波間の向こうを目指して(新・本編side) 作:夢枕 七変化
ドアを開けて部屋に入ったものの、ナミを手放してしまうのが惜しく思えて逡巡する。結果二人がけのソファにナミを降ろしてから、俺もその隣に腰を降ろした。
そうして俺は苛立ちもそのままに、立ち尽くす赤髪に侮蔑の視線を向けて1言告げる。それに苦笑した赤髪は、どうやら反省はしているらしい。
「向かい側なら座っても良い」
「なんか、俺、怒られる流れか?」
「俺はこの先基本的に口を挟まん。赤髪が実力行使出来ぬよう守る為だけにある」
「えっ!?」
横から聞こえた驚きの声に視線を向けば、戸惑いを宿した瞳が躊躇うように揺れる。守って貰えるのかと、不安と期待に揺らぐそれは、なんとも儚い。
頼る事を許さぬその態度には、何かあるのだろうか。だが、俺は惚れた女を守りたいと思う。
何かを得たい時、失いたくないと思った時、それを叶えられるように俺は最強となった。ナミは信じぬかも知れんが、俺の今の力はナミの為にあると信じている。
「ミホーク……」
「……ナミの事は、俺が守ってやる。言いたい事は全て言ってしまえ」
「ミホーク、ありがとう」
「構わぬ」
言って笑い掛ければ微かに赤くなったその顔で、だが、甘えようとする己を律しているのが伝わる。気高く、甘えベタな、俺の最愛。
それからナミが赤髪を相手に、震えながらも向き合うその姿を見詰める。するとその言動から、見えなくとも良いものに、気付かなければ良かったと思いたくなるような事に、気付いてしまう。
血を吐くように思いを叫ぶ姿に、それでも赤髪を憎めぬと、大切なのだとその瞳が泣く。……ナミはそれ程に、赤髪を愛しているのか。
言葉とは裏腹に、赤髪の全てを容認しているそれが愛でなくば、なんだと言うのか。明らかにナミは、赤髪に甘く……俺には、優しい。
恐らくナミが俺に優しいのは、俺が赤髪の知古であるが故だろう。赤髪と聞いただけで緩む警戒心が、その信頼が憎いとも感じたが今にしてみれば……ただ、赤髪を深く愛するが故の事だったのだな。
「それでも、私は……屈辱には耐えられても辱めには耐えられない。私の全てはルフィのものだから、勝手に死ぬなんて許されないと分かってるけど、それでも……次があれば私は迷わず死を選ぶわ」
その言葉が聞こえた時、死ぬ事は許さぬとナミを威圧するが、それに気付かぬ筈も無いのに意に介さず様子にまさか、それ程の実力があるのかと全身に歓喜が満ちるのを感じる。その甘さ故に出し切れぬ実力だとは分かっていたが、そこまでの力を秘めていたとはな。
だが、甘すぎるその心は赤髪の視線ひとつで簡単に揺らぐ。守ろうと腕に抱き込めば、即座に抵抗するように動かれた為に咄嗟にクリマタクトを弾けば、焦りを滲ませるその顔が妙に幼い。
それにしてもこの武器は、嫌という程見覚えがあるのだがな。もしそうだとするならば……いや、時期を考えれば計算は合うか。
「赤髪、聞いておきたかった事がある。……今ナミの使っている武器の元は俺が用意した物だな?」
「あァ、だから言ったろ。〝俺の女神に渡したい〟ってな」
「あの当時、ナミはまだ幼女の域だったと思うが?」
少しの呆れと、多大な疲労感を前面に出して言葉を紡ぐ。だが内心は幼い頃のナミを俺も見てみたかったと、そんな他愛も無い事を思うのみ。
「何の問題がある。海賊に倫理感なんかある訳ねェだろ」
「そうだ!シャンクスそれ!女神ちゃんってどういう事よ!?お陰で私がどれだけ恥ずかしい思いをしたと思ってるの!?マルコさんにもそのせいで〝赤髪の女神ちゃん〟って呼ばれてんのよ!?」
マルコさん……不死鳥か。本当にナミは、俺を退屈させぬな。
それからの対話でナミはいくつかの疑問を解決できたようだが、同時に俺は妙な事を思い出していた。それは、俺がベガパンクにクリマタクトの依頼をした時の事だ。
紙を見せた瞬間にベガパンクはその目を大きく見開き、ワナワナと震え出す。何か持病でもあったのだろうかとその姿を眺めれば、ベガパンクが睨むようにして俺に問い掛けてきた。
「この武器……は……?」
「ほぉ、武器だと分かるか」
「当然だろ!これは、クリマタクトだろうが!誰が使うんだ。こんな物扱える人物はこの世に1人しか……」
「恐らくはソレの為だろう」
使えぬ者に赤髪が物を贈るとは思えぬ。ならばベガパンクの言う1人の為にと考えるのが自然だ。
そう思って答えたそれに対し、ベガパンクは力なく呟く。本人にはともすれば、声に出している自覚の無い言葉だったのかも知れぬが。
「……まだ、早いだろう」
「ん?」
「いや、作ろう。今の俺に出来る最高級品を。本来無い関係を持ち、早くに武器を得たならば、彼女もまた俺と同じだろうから。ならば、アイツらの内の誰かと考えるべきだ。それが分かっていて、俺に守らない選択肢は無い。俺はもう二度と、間違えたりしない」
「ベガパンク?」
「任せろ。明日には作っておく。取りに来い」
普段はどちらかと言えば1歩引いたような言動の多い男が、未知の物に対して見せた自信。決意に満ちたその瞳に、迷いは少しも見受けられない。
……あの時の会話は意味がわからないものだったが、ベガパンクは確かに使う人物を女だと断言し、使えるのは1人だけだと言った。まだ、
だが、ナミはベガパンクの名に反応せぬな。これの性格では知っていれば反応する筈だ。
ならばベガパンクは何を知り、どう関係しているのだろうか。性別だけならば二つしかないのだから、半分の確率で当てられたとしても……。
問いかけようとして、辞める。恐らく問い掛けてもナミは知らぬだろう。
俺と赤髪からの贈物だったのかと、嬉しそうに微笑む少し幼い笑みに、これが素の笑顔なのだろうと思えば、この穏やかな時の中に居させてやりたいと思う。苛烈に戦う姿も美しいが、本来あるべき伸びやかなこの姿が1番輝いて見えるのだ。
赤髪をボコボコに殴るその姿は、赤髪ならば大丈夫という信頼があって成り立つ姿なのだろう。そして、ナミは苦しそうに言う。
「シャンクスは、狡い」
「……大人だからな」
「分かってるのに、嫌えないのよ」
「そうだな。ナミは、俺が〝ガキ〟なのも〝大人〟なのも〝海賊〟なのもすべて分かっていて……その上で慕ってくれている」
そしてその後に続いた言葉に、赤髪も鈍いなと小さく笑う。家族愛と恋愛の区別もつかぬか。
だが……ナミが相手では致し方あるまい。ナミの家族に向ける愛情は強過ぎる。
赤髪が天夜叉との事を責めれば、無関係の筈だと叫ぶそれに男を無駄に煽るなと思いながら、助ける為に手を伸ばしかけて、止まる。続いた言葉に含まれた単語に、そうせざるを得なかったのだ。
「ドフィは、私を保護してくれたの!シャンクスのそれで、私……まともに歩く事も出来なくなってたんだから!」
「「〝ドフィ?〟」」
奇しくも赤髪と重なった声だが、それ以前の問題だ。何故そう簡単にあの男を懐に入れてしまうのだ、この愚か者は……!
そう思うのと同時に、そのか弱き身を守る筈が激情のままにかき抱いていた。無意識の内にその顎を掴み視線を合わせると、何も理解していないとその瞳が伝えて来る。
それだけで理解出来てしまう。コレは相手の悪名等、どうでもいいのだろう。
恐らくはその人間の奥に隠された本質しか、見ておらぬのだ。だからこそ、時と共に癒しきれぬままになっていた脆い所を見付けては、甘やかしているのだろう。
理解出来たからと言って、許してやれそうにはない。流石に天夜叉は危険過ぎる。
だと言うのにナミは愚かにも、誘うように蜜柑の香りを漂わせながらこの俺から逃げようと画策する。それに対して、衝動的に唇を奪って何が可笑しい。
その時、天夜叉の香りを感じ取る。血の匂いを隠す為なのか、それと合わせる事で良く感じさせる為なのか不明なコロンを使っているのは気付いているが……。
だが待て、何故あの〝悪のカリスマ〟とまで呼ばれる男が、血の匂いを気にする?
何故、ナミにあれ程執着し、幼子が親を追うような気配を時に見せるのか。赤髪もナミを抱き締めるとその気配が、明らかに和らぐがそれは近しい存在であるからだろう。
答えを出したくないのか、俺の思考はそれより先に進もうとしない。諦めてナミの様子を確認する。
……今の様子からは、酷くは扱われなかったようだが……不快だな。まるで今も抱き締めているのだとでも言わんばかりに、その身にまとわりつく香りが本当に不快だ。
その上、抵抗しようと俺を押してくるその手が忌々しい。溺れてしまえばいいものを。
抵抗できぬように、その気が無くなるように、後頭部を押さえて更に深く口付ければ甘やかな声がもれはじめた。小さく身震いして、次第に力の抜けて行くその身体は柔らかい。
……蜜柑の香りが、鼻腔を擽る。どうやら身体は、その気になってくれたようだ。
「……このまま俺に抱かれるか?」
「ふっ……ざけんじゃないわよ!離して!」
「海賊の女が他の海賊に捕まった場合の覚悟は、出来ていると言っていたな」
俺の問い掛けに、蜜柑の香りがフッと強まった。これは、怒っている。
そう思った瞬間に静かに見据えて来たその眼差しに、幾度目とも分からぬが、心が堕とされたのを自覚する。それに戸惑う僅かな隙に、俺から逃れて距離を取り真っ直ぐに俺と赤髪を見据えるその姿は、正しく王者。
誰にも媚びぬと、孤高に生きる事を選んだ者だけが持ちえるその空気。成程、ナミもまた眠れる覇王か。
プライドの高い、美しき獣。だが、張り詰め過ぎていつ切れても可笑しくない弦を思わせるのだから、まだまだ拙いと言えるだろう。
「私を〝買いたい〟の?……安くは無いわよ」
「「ナミ」」
妖艶に微笑むその姿に喉がなる。欲しい、と……心が叫ぶ。
渇いていく。その全てが欲しいと餓鬼のようにナミを求める己を自覚して、怒りと妖艶さ、孤高さに隠された傷付いているその心から滴り落ちる赤い物を舐め取りたいと思わされる。
視線だけで、どんな私を望むのかと問い掛けられて、傷付いた己をそのままに演じ切るだけの精神力に気付けば、笑いも込み上げようというものだ。俺はどうやらナミであれば弱くとも強くとも、愛しいらしい。
どちらにしても己のものにして、腕の中に隠しておきたいのだと気付く。心も含めて、ナミの総てを欲しているのか、俺は。
ならば、無理に犯すだけでは手に入らぬな。……どうしたら、手に入るだろうか。
そう計算を始める時点で、恐らくは真摯では無いと、誠実ではないと評されるのだろう。だが、ナミが手に入るなら、なんでもできそうだ。
それこそ、悪魔に身を落としても構わぬ。手に入るならば、俺の元まで引き摺り降ろせるならば、なんでもしてみせよう。
「ナミ、良い女だな。今はもう、無体な真似はすまい」
「最低でも1回につき億は支払って。今のキスだって本当なら有料よ。……シャンクスから庇ってくれてたから、今回は請求しないけど、もう触ろうとしないで」
「成程」
良いだろう。ナミが望むならと、しっかりと意味を分かっていて懐から宝石を取り出し投げ渡せば、1瞬素の表情に戻ったナミが頭にハテナを浮かべる。
それは妙に背徳感を刺激して、少しばかり揶揄いたくなる。本当にナミは愛しいな。
中身を確認して驚き、動揺するナミは、けれども直後にその瞳をキラリと輝かせ鑑定しているのが分かる。その審美眼は確かで、才能が豊か過ぎるだろうと思うのも無理の無い話だろう。
「口付けの代金だ。……足りぬか?」
「いいえ、足りるわ。今回は、これで良いとして、気軽に触れないで」
「億支払えば良いのだろう?ナミと過ごせるのならば、安いくらいだ」
「ミホーク!?」
金でナミの全てが手に入るなら、いくらでも貢ぐのだが……本当は拒みたいだけだと知っている。知っていて、それでも俺に大義名分を与えたのはナミだからと、その身を正当に手にする権利を得ようとすれば、赤髪が騒ぐ。
……そう言えば居たな。邪魔だ。
騒ぐ耳障りな声を聞き流しながら部屋から適当に追い出せば、ナミまでそれに続こうとする身体を抱き締める事でそれを止める。鍵をかけてからナミをベッドに移動させれば、ナミが子兎の様相を見せるので、理性を総動員させて言葉を告げた。
「……今宵は何もせぬ。大人しく寝ろ。あのまま廊下に出ていれば、赤髪に部屋に運び込まれていたぞ」
自覚の無いその恋心を教えるべきか、それとも教えぬべきかと、震える姿に躊躇いを覚える。俺をこれ程までに簡単に取り乱させるのは、主だけだぞナミ。
そういくら心で語り掛けても、通じる筈も無い。言葉にした所で、通じぬ事が大半なのだからな……。