波間の向こうを目指して(新・本編side) 作:夢枕 七変化
最愛の姉
痛い、苦しい、辛い……寂しい。誰か、助けてくれよ。
誰か……俺を、愛してくれ。もう……
声に出しても届かない。声に出す事も許されない。
俺には、家族なんて居ない。俺は、人形なんかじゃないんだ!
宛もなく飛び出した俺を待ち受けていたのは、恐ろしく厳しい現実。でも、あの家にいるよりはずっと……ずっと、自由で楽しい。
何よりも、普通に呼吸ができる気がした。胸に空いてる大きな穴は、いつか……埋まるんだろうか?
飛び出した先で得た親友は、まるで半身であるかのように空洞を埋めてくれた。同時に多分、俺もまた親友のその空洞を埋めたんだろう。
強さも、ほぼ同じ。知ってる事は、少しズレてる代わりにやっぱり同じくらい。
知らない事は2人で学んだ。2人で間違えて、2人で死にかけて、そうして俺達はいつか海賊になるんだと笑っていたんだ。
陸地に俺達の居場所はなくて、広すぎる海ならば何処かに居場所があるんじゃねェかって、期待していたんだ。俺達は渇いて……渇きすぎて、乾涸びてひび割れている心を持て余しながら、足掻いていたんだ……見付からない答えを求めて。
そんな時に出逢った相手が、俺の……俺達の日常を1気に塗り替える程の衝撃を与える存在だった。この時はまだ、分かってなかったんだ、あれ程に追い求めていた愛情が時に猛毒となる事があるんだって……そんな事。
知らなければ、空虚を抱えて居ても問題無く生きていられた。でも、知ってしまえば失う事が怖くなる。
1度知ってしまったそれを、俺達は失うなんて出来なかったんだ。形は違っても、俺達はその暖かな光を、追い求めていたんだ。
その日の稼ぎは少なかった。それでも、食事は出来るだろうって金額だ。
まァ、どっかで獣捕まえて食うからそういう意味じゃ、稼ぎは無くても困らなかったと思うけどな。そんな俺達が盗んだ物の為に追われていた時、目の前でふらついた女の子に俺は思わず手を伸ばした。
「大丈夫か?貴族にぶつかって、よく無事だったな」
「ありがとう、私体が弱くて……」
そう言って儚く微笑んだ女の子は、明らかに美少女だった。……こんな子、いたのか。
「おい!サボ早く……って、なんだ、そいつ?」
俺が遅れた為にエースが戻って来てくれて、悪いと謝ろうとした時女の子が俺とエースの腕を掴み裏路地へと連れ込んだ。その直後俺達を追っていた店主が、大通りを駆け抜けて行き、女の子はそれを確認してから静かに息を吐き出した。
タイミングを考えたら……偶然とは思いにくい。でも、助けて貰える理由が思いつかないから、俺は動揺を隠せないままに問い掛けていた。
「……助けて、くれたのか?」
「偶然だろ!ほら、離せよ!」
「あ、ごめんね」
エースの言葉に驚いた様子でそっと俺達から手を離した女の子は、謝罪した。それになんだか寂しいような気持ちになった直後、俺は女の子の表情に息を飲む。
「何事も見付からないようにやれないなら、今後は気を付けた方が良いわよ。坊や達?」
その言葉に似合う挑発的な笑みと共に見せられたのは、俺とエースの財布。まさかと自分の財布を確認してる間に、女の子はピョンと屋根に登り手を振る。
そして、その後俺達がいくら探しても、追い掛けても、女の子を見つけ出す事は出来なかった。何者だ、俺とエースが盗られた事にさえ気付かないなんて。
その後綺麗に失ったその日の稼ぎを取り戻す為にと女の子の事を調べてみたが、有益な情報が集まらなかった。少女の身のこなしや着ていた物から考えて見ても、
だが、貴族とも思えない。そうなると残る可能性は絞られるな。
「なァ、エース。コルボ山の向こうに港町があるって噂を聞いた事があるんだ。もしかして、そっちから来てんじゃないか?」
「……コルボ山の山賊と、この街、ゴミ山、それと貴族の住む中心街しか無いと思っていた。けど……なんでそんな場所があるなら皆は知らねェんだ?」
「忘れられた村……そう呼ばれてる。間にコルボ山があるから、悪臭も何も届かないって聞いてるが、貴族も山越え迄して寂れた田舎町に行く理由なんてねェだろ」
そっちの場合、あの女の子は恐らく旅人とかだろう。もしくは……海賊の1員。
民間人にあの動きは出来ねェ。海賊は幼い見習いを受け入れる場合もあると言うから、可用性が無いとは言えないだろう。
「何者だよ、あの女……。相当強い」
「ならさ、エース」
「ん?」
「仲間に引き入れたらどうかな?」
「……は?」
呆けたようなエースに笑いそうになる。でもな、俺はあの子の優しい瞳が忘れられねェんだよ。
それからエースと話し合い、女の子が本当に強いなら仲間に誘おうとの事で話が決まった。それは、エースとしても思う所があったんだろうと思う。
どうせ掠り傷1つ負わないから、殺す気で襲うぞとその表情を残酷に歪めたエースは、何だか楽しそうだ。こういう残虐性の高さは、エースの抱えている何かが原因なんだろうな。
まだ話してくれないエースの抱える闇は、どうやら根深いらしい。とは言え、俺もまだエースに何も話せてないんだから、それを責める権利なんてねェんだけどさ。
それから街を張っていれば、女の子は本当に姿を見せて、エースはその姿に見惚れてる様子だった。……まさか、エースお前……。
俺は今んとこそういう事に興味ないから良いけど、エースがあの女の子を仲間として迎える事に戸惑っていた理由が漸く見えた俺は、面倒だなと溜息を落とす。それからエースと視線を交わして、同時に武器を手に少女へと殴り掛かれば、見事な動きで簡単に躱されちまった。
「……女の子1人に男の子2人が武器で襲い掛かるなんて事、していいと思ってるの?」
「ほらな?」
エースは得意そうに視線を向けて来るけど、不味いぞ……この女の子の方が格上だ!本当だななんて答えたが、今は視線を外すべきじゃねェ!
そう思った直後、油断も何もしてなかった俺に回し蹴りを食らわせて、俺がその重みに狼狽えてる間にエースが地に伏せさせられていた。……なんて、女だよ。
大人の男でもでもかなわない事が多いエースを簡単に押さえ込み、呻くエースに冷たい視線を投げ付ける。なのにも関わらず、呼吸の乱れも無い所か、手には買い物した荷物が相変わらず抱えられていた。
「……1言、謝罪さえすれば許してあげたのに。先に手を出したのは君達よ?……覚悟は、出来るわよね」
「待ってくれ!悪かったよ、話を聞いてくれないか」
冷たく張り詰めた空気の中で、俺が慌てて声をかければ、女の子はその瞳を微かに揺らしてそっと臨戦態勢を解いてくれた。それにより俺とエースは、女の子を隠れ家に案内する事になったんだ。
俺達が紐や蔦を使い上に登ってから声をかけると、女の子は何も使わずに軽い感じで登ってきて、驚く俺達に自分が何をしたのかわからない様子で首を傾げた。どうやら彼女にとってこれは、通常の範囲内の行動らしい。
それから淡々とした様子で声を掛けてきて、何とも言い難い気分になる。それにエースはめげる事無く素直に仲間に誘い、すげなく断られた。
風に揺れる髪の方が、俺達からの誘いよりも余程重要とでも言いそうなその態度にエースも言葉を失いかける。それでも俺とエースを庇ってくれたあの手の温もりを俺は、どこかで求めていたのかもしれない。
そっと唇を開こうとした時、泣き声が聞こえて来てそちらに全員の意識が向く。その瞬間理解した。
「ナミー!どこだー?ナミー……!」
この女の子はナミって名前なんだと。そして、静かに苦笑したナミは、何処か優しい空気を醸し出す。
「足手纏いにしかならない弟みたいなのがいるから、私ではエースやサボの期待に応えられないの。他を当たって。まぁ、あの子ももう少ししたらそれなりになるから……嫌わないで欲しいところだけど」
……今、なんて言った?
ナミの前ではエースの名を呼んでねェし、名乗ってもいねェ。なのにどうして、今ナミは俺達の名を自然に呼んだんだ?
動揺してる間に隠れ家から荷物を持って降り立つナミに、慌てて立ち上がると追い掛けていた。下では俺達より少し年下に見える子供を、優しく抱き留めて微笑むナミが居る。
それを見て、胸が締め付けられるような気持ちになる。同時に、素直に羨ましいと思ったんだ。
泣きながらナミにしがみつくそいつが、それを優しく受け止めるナミが、渇いて乾涸びた心を砕きそうな程に攻め立てて来るような気がした。俺が、ずっと求めていた家族の形が、そこにはあったから。
これ迄ずっと、俺はいくら泣いても無駄だった。明らかに相手が悪くても、身分によっては俺が謝らされてきた。
アイツらは俺じゃなくて、身分が大切で、立場が大切で、俺そのものは少しも見て貰えて無かった。求めたものは、理想の空論と呼ぶべきじゃないかって位遠かったんだ。
なのに今、他人のものとして、手の届きそうな所に、その理想が目の前にある。……憎いくらい、羨ましいと感じたんだ。
俺達より少し歳下だろう少年に帰ろうと声をかけるナミは、重い筈もない荷物を重いからと言って託す事で役割を与える。息をするように自然に、共に居る為の正当な理由を与えるんだ。
無邪気に笑うチビに、微笑むナミ。そんなチビをエースが狙い攻撃するのを、俺は止める気にもならなかった。
それにより、チビが怪我のひとつでもしたら溜飲が下がる気がしたんだ。でも、実際はナミが庇って躱したから、どちらも無傷だったけどな。
躱されたのに笑うエースと、それを拍手しつつ眺める俺は、きっと同じような顔をしてる。嫉妬に狂った醜い顔だろう。
チビを庇うように前に出たナミが、俺達に挑み掛かろうとするチビを抑えるとそれをエースが挑発する。それを受けて落ち込むチビを、ナミはやはり優しく包む。
「……ルフィ、お前幸せ者だな。ナミはお前の姉ちゃんか?」
俺の問い掛けに、チビ……ルフィは違うぞと言う。家族じゃ、ないのか……?
「ナミは俺の仲間になるんだ!俺は海賊になるから!その時ナミは俺の仲間になって、コーカイシとして1緒に居てくれるから、その時は俺がナミを守るんだ!船長だからな!」
「……ルフィ?私1度も誘われて無いし、私は忙しいんだって言ってるでしょ?」
「でもナミは俺のだろ」
このチビ、エースと同じだ。本気なんだ、本気でナミを求めてやがる。
それをデコピンひとつで撃退したナミが、幼い笑みで俺達に言う。それを見て、聞いて、ルフィを虐めなければナミの温もりが手に入るなら……と、確かに思った。
「……阿呆だけど、可愛いでしょ?私の友達よ」
「「お前、鈍いな」」
思わず口にした言葉は、エースと重なる。それを受けて尚、ナミはよく分からない様子で首を傾げた。
直後止める間もない速度でナミが動いて、エースの額に自分の額を触れさせると熱があるとか言い出した。……いやそれ、エース照れてるだけだから。
でも、迷わず俺を呼んで、問い掛けてくれたのが嬉しくて、訂正もしないままに駆け出していた。エースを優しく抱えて移動するナミは、やはり俺の理想で……こんな家族が欲しかったと心がざわめく。
俺に指示を出してナミは即座に、自分も姿を消した。だから俺も言われた通りに動き、隠れ家に戻るとこれ迄見た覚えのない美味そうな物が用意されていた。
「お帰りなさい、サボ。皆待ってたのよ」
言われた事のない言葉だった。言われてみたかった言葉だった。
優しい微笑みと、温かな声が俺を招く。当然のように俺を待っていてくれた皆に、体が小さく震える。
俺は泣きそうになるのを堪えて、目の前に用意された肉を頬張る。それがまた美味くて、俺とエースとルフィは、今食わないと死ぬとでも言う勢いでそれを食べて行った。
その間中、ルフィだけでなく、俺とエースにも優しげな眼差しを向けて微笑むナミがいて、また……泣きそうになった。俺とエースは顔を見合わせて、気恥しさを誤魔化す為にまた、食い物に食らいついた。
永遠に手に入らないと思っていた暖かなものを、ナミは当然のように俺達に与えてくれた。優しく包み込み、労り、守ってくれる。
俺が本気でナミを姉と慕うようになるのに、そう時間はかからなかった。そんな中で、目の前で繰り広げられるエースとルフィのアプローチを華麗にスルーする鈍さには、圧巻の1言だ。
たが……そのまま気付かなければ良いと少しばかり思っちまう。それは、ナミの特別を誰かが得るのが許せなかったからかも知れない。
航海術、簡易的な医術に調理。食べられる草やキノコの見分け方、生きる為に必要そうな事は、ナミがなんでも教えてくれた。
俺もそれなり以上に勉強したりしてきたのに、ナミには全くかなわなくて、なのに驕るでもなくナミは無償で知識を与えてくれた。その上で、ナミは明らかに強過ぎる力で俺達を鍛えてくれる。
何度挑んでも、ナミには掠り傷のひとつも付けられなくて……。ここまで来るともう、悔しさも無い。
ナミは俺にとって、姉であり師匠であり、少しボケてる大切な親友だった。時に母のように優しく包み込み、時に祖母のようにボケた事をしてのけるナミ。
そうして後に兄弟となる俺達3人は、目の前で微笑む1人の少女を求めて、力を得ようと足掻き始めた。甘やかな愛情と言う名の猛毒が、俺達を蝕む。
この愛情が期間限定である事を、俺達は分かっていて見えないふりをしていたんだ。離れたくないと、願い続けていた。
これはまだ、俺達三人が兄弟と名乗るようになるより前の話。この世でもっとも優しく、残酷な最愛の姉と俺達の出逢の話だ。