波間の向こうを目指して(新・本編side) 作:夢枕 七変化
暇潰し
暇潰しになるかと1応は〝最強〟の名を持つ海賊団に剣を向けてみたが、割れた船で逃げて行くばかり。向かって来る気概さえ見せぬとは、何とも詰まらぬと思いながらも他に暇潰しの当てもない。
赤髪もここ
グラスを傾けそろそろ海に沈めて帰るかと、1度は見逃した海賊団を思う。あの程度で最強とは、本当に東の海は最弱だと痛感する。
海賊としても低俗な部類であり、装備も貧弱。それでもあの脆弱な装備に頼った戦法で最強となったと言うならば、何1つあの海賊団に価値は無い。
船に乗り無駄に目立つ船を追い掛け、ふたつに割った所で戦いを望む弱き者。到着の直前にすれ違った愛らしい船首の船は、この弱き者達の物であったらしいと会話から推察できるが、船さえ守れぬとは既に海賊を名乗る資格さえなかろう。
だが、弱き者と思っていたそれが期待出来ると思えばこそ、あえて生かした。後に俺の前に強き者となり、立ちはだかるのを待とう。
既に最強を名乗る海賊団に興味は無い。ロロノアとその船長だけで、これらに勝ち目は無いだろう。
そしてもし、ここでロロノア達が負ける程度ならば俺の目に狂いがあったとなるだけの事。だがあの帽子……成程、赤髪の言っていた〝未来への希望〟かと笑いつつ帰路につく。
定期的に政府に報告せねばならぬのが面倒ではあるが、それを行う為に島を目指していた。その時、突然女の声が響いた。
「そこの小舟!駄目!その先の海は今渦を巻いてるから、その船だと沈むわよ!」
凛としたその声に従い船を止めると、声の主に視線を向けた。するとそれは、思っていたよりも若い女であり、俺の姿を確認すると同時に血の気を失せさせたその表情により、俺を誰だか理解しているのだとわかる。
東の海だと侮っていたが、それなりに情報を持つ者も存在していたか。これだからこの海は侮れぬ。
「娘、情報感謝する。そうなるとこの近くに、島は他に無いか?」
俺の問い掛けに娘は1瞬考えるような素振りを見せる。それから理知的な瞳で真っ直ぐに俺を見返して来た。
「……目的によって変わります。島へ向かう目的は?」
「酒と食事と休息」
即座に返した俺に娘もまた迷う事なく返答して来る。何を返されても大丈夫なように、脳内で情報を整理してから問い掛けてきたのだろうか。
「それなら、ここからならローグタウンまで半日って所ですね。案内は必要ですか?」
懐かしい名を聞いたとふと笑いそうになる。
俺が少し考えている間に娘もまた、何故か懐かしいものを見つめるように俺を見ている事に気付く。……いや、俺を通して別な何かを見ているのか。
「……案内して貰えると助かる」
俺を見ろと、そう言いそうになるのを抑えていたら気が付いた時には、口が勝手にそう答えていた。けれども俺の動揺に気付かずに、娘は冷静に船を繋げと言い出す。
他の船員に許可を取らない所を見れば、幹部か船長なのだろうか。旗は海賊旗である事と、船の造形を見れば1人とは思えぬが。
「うむ。感謝する」
船を繋いでから他の船員にも挨拶くらいすべきかと船に乗り込めば、人の気配がしない。そんな馬鹿な事が有り得るかと、船内を見て回る俺を娘は止める事無く自由にさせる。
そして、いくら見て回ろうとも、覇気で探ろうとも誰1人居ない事が真実として俺に突き付けられる。どうなっているのか。
俺の視線に気付いていない筈も無いだろうに、呑気なのか警戒心を持たぬ生き物なのか。甲板に腰をおろして様子を伺えう。
若いその女は、真剣な表情で海を見据えていて、それはまるで海と戦っているように見えた。その横顔に何故か惹きつけられる。
「娘、この船は1人で使っているのか?」
「……今はそうね。この船、盗んできた物だから」
今、けったいな単語が聞こえた気がしたが……聞き間違いか?
確認の為に復唱してみれば、海賊専門の泥棒だと娘は笑う。清々しい程に晴れやかなその表情からは、俺も海賊なのだと言う事に対する気概を感じ取れない。
どうやらこの娘の中で、俺は海賊では無いらしい。もしくは、狙う気にならない何かがあるのか。
俺が笑うと娘は何故か、不思議なものを見るように俺を見る。だが不思議な存在なのは、俺よりも恐らくはこの娘の方だろう。
船の上ではためく旗は、先程相手にしたロロノアの船長としか思えぬ。ロロノアの苛立っていた様子を思い出せば全てが繋がる。
「……裏切ったのかとロロノアが騒いでいたのは、貴様の事か」
「あら、騒いでたの?小さい男ね」
娘はニンマリと微笑んで見せたが、ほんの僅かにその瞳に痛みを宿らせたのを見逃してやれなかったのは癖のようなものだろう。普通なら騙されるだろう妖艶な笑みさえ、演技だとわかってしまえば、その精一杯の虚勢が可愛いと思えてくる。
笑う俺を不思議そうに見た後は娘は、海を何処か愛おしそうに見つめている。それは1枚の絵画のようにさえ思えて、心に突き刺さった。
「このままだと到着は夜になるけど構わない?それとも朝着くようにこの辺で泊める?」
海を見れば海域的に安定しているのがわかり、問われた理由に思い至る。それでも急ぐならばと、夜の航海を行う事を厭わぬその精神に、これの仲間は随分と幸せだなと思う。
だが、無理をさせるつもりはない。俺は助けられただけで、本来十分過ぎる恩を受けている。
朝到着するようにと頼めば、娘は希望の時間帯を聞いてくる。海でそれを問えるだけの技術をこの歳で持ち合わせているのかと思えば、深い溜息がこぼれそうになる。
これは道具としても価値がある。……これまでどうやって、無事に生きて来たのか。
狙われた事も、1度や2度ではあり得ないような能力だろうと分かる。更に容姿も悪くない。
大人しく休んでいろと伝えれば、すんなりとそれに従うのは、意味を理解していないのでは無く、理解した上での事だとわかる。小さく苦笑して見せた娘は、随分と大人びた表情で、幼い子供を気遣うような雰囲気を醸し出し俺を見ている。
それからすぐに娘は船内に姿を消すが、その直後に俺に声をかけてきた。気負いのない様子で。
「……食事とお酒、いかがです?」
「貰おう」
頷いて立ち上がれば娘は当然のように食事のセッティングをして行く。果物なども用意されており、ワイングラスは伏せられている。
その手際の良さにコックかと娘を見れば、シーフードパスタだと言う。それに多少の動揺をしながら席につけば、ワインボトルの口を開ける事なく差し出された。
その瞬間毒は無いとの意味だと気付き、これはコックでは無いなと気付かされる。この娘は何者なのか。
俺の視線に気付いていながら、気にした様子も見せずに娘は食事を続ける。その手つきは美しく、洗練されており貴族かと思う。
「……何も仕込んでないから、大丈夫よ。それとも野菜?今は無いから果物で我慢して」
「いや……主が作ったのか」
毒を疑っていた訳では無いので、そう問い掛ければ娘は呆れたような眼差しで俺を見る。そしてそれを肯定してくるから、俺は無言で頷く事でそれに応える。
食事は思っていたのとは全く違う味付けで、だが確かに美味い物だった。目の前に座る娘はいったいどういう存在なのかと見つめても、答えは出そうに無い。
食事を終えた俺がワインを口にしていると、娘は当然のように食器の片付けを開始した。その手を無意識に掴めば、微かにその眉を寄せて不快感を示してくる。
「……主の名を聞いていなかったな」
思わず言い訳のように口にした言葉に、動揺したのは寧ろ俺の方だ。それに娘は自分も聞いていないと嘯く。
名を知らぬ筈はない。それでも俺が名を名乗れば、娘も俺に名乗り返した。
手を離せと言ったナミの手首は、恐ろしく細い。力を込めれば、恐らくは簡単に砕けるだろう。
その事実に寒気に似た何かを感じて、その手を離せば幻のように消えてしまう。正確には、少し離れて作業を開始しただけだが。
そうして離れた先で食器を洗ったり、新たなツマミを用意したりと細々と動き続ける。貴族にしては、働き過ぎであるし、優秀過ぎる。
目の前に置かれたツマミは、俺が好んでいた物で、当然のようにナミは笑いかけてくる。この無防備さは、いったい何なのか。
己も席に戻ったナミはワイングラスに手を伸ばすから、ワインを向けてやれば当然なものとしてそれを受ける。どうやら慣れているらしい。
笑顔で礼を告げるナミは、人形のようにさえ思える。そんなナミは俺に自分の船で寝るのかと問いかけてくるから、試すように泊まりたいと言えば簡単に受け入れられた。
それから視線だけで少し会話をして、頭は悪くないと知れば余計にこの無防備さが目立つ。それとも、誘われているのか……?
「警戒心は無いのか、娘」
「……貴方が何かするつもりなら、抵抗したところで無駄な足掻きだと判断してるだけよ。それに……」
当然のように答えたナミは言葉を不自然に止めると、揶揄うように、試すように妖艶な笑みを浮かべてみせる。男を手玉にとる事に慣れた娼婦でも、ここまで挑発的な表情は中々に見せはすまいと思う程に。
「こんな小娘に手を出す程、飢えてるようには見えないもの。……モテるでしょ?」
俺はそれに応える事なくただ笑う。通常であればまだまだ手を出したくなるような年齢に達していない小娘である事は確かだが、ナミに限って言えばその体を貪りたいと思わされる。
俺の視線を軽く受け流してナミはワインをまだ呑むかと視線で問い掛けて来た。本当に賢い女だと思いながら、首を横に振ればそれだけで会話も駆け引きも終わる。
片付けをしている合間に、時折こちらに視線を向けたナミが感心したように俺の手元を見ているから、何の気なしに剥いていた果物へと視線を向ける。これが好きなのかと考えて、意外と金額の高めの果物だったかと思い出す。
礼と少しの悪戯として通りすがりのナミに口移しで果物を押し込めば、反応が思っていたのとは違いウブであった為即座に解放する。この反応が演技だとするならば、男を煽る天才だなと思うが、それにしては多少の違和感はあるな。
本当に初物であるとは、この容姿とこれまでの言動から思う事は出来ないが、意外と慣れていない可能性もあるかと思う。食事の礼だと嘯く俺に、ナミはその瞳に怒りを乗せて見据えてくる。
「ハイハイ、ご馳走様。でもね……おいたはしないで貰えると助かるわ」
言葉と共に立ち上がり部屋を出たナミは、既に口移しで果物を食させた時のウブさは無くなり、男あしらいに慣れた美女の様相となっている。少し風に当たろうと表に出れば、ナミは男が船にいると言うのを気にしてない様子で風呂上がりの姿を見せた。
その様子を見ていれば、何やら考えているのか俺に気付かずにメモに何かを記載し始める。近付いて見れば俺に視線を向けて来たものの、俺を見ても少し不愉快そうに眉を寄せた他は変化も無くメモにすぐ意識を向けてしまう。
チラリと確認してみれば、どうやら俺に教えた渦の事を書いている様子で、ナミは航海士か測量士、はたまた操舵手らしいと気付く。料理は他に作れる者がいない為に行われたのかと思えば、クオリティの高さに多少の驚きを覚える。
手元は器用にメモを取り続けているのに、髪からは雫がポタポタと落ち続けており、その雫が首を伝い胸元へと落ちていくのを見れば溜息の1つも吐きたくなるというもの。思わず肩に掛けているタオルを奪いその頭を拭けば、柑橘系の香りを強く感じる。
微かな動揺をする俺よりも、盛大に動揺して見せてくれるナミに大人しくしろと言えば、少しの戸惑いを残しつつ礼を述べるナミの素直さに笑いそうになる。長く艶やかなその髪は、いつまでもこうして弄っていたいと思わされ掛けて……呆れを前面に押し出したような声を響かせる事でそれを誤魔化す。
それに対してナミは少し不満そうな様子で、けれども礼は告げる律儀さが何とも言えぬと思う。その直後真剣な表情でメモを見つめながら、髪を適当にとかしているのを見れば、折角美しい髪だと言うのに勿体無いなと少し思う。
真剣なその姿は知的でありながら、何処か歴戦の勇者のような風格を見せる。御し難いジャジャ馬の方が、剣にしても女にしても抑え込んだ時の満足感もあり好みではあるが、これは無闇に触れる事を躊躇わせる何かがあるな。
……俺も焼きが回ったか。小娘1人になんてザマだ。
暫くそうしていれば区切りがついたのかナミは俺に言葉を投げかけてから、足早に通り過ぎて寝室へと向かう。その姿を見送って暫しの時を過ごしてから様子を見に行くと、部屋に近付いただけで半覚醒になるその気配に成程と思う。
歴戦の戦士と同格かとナミのそれに感心しつつ、風呂を借りる事にする。用意されている洗剤類の種類の多さに何事かと見て見れば、ナミが使っているだろう物を発見しそれを試しに使ってみた。
己から慣れぬ香りが漂う事に違和感はあるものの、その状態で寝室に向かえばナミは熟睡している様子で無防備な姿を晒す。この香りを纏う者に敵はいないとでも言うかのようなそれに、小さく苦笑してから俺はナミのベッドに入り込む。
髪を撫でようと、ベッドに入り込もうと目覚める気配のないナミは、それどころか甘えるように擦り寄って来た。眠っている為に少し高い体温が、何とも言えない気持ちを抱かせる。
「お帰りなさい」
少し舌ったらずな、寝ぼけた様子を隠さないナミの言葉に俺は小さくただいまと返して、その体を抱きしめて眠る。それが意外にも安眠効果の高い存在だと気付かされるのに、時間はかからなかった。