波間の向こうを目指して(新・本編side) 作:夢枕 七変化
その後もナミは、まるでそれが世界の真理だとでも言うかのように皆を傷付けたくないのだと語る。穏やかに、優しく……そして切なく。
でもよ、ナミ。その〝皆〟の中に、自分を含んでくれないのはどうしてなんだよ。
誰にでも優しいのに、どうして自分には優しく出来ねェんだよ。どうして自分にだけ、そんなに冷たいんだ……!!
「そんな訳だから、皆には怪我をして欲しくないの。ルフィ……分かってくれない?」
「ナミ、これは……俺の喧嘩だ。ナミを泣かせた奴は何があっても許さねェって、ガキの頃から決めてんだよ」
優しく諭すようなそれに、俺は苛立ちが増して行くのを感じていた。だからこそ、少しばかり乱暴に、ナミが愛してやまない村人にナミを預ける。
正直、ナミが俺よりも優先する存在なんて、全部大っ嫌いだけど……そうも言ってらんねェし、それも含めてナミだからな。甘くて、暖かくて……悲しい程に優しいのがナミだって事、俺は知ってるんだ。
「俺はいつまでも、ナミに守られてるだけの弟でいるつもりはねェ。たまには大人しく守られてろ!」
俺の言葉に納得したのか、それともただ〝俺が言うから〟と言う理由で従ったのかは分からない。それでもナミが頷いたのは間違いないから、俺はそれに納得して小さく頷いてから戦いを開始した。
技を出すのに動かないように足を地面に突き刺して、身体を捻って戦って……そしたら、足が抜けなくなった。そんな俺を庇うようにゾロが動き、ウソップが引っ張る。
でもよ、結局俺の足は抜けないままなのにウソップは戦いに行っちまうし、ゾロとサンジも戦い始めるから、俺はアーロンと戦おうとしたけど……海に沈められちまった。海に落下した瞬間から身体には全く力が入らなくて、このまま死ぬのかなと思ったら意識が沈む。
守るって、助けるって決めたのに、ナミが、また……泣けなくなっちまう……。早く、どうにか……。
意識が戻った時、俺の目の前には俺が嫌いだと言ったナミの姉ちゃんがいた。どういう事かと思ったら、首だけ伸ばして呼吸できるようにしてくれてたらしいと知る。
必死なその顔がナミと重なった。フワリと香る蜜柑の匂いはナミのそれと、良く似てる。
「どうして、助けてくれんだ?俺は嫌いだって……言ったのによ?」
「ナミが、泣くからよ」
「え?」
「ナミは、心だけで泣くから……あんたが死んだら、絶対」
ナミの姉ちゃんは、ただナミの為だと言う。それにより、やっぱり似てんなって思ったらおかしくなってきた。
似てるのに似てない姉妹。ナミが大切に想う……ナミが今、生きてる理由。
「ごめん。嫌いだって、言って。ナミが俺よりも優先する奴皆嫌いだけど、でも、お前良い奴だな!」
「……ねェ、今何の為に謝ったの?普通は謝る相手に、嫌いだと言ったりしないでしょ」
「ん?悪い事言ったと思ったからだぞ?おっ!?」
その時身体が海面に向かって来るのを感じて、それと同時におっさんがナミの姉ちゃんに離れろと叫ぶように言った。俺はその上がってくる力により、空中に飛び上がる。
空中から腕を伸ばして、俺は空中に行く途中で見えていたゾロを掴む。本当に、良い位置に居てくれた。
交代を告げて、でもゾロなら実を食ってねェから海に落ちても平気だろと入れ替わるのに使わせてもらう。その位置なら戦いやすい!
珍しく驚いたのか、叫び声を上げながら飛んで行くゾロに空中楽しいよなと笑いかけてから、アーロンを見据える。着地の反動を利用して、アーロンに殴り掛かればその場から吹き飛ぶその巨体。
そのアーロンが無傷なのは分かりきってるけど、準備運動にはなったかなと思う。その時ゾロ1人が戦ってた理由は思い至るから、視線はアーロンに向けたまま声をかけた。
「サンジ!ナミを頼む!……ナミ!任せろって言ったのに、無理させて悪かった。今度こそ、アーロンって奴ぶっ飛ばすからよ、待っててくれ!」
俺は戦う事しか出来ねェから、守るのは任せる。カッコイイ事なんか言えねェし、結局助けられちまった。
それでも俺は知ってる。ナミは、俺が言った言葉を疑わない。
「……了解、キャプテン」
俺を船長と呼んでくれるそれが、どれ程嬉しいか……きっとわかってない。ナミは、それだけで俺が浮かれちまうってわかってねェんだ。
やっとまともに戦えると、拳をぶつけ合う俺とアーロンの背後でナミが静かに語る声が聞こえて来る。それに耳を傾ける余裕は無いけど、それが自嘲を含んでるのは何となく分かるんだ。
なァ……自信持てよ。俺が〝望んだ〟仲間が、無能な訳あるか。
俺はあの日誓ってる。必ず〝シャンクス達よりも凄ェ仲間を集めて〟世界一自由な海賊王になるって。
生半可な仲間じゃシャンクスの仲間を越えられねェ。ナミは、そんな風に俺が憧れて追い掛けてる男の〝仲間〟のままでいる事を多分自覚してねェよな。
シャンクスはアレで業突くだから、絶対ナミを手放したつもりは無い。それにナミもまだ、心がシャンクスの物だ。
ここで俺がナミを〝助け〟られなければ、ナミはシャンクスに奪われる。俺の……初恋で俺の原点で、俺の指針を奪い返されちまうのは間違いねェ。
「必ず、守るって……決めてんだ」
「あ?」
落ちてる剣を拾って振り回しながら、アーロンへと近付く。昔は持ってなかったナミの短剣を扱う姿を真似する事も、俺が欲しいと最初に思った仲間のゾロを真似する事も俺には出来ない。
誰かの真似なんて俺には出来なくて、だから俺は憧れた背中を追い掛けて、でも同じように剣を選ぶ事も出来なかったのを知ってる。俺は結局、俺としてしか生きられねェんだよ。
「何してやがるてめェ!?遊びに付き合うつもりはねェぞ!!」
俺は使えない事を証明する為に振り回しただけだけど、目の前で砕かれた剣に少しおおっ!と思う。でもよ、それで隙を作ったらナミに怒られちまうのも知ってるんだ。
だから、俺はアーロンを砕けた剣が下に到着する前に殴り飛ばす。アーロンの歯が砕けて、悶えてるのを見て宣言するように叫ぶ。
「俺は剣術は出来ねェ!」
皆が何だと言いたげに視線を向けて来る。アーロンは意味が分からないと言わんばかりに睨んでくるけどよ、大切な事なんだ。
いつも優しいナミなのに、戦いの事は容赦無かった。戦いなんか大っ嫌いな癖して、戦って負ける事の意味を俺に経験しないで済むようにしてくれてたんだ。
「航海術も持ってねェし、料理も出来ねェし、嘘もつけねェ!」
俺は、これをちゃんと伝えておきたい。そうしないとナミはいつまでも、自分の価値を理解しないと分かる。
自分の代わりなんていくらでもいると、そんな事を考えるのは目に見えてる。だから……今俺に出来る全力で伝えるんだ。
「俺は助けて貰わねェと、生きていけねェ自信がある!」
お前達の誰が欠けても、俺は生きられねェ。それに、海賊王にだってなれない。
そう言う奴だけを俺は自分から求めて、仲間にして来た。だから……俺は奪うぞナミ。
シャンクスから、アーロンから、ナミを奪う。俺はナミを手放さねェ!!
「プライドも何もねェ!! そんなてめェにいったい、何ができる!」
俺にアーロンが吠える。でもよ、簡単な事だろ。
戦う事だけが、殴る事だけが俺のできる事だ。だから俺は……自然と笑みが零れた。
「お前を倒せる」
この言葉を皮切りに戦いは激しさを増して行く。俺はゴムだけど、いや、ゴムだからこそ刃物には弱いんだよなと思いつつそれを躱す。
躱すのは逃げるのと違うんだって、それも大切な戦い方なんだって、ナミが昔教えてくれた。譲れない大切な物がある時は、でも逃げたら駄目なんだって事をエースとサボが教えてくれた。
だから俺は絶対にこのアーロンだけは、ぶっ飛ばすんだって決めてるんだ。ナミを捕まえて苦しめてる存在は、絶対許さねェ。
優し過ぎたナミはその優しさだけを残して、他の感情に蓋しちまってる。悲しみも悔しさも抑え込んで、怒りも嘆きも自分の中だけで耐えるようになっちまった。
ナミが優しく笑うのは昔からだけどよ、あんなに儚く笑う奴じゃ無かった。水飲んだり、飯食ったりするのにも警戒するような……そんな生活してなかった!!
姿が突然消えたアーロンに驚いていたら、水中に隠れたとウソップに教えられて、俺は飛び出して来るそれに何とか対応出来た。でも、水中に潜られてる間は殴ってもその拳がアーロンに当てられねェし、飛び出してきた時は避けないと危ねェ。
なら、水中に逃げ込めないようにと建物の中に戦いの場を移せば、建物が崩壊しそうな状態になっていくけど……別にそれはどうでもいい。俺はアーロンの攻撃から逃げ回り、反撃の隙を探ってたら転がり込んだ部屋。
鼻腔を擽る慣れた香りは間違いなくナミの物で、俺は部屋の中に視線を巡らせる。間違いなくナミが描いたと分かる海図が大量に干されてて、ナミの蜜柑とインクの匂いがいつもここに居たんだと教えてきた。
「……なんだ、この部屋……」
なのに何でだ。冷たい、悲しい気持ちになるのは。
独りで震えるナミが見える気がする。泣く事も出来ないで、独りで苦しんでるナミが……この部屋に居るような……そんな気がするんだ。
小さなナミが、震えてるような、そんな気持ちにさせられる。そう思って、部屋の真ん中に座ってその頃のナミと同じような視線になってみた。
「ここは測量室。つまり、この部屋を含め、この建物にある紙は全てただの紙じゃねェ。この部屋と隣室に入り切らずに別に部屋を必要とする程に描かれていこれは全て……八年かけてナミが描いた海図だ」
変な形の、上が斜めになってる机が見えた。そこにはナミの文字が記された紙が置かれていて、綺麗な文字書くよなって思う。
視線を動かせば本棚はあるけど、ナミの好きそうな物語とかは見当たらない。花とか、蜜柑とかの本も無い。
あるのはただ、辞書とか、辞典とかの明らかなる資料と、航海術や船に関わりそうな物。そして測量の仕方や解読のやり方、天候なんちゃらだ。
……なんでかな。ナミが独りで震えている姿が見える気がしたんだ。
どうしてだろう。ナミが独りで苦しんでる姿が見える気がするんだ。
「
「へー」
その時斜めの机から、建物がこれ迄の戦いで受けた衝撃の為か揺れてるのもあり、転がり落ちて来たのは1本の羽根ペン。赤い物が……ついてる?
手にして、息を飲む。黒いその染みが、インクじゃないのは、俺にだってわかる。
「持ち合わせた才能を無駄にする事程、不幸で愚かな事はねェ!!」
「このペン、血が滲んでる」
「ここで海図を描き続ける事が、ナミにとって最高の幸せなのさ!!俺の、野望の為にな!!」
俺の視界を遮るように何かが目の前に来た。多分武器なんだろうけど、それよりも……どうして、ナミの血がこんなにペンに染み込んでんだと、そればかりが気になる。
血が滲むような努力って言っても、普通はペンを手にしても血は出ない。関節とか筋とかは傷める時もあるだろうけど、血が噴き出すなんて普通なら無い事位は分かる。
「その海図で世界中の海を知り尽くした時、俺達魚人に敵は無くなり、世界は俺の帝国となる!!その足掛かりが、この島であり〝東の海〟と言う訳だ!!」
「へー……」
よく見ると、ペンには小さな窪みが出来てる。今のナミの指よりも随分小さなそれは、幼い頃から使ってた証拠だろう。
血が染み込んでるのは、指先じゃなくて掌の辺りか?マメができて、潰れた……とか、そんなレベルのもんじゃねェよな。
……どうしたら、ナミを助けられるんだろう。どうしたら、ナミが……ちゃんと俺の仲間になってくれるんだろう。
その答えが、もうすぐ出せそうな……そんな気がする。俺の意識はこの時、アーロンには少しも向いていなかった。