※この作品はR-18です。

波間の向こうを目指して(新・本編side)   作:夢枕 七変化

26 / 101
血濡れの天使

 それは……叫びと呼ぶべきか、それとも慟哭と呼ぶべきだろうか。きっと彼女が憎いのは、その肩にある印ではなく、その印が示す相手なのだろう。

 そうは分かるが、同時に己を呪っている事がわかってしまう。……どうして、ここまで1人で頑張ってきた君が……1人で苦しまなければならないのか。

 女の泣き顔を見て、息を止めそうになる程の衝撃を受けたのは、初めてだった。苦しそうに助けを求める儚いそれに、俺は身動きどころか瞬きも、呼吸さえ出来ない。

 ルフィだけが、それをただ静かに受け止め……宝物だと言って誰にも触らせなかったその帽子を被せる。その後に響いたルフィの声……それは、俺の中にあった迷いをもかき消してくれた。

 戸惑いも、何もかもが吹き飛び……ただ、守りたいと、助けたいと思わされるのだ。その涙を拭える距離で、君を守りたい。

 

 「行くぞ……!!」

 「「「おう!!」」」

 

 ルフィの帽子に触れて、涙を落とすその姿が儚い。そして何より、その顔が可愛くて……何処か初めて見る幼いその顔が、彼女はこれ迄ずっと子供でいる事を許されなかったのだと教えてくる。

 彼女にとって大切な存在を守る為に、生きる為、環境が、周りが……彼女を子供でいる事を許さない。まるで、代償を支払わされているかのように。

 運命に逆らい、許されぬ願いを叶えたとでも言わんばかりのそれが、彼女を無秩序に攻撃しているように思える。それに対して、ただ、彼女は微笑むのだ。

 自分だけが傷付くなら構わないと、傷なんていつかは治るとでも言うように。ここで何もしなければ、彼女はただ、優しく……満足そうに微笑みながら、独り、消える気がした。

 俺達が揃って歩き出すと、背後で微かな物音が聞こえてくる。倒れたのだろうかと視線を向ければ、下着と鬱血の痕を晒して、震える身体で無理に立ち上がる細い身体が見えた。

 上げた顔には既に涙の跡さえなく、キッと前を見据えるその瞳には決意が見える。折れる事を知らない、気高い心が……けれども血を流しているのは、本当にその身体だけですか?

 上着を脱ぎながら歩み寄れば、きょとんとした顔で俺を見るそのつぶらな瞳。髪の色と同じ色の瞳は、いつも慈愛や賢さを称えていたので、こんなに幼い瞳は初めて見たなと思う。

 細く頼りないその肩に上着をかけると、慌てて断ろうとするナミさんが哀しい。そんなにも傷付いて、なのに頼る事さえ自分に許さないで……どうしてそんなに独りでいようとするんですか。

 

 「サンジくん……服が、汚れちゃうから……」

 「そんな扇情的な姿は、人に見せない方が良いですよ。ナミさんは、元々魅力的なんですから。服は替えがありますが、ナミさんの代わりになる人はいません」

 

 鳩豆な顔で俺を見るその様子は、明らかに幼い。この幼さを隠して……そうしなければ生きられなかったんですね。

 愛しさと、守るという決意を込めてそっと額にキスを贈る。それに呆然としているのを知っていながら、俺は先を行く男達の背を追い掛けた。

 歩みを進めれば、その直後に長鼻が駆け戻りナミさんを支えて、その歩調に合わせる為なのか、俺達が話を聞いた事を……全て語る。犠牲になろうとした事までは聞いちゃいねェが、先程のやり取りから分からない程鈍くは無いつもりだ。

 ……恐らくは、この場にいる全員がそうだろう。怒りを抑える事さえ出来ずにいる2人が先を歩くのを見て、こいつらが仲間なのだと思えば誇らしくもなる。

 目指す建物の入口には人集りが出来ていて、村人達が殺されてなかった事に内心で胸を撫で下ろすと、聞こえて来たのはヨサクとジョニーの声。その言葉を聞いて、俺の口の端が自然と上がった。

 

 「ナミの姉貴が泣いていた!」

 「それ以上に命をかける理由があるのかい?」

 

 ねェな。そう俺が心で返事をしたのと同時に、マリモも悪人面で笑った。

 凶悪なその顔は、今正に数人血祭りにあげてきたと言われても納得できそうな程だ。戦いを求めるその様子に、好戦的な野郎だと自分の事は棚に上げて思う。

 その直後、俺達に反応した村人達が道を作るように割れると、俺達は迷い無くその中を通って行く。そして二人の近くまで行くと、マリモが1言声をかけた。

 

 「よく言ったな。……此処で待ってろ」

 

 その直後、ナミさんを支えていた筈の長鼻が俺達に合流した。その時に微かに香った蜜柑のそれと、鉄の臭いがナミさんを支えていた事を物語る。

 背後でナミさんを足止めするように、群がる人達の声が聞こえる。優しく、気遣うようにその名を呼べば、大丈夫よ……と優しくも穏やかな声が聞こえて来た。

 それと時をほぼ同じくして、ルフィが石でできた門を殴って破壊した。魚人共の視線が俺達に向けられるが、それは怒りを煽る以外の効果を持たねェ。

 ルフィが進むのをここはこいつの見せ場だろうと足を止めて眺めれば、低くルフィが問い掛けた。その声には、怒りは勿論だが、奇妙な程の冷静さを感じられる。

 

 「アーロンってのはどいつだ」

 「アーロンってのは、俺の名だが?」

 「そうか……」

 

 その直後、ルフィを支える為に動いたナミさんの動きとよく似た動きで、この俺が1瞬見失う程の速度でルフィが動いた。恐らくあの時、もしくは他の時も含めて、ナミさんがあの動きをした時の足の動き等を見て覚えたんだろう。

 ……ただの猿じゃねェって事だよな。そう思うのと、アーロンが殴り飛ばされるのは同時で、壁を崩して動きを止めたアーロンにルフィは怒鳴る。

 

 「うちの航海士を泣かすなよ!」

 「そうかお前ら、ナミが目当てか」

 

 言いながら瓦礫を落としつつ立ち上がったアーロン。埃を払いながら、ゆったりとした足取りでこちらに近付いて来ると、ナミさんが叫んだ。

 

 「アーロン!?何を……「ナミを欲しがるのは分かるさ。海図を描かせりゃ天才と呼ぶ他なく、航海術も並外れて高い。容姿も傍に置いておきたくなるような女だ……それで、お前らのうち、誰がナミを抱いた?」」

 

 まるで、ナミさんの言葉を遮るように告げられた言葉。それに滲む殺気は本気の物だ。

 憎い……と、その瞳が伝えて来る。許せない……と、その気配が叫んでいるんだ。

 そう……まるで大切なものを傷付けられた(・・・・・・・・・・・・)かのように、傷付き過ぎて悲しみが怒りに転じたかのような雰囲気。だが……お前がナミさんを苦しめていたんだろうがと、そう思った時にルフィが言った。

 

 「お前……ナミの事……」

 

 その言葉に嘘だろうと思う。もしも本当にそうだとしたら、不器用にも程がある。

 ただ傷付けて、苦しめて、それでもただ傍にいて欲しかったと言うのか。それでも……手放せなかっただけなのだと、そう言うつもりなのかよ!?

 だがアーロンはルフィの言葉を鼻で笑うと、その両手を広げる。それは舞台の中心で歌う大御所のように、堂々とした物で……。

 

 「村の奴等を引き合いに出せば、どんな難題も受け入れて、軽々とこなしてしまう上に、抵抗もしない人形のような女だ。どんな拷問にも耐えるから、良いサンドバックにもなり得「黙りなさいアーロン!私はっ……!!」」

 

 悲痛な声が、慌てた様子が、その言葉が真実だと告げていた。知られないようにして、守ってきたのか。

 そんな状態にありながら、あんなにも穏やかに微笑み、周りを慈しんで来たのか。本来優しさってのは〝余裕〟の証拠だ。

 優しさは悪く言い換えれば、相手を哀れみ、同情し、自分より下に見る行為である。つまりは、自分に心身共に余裕があるからこそ周りに与えられる〝施し〟だ。

 ……だと言うのに、どうしてこの人は……こんなにも、自らを下に置いて居るのだろう。ここまで追い詰められて尚、どう生きて来たらこれ程に〝優しく〟も〝慈愛〟に満ちていられるんだ……?

 母は、身体が弱かった。だが、心が強い人だったと思う。

 ナミさんは、健康だろうと思う。そして、自らの許容量を超えた優しさを振り撒き、その結果傷付いているように思えるんだ。

 全く異なるようで、何処か似ているのは、どちらも〝優しい〟からか。それとも〝愛情深い〟からだろうか?

 

 「あァそうだな。ナミは村人の為なら何でも犠牲に出来る。自分を毛嫌う奴らの為に、命も体も心も全て捨て去れる。……だから、俺がそれを有効活用してやってるんだ。感謝して欲しいくらいだ」

 

 素直じゃないその言葉が、アーロンの中にあるナミさんへの愛情を滲ませる。こいつ、コレで褒めてるつもりなんだな。

 崩れ落ちないのが不思議な程に震えるナミさんには、その想いは伝わっていない。だが……それに同情する気にはなれねェな。

 マリモ剣士がバンダナを取り出して、頭に巻いた。そして、アーロンは漸くナミさんの様子に気付いたのか、驚きを示す。

 

 「ナミ……?震えてるのか、珍しい事もあったもんだな」

 

 その声が妙に甘い事に、ナミさんは勿論……恐らくは、アーロン本人も気付いていない。冷静さを失っている村人も、それは同様だろう。

 常に愛して来た女が、己よりもまず優先する存在を憎々し気に見据えたアーロンは、この優しさの権化に……愛されたかったのだろうとわかる。つまりは……それが初対面の俺にわかっちまう位には、アーロンにも余裕が無い。

 

 「安心しろ、ナミ。今さら手放すくらいならば殺してやる。2度と、俺の傍を離れられると思うな」

 

 盛大なる愛の告白。けれどもそれは、ナミさんには欠片も通じてねェな。

 顔色を無くして、震える少女。いたいけなその姿に、だが今支えに行くのは間違っているからと思い俺は前を……敵であるアーロンを見据える。

 

 「何をしても、お前は表情1つ変えずに従う。人形のようなお前が、感情を見せたのは……村人に関する時だけだ」

 

 恐らくは、ルフィに対してそうだったように、その冷たい魔女としての演技が崩れる瞬間があったのだろう。ずっと演じていれば、それが事実になる……人間ってのは、そう言う生き物な筈なのにな。

 悪人にも、魔女にも、演じる事はできても堕ちる事が出来ない気高い天使。大切な者を守る為に、その純白の羽根を赤く染め上げて、どれ程己の身と心を傷付けられても微笑む強さ。

 優しさを弱さではなく、強さと出来る尊さを……恐らくナミさんは分かってねェ。優しさを弱さと切り捨てて、奪うような奴等には永遠に到達出来ない高み。

 

 「お前と初めて会ったあの日、母親の為に激昂したお前は……恐ろしく強く、そして……美しかった。お前を助けに来た馬鹿な奴等が居なければ、恐らく相打ちだっただろう。もしくはお前の粘り勝ち」

 

 その言葉に何かが引っ掛かる。そして、はたと気付いた事により、息を呑む。

 おいおい、待てよ冗談だろ。その頃って……ナミさんまだ10歳だよな?

 それが、恐ろしく強く、美しいって……?

 惚れた弱味。痘痕もえくぼか?

 

 「それを負けに持って行った村人をお前は庇ったな。……そして、姉に手を出すならば、死んでやると言った。お前を助けようとした駐在にも死なないでと泣いたな。あの日だけだ、お前が感情を顕にしたのは」

 

 そんなにも前の事を、こいつは覚えているらしい。それも、鮮明に。

 こうなると流石に、頭がおかしいとしか言いようがねェな。なに、十歳に欲情してんだよ。

 

 「……そっか、私が演じきれなかったから……。なら、私の責任だわ」

 

 聞こえて来たその声は、凪を思わせる。魚人達が、ナミさんから無意識で離れようと道を作る。

 触れる事さえ許されない、気高い戦女神。そんな風に思わせる様子で、ナミさんは前に出る。

 その姿はあまりにも気高く神々しくい程なのに、鋭い気配は戦う者であると示す。息を飲んだ俺達の目の前で、蠱惑的に微笑んだナミさんが言葉を告げた。

 

 「アーロン、もう……終わりにしましょう。これで、楽にしてあげる」

 

 これに、惚れたのか。これを、愛したのかと艶やかな雰囲気で言葉を口にしたナミさんを見て、気付く。

 もしもこの空気を十歳にして持ち合わせていたのなら、俺も手を出そうとするだろうなと……そんな事を思うくらいには。全身が、心が、魂が、この人が欲しい……と、騒ぎ始めた。

 俺の心が、完全に堕とされた瞬間だ。その事実を俺はこの時、無意識の内に悟らされていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。