波間の向こうを目指して(新・本編side) 作:夢枕 七変化
拷問に近い夜が、長いばかりでもないのは恐らくナミが妙な安眠効果を発揮しているからだろう。夢も見ない程に深く眠らない限りは、悪夢に苛まれるのが海賊と呼ばれる生き物の性だろうと理解している。
なのに……何故か、ナミを抱き締めて眠ると妙に安眠できちまった。それでもそれは、ナミが魘されるのを止めてからの事ではあったし、甘えるように、縋るように触れて来る無防備さには溜め息も出たが。
……それなりに年齢重ねてて良かったよぃ。体調の悪い女を襲う趣味は無いと言って、頭を撫でてやれる余裕があるからねぃ。
可能な限り不死鳥の姿で抱き締めていたが、安眠しちまった俺は目覚めた時には人の姿に戻っていた。その目覚めも何とも可愛い声によるもので、その時の表情が余りにも幼く見えたのも心を穏やかにした理由かも知れない。
「ふぇ!?」
「……おはよう、歩けそうかよぃ?」
「わ、からない、けど、試してみます」
不安を隠さないナミに、だが恐らく問題は無いだろうと思う。青い俺の炎は、癒しの力をもつ。
触れた瞬間に傷を消し去るような便利はさないが、早く治る事だけは間違いない。今回のような疲労系ならば、回復は比較的早い。
……だからこそ、拷問等を行うにも便利なんだがな。何故かナミには、その事を極力知られたくねェよぃ。
戸惑いを隠せないナミは珍しく妙に幼くて、そんな姿が物珍しい。どうしてもそんなに幼い存在はこの海になかなかいないし、いたとしても死んじまうか成長してその幼さを失う。
だが、ナミはこの世界で生き抜く力を持っていながら、その幼さを残している。……それも恐らく、身内にしか見せない素直な部分なのだろう。
「歩くのが危ないようなら、抱いて連れ帰ってやるよぃ」
半分以上本気で言った俺の言葉を冗談として受け取ったらしいナミは、小さく笑ってから身体を起こした。髪が肩から滑り落ちるという当たり前のそれに目を奪われていたら、ナミから驚愕の眼差しを向けられて内心で焦る。
見惚れていたのがバレたのだろうか。だとしたら流石に……と考えたからなのか、口から出て来る言葉は何とも言い訳がましいと言うか、恥の上塗りと言うかで情けない事この上ない。
「……ナミは、何者なんだ?抱いてたら安眠効果凄ェ高いから驚いたよぃ」
「何者、は、私が聞きたいわ。マルコさん、私に何したの?体が凄い楽なんだけど……」
そっちか……と言う安堵感と同時に、これを告げたら嫌な顔をされるのではないかと僅かに逡巡する。これ迄に何度も不死鳥の姿は見せて来たが、それでもその姿で……獣に抱き着かれる事は不快になる可能性もあるのだから。
ならないだろうとも思うのに、過去の経験が臆病にさせる。善意でした事が、悪意で返されるのなんて良くある事だ。
「……不死鳥の姿で暫く抱いてただけだぃ。少し、魘されてたからねぃ」
言葉にしてみると、何故か顔を真っ赤に染めてそのまま口をパクパクと動かすから、杞憂だったと分かる。それもあってか、話題を変える為に軽く揶揄うと小さくなっちまう。
「ナミは、エースの弟が好きなんだと再認識させられたよぃ」
「ご、めんなさ、い……」
「……構わねェよぃ。俺が、勝手にナミに惚れてんだ。今はまだ、無理強いするつもりもねェが……1人で動けそうなら、1つだけお礼してもらおうかねぃ」
俺は無意識で想いを告げていた。その上で強請った欲深さ。
それでもこの時は、俺のビブルカードを貰って貰うだけのつもりだった。なのに、ナミは阿呆な事を言い出す。
「わ、私に出来る事ならなんで、も……?」
勢い良く顔を上げて言うそれに、俺は思わず溢れそうになる色々な物を必死で抑え込む。男相手に、迂闊すぎる……!
俺の変化に気付いたのか、ナミは小刻みに震える。小動物を思わせるその様子に、劣情が霧散するのを自覚した。
「自分に惚れてるって言ってる男に、ンな事気軽に言ってるとヤリ殺されるぞ。……気を付けろぃ」
「ごめんなさい……」
「……ナミは、そういう意味じゃ、まだまだ子供なんだねぃ」
こりゃ、赤髪達が猫っ可愛がりするのも分かるなぃ。その上で、こんな姿を見せるのは特定の相手となれば気分は良いし、守ってやりたくなる。
当人は守られたくない!私が守るんだから!とか言いそうだけどねィ。
愛しくて、つい笑みが零れる。愛しいとは、こういう感情かと馴れないそれに戸惑いはあるのに、それが妙に心地好い。
その時ナミは慌てた様子で立ち上がり、そのまま歩く。良かったと思う俺とは違い、当人が本気で驚いてやがる。
その直後、ナミは慌てた様子で俺へと振り向いて言う。まるで今言わないと、二度と言えなくなるかのように。
「エニエス・ロビーで、助けてくれてありがとうございました。その後の治療が無ければ、私死んでいたようです。チョッパー……ウチの船医にそう言われました」
「成程。血は足してやれ無かったからなぃ。何せ、普段から血は持ち歩いて無かったからねぃ。……少し待ってろィ」
ナミの様子から考えて、あのレベルの出血はルフィの仲間内ではよくある事なのだろう。ならばあの小さな船医に、増血剤の予備位渡しておいた方がいいだろう。
鞄から取り出した作り方のメモと、増血剤の予備をナミに差し出す。戸惑いを隠さないナミの姿に、説明してなかった事を漸く気付いた。
「増血剤とその作り方だよぃ。点滴で血を入れる程の即効性はねェが、時間かけてでも増やしてくれる。珍しい血液型の奴には特に効果的だぃ」
「ありがとうございます!」
その言葉と共に向けられた笑顔に、理性が仕事を半分放棄した。少しくらい味見した所で、誰に責められる事も無いだろう。
名を呼べば、ベッドに腰掛けてる俺に無防備に近付く愚かな少女。そうして俺は、やっぱり海賊なんだと自己認識する。
「お礼を、貰おうか」
意味が分からないのだろうが、本気で何を渡せばいいのか悩んでいる様子で、真っ直ぐに見詰めてくるその瞳を直視できなくて、視線を躱すようにして唇を塞いだ。そのままベッドに沈めれば、漸く状況を理解したらしく時折逃げようとする。
……逃げないでくれ。今は、唇だけで構わないから、それ以上の事は望まねェから、腕の中に……。
俺に襲われてる事に間違いなんてねェのに、俺の感情を正しく受け止めて、ナミはそれを受け入れる。この、砂糖菓子がと内心で悪態つきたくなる程度には、その甘さに溺れそうだ。
下手な麻薬より強い依存性を発揮して、その癖己は限りある果実なのだと伝えて来る。貪れば枯れると分かるから、唇だけで耐えて見せよう。
「ナミ、無理強いはしねェが、お礼として……キスくらいは構わねェだろ」
「マルコさ」
拒む言葉も、制止する言葉も聞きたくなくて、その言葉ごと飲み込むように唇を重ねた。抵抗の為に肩を押したりしてるのは分かるが、非力過ぎて泣ける。
なのに何故だろうな。ナミが全力で向かって来たら、勝てる気がしねェ。
「好きだ、ナミ」
「まるっ……んんっ!!」
弱いのに強くて、優しいのに厳しい。そんな矛盾を抱える幼くも美しいこの女に、俺は魅せられている。
繰り返すキスの合間に、想いを伝える。次第に抵抗する事を辞めて、ただ受け入れてくれるようになったナミに、これはエースばかりを責められないなと少し思う。
「何かあれば、頼って欲しい」
俺の言葉に困ったように眉を寄せるナミを見れば、頼れる筈がないと言われていると気付く。その拒む瞳から、俺が頼りないからではなく、恋人や仲間ではない人間に頼る事を良しとしない気高さが見えた。
この不器用な女は、甘やかす事ばかりに長けている。どうして、甘やかされる事が上手くできないのだろう。
女は要領良く〝ありがとう〟と笑って、野郎共に何でもやらせちまえばいい。ホワイティベイなんて礼すら言わずに、顎で使ってた位だ。
精一杯の優しさで抱き締めれば、ナミはそれに戸惑いを見せる。優しくされる事、甘やかされる事に慣れていないのだろう。
「ナミのその真っ直ぐさは尊いが、案外頼って貰えるだけでも嬉しいもんだよぃ。俺を喜ばせると思って、何かあれば連絡して来い」
そう言って手渡したのは、ビブルカードに書いた俺の番号。戸惑いを見せるナミから返されるのを恐れて、俺はそのまま離れると窓へと向かう。
「ここの支払いは済ませてあるから、夕方までは居られる。今は昼だから帰るかは任せるよぃ」
「マルコさんは!?」
「エースを探す。可能なら連れ戻す。無理でも、話しは通してあるから急いで帰って対策練るから気にするなぃ。……サッチを生かしてくれた事、エースを生かそうとしてくれてる事、どちらにも感謝してるよぃ」
「私は、何も……」
本気でそう思っているらしいナミに、苦笑がもれる。己を認めず、己を責めるしかできない、自己肯定力の欠如が著しい様子に、医者としても中々に目を離せない。
恐らくトラウマがあるのだろう。虐待されて育った子供に、よく見られる傾向だ。
常にその価値を否定されて育った人間は、それが当然だと刷り込まれる。大人でさえ、モラハラやDVにより自分は価値の無い存在だと思ってしまうのだから、子供は余計にその状況に陥りやすい。
大人は環境が変われば改善するが、子供のそれは改善するのに時間がかかる上に何かの時にはその状態に戻っちまう。それを踏まえれば、相当酷い精神的な苦痛や圧力をかけられ続けていたのだろうと分かる。
「エースに会えたら、殴っとくから……今は色々考えるなよぃ。ナミは、何も悪く無かった。自分を責めるな」
言葉を告げて、俺は姿を変えた。出来の悪い弟に、その辺の話も少し聞きたいと思いながら。
飛び立ち、探し回り、そして……ギリギリで助ける事が出来なかった事を知る。エースを手土産に、ティーチ……黒髭が世界政府に身を置いたのだと。
目の前で燃え広がる炎が、この場でエースが戦っていた事を示している。悪魔の実を食う前の黒髭相手ならば、エースに勝てはしなかっただろうが……。
分かっていた筈だった。黒髭はイゾウとほぼ同期になる位の古株で、狡猾な奴なのは。
なのに、近年の穏やかで明るいあいつの姿にそれを忘れさせられていた。奴は何の能力も無い段階で、赤髪の野郎に傷を負わせた事があるような相手だと知っていたと言うのに……!!
「クソッ!何が、不死鳥だっ!……どうして、あと1日早く……っ!」
己の不甲斐なさに掴んだ情報の載った紙を握り潰そうとも、現実が握り潰せる訳もない。泣こうが喚こうが、現実が変わらない以上、自己嫌悪に陥り燻るのは今じゃねェ。
気持ちを切り替える事は難しいが、まだエースが殺された訳でもねェのだから、取り返しは可能だ。そう判断して空へと飛び立てば、俺からの連絡を元に近くまで来ていたらしくそれ程間を置く事無く合流出来た。
「親父っ!面目ねェよい!エースが「分かってる。……マルコ」」
言葉を遮られて名を呼ばれれば、自然と緊張する。これは誰が何と言おうとも、俺の失態だ。
半獣の姿から人の姿に戻る俺を見て、仲間達は気遣わしげにしている。どうやら、俺を責める気は誰にもないようだ。
「お帰り」
「へ?」
「何だ、帰ったのにお帰りと言われて何が不満だ」
「あ……いや、不満はねェよい?……ただいま、親父。皆」
俺の返事を受けて、親父はグララララララと大仰に笑う。その姿を呆然と見詰めていれば、悪戯な顔から1転、大海賊の船長の顔をする。
「野郎共!戦争だァ!!家族を、奪い返すぞォォ!!」
親父のそれに全員が雄叫びのような呼応をする。その中でナース達が親父様の治療をちゃんとしなきゃと言った瞬間、親父がそれをひと睨みで黙らせた。
俺はこの時、親父が何を言うのか、分かるような気がした。だってよ、他に選択肢は無い。
親父は〝娘〟が傷つく事に耐えられない。俺達は捕まって、拷問を受けたとしても時が解決する。
だが、女は違う。男は掘られたとしても何かが宿る事は無いが、女は望まぬ妊娠が有り得て、出産に耐えられる保証もない。
妊娠している事を理由に、手加減なんぞされない。囚われた女海賊の末路など、凄惨を極める上に救い等何も無いのだ。
生き残っても地獄、寧ろ死んだ方がマシだったとなる事もザラだ。だからこそ、親父はナース達を愛しい娘として見ているから、今回モビーから降ろすだろうと分かっていた。
泣いて縋るナース達を1人1人抱き締めて、親父は優しく笑う。生きて欲しいと言って。
白髭海賊団にいるとは言えども、非戦闘員であり手配書もない、身体に墨もないナース達を狙うのは難しい。それでも狙われた時は、俺達の女として対外的には迎えに行く。
そうする事で何かあった時、彼女達を安全に陸へと帰してやれるから。海賊を続けられなくなった兄弟と共に去るナース達も多く居たが、今回のこれはきっと……納得なんてしたくないだろう。
「……我儘言うなよい!非戦闘員のナース達が居たんじゃ足手纏いだ。エースを助けようとしてる時に、荷物まで抱えられるか」
低く、冷たく、意識して言葉を音にすれば泣き出すナース達。わかっている現実を突き付けられて、泣かない筈もない。
ナース達を守るという名目で、怪我の酷いやつと病人も降ろすしかない。今回は、相手が悪過ぎる。
半数は死ぬ事を覚悟しなければ、助けになんぞ行けない。それでも俺達は……助けに行かずに生き残るより……助けに行って散る事を望む。
事務的に対応して、冷たくあしらい、ナース達と共に戦えないもの達を安全な島に降ろしてから俺達はその後の段取りを話し合う。その時になって、親父が突然手招く。
「どうしたよぃ?」
「いいから、来い」
言われるままに歩み寄ればヒョイッと抱き上げられ、そのまま膝に落とされる。何事かと顔を上げるより早く頭を撫でられれば、顔が赤くなるのは当然だろう。
残ってる兄弟達の視線が集まる。それが冷やかしを含んでいないのがまた、居た堪れない。
「嫌な役目、させちまったなァ。1人で憎まれ口買ってくれて、ありがとうよ」
「親父に、足手纏いなんて言われたら……立ち直れねェよい。だけどな、そう言われなけりゃ、離れられねェのも分かる。なら、俺が言うしかねェだろい」
「マルコは、優しいな……自慢の、息子だ」
「何処が、だよい……。俺は、あんなに助言貰って導かれたのに……エースをむざむざ……っ!!」
泣くものかと、唇を噛み締める。それに合わせて唇が青い焔を出せば、親父に辞めろと言われちまう。
「治るとはいえ、痛みはあるだろ。回復の制限もある。……俺より先に逝くなんざ、許さねェぞ」
親父の言葉には、親不孝をした兄弟達を今も想っているのだというそれが詰まっている。だから俺はそれに頷く。
「そうだねぃ。そんな馬鹿を出さねェ為にも、皆……聞いてくれ。〝空色の手紙〟を送って来ていた〝エースの姉〟である〝宝玉〟から有益な情報を得て来た。これを元に作戦を考えよう。……必ず、取り戻すぞ!」
落ち込んでいる暇など無い。俺達はこれから、無鉄砲な末っ子を迎えに行くのだから。
波間の向こうで待つ、愛しい弟を叱る為にも少し待ってろとエースに心で訴える。俺達家族の心は、ひとつだった。