしただ!んな事出来てたまるかってんだよ!
その後雑用をやらせようとしてみれば、こちらの仕事を増やし被害を拡大する様は、もう既に悪意を感じる程。……マジでクソ巫山戯んなと蹴り飛ばしても何故かダメージが無く、苛立つ俺にニカッと笑って言う。
「俺、ゴムだから、攻撃されても痛くねェんだ!」
「クソゴムがァー!!」
結果、俺までゼフの野郎に蹴り飛ばされちまったがな。……そんな時、雑用の仲間だというヤツらが飯を食いに来た。
そのむさ苦しいメンバーの最後に入って来た美少女に、思わずハートが乱舞したのは言うまでもない。こんな高レベルの美少女、これ迄にお目にかかった記憶が無い!
儚げな雰囲気で、困ったように微笑んで……。嗚呼、俺の理想の女神がこんな所に!
「はじめまして、美しい方。俺はサンジ。お嬢さんのお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「ふふ、宜しくね、サンジ君」
「あ!俺この白身フライが良い!」
「俺はナムル!」
「このムニエルってのにしとくか」
「全部美味そうっスね!俺は……」
そんな感じで、寧ろ狙ってんじゃねェのかって勢いで邪魔して来た阿呆共に悪態つきつつ、オーダーを取り戻れば即座に厨房は動き出す。直接名前は聞けなかったが、他の野郎共にナミと呼ばれる美少女は、その中で唯一雑用を案じるような眼差しを常にしていた。
他は冷やかしだろうと分かる雰囲気もある中で、ただひたすらに雑用を気にしている様子は、既に母親のようだと思う。……母親、か。
野郎共の隙をついて口説き、デザートやドリンクをサービスすればナミと呼ばれる少女は艶やかな笑みを返して来た。そのギャップにやられて、ふらついた俺を蔑むような野郎共の視線なんぞ今はどうでもいい。
食事を終えたナミさんは、雑用に近付くと心配そうに言葉を紡ぐ。迷惑かけないのよとか、怪我しないでねとか、摘み食いしちゃダメよとか、そんな感じで。
それに雑用は少し不満気な様子で、だが、何処か嬉しそうにも見える。それが妙に気に入らずに眺めていたら、ナミさんがそっと雑用を抱き締めた。
その瞬間、雑用からその顔が見えなくなった瞬間に、涙が無いのが寧ろ不思議なような顔をしたナミさんの表情に、俺の心が軋んだ音をたてる。なんだって、言うんだ……?
だが雑用に向かい合った時には、穏やかで優しげな表情に戻っている。……雑用に、何か隠してるのか?
仲間だと聞いている。だが冷静に見てみれば、ナミさんは明らかに他の全員から、1歩所ではなく引いているのが分かるのだ。
……女の子だから、男達とある程度距離を取ってるのかと思ったが、違うな。なんだ、この違和感は。
優しげな表情に嘘は見当たらず、雑用を見る眼差しは聖母のようにさえ思える。他の野郎共に向けるのも、慈愛に満ちていて……同時に、憧れのようなものを抱いていると伝わって来た。
では何故、ナミさんはあれ程に悲しそうな横顔を見せるのか。今にも消えてしまいそうな、儚い雰囲気で笑うのだろうか。
母は最期の瞬間まで、生きようとして強く輝いていたと思う。だがナミさんは、そう……生きる事を諦めているような空気がある。
達観しすぎたその様子は、何処か浮世離れしていて仙人をも思わせる。そしてふとした時、作り物めいた美しさと儚さを漂わせていて、生きているように思えない瞬間が確かに存在した。
それを咎める事も、問い質す事も、受け入れる事も俺には出来ない。確かに美しく儚いその姿は守りたいし、尊いが……今は、この店に俺は居続けなくてはならないのだから。
この夢の店を守り抜いて……俺がクソじじいから奪ったそれを少しでも……。その時ふと、ナミさんの些細な仕草から、似たような何かを抱えているのではないかと思い至る。
だとするならば、この仲間だという野郎共はそれを分かっているのだろうか。そう思ってもう1度見てみると、見える景色が変わった。
恐らくナミさんは、こいつらの本当の意味で仲間では無いのだろう。1線どころでは無い隔たりは、その隠されている部分に起因していると分かる。
雑用はそんなナミさんを自分のモノとして扱い、ナミさんはそれを当然のように受け入れている。……いや、雑用の全てを容認しているのだ。
雑用が白と言えば白、黒と言えば黒とでも言いたげな様子で。それでもそれが雑用にとって良くない事であると判断した時のみ、苦言を呈している。
……それは駄目ですよ、ナミさん。そんな事をしてはいけない。
そう言おうとして、辞めた。それは、深く関わる権利を持たないと気付いたからでもあり、深入りしてはいけない気がしたからだ。
ここで関われば、二度と戻れない所に迷い込むような……そんな気がした。それは、恐らく間違ってなんか居なかっただろう。
「また、ね……ルフィ」
微かな震えが声にだけ現れていて、何をするつもりなのかと思うのと同時に、咄嗟に手を伸ばしそうになった自分に愕然とする。何故、関わろうとするのだろうか。
他にも美しい人はいるだろう。可愛い子も居るだろう。
確かに類稀なる美少女だが、数多のレディ達と何が違うと言うんだ。クソジジイの夢を奪った俺には、ここに居る義務があるのだから、中途半端に手を伸ばして許される筈はない。
雑用はそんな俺の葛藤にも、ナミさんの異変にも気付かずに笑う。太陽のような笑顔で、額面通りにその言葉を受け入れて。
「おゥ!またな!!」
そんなナミさんの後をついて行ったのは、剣を腰にした二人の野郎共だ。ナミさんの異変に気付いて対応しに行ったのだろうかと、ホッと息を吐き出してから、やはり何も無くレディには笑っていて欲しいと思う。
美しい華が萎れるのも、可愛い花が散るのも、勿体無い。そんな事を考えて、俺は静かに笑った。
その後暫くは飢えた漂流人が姿を見せた他は、特筆するべき事も無く時は過ぎる。そうしてナミさんがその姿を船へと消して、少しの時が経過した頃になって起きた大きなその騒動により、ナミさんの安否と雑用の船の状態を気にする声が上がる。
だが、野郎が2人付いて行ってたよな?
「ナミがいりゃァ大概誰でも倒してくれるけどよ、やっぱ心配だよな」
「確かに、ナミは見た目と違って強かったけどよ、メリーが心配なのは当然だろうが!」
「どれ程強くても、アイツは女である上に甘過ぎる。その上もし〝あの男〟と関われば、流石のナミでも太刀打ち出来るとは思えねェ」
「そうか?相手が誰でも、ナミが〝俺の船〟を〝守る〟立場にいる今、負けるとは思えねェけどな」
雑用がそう言って自信ありげに笑えば、緑頭が息を吐き出して、確かにと頷く。それに長鼻が小さく言葉を紡ぐ。
「でもよ……世界は広い。あの時だって、吹き飛ばされて怪我したりしてただろ」
「普段はそれ程でも、まァあるっちゃあるけどよ。何かを〝守る〟と決めたナミに、負けはねェよ。本気になったナミには、俺も勝てねェ」
その言葉に全員が息を飲んだ直後、雑用は笑った。何処か寂しそうに。
「多分……6歳だったナミにも、今の俺はまだ勝てねェ。シャンクスに挑みかかってたナミは、恐ろしく強かった。……アイツ甘いから、自分の為だと戦わねェんだけどよ」
その時雑用が言っていた〝シャンクス〟の正体に気付いていれば、恐らくは反応も違っただろう。だが俺は、そんな事は可能性としてさえ思い浮かばずに居た。
その後ナミさんが船と宝を奪って逃げたと聞き、何かあるなとは思った。だが、結局は誰も傷付けずに、ただ逃げたと聞いただけで、彼女の甘さがよく分かり……助けてやりたいなと、そう、漠然と思わされる。
緑頭はその後、野望を叶える為にその命を平然と捨てようとした。緑頭があれ程有名な賞金稼ぎの〝海賊狩り〟だとは思わなかったが、そんな東の海で最強の呼び声高い男でさえ……赤子以下の扱いを受ける。
クソ野郎、イカれてるぜ……!!相手は本物の世界一だぞ。
結果は見えてた……!!それが分からない弱者の筈も無ェってのに!
死ぬくらいなら、野望を捨てろよ!!……この感情は、この想いは、
「簡単だろ!!野望捨てるくらい!!」
そんな俺の叫びは波間に消える。そして、世界一の男が緑頭を認める発言をして、いざ緑頭の治療をとなった時、2人の男が何だこれ?と自らの手荷物に首を傾げた。
何事かと様子を見れば、どうやら恐ろしく効果の高い傷薬と鎮痛剤、他にも治療に使えそうな物が入った袋を
「ナミらしいな。アイツ、いつもなんか未来を知ってるみたいな動きするんだよなァ」
「雑用?」
「ナミは、ガキの頃からいつもそうだ。俺を守ろうとして、自分を蔑ろにして、結局俺達を傷付けてる事に気付かねェ。……早く、連れ戻さねェと、ナミは多分、死ぬつもりだ」
酷く真剣な声で、雑用は言い切る。まるでナミさんの事ならなんでも分かるとでも言いたげに。
気付かなかった癖にとは、何故か言えなかった。その上俺はまともな言葉を口にする事が出来なかったのだ。
「「なっ……!?」」
「ウソップ!行ってくれ!!」
長鼻と俺が息を飲んだ発言の後、当然のようにナミさんの後を追わせた雑用は、1年間の雑用から開放される為に、戦いに身を投じた。その後の戦いは、色々な意味で筆舌に尽くし難く、多くを語るのは俺の好む所じゃねェ。
ただ、戦いが終わり、クソジジイやパティ、カルネを含むバラティエの〝戦うコック〟達の、クソ似合わねェ下手糞な演技の元、俺は〝海賊王への道〟とやらに付き合う事を決める。挨拶なんざ不要だと思ったが、いざ船に乗り込もうとした時不意にかけられたその声に、言葉に、涙を抑える事が出来なかった。
俺の〝親愛なるクソジジイ〟は、俺にとってかけがえのない、大切な〝親〟である事を……俺は、言葉には出来ねェが、ちゃんとわかっている。見捨てられたと、要らねェと〝また〟拒絶されたのだと思っていた俺に向けられる、素直じゃねェ言葉。
泣き出したクソむさ苦しい、俺の〝家族〟に頭を下げて、俺はこの先ルフィのコックとして、その船に乗る事を決意する。クソ五月蝿ェ見送りを背に、帰るべき場所がある幸福を噛み締めながら、数日遅れで俺達は船を出したのだった。
……行ってきますと、そんな言葉は言えねェ。帰れる保証は無いからな。
それでも俺は、波間の向こうをコイツと共に目指したいと……そう思う。波間の向こうで、泣く事も出来ずに震えているだろう少女を想いつつも、俺の全てをルフィにかけてみようと心に誓って、そっと瞳を閉じる。
波の音が、潮の匂いが、慣れ親しんだ筈のそれらが、今までと違って感じるのは何故だろうか。俺の冒険は、こうして幕をあけた。