波間の向こうを目指して(新・本編side) 作:夢枕 七変化
ドアをノックする音が聞こえて目を覚ませば、珍客が来たのだと分かる。コートを羽織り、背に夜を装着して顔を出せば嫌そうな顔をされるが、尋ねてきたのは主であろうに。
「鷹の目お前……コートおじさんとか言う、変質者かよ」
「常日頃その姿で出歩く男にとやかく言われる筋合いはない。それに俺は今まで、ナミと共に寝ていたのでな。して……何用だ」
「それをわかってるから来たんだよ。……ナミが体調崩してたら飲ませてくれ」
「これは?」
手渡されたのはただの紙。決して薬や飲み物ではない。
俺に何をしろと言うのか。そもそも、こやつのそれを信じていいものなのだろうか。
毒であるとは考えにくいが、媚薬の類いで無いと言えるだろうか。だが、ナミを害するとは到底思えぬ。
「それは作り方だ。ナミは信頼してる奴の作った物か、そいつが先に飲み食いした物しか口に出来ねェ」
「ならば、用意したところで無駄であろう」
「いや、ナミは鷹の目の用意した物は食うし飲むぞ。アレで結構甘えてるからな」
アレで、甘えていたのか。世の女達を少し見習え。
……寧ろ、金品をねだられたり、抱いてくれとしなを作るような事をさせる方が気楽であり、楽だろう。何故いつもいつも、僅かに目を離すと厄介事に巻き込まれているのか。
そうは思うが、目の前にいるこの天夜叉や俺しかり、赤髪に至っては海賊団総出で溺愛しているのだからある意味不可抗力だろう。そもそも、価値が高いのに無自覚が過ぎるのだ。
「……主は、ナミに対して詳しいな」
「ナミとは、数年共に旅をした事がある。それだけだ」
「……計算が合わぬな」
俺の言葉を無視して天夜叉は材料となる物を運び込み、寝ているナミの顔を覗き込むと少しばかり安堵の様子を見せる。穏やかなその表情に、驚かされるばかりだ。
それ程に、ナミが大切なのか。そう問いかけるのは、野暮であろうな。
そう言えば、戦う時の身体の使い方が似ている。天夜叉が戦い方を教えたのだろうか。
いや……ならばナミはもっと赤髪と似た動きをするべきだ。寧ろ、天夜叉がナミの戦い方と酷似してる時があると言えるのだろう。
分からぬな。どうなっているのか。
「ナミが目覚めたら、飲ませておく」
「助かる……昔から、それだけはどれだけ弱ってても飲んだから……大丈夫だろ」
「……弱ると飲まなくなるのか」
「まず、食えなくなる。次に、飲めなくなる。だが……起きた時俺が居たら休めねェだろうから、後は頼む」
「……こういった事をすべきは、赤髪であろうに」
「違ェねェな」
それから赤髪の居場所やらここに来た経緯やらを聞き、ナミを起こさぬよう去って行く背を見送る。俺は書かれた物をしっかりと見て、1人頷く。
差程難しくも無い。ふむ……作るだけ作ってから寝るか。
完成したそれを冷蔵庫で寝かせ、俺もベッドに戻る。その際当然、邪魔な物は脱いでから入った。
抱き締めるとそれだけで安眠効果の高い謎な生き物。それだけでも、高過ぎる価値があろうと思うのに、優秀すぎる上に、抱き心地も最高とは……不運な事だな。
どれくらいの時が経過したのか、モゾモゾと動く気配に意識が浮上する。見れば百面相をしながら何か考えているらしい様子に、どうせまたくだらぬ事で自分を責めたりしているのだろうと当たりを付けて眺めていた。
そのまま動けぬと諦めて寝てくれるのかと思ったら、何かを決意した様子で動こうとしてその表情を歪ませるから多少では無く頭が痛くなった気がした。それにより隠しきれない呆れが、声になって溢れる。
「……ナミは、息をするように自然に無理を重ねる生き物であったのか」
「……っ……げほっ」
返事の代わりに咳き込むナミの頭を撫でれば、妙に柔らかい。ふかふかとしたそれにお前は本当に猫なのかと問い掛けそうになり、辞める。
頷かれでもしたら、ヤり殺す自信がある為だ。コレは時に恐ろしく無防備で、男をどうすると煽るのか分からずに煽る天才だからな。
ベッドから降りて、冷蔵庫から取り出した蜂蜜蜜柑をトレーに乗せて戻る。身体を起こす事もできぬ程に消耗させたかと思えば、多少の罪悪感は抱こうと言うものだ。
背後から抱えるようにして身体を起こしてやり、背もたれになってやれば力が入らなくとも身体を起こしていられるだろう。後は転がり落ちぬよう、支えてやれば良いか。
そうしてナミの手にグラスを握らせれば、ナミは驚いた様子を見せる。その表情等から言いたい事が伝わって来るのには、苦笑を禁じ得ない。
「……このような事、他にした事は無い。だが、指もまともに動かせぬようにしたのは俺だ。だからと言って、俺に全て口まで運ばれては主の場合拒絶するだろう」
どうして考えが分かるのかと、そう伝えてくるその様子に細く息を吐き出す。……本当に喰らい尽くしたくなる程に、愛らしい。
歳よりも上に見せかけていたのは、その仮面であったのか。仮面を付けなくとも良い相手に、俺はなる事が出来たのだろうか。
いや、理性と知性が原因やもしれぬな。そして、基本的には誰よりも気高いが故に、その容姿も相俟って年齢を高く見せているのだろう。
素はこれ程に無防備で幼いというのに。……素直過ぎて、己の色に染めてやりたくなる。
「主は……慣れた相手には演技をしようとしている時の他は、素直な生き物だな。本当に、愛らしい」
「ぁ……ぃ……!?」
「良いから飲め」
ナミの手荷物にあった発熱時等に飲ませる為の薬を水分と共に飲ませて、暫しの情報交換と言う名の雑談を交わす。その内にナミがハラハラと涙を落とし始めたので、優しさの方が素直にナミを泣かせられるのかと思えばこそ、細く息を吐き出す事になった。
そっとナミを寝かせて傍を離れれば、不安そうに俺を見詰める視線にたまらなくなる。泣き顔だけでも欲情するというのに、辞めてもらいたい。
それを素直に伝えれば驚愕を隠しもせぬ素直な反応に、つい余計な事まで口にしてしまう。本当にナミは俺に、いつも新鮮な気持ちを与えてくれる。
飽きる等、考える事さえ出来ぬな。そういう意味では、赤髪と近しいのやも知れぬ。
「〝慰める為〟に抱く事も有り得る。……だが、今は襲わぬ。少し、色々な意味で無理をさせた。さて、俺は少し部屋を開けるが……ナミは大人しく寝ていろ。まだ、自由には動けまい」
俺の言葉に逆らうつもりの様子は見せたが、薬に含まれる睡眠薬の効果もある。今多少なりとも動いたのだから、恐らくは眠るだろう。
自分で作るのも面倒であった為に食事に出掛け、戻ると何故か赤髪と天夜叉が居た。……ここは、俺の部屋である筈だがな?
俺に鳴かされていたナミの声を聞いた者を探し出して、始末してから戻ったのも悪かったか。時間を無駄にしてしまったか?
いや、ナミの声を聞いた者を生かしておく訳にはいくまい。それは、致し方なき事だとして……そもそもこやつらは……。
「何故、いる?」
「俺の船だ」
「ナミがいるからな」
答えにならぬ。だが、これ以上言葉を口にしても無駄な気がするのだ。
それでも騒がしい二人を前にしては、知らず知らずのうちに口論となり、その結果騒がしかったのかナミが目覚めてしまった。うむ、跳ねている髪までもが俺の理性を試してる気がしてきたぞ。
「「「ナミ」」」
「ハイハイハイ!何なのよ、どうして3人が揃ってるのよ?」
偶然揃った声にナミは律儀に返事をして来る。それ程俺に愛されたいか。
誰かを贔屓するでなく、誰かを貶めるでなく、平等に対応するなど中々できる事ではない。特に、この中には赤髪がいるのだからな。
「天夜叉が鷹の目の部屋に入るのを見掛けて、ついて入ったら鷹の目が帰って来た」
「……帰ったら2人がいた」
「ナミの顔を見に来たら、赤髪が着いてきた」
それぞれの言葉を受けて、ナミは暫し何かを考えてから、俺達を追い出そうと画策する。まァ……無駄であるがな。
「顔は全員見たわね。私はこれから部屋に帰って寝るから、邪魔しないで」
「ナミは1人だと寝れねェだろ」
間髪入れぬ赤髪の言葉に全くだと思えばこそ笑えて来る。さて、ナミは俺達3人に勝てるつもりでいるのだろうか?
……仕方あるまい。ナミを独占する為にも、援護射撃はしてやろう。
「ここは俺の部屋だ。二人とも出て行け。……ナミは、ここで寝かせる」
「この船は俺の物だ。どこにいるかは俺の自由だろ」
「俺はナミの船長をやめたつもりはねェ。クルーの安眠を守るのも俺の仕事だ」
そんな諍いをしている間にナミが姿を消した。どうやら、呑気に自室に向かい風呂に入っているらしい。
「ナミらしいけど、警戒心どこに落としてきたんだろうな?」
「昔から風呂、好きだったな。最悪風呂が無理だと湖で泳ぐぞ、アイツ」
「気にせずとも良い香りだと思うがな」
三者三様別な言葉を使っても、意味は同じである。とりあえず部屋に入ると入浴中のそれが見えるからと、廊下で待てば暫くの後にナミが姿を見せた。
そして、戻った。……戻るな。
その直後入室した料理人から話を聞いて、次に食材を運び込んだ料理人と入れ替わりに部屋へと入室した。食事を馳走になろうと思っただけであるのに、呆れを全面に押し出してナミは言う。
「こら、ここは私の部屋よ?」
「俺の船だ」
「俺のクルーだ」
「俺の想い人だ」
「……ちょっと全員黙ろうか」
僅かにではあるが、恐らくは無意識で覇王色の覇気を垂れ流すナミに、危険人物だなと思う。だが、だからこそナミが余計に欲しくなるのだ。
そうして三人で言い争いを続けていると、覇気を出しながら声を出すナミは、元々歌うのもあり声量がある為に迫力まである。いつもこうして叱られているだろう仲間達を思えば、肝は太くなりそうだなと内心で笑ってしまう。
「大人しくしてなさい!!」
その後言われた通り大人しく様子を見ていれば、楽しそうに食材を選び始める。……ナミが作ってくれた物は、美味だったな。
「何か作るのか」
「えぇ、色々材料も道具もあるから何作ろうかなって考えてるところよ」
「南瓜の物を食べたい」
「……え?ミホークも食べるの?」
「無論」
しかしナミに断られ、俺はナミに本当に作らぬつもりなのかと視線で訴える。俺は、ナミの手料理を食したい。
他との雑談をしながら作業を続けていたナミが、深く溜息を落とす。それから困ったように笑った。
「……南瓜を切るところをやってくれるなら、作るわよ。ミホーク、手伝ってくれる?」
「うむ。手伝おう」
そうしてナミに言われるまま他の事まで手伝えば、ナミから小さくありがとうと言われる。力仕事の他は頼まぬ癖に、何を言うのか。
俺とて、料理が出来ぬ訳では無い。……面倒であるが故に、作らぬだけだ。
城では作らねば食事がない為に、自作している。あえて自炊とは言わぬ。
そうして完成した料理を食べながら、それぞれがああでもないこうでもないと他愛ない話をする。ナミが居なければ起きなかった奇跡の瞬間に、俺達は内心はどうあれ、穏やかな空気を出していた。