波間の向こうを目指して(新・本編side) 作:夢枕 七変化
どうやって手紙を出していたのか、それを聞き出そうとしてものらりくらりと躱すナミに多少苛立つ。それでも何処か諦めたような顔で、けれども言っても信じないでしょうとその瞳が語る。
それから凛とした声で紡がれたのは、夢見で知ったという事。それが真実ならば、相当に稀有な能力であり、悪魔の実とも違う偶発的なそれは、世界が間違いなく求めるだろうと思わされるものだ。
だと言うのに、当人はそれを気にした様子も無い。信じて貰えないだろうと言う諦めが、そんな態度に繋がっているのだろうか。
自分の価値を正しく理解していない辺りは、守る側の負担にしかならないが……。いや、無防備であるが故にそれ程重要な人間と思われずにいる可能性を考えて、そう振舞っているのだろうか。
ただ、未来を知るだけでなく変えようとした事に、少しばかり驚かされる。その話の中でエースだけは喪えないと悲痛に言われれば、それ程に愛しいのかと思わず問い掛けていた。
それに目を見張る程優しく、同時に儚い微笑みを浮かべたナミが、当然のように頷いた。その時俺はその笑顔に心を撃ち抜かれて、衝動的にその体を抱き締めてしまう。
そのまま消えるんじゃ無いかと、そんな事を感じさせられてしまったから。そんな俺の腕の中で、ギョッとする程に細い体は力を抜いたままだ。
驚き顔を上げたそれに、思わず言葉を向ける。敵船の人間だと分かっていなさそうな様子に、少しばかり揶揄いたくなったのもあるが、反応を見たくなったのが大きい。
「随分と警戒心の薄い甘っちょろい姉貴だよぃ」
俺の言葉に何か反論でもしようとしたのだろうか。薄く開かれた唇を見て、そのまま己の唇を重ねていた。
歯列を割って侵入させた舌で、ナミの反応を見ながら良さそうな所を探して蠢く。ワンテンポどころか相当な時間をおいて、状況把握したらしいナミが抵抗を始める。
だが、その時にはもう俺が楽しみ始めていて、もう二度と辞めてやりたく無いなと心の隅で思う。食欲を刺激する香りも次第に強まるのを感じれば、彼女自身から発せられているのだと分かる。
腰を抱いていて思うのは、細いなという事。両腕を突っ張ろうとしても、俺の腕1本の力にさえ敵わない程に力も弱いその様子。
それにより、接近戦に持ち込まれたら終わるなと冷静に観察してしまう自分がいる。これは、立場故のものか、俺自身の癖なのか、もう既に分からねェなぃ。
それでも諦めずに抵抗しようとしてくるそれに少し力を加えてやれば、微かな動きさえ取れなくなるか弱き存在。それでいて唇の甘さは媚薬のようで、このままずっと堪能したいと思わされる。
俺は元々、ずっと会ってみたかったんだ。サッチを助けてくれた手紙の贈り主に、会った事も無いのに憧れに近いものを感じていたからねぃ。
会ってみれば戦えるのに弱くて、気が強いのに甘いという矛盾の塊。その上で、魂を既に他の男に捧げちまってると来たもんだ。
……本当に、俺も報われねェない。それでも、欲しいと渇望する欲は抑えきれずこうなってんだが……。
「ふぁ……や……めっ……!」
角度を変える為に僅かに離れた唇の隙間で、可愛らしく喘ぐそれに煽られる。俺もまだ、枯れてなかったって事かねぃ?
せめてもの抵抗か、舌を噛もうとして来たのに気付く。それには悪戯が過ぎると判断して、喉の奥まで蹂躙するように舌を差し込めば、呼吸がままならなくなったのか、その先俺の舌を噛もうとしなくなる。
すると今度は足に覇気を纏わせ始めたので、諦めの悪いその足を払ってナミの後ろにある机にその体を押し付けてやる。その瞬間、僅かな唇の隙間から助けを呼ぼうとされれば、それが出来ないように唇の戒めを深くするのも当然だろう。
それに対して唇が深く合わさっているからこそ伝わる言葉に、理性が活動を開始する。これは……下手に手を出すと面倒な事になるねぃ。
〝ルフィ……!シャンクス、ベック……助けて!〟
ルフィは良い。この際どうでもいいとさえ言えるが、問題はシャンクスとベックの組み合わせは厄介だよぃ。
それでも、いや、だからこそ、欲しくなる。仲間に出来れば良い牽制にもなる上に、この性格でありながら戦える実力を有していた説明にもなった。
随分と大切にされて来たようだねぃ。無意識に男を惑わすのは、本来ならば人魚の特性の筈だろぃ?
「成程ねぃ。……冗談じゃなく、ナミだけでも白髭海賊団に来いよ。赤髪とも会えるし、エースを縛り付けてもおける。ナミの望みは叶えてやるよぃ」
頷かない事を分かっていて、明らかに性的な事をしようとしたばかりなのに、俺は優しいお兄さんぶって問い掛けている。その矛盾に、自分が嫌いになりそうだと内心で嗤うが、それでも俺はナミが欲しいと願う。
そんな俺にナミは、穢れなき真っ直ぐな瞳を向けて来る。それが、どれ程男の胸を締め付ける行為なのかを、きっとナミはわかっていない。
「……私の望みは……ここじゃなければ、ルフィの傍じゃなければ叶えられないわ」
「惜しいねぃ」
思わず呟けば、ナミが困ったような顔をする。欲しいものを得る為になった筈の海賊と言う道なのに、いつの間にやら我慢する事に慣れている自分に呆れながら笑ったからだろうか。
欲望のままに求めて来たのに、今になって、傷付けたくないとさえ願っちまう。この綺麗な瞳を、そのままにしていて欲しいと願っちまうんだ。
「こんな小さな海賊団に埋もれさせるには、惜しい人材な上に……本気で、欲しくなったってのによぃ」
「迷惑な話だわ。私はルフィの女で、他の誰かのものになるつもりは無いの。それに、私の居場所はここにしかないから」
居場所、か。そう言われちまえば、普通なら引き下がるところだろうが、無理とわかっていて言葉を重ねる。
その結果俺とナミは互いに〝来いよ〟と〝断るわ〟の会話を繰り返した。唇が動き、声が聞こえるだけでも嬉しいとか……どれだけ純情ぶるつもりだと内心で己を嗤う。
今はこれ以上ナミを襲うつもりは無い。それでも、たった今触れたばかりの唇の味が忘れられない。
間合いを唐突に詰めて、その唇を奪えばあえかな喘ぎがナミから漏れる。敏感過ぎる身体が故に天候を読めるのか、はたまたその逆か。
どちらにしても損な奴だねぃと思いながら、その唇を堪能する。それにより、このまま奪い尽くしたくなるとは、身勝手なものだねぃ。
腕の力に対抗出来ず、ただ俺に良いようにされながらも必死で抵抗を続けているのがわかる。……エースの弟の女、か。
そっとナミを解放するとその場に崩れ落ちて、困惑している事を隠さない瞳が俺に向けられる。それに視線を返した事で、暫し視線が絡まり合う。
怒りも憎しみも無く、ただ純粋に疑問だとその瞳が訴えるのを見て、俺は細く息を吐き出してから、逃げるように視線を逸らす。それにより、ナミが僅かに安堵の息を漏らしたのが分かった。
「本気で、攫って行きたくなるよぃ」
想いを乗せて呟いたそれを、ナミは聞こえなかったのだろうか。何も反応せずに立ち上がると、荷物を手にする。
その流れの中で、自然な動作でペンを胸の谷間に入れるのを見てしまえば、今俺に襲われかけたばかりだろうに警戒しろよぃと呆れちまう。そもそも胸は、小物入れじゃねェよぃと思いながら視線を逸らす。
すると、その場にあった本棚に俺の意識が集中する。宝玉の医学書が全て揃っていて、中には俺もまだ見ていない物があったからだ。
「これは……」
思わず手にしたのは、見覚えのない書籍。ここにあるのならば、既に何処かで発売されているのだろう。
「この医学書は、何処で売って……?」
「……地域によりますけど、普通に新作らしいです。うちの船医にあげようと思って、持っていました」
専門書の所ではなく、普通の書店で売ってるのか?
「本屋で、売ってるのかよぃ?このレベルの本が?」
「本ですから、本屋で売ってるのは当然かと」
不思議そうな顔で見てくるナミに、僅かな呆れが見える。それでも俺は嬉しくて、早く手に入れなければと思う。
知らなかった事が書かれている事も多い、宝玉の医学書。それも通常ならば生涯をかけて、数冊しか出せないで終わる筈の物を何冊も短期間に出している。
そのお陰で医学は今、世界規模で恐ろしい速度での進化を遂げている。宝玉の医学書はある意味で劇薬だと、こんな時に感じるのだ。
医学書だけではなく、多くの分野の本を出してその分野の発展を1気に促す宝玉は、何者なのか。グループだと言われているが、文章構成等を見るにそれはありえないのではないかと思う。
医学書を読みながらそんな事を考えていたら、ナミが同じ本を俺に差し出して来た。何だと思って視線を向ければ、優しく微笑まれる。
「ページの差し替えが起きちゃってる奴ですけど、宜しければ……このページ、左右逆になってるの。他は大丈夫だけど、それでも宜しければ……どうぞ」
それは、言えば交換して貰える筈だろうに買い直したのだろうか。医学書は安くは無いと言うのに。
それ程余裕のある航海をしているようには思えないが、だとするならば、それ程この船の船医は愛されているのだろう。手渡された本の代わりに、開いていたそれを返しながら言葉を返す。
「……有難く頂いとくよぃ」
そのまま読み始めれば、内科的な内容になっていて親父の治療に役立つ可能性があるかとつい集中しちまう。……成程、この治療なら……。
本をある程度読み視線を動かすとナミの姿が消えていて、やっちまったと思う。それにしても、図書室では無くここは女部屋か。
本棚に隠される形で設置されたベッドにナミの髪と、水色の髪が落ちているのを見て少し笑う。本好きなのか、それとも男達に本を任せられないのか。
ん?……となると、船医は誰だ?
そんな事を僅かに思いながら外に出ると、視線の先にはジュゴンと戦ってる阿呆がいて、流石はエースの弟だよぃと肩から力が抜ける。それを見て困ったような顔をしてるナミに、恋心では無く愛情を抱いているのだと気付けば自然と溜息の1つも落ちようと言うものだ。
それにしても……。用意された荷物を見れば、明らかに俺とエースの分まであると分かる。
この1味はお人好しの集まりなのか、バカなのか。はたまたその両方か。
合流した俺とエースにその荷物を当然のように渡すメンバーに、思わず問いかけたのは自然な事だろう。こんな事をしていて、金銭管理は大丈夫なのか。
「1時的に行動を共にするだけなのに、食料とか渡して大丈夫なのかよぃ?」
「当たり前だろ。1緒に動くなら友達で仲間だ!」
エースの弟……ルフィに言われれば成程と思う。これが分かっていれば、そのつもりでクルーは動くよなぃ。
他に視線を向ければ、それらも皆似たような顔をしているからここは有難く受け取るかと、本を渡された荷物に仕舞いながら歩き出す。表向き呆れたフリをしつつも、内心ではこのメンバーで砂漠を旅するのは、楽しいかも知れないと少しばかりワクワクする心を、必死に押さえ込んでいた。