波間の向こうを目指して(新・本編side) 作:夢枕 七変化
届いた招待状を眺めて、不幸の手紙とやらを連想したのは送り主が天夜叉だからだろうか。だが、自分で何かを作ったりして食べる必要も無い招待客と言う楽な立場も、たまには良いかと怠惰な気持ちが頭を擡げる。
最近少し赤髪関連で疲れていたのも原因であろうか。俺は少し、何も考えずにのんびりするつもりで船を進めた。
その後に起きる騒動を知らなかったが故の選択だった。だが、もしこの未来を知っていたとして、俺はそれならば……と考えれば、望んでこの場に向かっただろうと思い至る。
望まぬ再会と、望んだ再会とが待つ1つの船へ向かい、俺は波間を割って先へと進み出していた。到着した船に乗り込むと、即座にその船の主が俺を出迎えに現れたので、視線を向ける。
「本当に来るとは思わなかったナ」
「帰れと言うならば、帰るが?」
「言わねェよ。すぐに部屋を用意させる。……となると、他にも珍客が有り得るか」
「……今の情勢を思えば、そういう事も起こり得るだろうが、何とも言えぬな」
独特な笑い方をする男のそれを必要以上には聞きたくなくて答えれば、サングラスをしていてもわかる程にわかり易く驚きを示される。……天夜叉は元来、素直な生き物なのやも知れぬな。
俺の身近に居るのは、そういう意味ではわかりやすい者が多いなと小さく笑った時、天夜叉が俺を睥睨している事に気付く。そんな事をされる謂れは無いと思うがな?
直後、部屋の用意が出来たと言われ歩き出した所で声が掛かる。普段ならば無視しだろうが、その時に含まれていた名に反応してしまった。
「ナミとは、その後どうだ」
「……主には、関係あるまい。それとも、同じ女を抱いたから兄弟だとでも言いたい訳か?」
「ンな、気色の悪ィ事ァ言わねェよ。だが……鷹の目がナミの恋人とは思えなくてな」
その言葉に、苛立つ。それは天夜叉とて同じであろう。
寧ろ体格差を考え、その性格を考えれば……良くぞナミは生きているものだ、と思って当然とも言える。そうなれば当然の事として、良い印象等ある筈も無い。
「主が犯した事で、心が壊れているという様子は無かった。寧ろ、欠片も気にしては居なかったぞ」
「……あの後、会ったのか」
「主が1度目に犯した直後と、2度目に犯した後、その他にも幾度かな」
俺の言葉に血管を浮き上がらせる素直な反応に、天夜叉もまたナミに本気なのだと思い知る。本当に、ナミは厄介な男を惹き付けてやまぬな。
俺の発言により、天夜叉とナミの間に何があったのかを俺がナミから聞き出せたと言う事になっている。だが、実際は赤髪に話していたのを聞いて知ったのだが、そこは教えてやる義理もない。
その後は天夜叉に呼び止められる事もなく、案内に従い向かった部屋にて怠惰な時を過ごす事となった。本来ならば天夜叉と話でもして、近状に関して情報を得るのが必要であった筈だが……。
俺はこの時天夜叉を見るのも嫌だと感じていた。己の事を棚に上げ、ナミを傷付けただろう天夜叉がどうにも許せぬと思えて、仕方が無かったからだろう。
それから数日の後、船は突然進路を変えると知った。伝えられたそれは、何とも天夜叉には似つかわしくもない意見。
だが……英雄とて同じか。内心はどうあれ表向きは人々の為にと動き、その実績で持って世間を迷わせ、惑わし、操って行く。
アクアラグナによる被害者の救済と気晴らしをと銘打って動き出したその動きが、ナミとの再会に繋がるとは、この時はまだ俺は考えていなかった。ともすれば、天夜叉はその奇跡を信じて向かったのやも知れぬが、真相は謎だ。
船が港に着港する頃、七武海である俺と天夜叉には1足早く届けられた手配書により、暫し時が止まったような気がした。それは愛しい女の姿が、写し出されていたからだろうか。
手配書には、オレンジ色の髪を両手で持ち上げて首筋を晒しつつ、微かに振り向き挑発的に笑う女。肩にある刺青もしっかりと写されていて、それにより蝿が群がるのは必然だろうと少しばかり深く溜息が落ちる。
その手配書を片付け、他の仲間だろう者達の姿を1応確認して行く。それは、明らかに若く勢いだけとしか思えぬ者達。
唯一違うとするならば、ニコ・ロビン位か。だが……地獄を見て生き抜いた女に、ナミという存在は猛毒に近いだろう。
良くぞ共に過ごす事を決意したものだ。船長であるこの〝
誰が見ても本来ならば拒む事も出来ぬような相手を平然と袖にした女が、自分の全てをかけて愛し、選んだ男。……何故か憎めぬ。
その中にロロノアを見つければ、ナミの傍で猛獣が寝たフリをしている姿が容易に想像出来てしまう。本当に、ナミは不思議な女だ。
他にも居る仲間は既に人とは思えぬ容貌で、だがそれらをナミは慈しんでいるだろう。ナミが笑っていられるならば、妖怪相手であれその護衛を任せて構わぬと思っているが……。
手配書を見て溜息を幾度も落としながら、結局ナミの他の手配書は纏めてテーブルの上に積み重ねた。偽善に満ち満ちた天夜叉の行動の為にと船が泊められ、俺はそれに気付きながらも少しばかり眠ろうとベッドに転がった。
この時、寝ずにカジノに向かっていれば、何かが変わっていたのだろうか。だが、俺は行かずに寝ていた訳で、その結果俺がナミに会うのは他の2人より少しばかり後になってしまったのは現実だ。
気が付いた時には既に船はまた動き出していて、天夜叉との話を避けていた俺は1人酒場へと足を向ける。するとそこには赤髪の姿があり、何処か荒んだ様子で酒を呑む姿に珍しいものだと1瞬足を止めて凝視してしまう。
「……珍しい呑み方をしているな」
思わず声を掛けたくなる程度には、落ち込んだ様子も見受けられて……俺も甘くなったものだと内心で自嘲する。赤髪に何かあったとて、俺には無関係だと言うのに。
だが、ナミはこの姿を見れば悲しみそうだ。アレは、赤髪がどんな男か知っていて慕っている。
酔狂なものだな。俺も、ナミも。
「たまにはな」
似合わぬ自嘲的な笑みを見た時、何とも言い難い気分にさせられた。……こんなにも、弱る事もあるのだな。
長い事剣を交わして来た男が見せた、弱々しい姿に原因等1つしかないかと気付く。本当に……恐ろしい女だな、ナミは。
「貴様は、楽しく呑むのがモットーだ!とか、ほざいては居なかったか?」
「ほざくってお前……」
慰めか揶揄いかさえ分からぬままに言葉を口にすれば、赤髪は少しばかり調子を取り戻す。近くに腰を降ろして、赤髪からナミの香りがする事に気付けば、やはりナミに手酷く何かされたらしいなと内心で笑う。
……いい気味だ。たまには落ち込め。
ん、待てよ。という事はナミが近くに居るのか。
だからと言って探し回るのも如何なものか。折角座ったと言うのに。
「クロフト・ポート」
注文すれば迷い無く差し出されるワインを手にして、香りを楽しみ、うむと頷く。どうやら天夜叉は、酒の味がわかる男らしい。
これはポート・ワインだ。ファイン・ルビー・タイプで若く、素晴らしい香りが特徴である。
ワインは成熟している方が良いと言うが、これは若いが故の良さがあるワインなのだ。若いが故に、良くないと勘違いされがちではあるが。
「それ……美味いやつだろ」
「知っていたか。若いからと言って、呑まず嫌いが多いのだがな」
「ワインも女も熟すまで待てなんて言葉があったか」
落ち込んだ様子のままそんな言葉を向けられては、揶揄うなと言う方が無理な話だ。そう思うからこそ、ナミの事だと分かるような返事をする。
「……俺は……このワインより若い状態で食したが、後悔は無い」
「……お前は、強いな。俺は……」
そう言って黙った赤髪に視線さえ向けず、ただ、酒を舌の上で転がす。そうして俺はただ、時折何かを呟く赤髪の話を何となしに聞いていた。
そんな珍しく穏やかな空気の中で、赤髪が慌てて立ち上がり、それと同時にナミの気配に気付く。どうやら逃げられたが故に探していた様子だと分かれば、視線を向ける他興味を持つ気にもなれぬ。
だが、酒を呑みながら見聞色の覇気を用いて赤髪の様子とナミの様子を伺えば、何とも言えぬ不可解さを感じて席を立った。……何故、ナミが泣いているのに、赤髪が傍にいないのだ。
俺の姿がナミから見えない程度の位置で足を止めれば、その瞬間ナミの慟哭のような叫び声が聞こえて来た。そこで交わされる会話に、俺の手は小刻みに震える。
空島を出た時、赤髪、貴様は俺になんと言った……?
「なのにっ!それなのに、私はシャンクスを嫌えないのよ……!」
その言葉に絶望に近いものを感じたのは、恐らくこの場では俺だけだろう。ナミは、赤髪を……愛しているのだな。
だが、辱められたと嘆くナミの言葉により、事態は急変する。目の前が赤く染まるのを自覚した直後、俺は剣ではなく拳で赤髪を攻撃する為に力を奮っていた。
それに気付きながらも、避ける事も、ガードする事もなく甘受した赤髪は、その衝撃で1人吹き飛ぶ。愛する女を傷付けた罪を、自覚はしているらしい。
俺も、赤髪も、天夜叉も、恐らくは他にも多くの男達が、ナミを求めている。だが、その中でこれまではただ、麦藁のみが選ばれた男であった。
だと言うのに、ナミをこれ程に傷付けたこの男もまた、選ばれた1人とは……。皮肉なものだ。
涙する姿が脆く、同時に美しい。そして、これを乗り越えた先でナミは更に強く、美しくなるのだろう。
打たれる数の多い日本刀がより切れ味と美しさを増すように……ナミもまた、傷つけられた分、美しさと強さを得るのだろう。そうして修羅の中に生きながらにして、ナミは菩薩を思わせる甘さを持ち合わせている。
その矛盾が、愛しく尊い。常人なれば、壊れているであろう。
「赤髪が、そのような事をするとは考えもしなかった己に腹が立つ。赤髪貴様……何が、ナミを傷付ける事は出来ぬだ!貴様に、この気高き娘を辱めれば、心に深い傷が出来ると分からぬとは言わせぬ!」
「鷹の目、お前……いきなり殴るか?」
脱力した様子で赤髪が俺の言葉に答えるから、俺の怒りは霧散する。この男の、こういう所が嫌いだと心底思いながらも、俺は心を落ち着かせる為に深く息を吐き出すと、それに乗せて言葉を伝えておく。
「斬られなかっただけマシと思え。……話をするのならば俺の部屋に来い。仲介をしてやろう」
その時赤髪の唇が僅かに、お前もと動いたのを見て睥睨する。言葉にしていたならば、迷い無く斬り捨てていただろう。
俺はナミがまだ、誰のものでも無く、生きる意思さえなかった時に手を出した。赤髪……お前は違うだろうが。
そして何より、赤の他人だった俺と、信頼され、愛されているお前では罪の重さが違い過ぎる。それが分からぬというのならば、今こそ、斬り刻み息の根止める事も厭わぬ。
双剣の者が片腕しかまともに使えぬのならば、それは戦う意味も無いと争う事を辞めた。だが……望むのならば、その命今すぐに刈り取ってやる。
それが通じたのか、赤髪はそれ以上言葉を紡ぐ事はなく、俺はナミを抱き上げて歩き出す。ただ、ナミが異様に軽い事がどうにも気にかかる。
「それにしても、ナミは痩せ過ぎだ。少し食べる量を増やせ」
「ウチのコックは美味しい物を作ってくれてるから、食べ過ぎなくらい食べてるけど……?間食も多いし……」
それでもこの体型だというのならば、世の女達から怨嗟の視線を向けられたとて仕方あるまいな。だが……同時に本気で心配にもなる。
俺にされた事を忘れた訳でも無いだろうに、無防備な姿を見せるナミ。それに、胸が温まるのを感じてしまえば、もうこの泥沼から出られはせぬと覚悟を決める他無い。
今は、今だけは……愛しい女が俺の腕の中にいる。動けぬ程に弱っているのが原因とは言え、それは変わらぬ真実だ。
俺の腕の中で蜜柑の香りを放つ存在を、手放すのが惜しく、必要以上にゆっくりと歩く俺を咎める者は1人も居なかった。俺を選べば、誰にも害させぬものを……と、内心で呟きつつ愛しい温もりを抱く腕に、僅かに力を増していた。