波間の向こうを目指して(新・本編side) 作:夢枕 七変化
俺が何度も繰り返すように仲間だと言うと、その度にナミの冷たいその表情が乱れる。俺が笑う度に、その瞳が揺れるんだ。
ふわふわと揺れる髪のように、その瞳に宿る冷たい感情が揺れる。甘やかに香る蜜柑の香りのように、その優しい心が俺を傷付けまいとしているのが伝わるんだ。
「ナミ!迎えに来た、1緒に帰ろう!」
「なに、言ってるのよ。私はアンタ達の仲間なんかじゃない。手を組んでただけ。迎えに来た?迷惑だわ。今すぐアンタの言う仲間を連れて出て行って」
そんな事を言いながらも、その視線だけでサンジの存在を確認して、そして僅かにその気配が緩む。見ただけで、俺の仲間だと認識して喜んでくれてるのが伝わる。
多分、普通なら分からないだろう。でもよ、ずっと見て来たんだ。
俺はナミの演じる時の癖も、その瞳が、その気配が、隠し切れない優しさに満ちてる事を知ってる。なァ……ナミ、何をそんなに独りで苦しんで、悲しんでるんだ?
泣きそうな気配で、俺を心配しながら、どうして俺を頼らない。でも、なら、今は俺が笑ってやる。
帰って来い。ナミ。
異論なんか認めねェよ、ナミの居場所は俺の所だ。そう思って手を差し出す。
「おう!だから、ナミも1緒だよな!」
その時ウソップを殺したのを見たんだと騒ぎ出したジョニーにより、ナミの気配が変わる。引き締まったそれにより心が閉ざされたのに気付いちまう。
その瞳が思考モードに入り、それから切り替わったのだからこれは厄介だ。……何してくれてんだよ。
「なに、言ってるのよ。帰るも何も、ここが私の居場所よ。勝手に入って来ないで、出て行きなさい」
「そっか、ここがナミの島か!小さい時からずっと、ここの事ばっかり気にしてたもんな」
それでも変わらない事がある。ナミは、俺に甘い。
なら、試してやればいい。演技なんか出来ないくらい、慌てさせてやればいい。
ちょうど、俺も眠かったし。よし、寝よう。
目を閉じて地面に倒れれば、焦った声で俺を呼びながら駆けてくる。サッと俺を支えて、怪我をしないようにそっと降ろしてくれるそれに笑わない筈が無いだろう。
男としてじゃないかもしれない。それでも、ナミは俺を愛してる。
「本当に俺を迷惑に思ってたら、ナミはこんな事しねェだろ。俺が少しでも傷付くのを避けようとする癖に、何言ってんだ」
「……巫山戯ないで。私は、部外者がこの島の事に首を突っ込んで、怪我でもして言い掛かりをつけられたくないだけよ。泣き虫坊やは大人しく帰れ!」
そっと俺から離れた手。必死で怒鳴ってみても、もう無駄だ。
そして俺から離れたナミが、俺の知る限り最大限の言葉を口にした。どれ程怒ってても、どれ程悲しんでても、普段なら絶対言わない偽りの言葉を。
「勝手に死ね!」
その言葉が、生きてくれと、死なないでくれと、傷付かないでくれと言っていた事に、きっと俺の仲間は全員気が付いてる。……とりあえず、ウソップが帰るまで寝るか。
ドングリと戦ったりしてて、眠かったんだ、俺。俺の上を吹き抜ける風に、蜜柑の香りが含まれていて、何だか妙に心地よかった。
その内騒がしくなって来た気がして目を覚ますと、ボロボロのウソップと喧嘩してるゾロとサンジがいた。俺は飛び起きると、慌ててウソップを揺さぶって声をかける。
「おいウソップ!!どうしたんだ!!まさかこれ、ナミにやられたのか!?」
ウソップに怪我をさせるなんてどんな状態だよ。そうしないとウソップを助けられない何かがあったか、ナミをウソップが襲って返り討ちにでもされたのかな……?
「……あァ、ルフィ、お前……来てたのか……」
「よ、俺も来たぜ!」
サンジの言葉により即座に回復したウソップが巫山戯んなと怒るのを見て、どうやらウソップの怪我の原因はサンジとゾロだったらしいと知る。その上でウソップが話してくれたのは、ナミがどうやってウソップを助けてくれたのかという話。
我が身を犠牲にして、ウソップを庇ったナミ。そうだよな、ウソップをズタボロにしてナミが無傷なんて選択肢で庇う事はねェよな。
話を聞けばゾロもナミに庇われたらしい。まァ、ゾロの事は殴ったらしいけどよ。
「……そんな訳で、俺はナミの演技とその怪我により命を救われた。問題はナミだ。俺は、ナミが魚人海賊団にいる事には、訳があると見てる」
「乗り込むか」
「それが手っ取り早いだろうな」
ウソップの言葉にゾロが問えばサンジが同意する。でもな、ナミは関わらないで欲しいと願ってた。
賢いナミが、関わって欲しくないと願うなら、下手に関わったらナミの計画が崩れてナミに何かが起きるかも知れねェ。でもなァ……ナミ、自分の事はどうでもいいって考えてるからなァ……。
どうしたら、ナミを助けられるんだろう。どうしたら、ナミが笑ってくれるんだろう。
悲しそうな笑顔じゃなくて、諦めたような笑顔じゃなくて、眩しいものを、遠い何かに憧れるようなそれじゃない。蜜柑を食べてる時とか、迷子の子供を親に引き渡した時とかみたいな、優しい……幸せそうな笑顔。
帽子を直してくれてる時みたいな穏やかな笑顔とか……癪だけど、シャンクスといる時みたいな幼い笑顔。俺が抱きついた時に見せる驚いた後で見せる、はにかんだ笑顔。
俺が見たいのは、きっとそういうものだ。なのに、ナミは最近泣きそうな顔でしか笑わない。
全然大丈夫じゃない癖に、大丈夫って嘘ついて……泣くの我慢してる顔をするんだ。どうして……俺を頼ってくれ無いんだろう。
「無駄だよ。あんた達が何をしようと、アーロンの統制は動かない。……ナミも、帰らない」
その声を聞いた時、風に乗って来た香りで1瞬ナミかと思った。見れば、全然似てない女がそこに居た。
「誰だ?」
問い掛けてみたけど、三人の声が、遠い。……答えなんか、聞かなくても分かる。
この女は、ナミの姉だ。ナミが溶けたアイスみたいな顔になって話す相手の事だから、見れば分かる。
何度も聞いた。耳にタコができそうなくらいに、世界一美人な母と姉だと、ハンモックなんか目じゃない位に美しいと……。
……うん、特徴聞いててよかった。ナミのがずっと美人だから、抽象的な話だけだったら絶対分からなかったと思うし、そもそもハンモックって誰だよって話だしな。
「お願いだから、これ以上この村に関わらないで。経緯は全て話すから、大人しくこの島を出な!」
「……お前が、ナミの?」
「え?」
「ナミが、自分の命よりも大切にしてる、家族だよな。ノジコ、の方か?」
頭、青いし……。とは、言わなかったけどよ。
驚いてる顔が、何となくナミと似てる。その瞳が、色とかは違うけど、どことなくナミと似てるんだ。
血の繋がりはないけどと言いながらも笑ったナミが居たから、俺達もきっと血の繋がらない兄弟ってのを少しも不思議に思わずに受け入れられた。俺達にとってナミってのは、凄い影響力があるんだ。
そのナミと似てるのに全く違う女。ナミが自分を殺してでも、守ろうとする存在。
「あんたは……?」
「俺は、ルフィ」
答えた瞬間、その女はナミとよく似た顔で笑った。それがなんか、妙な感じがして嫌だと思う。
俺のナミじゃないのに、ナミに似てるのがなんか嫌だ。ナミから大事にされてて、なのにナミにだけなんか荷物背負わせてるのが分かるから嫌だ。
多分……同族嫌悪ってやつだと思う。昔の俺を見てるみたいだ。
守られて、大切にされてるのに、何も返せない。なのに〝愛されるのは当然〟だと、傲慢にも無意識で知ってるし信じてる。
「なんで、ナミ1人に戦わせてんだよ」
「全て、知ってるの?」
「いや、しらねェ。俺、ナミが話したがらない事聞かねェ事にしてるから。だから、ナミの過去は聞かなくていい。聞くならナミから聞く」
「なら、なんでナミが1人で戦ってるって」
俺のナミなのに、俺を守ろうとするだけで、守らせてくれない。その理由は、まだまだナミの中で俺は〝男〟じゃなくて〝弟〟だからだ。
自分を守ってくれる存在として、ナミは認識してねェ。俺を守るんだと、そう思ってるんだとこの女を見てて気付く。
幼い子供を見るような眼差しが、良く似てる。だからこそ、気付いた。
だれが、幼い子供に助けを求めるんだよ。……ここに居るのが俺じゃなくてシャンクスなら、ナミは素直に助けを求めたのか?
「あいつ、昔からベルメールさんとノジコしか頭になかった。そんで、俺を見捨てる事も、俺の仲間を傷つける事も出来ねェで足掻いてる。それなら、お前達の為に身を犠牲にして戦ってんだろうって事はわかる」
「それは……」
「俺、お前達嫌いだ。ナミを、壊そうとしてる」
大嫌いだ。頼ってばかりで、甘えてばかりで、それを当然として受け入れちまってる。
ガキの頃の俺と、同じだ。それに多分、今も……俺は変わってねェ。
だけど、今ここにいるのは俺なんだ。シャンクスじゃなくて、ガキの頃の俺じゃなくて……今の、等身大の俺なんだ。
そう思ったら、少し気が楽になった。よし、散歩でもしてくるかな。
ナミの育った、ナミが愛する村のある島。自分の全てをかけてでも守るとナミが決めた、その場所を見てみたい。
「何処へ!?」
「散歩ー」
歩いていたら村が見えて来て、その村の中を当然のように歩く奴らとそれを見てキンチョーしてる村の人間を眺める。あ、カイヘー達か。
そう思って眺めてると、その先頭にいるオッサンの頭に風車があるのに気付く。もしかして、このおっさんがナミの?
そう思うけど、何よりも……。そう、気になるのは……。
「なんで、風車頭にさしてんだ?……イカス!」
そういや、ナミからも理由は聞いてないな。ナミが物心着いた頃には、風車つけてたって聞いてるし。
そんな事を考えながら、近くの木を囲うように置かれたベンチに寝転がる。案外それが心地よくて、風に乗って潮の匂いが来るけど、それだけじゃない。
「ナミの、匂いがする」
「ナミ?」
「え?」
「今、君、ナミって言わなかったか?」
「おう!俺、ナミの仲間だ」
「ナミちゃんの……?」
村の奴らが顔を見合せてから話しかけて来る。それがなんか、少しだけ不愉快で、同時になんか……わかる気がした。
そうだ、多分。ナミが護りたいのは……ここにいる奴ら、全員なんだ。
そう思っていたら、帰って来た風車のオッサンにより村の奴らが殺気立つ。ナミを自由にする為、戦うと言い出したのを聞いて……放置してたんじゃなくて、耐えてただけなんだって気付いた。
耐えてたのは、ナミの為だ。ナミが、悲しむから、ナミが苦しむから。
「我々はあの日誓った、耐え忍ぶ戦いをしようと!ナミが無事でいる限りっ……と!だが、どうだ!」
海軍の奴らをあっという間に捕らえた村人達の強さに内心で震える。あァ、ナミの故郷だ……と。
怒らせると怖い奴ら。そんな奴らが耐えたのは、ただ、ナミを護りたいから……。
「あの子が文字通り身を削って、集めた10億を手にしてなお、奴等はここの支配を緩めるか、もしくは……ナミを監視しつつ永続的な奴隷にしようとしている!我々の為に、ナミ1人を犠牲にしても良いと言えるかっ!?」
「言える訳ねェ!!」
「そうだ!ナミちゃんをこれ以上犠牲に出来るかっ!」
鬨の声というのはこれかと思って上半身を起こす。ふーん、やる気なんだなと思ったから。
その時聞こえた声に、俺も、村の奴らも視線が集中する。それだけの視線に晒されながら、ナミは堂々と歩いてくるが、その表情は明らかに泣きそうな顔で……無理して笑ってた。
何よりも、その服が、既に服じゃねェ。その上で、肌につけられてるその跡は、明らかに……!
「皆!待ってよ!」
ナミは瞬きを繰り返した。そして、大きく息を吸い込んで、細く息を吐き出す。
これから言うのは、ナミの〝嘘〟だ。ナミは昔から、嘘をつく時その前に細く息を吐き出す。
その程度によって瞬きの回数とか、その前に息を吸い込むかは変わるけど。つまり今回は、大きな嘘を……つこうとしてる。
なァ、ナミ。その顔やめろよ。
そんな顔して笑うなよ。俺は、ナミのそんな悲しそうな笑顔、無理してる笑顔は……見たくねェ。
「大丈夫だから、今ね、アーロンと話をしてきたのよ!皆の事はちゃんと解放して貰えるから!もう大丈夫だから!」
ナミは今自分がどんな姿なのか、わかってねェんだろうな。ちゃんと、笑ってるつもりなんだろう。
それでも、笑えてない。でもナミがそんな顔してるんなら、ここにいるのは全員、ナミにとって大切な存在だと分かる。
昔からナミは、身内に嘘がつけない。大切であればある程に、表情を繕いきれない時が多いんだ。
「アーロンがね、私も解放してくれるって言ってくれたの。そりゃたまには顔出せって言われてるけど、基本的には海に出ていられるから大丈夫よ。もう、少なくともこの村は、大丈夫なの!」
それだからこそ、誰も騙されはしない。優しく笑うナミに、幼い頃は何度も騙されたけど、今のナミは……取り繕う事さえ出来てはいない。
交代で抱き締めるナミの家族に、ナミは次第にその仮面を落として行く。素のナミになっていく。
村人達がナミを残して、叫びながら去って行く。その中でナミは独り、その場に崩れ落ちた。