波間の向こうを目指して(新・本編side) 作:夢枕 七変化
俺達四人が、それ程長い時を共に過ごせた訳じゃねェのは、分かっている。それでも、俺の中でナミはとてつもなく大きな存在で、光り輝いて見えたんだ。
その日の騒動を聞いたのは、騒動が起きた翌日になってからだった。ルフィの馬鹿が山賊なんかに捕まって、殺されそうになったのを海賊が助けてくれたのだと。
その場にいたナミが、ルフィの為にと駆け回ったと言うのもその時に知った。……兎も角二人共、無事で良かった。
「ナミ!」
「エース、サボ、二人がこっち迄来るなんて珍しいわね」
「ルフィが〝また〟攫われかけたって聞いて、エース引き摺って来たんだよ」
俺が呼び掛ければナミは即座に反応してくれて、それに続いてサボがそんな事を言うとナミはクスクスと笑う。それから、少しだけ寂しそうに俺達を見た。
「もうすぐ、お別れだわ」
「「え?」」
「前に話しておいたでしょ。私は、シャンクスに修行付けてもらってる見習いだって。……シャンクス達は偉大なる航路へ帰るから、私もそろそろ実家に帰るわ」
「ここに、赤髪達が居なくなっても、ナミがここに居るのは問題ねェだろ!行くなよ!」
思わずその肩を掴んで言葉を向ければ、ナミは困ったような顔で俺を見て、それから笑った。その笑顔が優しくて、何でか胸が苦しくなる。
「ごめんね。でも、私が強くなろうとした理由が、家族だから」
「ナミ、なら……俺も……!」
「エース」
優しい声だと思った。同時に、強く拒絶されているのが伝わって来る声でもあると。
絶対に曲げられる事は無いのだと、その声と眼差しが伝えて来る。俺には無い〝守る者〟の強さ。
「……いつ、ここを発つんだ?」
何も言えなくなった俺の代わりにサボが問い掛ければ、ナミは優しく笑う。……そうだ、この顔だ。
同じくらいの年頃だとは、ましてや年下だとは思えないのはこの顔のせいだ。俺も、サボも、ルフィも……与えられた事の無かった純粋な愛情。
母からの愛情と呼ばれるだろうそれを、ナミは当然のように、惜しげも無く与えてくるんだ。臆面も無く愛してると囁き抱き締めてくれるその温もりに、慣れ親しんだ今になって去ろうとするとか……酷ェ話だよな。
「多分、明日には」
「明日……」
「今日買い揃えられなかった物を明日買って、後は明日届く物を積込む筈だから」
「なァナミ、俺達を連れて行けない理由って何だよ」
思わず自分が言葉にしたのかと思ったが、見ればそれを問い掛けたのはサボだった。それに対してナミは、守りきれないからと言う。
俺も、サボも、ましてやルフィは当然……確かにただの1度もナミには勝てた試しが無い。そのナミが、勝てないかも知れないと嘆く相手……。
「強くなったら、迎えに行く!俺が、ナミを守るからよ!」
俺が叫ぶように言うと、ナミは泣きそうにその顔を歪めて、楽しみにしてるわと微笑んだ。その笑顔を見て、ちゃんとナミを泣かせてやりたいと、その時強く思った。
ナミは強いから泣かないんじゃなくて、弱いのに強くなくちゃいけないから、泣けないんだとこの時になって俺は気付いた。それと同時に俺は、弟としてじゃ無くて……男としてナミの隣に立ちたいと願う。
翌日、様子を見に行けばナミは何やら麦藁帽子を愛しげに撫でていて、赤髪の船長と親しげに話をしているのが見えた。少しだけ、幼い顔で……。
あんな顔、見せてもらった事ねェ。赤髪の船長を信頼しているのだと、大好きなのだとナミのその瞳が語る。
……あのレベルにならないとダメって……遠すぎんだろ。それでも理想が高過ぎるなんて言えない位、ナミは俺にとって高嶺の花だ。
副船長も明らかにナミを想ってるってのに、どうしてナミはそういう所だけ鈍いんだろうな。そんな事を考えていたら、ナミがクルリとその身を反転させて俺達の元へと駆けてきた。
「エース、サボ……もう、行くね」
「いつかまた、会えるよな……?」
死なないでくれの言葉の代わりにサボがそう問いかければ、ナミはその瞳を揺らした。その瞬間に、きっと……ナミは死ぬつもりなんだと気付いて、その体を押さえたくて、閉じ込めてしまいたくなって、手を伸ばしかけてやめる。
そんな事をしたら、きっとナミは壊れちまうから。天女が月を恋うように、ナミも家族を求めて嘆くだろうと分かるから。
今のナミが命を捨てる覚悟でなければ戦いにならない相手に、俺達が勝てる筈も無い。今の実力で、ナミを守るなんて烏滸がましいにも程が有る。
強くなって、迎えに行く。助けに行くから、死ぬなよ、ナミ。
「サボ……サボが生きる事を諦めない限り、またいつか会えるわ。大丈夫よ」
俺が心で話し掛けてる間にナミはサボに言う。けどよ、その会える相手は、ナミなのか?
そう問いかけたくなるくらい、ナミからは生気を感じない。そう思っていたら、ナミはサボを優しく抱き締めた。
サボはそれを呆然と受け入れ、直後に離れるナミに微かにその表情を曇らせた。その直後、ナミの腕が俺に伸ばされてそっと抱き締められる。
「……エース、エースの名を呼び演技ではない笑顔を向けるのは、エースの事が好きだって言う証拠。独りになろうとはしないでね」
その体が、微かに震えていて、声が微かに掠れていて、ナミも離れる事を望んでる訳じゃないんだと知った。静かに俺達から離れたナミは、2度と俺達の方を振り向く事は無い。
ルフィはナミが先程手にしていた麦藁帽子を抱いて、泣きながら海賊船を見送っている。その前にナミに抱き着いて泣いていたルフィに、ある意味尊敬しちまう。
声を上げてナミの腕の中で泣く事の出来たルフィと、泣く事が出来なかった俺達とでは、心の中に残っているシコリが少しだけ違うんじゃねェかと、そう思うような日々が始まる。何せルフィは、翌日にはいつもの調子に戻っていたんだからな。
弱い癖に俺達の宝が何処にあるのかを告げずに殺されかけたり、考え無しに獣に飛びかかって大怪我したりする。その他にも、吊り橋から落ちそうになったり、毒キノコを食べて死にかけたりと、ルフィは相変わらずだ。
無邪気に俺達の後をついて回るルフィの笑顔が、俺達の心をどれだけ救っているのか、きっとルフィには分からないだろう。それでも感謝したくならないのは、手がかかり過ぎるからだ。
「エース!サボ!あっちにキノコが沢山あった!」
「そっちは大蛇の巣だって言ってんだろ!いい加減覚えろ馬鹿ルフィ!」
「まァまァ、そんなに怒るなって。ルフィ、危ないって言われてる所には行くなよ。……ナミが、心配するぞ」
「……でもよ、危ないところなんて無いくらいに強くならねェと、ナミを守れねェだろ」
……本当に、コイツは、時々核心を突きやがる。俺とサボは思わず顔を見合せると、まずは俺達に1度でも勝ってから言えと言ってルフィを物理的に黙らせた。
3人になって最初に困ったのは飯だった。ナミが居ないから寂しくて飯が不味いとかじゃ無くて、素直に味のランクが落ちた。
ルフィは何度教えても料理を覚えねェし、俺とサボの作るそれは、味が無かったり、生煮えだったりで食えたもんじゃねェ。だからと思って肉を捕まえると、なんでか生臭い。
だから俺達は食い逃げを繰り返したし、ダダンの所に肉を運んでそれを食うように変わった。賑やかで、人に溢れた日々は瞬く間に過ぎて、そして……俺とサボにとってルフィが、かけがえのない存在となって少しした頃、それは起きた。
サボが、俺達の目の前から連れ去られた後、再会する事も無いままに死んだ。サボを殺した犯人が誰なのかを、ダダン達は教えようとしねェし、ルフィは泣くばかりだ。
俺が、しっかりしねェと。ルフィを、弟を、愛しいこの生き物を……守らねェと。
俺は〝兄貴〟だから。サボの分まで、俺が守らねェと……弱っちィ〝弟〟は、サボより簡単に喪われちまうのが分かるから……。
そう思った時、ナミの気持ちが初めて理解出来た気がした。守ると決めた時、強くなるしかないとわかった時、こんなにも苦しいものだったのかと……。
ナミがどうして強かったのか、どうして優しかったのか、やっと分かった気がした。これを、あの時既に超えていたのか、ナミは。
強くなるしか無かった。弱ければ全て喪っちまう。
強くなるしかないんだ。大切な者をこの手に取り戻す為にも。
サボからの最後の手紙を握り締めて、1人大声で泣き叫んだ。もう、俺には……ルフィしか居ない。
今……今だけでいい。もう1度だけ、ナミに会いたい。
もしあの時に、ナミがいたらサボは死ななかったんじゃねェかなって、そんな事を思っちまう位、俺はどこにいるかも分からねェナミに、救いを求めていた。その頃ナミが、どんな苦痛の日々を過ごしているかなんて、想像も出来ないままに。
そして俺は、17歳になったその日に、海に出た。ルフィを残して。
嫌いな物を全て詰め込んで、大切な物なんて何も持たずに、海へ出た。大切な物を探す旅だった。
俺はその時点で、東の海では最強としか思えないくらいの実力もあったし、だからこそ集まった仲間もいる。1度仲良くなれば、突き放すなんて出来なかった。
皆、心に傷を持っていて……皆、何かが欠けていた。そんな中でも俺は、あの時ナミが降ろして貰えなかった可能性を信じて、赤髪海賊団を目指す事にしたんだ。
会えるかも知れない。上手くしたら、1緒に来てくれるかもしれない。
何だかんだと文句を言いながら、それでも俺を〝可愛い弟〟として見ているから、守る為にって……。でも、ルフィを助けてくれたお礼と挨拶の為に行って見れば、思っていたのとは違って歓迎はされたけどナミは居なくて、少しばかり落ち込んじまう。
そんな俺に酒を呑みながら、赤髪の海賊は優しく言葉を向けて来る。その表情は、酷く懐かしそうなものだ。
「ナミは、お前達が本当に可愛かったんだぜ」
「は?」
「家族の他に、ナミがあんな顔して話すのはお前達の事だけだった。愛しくて堪らねェって、全身で表現してたよ」
「……赤髪、さん」
「名前で良い。ルフィも名前で呼んでたし、ナミから聞かされていた他に、時々見かけては居たからな。……まさか、ルフィの兄貴だとは思わなかったが」
「……おれ、ナミに、会いたかったんです」
ルフィを助けてくれた事に対して、お礼を伝えるだけのつもりだったのに、気付けば甘えた言葉が口をついて出ていた。そんな俺の頭を撫でながら、シャンクスさんは笑う。
あァ……ナミが、甘えていたのも、わかる気がする。俺はまだまだ、この人には届かない。
「俺も、ナミに会いたい。同じだな」
「……っ!はい!」
瞳を見れば分かる。この人も本当にナミと会いたいんだって。
距離が分からなくて、恐怖さえ感じられないくらいにシャンクスさんは遠かった。でも、だからこそ、納得出来たのかも知れない。
ナミが〝護る対象〟でも無いのに、愛してやまない唯一の存在であるこの男を。いつか、超えてみせると決意して、俺は仲間の元へと戻って行った。
……失った者ばかりを数える旅だった。初めから無かった筈のモノを求めて、大切な者を切り捨てて、俺は海を進んだ。
ねじ曲がって、何処を向いてるのかも分からないくらいになりながら、ただ世界を憎んでいた。その怒りをぶつける場所を求めて、俺は暴れ続けたんだ。
それが数少ない大切な者を傷付けてしまう可能性に気付いた時には、どう足掻いても勝てない男が目の前にいた。情けをかけられて、適当にあしらわれて、それでも何故かナミと同じようなモノを向けて来る男に……心が揺さぶられる。
憎んでる筈だった。この男を超えなければ、先に進めないと思っていた。
そうしなければ、俺は、俺の中にあるもう1つの名前に押しつぶされるような、そんな気がしていたんだ。足掻いても沈む泥沼に居るような感覚で、ただ暴れていたに過ぎねェんだ。
「毎日毎日、対した根性だな、あいつ……」
「百回いったか?」
「いったな、多分」
苦しくて、つらくて、呼吸の仕方さえ俺にはもう、俺には分からなかった。優しさや愛情が既に、痛みとしか思えないくらいに、限界だったんだ。
尖るしか出来ない俺に、この船の奴らは優しかった。無言で温かいモノを平然と差し出す奴らに、俺は棘を向ける事しかできずに居る。
「お前らなんで
「……あの人が……〝息子〟と、呼んでくれるからだ」
その、感情には覚えがある。ジジイが〝孫〟と呼んでくれて、ナミが〝弟〟として愛してくれて、ルフィが〝兄〟として慕ってくれた。
「俺達ァ世の中じゃ嫌われ者だからよぃ」
俺は、産まれてくる事も、生きる事も許されなかった。それくらいに、存在する事さえ許されない程に、嫌われて来た。
「……嬉しいんだなァ……。ただの言葉でも、嬉しィんだ」
……アイツは、確かに言った。〝俺の息子になれ〟と。
捨てて来た筈の、失った筈のそれを、俺は求めている。俺は……!
「お前、命拾いしてこんな事まだ続ける気かよぃ。そろそろ決断しろぃ。今のお前じゃ親父の首は取れねェ」
俺は、何も言葉を口に出来なかった。嗚咽を堪えるので精一杯だったから。
その間も言葉は続く。その言葉の答えはこの時点で、もう既に……俺の中で決まっていた。
「この船を降りて出直すか……ここに残って〝白髭〟のマークを背負うか……!!」
そうして俺は〝船長〟である事を辞めた。差し出された手を、振り払う事を辞めた。
その愛情を素直に受け取る事も、差し出された手を握り返す事も出来ないとしても、もう、振り払ったりは出来ないと気付いたんだ。俺はそうして、白髭海賊団のエースとして、海を進む事になる。
波間の向こうに何が待っているのかを〝家族〟と共に知る為に。波間の向こうで、ナミがどうしているのかを知らないままに。