波間の向こうを目指して(新・本編side) 作:夢枕 七変化
覇気で居場所が分かっていたた為来てみたが……天夜叉とも知古であったのか?
顔の広い女だと思い視線を向け、その表情から知古であったとしても苦手としているらしいと知る。完璧な程に美しい笑顔の仮面は、それ故に苦手と思っている事が伝わる。
俺に気付いたらしいナミが立ち上がり、俺の名を呼ぶ。小首を傾げるその仕草に、この無垢な生き物をどうしたら良いだろうかと考えさせられる。
「ナミ、天夜叉と共にいるとはな」
「絡まれてたのよ。可愛いって罪よね」
「そうか。だが、俺が先約だ。天夜叉には引き取り願おう」
どうやら本気で言ってるらしいと分かる可愛いの言葉に、確かに可愛い顔立ちだがその肉体で美しさでは無く可愛さを理由にするのかと、少し笑いそうになる。そのアンバランスさが危険なのだ。
だからこそ、仕方あるまいと守る為に言葉を口にすれば天夜叉は嫌そうな声を出す。だが、そもそもナミに手を出す許可等俺は誰にも与えた覚えは無い。
「今宵もナミと褥を共にすると約してある」
「……そんな話初耳よ。と言うか、誤解を招く言い方しないで!」
助けてやろうと言うのに、何故か抗議してくるナミに、少し揶揄ってやろうかと思う。だが同時に天夜叉には見せなかった幼い表情が、信頼の証なのであれば……それをもう少し堪能したいとも思うのだから、判断に困る。
「昨夜のナミは可愛かったが?今朝も、遊ぶなとその事で俺を叱っただろう」
「……っ!だからっ」
その時グラスの割れる音に反応してナミが俺から視線を外した。……ずっと、俺だけを見ていれば良いものを。
その時何を思ったのかナミはフラリとその身を移動させ、楽器の元へ向かう。細くしなやかな指先が楽器の上を滑るように移動する。
小さく音が鳴り、どうやら演奏でもするつもりらしいと知る。そして、鈴の鳴るような愛らしい声で曲の題名を告げた。
「『soundless voice』と『proof of life』2曲続けてどうぞ」
そう言って演奏するナミは何処か神々しく、欲しいと素直に思わされる。アレを手元に置いておきたいと。
「ーーー」
低い声がナミから聞こえて来た。あれもナミの声なのかと驚くが、そんな事は関係無いとばかりに弾きながら歌うその姿に魅入られる。
「ーーー」
天夜叉が隣で呻くような声を出した。それは戸惑いに満ちていて、恐らくは俺の方が動揺してるだろうと思いながら何も言わずに置く。
「ーーー」
ポーン……と、音が鳴る。その時店内に客が集まって来たのが分かり、1瞬斬り伏せたくなった。
ナミの何もかもを、誰にも見せたくないと、そう思わされた。仕方あるまい、と自分に言う。
「ーーー」
歌に想いを込めているであろうナミを見て、惚れてると認める他あるまいと、静かな気持ちで見つめる。ナミは1人のようであった、暫し付き合ってやって、それから俺と来るように話しても良かろうと、時間をかけて振り向かせようとそう思えた。
「ーーー」
苦しそうに歌うナミのそれを聞きながら、その瞳を見て愕然とする。何故、彼岸を見ている……?
「ーーー」
彼岸をその瞳に宿しながら、愛しい誰かを想うような表情で、少年のような声を響かせる。……ナミ、主は何を背負い隠している?
「ーーー」
俺の傍に来い。全てから守ってやる。
助けを求めるならば、助けてもやる。だから、彼岸をその瞳に宿すな。
「ーーー」
死を望んでいるとしか思えない瞳が、時折微かに揺れる。遺す事に対して怯えてでもいるかのように。
「ーーー」
遺される事に慣れてしまったかのような瞳で、壊れそうな心を必死に支えているのは無駄に高いそのプライドだけか……?
「ーーー」
そのまま間奏に入ったのか、店内にザワメキが起きる。誰もナミの歌を邪魔しようとはしない。
「ーーー」
そうしてまたナミが歌い出せば静かになる店内。今この場を支配しているのは、七武海が2人もいて、そのどちらでもないただの小娘と言う真実。
「ーーー」
愛しげに頬を緩めて、誰を想っている?
せめてその相手が、家族であれと祈る俺は滑稽なのか。
「ーーー」
俺の半分にも満たないだろう歳の小娘を、俺は今本気で求めている。これまでに感じた事のなかった、安らぎを心が求めているのだと分かる。
「ーーー」
悲痛な歌声は、その彼岸を宿す瞳故に痛々しい。それでありながら、世界を、人を恨む事のないその心が眩しい。
「ーーー」
真剣な表情で前を見るその横顔は、勝てない敵に挑む前の戦士のようで、1人で殿を努めようとしているのだろうと思えば、多少では無い苛立ちが募る。……何故目の前にいる俺を頼らぬのだ。
「ーーー」
再び間奏に入る。人々の喧騒が聞こえて、それによりナミは少し力の抜けたような顔をした。
そして僅かに心を遺すような、そんな空気を感じてしまう。……もういいと、独りで抱えるなと言いたくなるのを耐えるしか出来ぬのが悔しい。
「ーーー」
達観した坊主のような雰囲気でナミはまた歌い出す。何処か嬉しそうに微笑みながら。
「ーーー」
その直後、ナミは先程の微笑みは何だったのかと問いたくなるような声で叫ぶようにあー!と歌う。絶望を宿したその声は、光を見失っているかのようでさえある。
「ーーー」
泣いていない事が不自然なような雰囲気で、その先は歌われていく。懺悔するように、祈るように、歌声は響く。
「ーーー」
長く続くその歌に、俺の意識はその歌声から切り離され、ただナミの姿に終始するようになる。彼岸を宿したその瞳は、明らかに誰かを想っている。
その想っている相手が俺では無い事がわかり切っていて、それが苛立ちを呼ぶ。その上誰かをそこまで想いながら何故か何も受け取ろうとはせずに、死を望むようなその態度にそれ程に望むならば叶えてやろうかという凶悪な考えが脳裏にチラつく。
「ーーー」
いつの間にか声は少女のそれに変わっており、可愛らしい声に見合わぬ悲しげな歌声が響く。慈愛に満ちたその声は、犠牲になる事を多少なりとも厭わぬと伝えている。
自嘲的な笑みを浮かべて、絶望をその身に宿して、それでも希望を求めて足掻くようにその声を震わせる。もしも、本当に要らないというのならば、それを貰い受けて何が悪いだろうか。
要らぬと言うのならば、それを俺のモノにして、何の問題があると言うのか。それをすれば今向けられている信頼は壊れて消え失せるだろう事を分かっていながら、俺はその衝動を抑えるすべを見つけられそうにない。
「ーーー」
自らの死期を悟った獣が、その姿を隠すように静かに消え行こうとするのを止めて、それを喰らう事は罪だろうか……?
否、そのような筈は無い。ナミ自身が要らぬと言うならば、全て俺の物にしてやろう。
「ーーー」
死は救いとはならぬのだと、ナミに教える事もまた年長者たる俺の役割だろうと、言い訳がましく考える。いつの間にか、歌は終わろうとしていた。
その歌が終わったならば、俺はナミを手に入れよう。俺は、惚れた女が死にゆこうとするのを、黙って見ている趣味等持ち合わせては居らぬ。
「ーーー」
例えナミが他に誰かを想っていたとしても、辞めてやるつもり等無いのだ。既に、俺は視線で狩りを始めているだろう。
狩られるしか道が無い事に気付けぬ兎は、愛らしい姿を無防備に晒し自らを狙う鷹に信頼を寄せる。狂気の時は、満ちてしまっているのだと言う事に、兎だけが気付かない。
「ーーー」
歌声は余韻を遺して消え失せ、指が楽器から離れる。拍手が鳴り響き、ナミは作り物めいた笑みを浮かべてお辞儀をして見せる。
そして無防備に近付く兎は愛らしく言葉を紡ぐ、自らを歌姫と称して。歌姫とは……都合のいい。
本来舞姫も歌姫も、男の腕の中でそれをする為に存在しているのだ。ならば今宵は、俺の為に歌ってもらおうか。
逃げようとするナミの腕を掴み、細過ぎるそれを砕かぬよう注意しながら、死を選ぼうとする愚かな兎を喰らうとの決意を叩き付ける。それに小さく身を竦ませながらも、疑う事を知らぬ様子で俺を見つめて来るのだ。
「俺と、今宵は約していただろう。1人で彷徨くな。……歌姫?」
俺の言葉に反応した天夜叉を軽く睨めば、それを気にしたふうもなく立ち去る。混乱し過ぎてろくな反応も出来なくなっている兎を腕に抱いて、俺はナミの船へと足を進める。
狩りは終わった。この後はただ、食すのみ。