波間の向こうを目指して(新・本編side) 作:夢枕 七変化
シャワーを終えて出ると、緩慢な動きで身体を動かすナミが見えた。何してんのかとその行動を眺めていれば、無理に身体を起こして、その為に倒れこもうとするから慌ててそれを抱きとめる。
他愛ない事なんだろうが、俺を焦らせる事が出来る存在はそんなに多くない。そんな事を思った時、ナミが俺に顔だけ向けて少し舌っ足らずに愛称を呼んだ。
「……ドフィ?」
その瞳を見れば、目を回してるのが分かる。なので、しっかりと俺として認識してないのだろうと言う事も。
昨夜の妖艶さを欠片も見せずに、無垢な少女のように身を預けるその姿。残酷な、俺の最愛。
恐らくは、今なら簡単にその生命を奪えるだろう。同時に、今だけは誰にも生命を脅せ無いだろうと言う矛盾に気付く。
だからこそ、俺はその矛盾だらけの女に言葉を向ける。賢すぎて、甘過ぎる癖に、時に魔王よりも厄介だろうと思わされる存在。
「ナミは、女優だな。本当に、昔から変わらず残酷な女だ」
「何が、言いたいの?」
本気で分からないらしい様子に溜息が落ちる。不安そうに、いや……心配そうに俺を見詰めるナミは、妙に幼い。
昔は二言目には〝ルフィ〟で、俺達を無条件に、愛して守って、自己犠牲を平然として……その癖、俺達がその身を犠牲にするのは許さなかった。なんでも知っていて、なんでも教えてくれた癖して、自分の望む事を口にする事も出来ずに隠れて泣いていた……。
俺はもう、あの頃の無力な存在じゃねェ。あの頃のような、小さな手ではなく、今ではナミの方が俺の半分程しかない。
「なんでもねェよ。……部屋は用意した。専属の女のシェフも用意した。安心して良い。……金はどうする」
昔の記憶があるからか、顔を見れば何となく考えてる事が分かる。その程度には、知り尽くしてるのだ。
考えを読んで行動しなければ、何もさせて貰えねェ。そして、そうしなければあの頃のようにただ愛されていた幼い俺ではないから、僅かな隙に逃げられちまう。
「分かった」
市長に届ければ良いだろうと手配すれば、その間ずっと俺を見ていた姿に苦笑しちまう。昨夜は……無理を、させ過ぎただろうか。
その分の金は支払ったが、それでも……ナミは普通の人間だ。特に鍛え上げられた戦士でもなく、悪魔の実の能力者でもない。
サイボーグでも無ければ、強化人間でも無い。ただの……甘い思考を持つ、美しいばかりが取り柄のか弱い女だ。
俺が少し力を入れ過ぎれば、簡単にその身体は砕けるだろう。俺が能力を使い我を押し通せば、簡単にその心は砕けるとわかっている。
……いや、壊れるのは身体だけかもな。ナミは、結局いつも強く気高く、残酷だ。
先に心が砕けるのは、恐らく俺の方。甘やかなナミの微笑みと声を失い、狂うのは俺の方だろう。
そんな風に考えていたら、俺からサングラスを奪い取るナミに、どうしたのかと思う。じっと見詰めるそれに、見惚れてるとかそういった様子さえない。
「どうした?」
「兄弟なのね。ドフィとロシーって、やっぱり良く似てるわ」
客観的な感想。それはつまり、幼い頃のそれを思い出したとか、経験した訳では無いと知る。
なのにその名を俺と関連付けるのは、世界政府でも難しい。それは即ちナミが今のロシーを知っていると言う事だ。
「……やはり、ロシナンテは生きているのか」
「夢で見ただけだから、知らないわ」
ふいっと顔を背ける様子はやはり少し幼い。……まさか、俺にこれだけ色々されておきながら、俺を信頼してるのか。
その事に内心で衝撃を受けつつ、顔が熱を持ちそうになる。ナミが甘えてくれるなら、それは嬉しい。
頼る事、甘える事しか出来なかった過去とは違う。これが有り得るから、あの時ナミを帰したんだとわかっていて、それでも……歳下になっているナミにこれだけ振り回されている。
ナミ以外がこうして俺のサングラスを外したなら、俺はきっと……そいつを殺している。それでも、ナミにだけは昔から抵抗する気にもなれなかった。
……今これ以上問い詰めても、ナミは何も言わないだろう。例えそれが拷問でも言わないだろうとわかる時点で、隠してる事があると言う証明だと気付けない所がまだ少し浅い。
「強情だな、相変わらず。まァいい。粥を作ってやるから少し寝てろ」
照れ隠しもあり告げた俺に、ナミは礼を述べつつ首を傾げる。そうして簡易キッチンに向かおうとすれば、ナミが起きてこようとするので視線で大人しくていろと告げてやった。
それを正しく理解したらしいナミに、昔から視線ひとつで伝わるそれが不思議でならないんだよなと心底思う。……それに、恋愛さえ絡まなければ賢すぎて恐ろしくなる程だ。
粥を作っている途中、視線を向ければナミは水を飲んでいて、その様子に膝が笑いそうになった。警戒せずに、普通に水を飲んでくれる程に、俺を信頼しているのだと伝わっちまったから。
作ったパン粥を差し出して、ナミがそれを食べ始めればそれだけで満足感が半端ない。ナミが、その表情を綻ばせて食べ始めたのも大きな理由だろう。
「……ナミ、食いながら聞け」
「うん?」
別にナミを壊したい訳じゃねェ。だが、手放すなんてできる筈もねェんだよ。
あの時手放したのは、俺の方が強い存在となって再会して、ナミを抑え込む為だ。ナミを誰にも奪われないように囲い込む為に、俺は自分の未来に賭けたんだ。
「全力で守ってやるし、欲しい物はなんでも用意してやる。最大限大切にするから、俺の女になれと言ったら……頷いてくれるか」
俺の問い掛けにナミは、静かに首を横に振る。俺の作ったパン粥を嚥下して、ナミは優しく微笑む。
わかっていた。俺の前に現れたナミは、既に別な男のモノであり、そうなればナミはそいつしか見ないという事位。
「ドフィ……私が欲しいものは、誰かに用意して貰えるようなものじゃないの。大切にしてくれて嬉しいけれど、私はドフィの女にはなれないわ」
「ナミが俺の言葉に頷くまで、閉じ込めて犯し続けるかもとは、考えねェのか」
俺を誰だと思ってやがる。やらない可能性と、やる可能性なら、やる方が高いだろう。
だと言うのに、ナミは可笑しそうに笑う。そして、信頼をその瞳に宿してから唇を動かす。
「ドフィは、私にそんな事しないわ。だって……私に嫌われたくないものね」
少し悪戯に、だが……穏やかに微笑むそれは幼い頃に俺を見詰めていたそれと変わらない。あの頃の……ナミだ。
……卑怯だろう。勝てる筈もねェ。
俺が動揺してる間に、ナミはカタログを広げてドレスを物色し始めるから、俺はナミに似合いそうな物を適当に選んで投げ付ける。それを見たナミは、こだわりが無いのか、それとも気に入ったのか、ありがとうと笑って着替えと身嗜みを整えちまう。
その姿は、恐ろしく美しい。あの頃は底辺の生活ばかりだったが、ナミには気品がある。本来こちらの住人なのだろう。
テーブルマナーも、文字の読み書きも教えてくれたのはナミだったのだから、その時点で気付くべきだった。それなのに闇の世界については無知過ぎるのだから、光の当たる世界で美しく生きてきたんだろう。
……だが、可笑しい。ナミの過去を調べればそんな華やかさは見えて来なくて、寧ろ闇の中で身体を震わせていた筈だとわかる。
それに……天竜人では有り得ない姿だ。その上で、今の俺が華やかな世界に顔を出せる女で存在を知らない奴はいない。
謎が謎を呼びやがる。そう思いながらも、口は勝手に言葉を紡ぐ。
「似合うな……。ナミ、持って行け」
用意しておいた部屋の鍵を投げれば、難無く受け取ったナミがありがとうと笑う。……どうして俺の手元から、この温もりを離さなきゃなんねェんだよ。
そう思えばこそ、舌打ち位は許して欲しいところだ。だが、鍵を片付けたナミは戦場へ向かうかのような空気を身に纏い、凛とした空気を醸し出すから余計な言葉は口に出来なかった。
その後どの位で船が港に帰るのかと聞いて来たそれに答えれば、知的な瞳が俺を真っ直ぐに見据える。その瞳に魅入られそうになっているのを誤魔化すように誘った俺の口説きを、ナミはクスクスと笑って受け流しちまう。
「馬鹿ね、私は帰るわ」
「帰る……」
ナミにとって大切な〝家族〟や、それと同等にある存在だとその1言で分かる。なら、とりあえずとめられねェな。
俺はナミに、俺の連絡先を書いたビブルカードを手渡す。それを見てナミは突き返してくる事はなく、困ったように自分は持ってないと言う。
つまり、持ってたらくれたんだな。……この、お人好しが。
俺が言うのもなんだが、警戒心をもちやがれ。……そんな危なっかしいナミの腰を抱いて、ドアまでエスコートしてやれば驚いたような眼差しを向けられる。
「俺は元々こういう世界に生きてきたんだ。それよりもナミがエスコートされ慣れてる事に驚いてるぜ」
「私の事は気にしないでいいわ。ドフィ、またね」
「あァ〝また〟な。ナミ」
その言葉がどれ程嬉しいか、きっとナミは分かってねェ。俺にまた会いたいと思ってくれている事実に、口角は自然と上がる。
このお人好しを守りたい。そう思って去ろうとするナミの腕を掴むと、そっとキスをした。
俺の手を振り払うでもなく、ナミは再びまたねと繰り返し、そっと歩き出す。その背を見送り、部屋へと戻る。
……乗り越えて見せろ、ナミ。その時はきっともう1回り、ナミは美しく、強く成長している事だろう。
欠けても満ちる月のように、ナミは何度でも立ち上がる。その気高い心をそのままに。
……そもそも今より後のナミが俺の前に現れるんだから、この経験を超えてる筈だ。なのに赤髪を大切な兄だと微笑んだその強さが、寧ろ俺には恐ろしい。
その後見聞色の覇気で大まかな様子を見ていたが、ナミが二人の大海賊相手に覇王色の覇気で対抗するのに気付けば可笑しくもなる。自然と口が笑みを形作った。
「……やはり、持っていたか。眠れる獅子……いや、女豹か?」
フッフッフッと1人笑い出した俺のそれを見る者はなく、聴く者もない。今夜はどちらに犯されるのか。
両方に犯される事はあっても、どちらにも手を出されないなんて事は流石にねェだろう。そう思うからこそ、ナミが飲食出来そうな物を用意する為に、警戒せずに口にできるようにとレシピと材料の手配を済ませる。
それの準備をしている間に、BARでクダを巻き始めた男の様子を見に行けば、そんな風になるなら初めから傷付けてんじゃねェよと思う。だが……古来から〝龍〟ってのは番いに対して独占欲が強く、それを失えば正気を失うとされているのだからそれも仕方ねェか。
揃えた荷物を手に、ナミが寝静まった頃鷹の目の元へと向かえば、妙にサッパリした様子で顔を見せやがる。まァ……ナミを抱くとそうなるんだよな。
あの香りに包まれて、あの味を知れば、身体だけは少なくとも満足させられちまう。ナミは、相手を拒みながらも全力でその痛みや苦しみを受け止める。
抵抗しても、傷付ける事は出来ない。……本当に、甘過ぎる女だよな。
鷹の目と少し話をして、渡す物を渡してから夜ではなく朝からやられてたらしいナミに苦笑する。このランクの男達に〝待て〟をさせられる上に、平然と振り回せる女なんざ……俺の知る限り他にいねェ。
あまり部屋に長居して、ナミを起こしても面白くはねェな。……仕方ねェから、ナミの声を聞いた可能性のある奴らにカマかけて、聞いてるようなら……始末しておくか。
誰にもナミを辱める事は許さねェ。俺にはこんな守り方しか出来ねェんだよ。
そう内心で呟きながら部屋を出た俺は、やる事を終えて血の匂いを落し後で、鷹の目が消えたその部屋に舞い戻る。その時、三人揃ってるその様子にナミが叫ぶでも無く、呆れたような顔をするなんて想像もして居なかったが。
気怠げに身体を起こしたナミに、大海賊と呼ばれる三人が同時に反応する。そして異口同音にナミの名を呼べば、可笑しそうにナミは笑いながら平等に三回返事をする律儀さに、ナミがいるからこそこんな奇跡の光景があるのだと痛感させられた。
奇跡を奇跡と認識せずに、飯だの風呂だのばかりを気にするナミは、きっと最強だろう。さて取り敢えずは、コイツらを牽制しておくかと互いに睨み合う俺達にナミは呆れたような顔をするばかり。