波間の向こうを目指して(新・本編side) 作:夢枕 七変化
村人達は迷い無くナミさんを迎え入れる。その様子に違和感は無い。
寧ろそうでなければ、違和感しか無いだろうと思う。愛し愛される彼女と村人達。
正しく相思相愛と言えるだろう。だが……妙な壁があるんだよな。
それは、愛を受け入れようとしないナミさんと、ナミさんを傷付け苦しめ続けていたと思っている村人達の心の壁。子供で居る事が許されない環境の中で、天才を超えて神童としか思えない状態にあったナミさんは、自ら子供でいる事を放棄したのだと分かる。
先程まで戦っている姿を見ていたのにも関わらず、俺は本当に彼女がアーロンとあんな戦いをしていたのだろうかと疑いたくなっていると気付く。直後に血の気を失ってなお笑うその姿に、若くしてその命を喪った母とその姿が重なる。
「ナミさん、君はいったい……」
何者なんだい。そして、どれ程の傷と苦しみと荷物を背負っているんだ?
あんなにも甘く優しく温かな笑みを浮かべて、愛情を振りまいておきながら……どうして自分はそれを受け取ろうとしないのか。俺に笑顔でお礼を告げるけど、俺は何も思考が働かない。
俺が何も考えずにした問い掛けに、ナミさんは静かに笑う。治療の邪魔にならないように動く事はせずに、ただ、儚く。
「いつもああやって戦ってたら、とっくに皆が殺されてるわよ。私はね、何をされても逆らわないで、でも〝生意気な人間の小娘〟であり続けたの」
その顔を見たくなくて、そしてきっと身体を起こしてるのも難しいだろうと判断してその身体を支える。軽すぎるし、柔らかいし、良い香りがするその身体。
動揺する俺に気付かないのか、ナミさんは静かに語る。〝人間に英雄を奪われた〟と〝その人間は海兵〟だったと。
それにより逆恨みされて、八つ当たりされて……。苦しめられて来たのだと。
ナミさんはそれをわかっていて……っ!いや、だからこそナミさんは全てを受け入れて許してしまっているのかもしれない。苦しめられたのが、ナミさんだけだったなら、きっと微笑みを浮かべてそれを受け入れちまってるだろうと理解出来てしまった。
そんな時ルフィが叫ぶように言った。剣術も、航海術も、料理も出来ない上に、嘘さえもつけないと。
何も出来ないと宣言するそれは、けれどもネガティブによる発言では無いのだろうと分かる。ならば、この発言の意図は……と考えて気付く。
これは宣誓だ。俺達に対して、己に対して、アーロンに対して……そして、何よりもナミさんに対しての。
「俺は助けて貰わねェと、生きていけねェ自信がある!」
あァ……これが、俺の船長か。近くて遠い、手がかかって面倒で……それでもいつかは、海賊王になる男。
「てめェにいったい何ができる!」
「お前を倒せる」
その答えを聞いて、俺は大声で笑いたくなる。こんな男だから、俺はついて行こうと思えたんだ。
夢を託して、共に進もうと決めたのは……これが理由。その男が求めて、愛して、なのに、愛を与えるばかりで受け取ろうとしない少女。
その少女は全てを理解して笑う。賢すぎるそれが、哀しくて、俺はどうしたらいいのか分からなくなる。
それなのに、笑う。絶望と呼ぶにも最悪と呼ぶにも足りない程の悲劇に見舞われながら、その中に今も居るのに……信頼を全身で示してルフィを見詰める。
それが眩しくて、悔しい。今、その身体に触れて、1番近くに居るのは俺なのに……。
「あのクソキャプテンもナミさんを手元から離さないだろうから、海賊にナミさんは支配され続けてるって事にならないかい?」
嫉妬……だ。俺は、ナミさんが傷付くかも知れないとわかっていて、あえて攻撃的な言葉を向けてしまった。
なのに、本当に当たり前のようにナミさんは笑う。恐らくは嘘偽り無くそう思っているのだろうと分かるその笑顔に、この人は甘いだけじゃなくて鈍いんだと痛感させられる。
「ルフィが私を支配とか、出来る筈……無いじゃない。ルフィはね、私の可愛い弟なのよ」
貴女にとっては弟でも、奴から見たら女でしかないでしょうね……とは、流石に言えなかったが。冷えすぎている身体をその言葉を告げられない代わりに抱き締める。
寄りかかるように言えば、礼を告げて力を抜くその無防備さ。その後ルフィ達の戦いは苛烈を極め、建物の中へとその姿を消し去る。
消えた二人は、その後音までも消し去られてしまう。余りの静けさの中、ナミさんは1人顔色を無くしていく。
何が起きているのかとザワつく人々の中で、ナミさんが1人立ち上がった。棒に掴まりながら必死でフラつく身体を支えている姿は、放置するなんて出来そうにない程に危うい。
そんな時、壁を突き破り飛び出して来たのは1つの机。それが下に到着し砕けるのと同時に、ナミさんの瞳から涙が零れ落ちた。
それを皮切りに紙が大量に降り注ぎ、ナミさんはその涙を止められないとでも言うように無言のまま涙を流し続ける。その姿を見て、気付かされた。
ルフィは今、ナミさんの心に住み着いている敵を倒しているのだと。アーロンだけを倒してもきっとこの涙は無かっただろう……と、言う事に。
「ルフィ……ありがとう」
静かに呟くように紡がれたナミさんの声は、ルフィ以外の仲間達に届いた。崩れ落ちる建物に向かい、駆け出すナミさんを抱き締めるように止めれば、ただひたすらにルフィと呼び続けるその姿が……妙に痛い。
女性の全てが大切で、愛しくて、尊いとわかっている。なのにどうして……と本当は分かってる筈の問いを己に問う。
分かってる。堕とされちまったんだって事は。
他に向けるのとは違う……別格の愛しさと庇護欲……。それと同時にナミさんへ向けちまうのは、間違いようのない征服欲と劣情。
俺は彼女を……自分だけのものにしたい。俺だけに微笑んで、甘く囁いて欲しいと願う心に気付かされて……息を飲む。
ルフィが大切にしてるのも、ルフィを大切にしてるのも知っている。入り込めない絆だって感じ取ってるが……それを理由に諦める事はまだ、出来そうにねェ。
戦いが終わり、ルフィはナミさんに仲間だと言い切る。それを受けて涙を落とすナミさんは……珍しく、年相応に見えた。
そのまま始まる宴の冒頭で、ナミさんに向けて歌われたそれは間違いなくナミさんを示していて、逃げたいと全身で訴えるその様子が可愛いと言ったら怒るだろうかと少し思う。そんな時、珍しい料理に驚けばナミさんが〝宝玉〟だとの話が飛び出して……。
色々合点がいった。そして、その事は魚人達に知られていなかったのだろう事も分かる。
……ナミさんが十億貯めたのだと聞いた時に、疑うべきだった。そんな大金を、子供が簡単に稼げる筈も無いのだから。
そんな事を思いながら、宴の中で当然のように提供される料理を食べてはレシピについて話して、歌うウソップを眺めたりして過ごす。その内にルフィの奴が、俺の食ってた生ハムメロンを食いたいと騒ぎ出して何処かへ消えて行くのを見送った。
……そういや、今までどこ行ってたんだ、あいつ?
姿見てなかったなとは思うが、何処かでなんか遊んでたか食ってたんだろうと当たりをつけて、俺は酔い醒ましも兼ねてメリーへと向かう。
俺がこの船に乗るのはこれが初めてとなる。この先コックとして乗船して行く以上は、間取りや備品の収納場所は勿論、食料庫の状態やキッチンの配置等は把握しなければどうにもならない。
調理設備やそれに伴う備品の位置が分からなければ、作れる物も作れなくなる。アイツらの居た船でコック不在だった事を思えば、虫の巣窟となってさえ居なければ御の字だろう。
必要なら食器の1部は、この島で買い直して行きたい。ナミさんの故郷だし、安く提供して貰える可能性は高いだろう。
恩を売るつもりは無いが、今回の件で融通は効かせてくれるだろう事は想像できる。そんな事を考えていたのに、船の中は驚く程清潔で……何よりも、調理設備やそれに伴う備品が大切に扱われていた事に気付く。
「今までは全部ナミがやってくれてた」
「全部って?」
「俺は殴るしか出来ねェし、ゾロは斬るしか出来ねェから、他は全部ナミだ!」
「は?」
「航海術もねェから、力仕事だけが俺達の仕事でさ!あ!洗濯は皆でやってたぞ!!」
そんな会話を思い出せば、ナミさんの苦労がわかる気がした。その上あの大食らいだ。
大食感と呼ぶにも食い過ぎだろう存在を思い出して、貯蔵庫も確認する。すると備蓄はされている上に、必要な処理は行われていたから本当に助かる。
そのまま船を見て行けば使用された形跡のない小部屋と、使用感満載の大部屋があり……まさかナミさんも、野郎共と1緒に寝てたんじゃないだろうかと不安になる。無防備にも程が有るだろうと胃が痛むのを感じながら、宝玉と共に旅に出られる奇跡に感謝していた。
その時自分がどんな顔をしていたのか、俺には自覚が無かった。それから1旦宴に戻れば治療をされた後らしいマリモを発見して、その肩を叩く。
「あ?」
「聞きたい事があるんだが」
「んだよ?」
「……ナミさんは、今までお前らと別で寝てたんだろうな?」
「は?……ルフィが離れなかったから、同じ部屋所で寝てた。それに……近くに居た方が守りや「ざけんな」んァ!?」
意識せずに低い声が出る。そんな俺にマリモも刀に手をかけて威圧して来るが、ここは退けねェ。
「巫山戯んなって言ったんだよ!!レディをケダモノ共と同じ部屋で生活させるなんざ、許されねェ!!特に、てめェら……風呂毎日は入ってねェだろ!!」
「は?んで、ンな事わかんだよ?」
「獣臭ェんだよ!!海に居て、筋肉質で、肉を好む奴等が毎日入らない場合特有の臭いだってんだっ!!」
料理をするに当たりどうしたって衛生面は気になる。そんな中で、臭いがあるのに脱ぎ捨てられた服が無かった現実。
四六時中臭くて汚いケダモノ達の飼育を余儀なくされ、その中で微笑む蜜柑の香りをさせる瑞々しいその魅惑的な肉体……。いつ食い散らかされても可笑しくねェ……!!
「女部屋に出来そうな小部屋を見付けた!!レディはナミさん1人だ!そこをナミさんの単独部屋にするぞ!!」
「……まァ頑張「行くぞ」あァ!?」
引き摺るようにマリモを引っ掴んで歩き出せば、初めは凄んで見せていても思い直したように頷いて着いて来た。その途中で見付けたルフィとウソップに宴を任せて、二人でナミさんの部屋を作る為に動き出す。
まずは荷物を出して場所を作る事からだと始めて暫くした時、顔を見せたナミさんが首を傾げて居るので、俺の描いた簡単な家具の配置図を見せればその表情が即座に引き締まった。それは玄人の空気で……本業だったとそれにより遅れて気付く。
「簡単な家具配置の予定図ですが、何か足りない物はありませんか?」
問い掛けながらも、何かあっても遠慮するんだろうなと思っていた。なのに……良い意味でそれは裏切られる事となる。
「……女の子が仲間に増える事考えて、もう1つベッドが欲しいわ。それと、本棚が足りないわね。……机も無いと困るわ」
鏡とか、化粧台とか、クローゼットとか、増やしてと言われるのはそれだと思っていたので少し驚いたけど……遠慮されなくて良かった。そんな風に思っていた俺は、笑顔でナミさんの部屋に家具をどう置くかと問い掛ける。
そこから話し合いは白熱し、賢すぎるその言葉に納得して肩を竦めた。守る観点から見ても、ナミさんの意見は正直助かる。
その中で宝玉である事を確認すれば、気恥しそうに笑うばかりで得意になる様子も見せない。それにしても……。
「怪我は、もう大丈夫ですか?」
「鎮痛剤飲んだから、大丈夫よ」
「それは、大丈夫とは言いませんよ……」
立ち去ろうとしたナミさんの腕を掴んでみても顔を顰めることも無かったけれど、それが薬によるものと分かれば溜息が落ちたのも当然だろう。それにしても……本当に警戒心ねェな、この人。
そう思ったのは抱き締めても抵抗もしないから。そっと名を呼べば顔が自然にあげられたので、その唇に触れるだけのキスを贈る。
それに驚きよりも呆然とした顔をするから、小さく笑ってしまう。そして言葉が自然と滑り落ちた。
「俺はナミさん専属の愛の奴隷です。いつでも使ってください。……ただ、時折ご褒美を頂けたら幸いです」
動揺するナミさんをその場に残して立ち去った俺は、まさかその夜……女神に抜ける事の出来ない沼にどっぷりと沈められる事になるなんて……少しも考えては居なかった。天才である自覚の無い女神は、家族を守る……その為だけにその能力を発揮していたと思い知る。
恐らくはこの先、彼女は俺達の為にその能力を当然として使うのだろう。なら、俺はそんなこの人を守りたい。
そうしてやる事を終えてから仮眠をとり、まるで当然のように宴へと戻った俺は、つい呑みすぎて……悪夢を見た。幼い頃の、絶望と孤独の夢。
夢だと分かるのに、身体もろくに動かせなくて……俺はただ、殴られ、閉じ込められて、救われる事の無い孤独に苛まれる。それでも、俺は、夢を諦めたく無いんだ……。
その時、夢の中で母上が頭を撫でてくれた。抱き締めて、大好きよと笑って……でも、これは夢だと分かってる。
わかってるのに……この温もりは本物だと分かり……不思議に思う。ふわりと俺を包むその温もりと共に感じられたのは、甘過ぎない優しい香り。
その香りに誘われるように、優しく暖かな物へとその夢は変わり……そのまま夢も見ない程に深く深く眠りに落ちる。目覚めた時、自らを包む蜜柑の香りに、あれが現実であると悟った俺の心は、ナミさんを求めて餓えて……暴れ出しそうになっていた。
俺達の旅は、まだ、始まってもいない。あがけばあがく程に深みにはまる愛の泥沼で、この先どれ程苦しむ事になるのか……俺はまだ、理解出来てはいなかった。