波間の向こうを目指して(新・本編side) 作:夢枕 七変化
演奏を辞めた私の代わりに、過去の私が演奏を続ける。そして、貝からの音も消えると周りからガヤガヤと、また歌おうと誘う声が聞こえてくるのです。
こんな賑わいを、幸福を、再び得られるとは想像もしていなかったのです。どう考えた所で、今の私では得られる筈もない奇跡だから。
「ヨホホホホ……」
笑っているのか、泣いているのか、自分でも分からなくなりそうで。ただ、枯れたと思っていたのに先程溢れたあの涙が、また溢れ出ないように笑ってみたのかも知れません。
思い出の詰まった、仲間の声。その歌が入った貝を、強く握りしめる。
「かつて仲間達と共に命いっぱいに唄った、この唄……。ルンバー海賊団〝最後の大合唱〟」
私の話の合間にも聞こえてくる笑い声。仲間達とは違う声でも、二度と得られないと思っていた幸福な空間。
麦藁帽子に手を置いて、笑っている少年。私の新たな希望、ルフィさんが目の前にいる奇跡のような現実。
「……暗い暗い霧の海を、一人さ迷った50年間……。何度、聴いた事でしょうか……」
貝の中にある暗い場所。私の目のように窪んだその場所は、見詰めれば肩を組み踊り明かす彼等が見える気がしています。
今でも、変わらずに中で唄う彼等。私も幾度、その中に混ざりたいと願ったか知れません。
「一人ぼっちの大きな船で……この唄は……唯一……私以外の〝命〟を感じさせてくれたのです。……しかし、今日限り私は、新たな決意を胸にこの〝<ruby><rb>音貝</rb><rp>(</rp><rt>トーンダイアル</rt><rp>)</rp></ruby>〟を封印します」
そうして頭をパカッと開いて、封印と言いながら片付ける。え、理屈的におかしくてそんな事をしたら下に抜ける筈……ですか?
……この海では、理屈なんてあってないようなもの。気にしてはいけません。
包帯を巻き直して、ピアノの音を鳴らす。音のズレが無い事を確認しながら、話し始める。
「ラブーンが元気で待っていてくれると分かった……。影も戻った。魔の海域も抜けた……!!」
「よっ!」
ルフィさんがまたもや器用に上に乗り、目の前で演奏を聞いてくれる。楽しそうに、聴いてくれるのです。
誰にも届く事など無いと諦めていた私の声が……唄が……届く。虚しく響く音色では無く、その音色に心を動かしてくれる人達がいる現実がある。
「この貝に蓄えた皆の唄声は……もう私が一人、昔を懐かしむ為の唄じゃない!!……これは、ラブーンに届ける為の唄!!」
自然と決意を込めた最後の言葉は強くなる。けれどもそれを、誰も咎めようとしない。
それどころか、早くなる演奏に合わせて歌い踊る人達がいる。私の事を喜んで受け入れてくれるのです。
「辛くない日等なかった……。希望なんか正直、見えもしなかった。でもね、ルフィさん……」
声が、詰まる。焦らせる事もなく、だからと言って無関心でもなく、話を聞いてくれるその姿が、私には眩しい。
「私!!!!生きてて良かったァ!!!!」
視線が、集まる。音が止んでも、責める事なく笑顔を向けてくれる人達。
その中で、気遣うような視線がある事に、私は気付いていました。甘く優しい彼女らしい……と思ってしまうのは、罪でしょうか。
それでも、言葉は止まらない。堰を切ったように溢れ出てしまう。
「本当に!!生きてて良かった!!」
「そらそうだ」
「今日という日が!!やって来たから!!」
ルフィさんの軽い相槌を受けて、私も軽い感じで問い掛けた。きっと、彼は拒まないでくれると信じられたから。
今なら信じられます。僅かな躊躇いもなく。
「あ、私、仲間になっていいですか?」
「おう、いいぞ!!」
そんな軽い入り方に皆さんが笑う。叫ぶ。
そして、驚く。けれども誰も、拒否も否定も、しないでくれた。
歓迎すると言って、胴上げまでしてくれる人達。念願だとまで言ってくれる、暖かな人達がいる夢のような現実。
宴の中、笑い合う仲間達。新たな始まり。
ラブーン……。私……引き返しはしませんよ!!
私達はずっと前を向いて旅をして来た……!!その道こそが、お前に到達する道だったから。
〝世界一周〟そのゴールにお前はいる!!
そうでしょう……?だから……私は戻らない!!!!
きっと、会いに行きます。待っていてください、もう少しだけ……。
心の中で、私はラブーンに話し掛け続けていた。その直後、聞いた事が無い筈の、ラブーンの野太い声が、嬉しそうな姿が、見えて……聞こえた気がしました。
無論、気の所為とは分かっていますが。それでも……嬉しかったんです。
自らの手配書を取り出して、床に叩き付けるようにしながら声を出す。これは、ケジメ。
「改めまして!!」
私の手配書に驚く声を聞きながら、膝をつく。この人に、ついて行くと決めたから。
私の残りの人生全てを捧げても構わないと、いいえ、捧げたいと願う仲間達に。覚悟と決意を乗せて……!
「申し遅れました……!!私!!死んで骨だけ、名をブルックと申します!!フダツキでございます!!」
私の長い挨拶をしっかりと聞いてくれる人達。遮る事もなく、最後まで……聞いてくれるその優しさ。
もう、喪いたくない。私の全力で、守り抜くと誓うから……どうか傍に……!
「通称〝鼻唄〟のブルック!!懸賞金3千300万ベリー!昔、とある王国の護衛戦団の団長を務め、その後ルンバー海賊団船長代理〝音楽家兼剣士〟<ruby><rb>今日</rb><rp>(</rp><rt>こんにち</rt><rp>)</rp></ruby>より、麦藁のルフィ船長にこの命!!お預かり頂きます!!皆さんのお荷物にならぬ様に!!」
下を向いたままの私に、皆様の優しい視線が集まるのが分かる。他所の海賊団も含めて、聞いてくれるそれに最後だけはおチャラけて見せれば宴が再開された。
けれどもその直後、ロビンさんが動き出してそれにフランキーさんが反応する。その様子を眺めていたら、ロビンさんは紙の束を数えるようにしながら歩み寄って来てその様子に首を傾げてしまう。
「渡すのか?」
「ええ、今渡すのが正しい気がするもの。ブルック、確認して」
そうして手渡された紙の束は、全て譜面。膨大な量のそれに、持つ手が震えるのを自覚して、思わず描いた筈のナミさんに視線を向けた。
けれども当人は分かってないのか、寝ているゾロさんに視線を向けるばかり。そうなってしまっては声が震える己ばかりが、情けなくて……。
「これ、は……」
「仲間になれば好きなだけ見て、演奏しても良い。そう言うお話だったでしょう?仲間になるだろうと思っていたから、持ってきていたのよ。麦藁の1味が世界に誇る天才作曲家の作品よ。とは言え、それでも半分に欠ける程度だけれど」
「これを……演奏しても、良いんですか!?」
「「「「「当然だ!!」」」」」
新たに仲間になったばかりの私に、神々が作りたもうたとしか思えぬ曲達が渡された。作詞作曲をできる天才が……己の価値を知らずに、優しく微笑む。
曲調も、歌詞の付け方も、使う楽器すらその曲ごとに違いすぎる。天は、二物も三物も与えたもうた。
感動をそのままに、欲望に逆らえず歩き出す。そしてツカツカとナミさんの前に歩みでる。
「ナミさん!」
「はい!?」
貴女に抱くこの感情が名を持つ事は許されない。肉体もなく、既に死した私には、これ以外の選択肢は無いのです。
騎士として、神々に愛されし巫女姫に最大限の忠誠と忠節を誓う為に、その指先にキスをする。穢れを知らない美しい奇跡のような貴女を、護らせてください。
「共に、演奏して頂けますか?」
「歌は、ブルックが歌ってね。流石に体力が持たないわ」
優しく微笑むその瞳に、仲間を想う切なさが滲む。だからそれに頷き、何かの時は必ず守ると心に誓った。
ルフィさんとは違う形で、敵さえも仲間にしてしまう。それはある意味で甘さが所以かもしれませんが、誇れる事でもあると思うのです。
「成程。それでは、少し練習兼ねて宴のバックミュージックを演奏してまいります。その後に、再びお願いしに来ますね」
「お待ちしてますわ」
過去に仕えた誰よりも、この人は美しい。そして、誰よりも哀しい。
ピアノを演奏しながら、知らない曲に心を踊らせる。そんな私の演奏に、皆さんが盛り上がってくれる現実。
生きて、笑い、喜ぶ。当たり前なんかじゃない、奇跡の時間。
ふと視線を向ければ、チョッパーさんに何かを頼み込んでいるナミさんの姿が見える。その手元を見れば、新たな曲を描いていると分かり、早く知りたいと思ってしまう。
貪欲になる。贅沢になっていくのを自覚しています。
それでも、止められません。貴女を、心が……いいえ、魂が渇望している。
捲っていく度に、想定外過ぎる名曲が飛び出して、これは売れて当然だと思い知らされてしまう。これだけの才能が、趣味だと言うのだから恐れ入る。
そうして何曲も演奏した後で、ナミさんの元へ演奏の途中に選んだ曲を手に向かう。真剣な顔でペンを動かすナミさんは、ピタリと動きを止めて頷いた。
新曲が完成したのでしょうか。是非とも見せて頂きたいと願うのは、この先の時間にしましょう。
私は今、輝く未来が約束されているのですから。こんな奇跡のような贅沢な時間が待っているのだと知っていたら、きっとそれこそ待ち遠しくて焦がれすぎて、私の心はもたなかったでしょう。
「ナミさん」
声を掛けると、少し幼い顔で私を見詰めてくれる。気を許してくれてるのだと分かれば、それだけで心が暖かくなります。
ああ……彼女は本質が幼いのでしょう。それ故に、甘く……優しい。
「曲を選びました。共に、演奏して頂けますか」
小さく頷いて、手を出すから選んだ曲を見せる。すると頷いて、譜面を返して来た。
つまり、覚えて……いや、暗譜しているのだろう。これだけの種類の曲を生み出しているということを思えば、素晴らし過ぎる記憶力と言う他ありません。
そうしてナミさんはドラムの前に腰を降ろした。優雅な見た目の楽器が似合いそうなのに、彼女は激しいと分かる楽器を迷い無く選んでくれる。
本当に、優しくて、暖かな人達。だからこそ私は、感情の一部に蓋をする。
誰も幸福にならない。誰も、報われない感情は不用なのですから。
私の好きなタイミング出良いと、瞳で告げるその強さ。その信頼を、私が裏切れる筈は無いでしょう。
雫と名付けられた曲を、この場にそぐわない可能性を分かっていて奏でる。それを、誰も咎めずに居てくれるのは本当に、ありがたい。
「ワン、ツー、スリー、フォー」
船長にも、見せたかった。聞かせたかった……そう、願ってしまうのです。
贅沢過ぎる、我儘すぎる願い。それでもきっと、共に旅して来た半数の仲間達にはこの曲を聞かせてあげられるのだと信じて……演奏する。
「ーーー」
常に傍にあった筈の影を、仲間達に続いて失った。仲間達と共に歩んだ日々は、その記憶は、擦り傷のようには消えてくれないのです。
「ーーー」
月さえ見えない霧の中。影を取り戻そうと足掻いて、アフロだけはと泣いたのも決して遠過ぎない過去。
船の歩みに合わせるように、夜光虫が着いてきて何も出来なかった一日がまた終わるのだと気付く。終わりの見えない、苦しいだけの孤独な日々。
「ーーー」
私が居なくても、仲間達が居なくても、この星は回り続けている。それでも、仲間達と影を失ったその日から、私の朝はやって来ないのです。
ラブーンが待っている。いいえ……待っていてくれる可能性がある事だけが、私を繋ぎ止めていたのですよ。
「ーーー」
草むらで転げ周り、影を取り戻す為に暗くて怖いゾンビだからけな森の中で眠った。何度かゾンビと争ってみたりしたけど、それは全てラブーンに会うと言う約束の為。
「ーーー」
それが叶わないと思い知った時、私は全てを無くしました。ラブーンも揃っていた幸福なあの日々は、擦り傷のようには消えてくれないのです。
他に間奏と呼べるところの無いこの曲。私の事を心配そうに見つめながら、演奏しているナミさんに、できない事は無いのだろうかと考えさせられる。
きっとこの曲は、この場にいる影を奪われていた殆どの人達の心に強く響く。そう言う奇跡のような曲を、簡単に生み出し誰にでも演奏していいと言える心の広さが、奇跡と言える気がするのです。
「ーーー」
影を取り戻し、喪われた仲間との誓いを果たす。そればかり考えていました。
時の濁流に押し流されて、自らの存在意義を失わない様に。存在する事を、誰かに許して欲しくて。
「ーーー」
思い出は何も語らず、独りである現実を突き付けてくるばかり。縋り付く宛さえ、既に私には残されていないのです。
涙は残っているのか、そう思った時、残ってなんていなかったと気付かされてしまう。きっと、ラブーンに会える事はないと、最後の雫を落としたつもりになった。
「ーーー」
そんな日々が突然弾けるように明けた。光が飛び散り、期待に胸が踊る。
たまらず逃げ出そうとしたけれど、追いかけて来て包み込む光の中、目の前には優しさと希望を凝縮した〝新たな仲間達〟がいました。それは同時に哀しみと痛みも与えましたが、それでも私には、幸福なのです。
「ーーー」
頼りにしていた仲間達の声が入った音声貝は、今やもう必要無い。浴びる事を許された太陽が、私達を優しく照らしてくれるのですから。
「ーーー」
これからは仲間達と共に、我等の天使を護りながら、希望の太陽と共に歩いて行きます。二度と大切なものを喪わない為に、私も足掻くと決めました。
そうして残りの演奏を終えると、ナミさんは一人去ろうとする。そこへ質問を投げかければ、不思議そうに小首を傾げた。
「ナミさん、この曲は〝ルフィさんを太陽〟として作曲したのですか?」
「……違うけど、結果的にそう思えるわね」
つまりは、実体験を曲にした訳では無いのだと理解する。けれども、直後に見せた憂いの顔はまだまだこの程度では足りないと己を責めているようで……。
これ以上、何処まで登るつもりなのでしょうか。そんなに
「ナミさんは、歌が……お好きですか?」
「え?……えぇ、好きよ。下手の横好きだけどね」
「……歌が好きで、作詞作曲をする音楽家なのに、何故航海士なのですか?」
過去に何があったのか、苦しそうに瞳を揺らして、そっと左肩に触れる。その動きを見ただけで、若いお仲間の皆さんが、心配そうにナミさんに視線を固定した。
小首を傾げ、笑うそれが、あまりにも完璧過ぎて。まるで人形のように、感情をこちらに伝えて来ない。
「ブルックは音楽家で、剣士でしょう?私は、航海士であり測量士。それ以外の事は、生きる為に必要で覚えた物なのよ」
趣味でしかないのだと、趣味を持てただけ幸福なのだと、言葉にせず彼女は笑う。そうしてロビンさんの持つ譜面の束から、私に何枚かの物を選んで渡すのでそれに視線を向けた。
それは、宴に合いそうな明るい曲や、海賊が好みそうな冒険への活力に満ちた曲。こういう物も描けるのかと思えば、感動しつつ演奏をしたくなるというものです。
そうして演奏が始まれば、宴は宴らしいものに戻る。そんな中で、私のすぐ傍に来たナミさんが懺悔するように言葉を紡ぐ。
私の過去を知っている事、そして、自分自身もルフィさんに救われた事を。それは簡単な説明でしかなく、どんな海賊がどのような形でこの人を苦しめたのかは伝わらない。
それでも、ただ優しいだけの、甘いだけの少女ではなく、悲しみを知り、苦しみと絶望を生き抜いた先でもこの柔らかさを失えなかった人なのだと知らされる。……だから、皆が守ろうとしていたのでしょうか。
「ナミさん。私は貴女が……愛しいです。けれど、貴女の負担にならぬ様、父や祖父のようなその位置から、そっと護らせてください。貴女の笑顔を守る事だけ、許してください」
この言葉は届かない。届かないように、音に消えるような声で囁いたのですから。
何を言ったのかと聞き返さない代わりに、そっと首を傾げたナミさんは、聞いていない言葉に返事をするように笑う。優しく、穏やかに。
「ナミさん」
今度は、届くように声をかける。ちゃんと伝えたい事だから。
生きる事を諦めて、客観的になり過ぎているが故の懐の広さ。それは既に菩薩の領域でしょうが……それは、哀しい事なのだと知って頂きたい。
「自分を責める必要はありません。貴女は、美しい。その身も、その心も、眩しい程に」
「ありがとう……」
儚く微笑むナミさんに、私はそれ以上何も言えない。そのまま休む為にと去って行くナミさんに、皮膚が無い為に伝わらないと分かっていながらも笑いかけて、演奏を本格的に開始した。
楽しく、幸福で、少しだけ胸の痛む宴は……始まったばかり。宴の幕引きまで、演奏を続けようと全力で初めて出逢う曲達にチャレンジし続けていた。
「ヨ~ホホ~、ヨ~ホホ~ホ~。ヨホホホ~、ヨ~ホホ~ホ~」