波間の向こうを目指して(新・本編side) 作:夢枕 七変化
ドラゴンさんに助けて貰ったあの日、それ以前の記憶はない。それが何か問題かと問われても、問題なんて無いと自信を持って言える。
ただ、時に自分が何者なのかと不安になる時がある。そして、何か本当に大切な事を忘れてるんじゃないかと……指先から崩れそうな感覚というか、寒気が襲う時があるんだ。
けど、そんな時は仲間が傍にいて支えてくれる。それと……そんな時は夢の中でだけ会える暖かな影があるんだ。
『サボー!聞いてくれよー!』
『何言ってんだ!そもそもお前が……!!』
そんな喧嘩ばかりしてるのに、何故か愛しいそいつらに手を伸ばすと当然のように手を掴んでくれる。お前の居場所はここにもあるよと、1人の訳が無いだろうと笑うそれが心を支えてくれるんだ。
それでも目覚めた時、それが逆に心を締め付けて、お前達は誰なんだと頭を抱える事になる。そうなると今度は、誰かに頭を撫でられた気がする事が多い。
そんな時顔を上げると消えちまう幻。でも、顔をあげずに縋ると、その内蜜柑の香りを感じて……思わず顔を上げちまうと長い髪の後姿が、見えた気がした直後にそれは消える。
もちろんそんなものは幼い頃の記憶が無いが故の感傷でしかなく、俺はそんなものに構ってる暇なんて無い。そんな事を考えていたら、部屋のドアがノックされた。
そちらに視線を向けると珍しい人物がたっていて、1瞬それこそ幻かと思う。この人、神出鬼没だからな。
「……ドラゴンさん、どうしたんですか?」
「これから所用で東の海へ行く。サボも行くか?」
ここを離れるなら、何かの任務である可能性が高い。なのに選べるような言い方で誘うなんて、珍しい事もあったもんだ。
いや、今東の海で任務になりそうな事は報告されてない。だとしたら私用だよな?
「俺も行っていいんですか?」
「何か、思い出すかも知れないからな。東の海へ行く時は共にと言ってるだろう。……それとも、忙しいか」
「大丈夫です。お供します!」
正直記憶がどうとかはどうでもいい。何だかんだと父親代わりでもあるドラゴンさんの傍を離れたくなくて、1緒に行動できるならどんな理由でも有難かった。
航海中に話を聞いてみれば、今向かっている先にはドラゴンさんの家族が居るらしい。その家族がもうすぐ船出するらしいと聞いて、見送りに来たと言う。
……つまりその家族は、海賊になるのか。ドラゴンさんも、革命軍に誘えば良いのにな。
そう思っていた直後に、ドラゴンさんが家族について話す時のその瞳が何とも優しいのが、寂しく思えたのだと気付く。けど、ドラゴンさんは俺を見て同じような顔をしたから、嘘だろうと思う。
家族のように、想われているという事実が泣きたくなる程、嬉しかった。何も無いと思っていた俺は、根無し草のような心持ちだったのだとそこに来て気付く。
記憶がなくても、生きてはいける。でも、地に足がつかないような……そんな心持ちでいるんだと気付かされた。
そんな俺にドラゴンさんが言う。何でもない事のように。
「サボはその航海術を誰に習ったんだろうな」
「何か、おかしいんですか?」
「……子供の頃からサボはそのやり方してるが、それが現在の最先端と基礎を組合せた安全性の高い物である自覚は無いのか」
「俺は……航海術ってのはこうやるもんだと、そう思ってきました。航海術を扱うには、占星術等も必要で、それがなければ遭難すると……難破するリスクがあると……教えられ……っ!」
何かを思い出しそうになると激しい頭痛が襲ってくる。それにより思わず呻き、その場に倒れそうになった俺をドラゴンさんが支えてくれた。
「少し休め。妙な事を聞いて悪かった」
「……いえ、ドラゴンさんは、何も……わる、く、な「無理に話すな」」
そのまま膝を貸してくれるドラゴンさんに、俺は動けないのもありそのままお世話になる。潮風が、心地好い。
波の音が心を癒して、俺は呼吸が楽になって行くのを感じる。それに合わせるように、知らない筈の少年達が脳裏で笑う。
よく見えないその影は、けれども優しく温かい。そして、蜜柑の香りとその色の長い髪が揺れているのを思った時、俺は深い眠りに入っていた。
声を掛けられて目を覚ますと、俺達は目的の島に到着していて、すみませんと謝る俺にドラゴンさんは優しく笑ってくれた。それからローブを着た俺達は別行動を取る事となり、それにより俺は書店や酒場等をのんびりと回る事を選択する。
どちらも情報の宝庫であり、情報は生き抜く為に必要な知識でもある。そんな有意義な時間を過ごしていたら、ドラゴンさんから突然の呼出し連絡を受けて急いで向かう事となった。
隠れ支部に到着すると、ドラゴンさんと蜜柑色の髪が、そこに居た。その蜜柑は俺を見ると、ドラゴンさんが俺を微笑ましそうに見ている時と良く似た眼差しで、愛しげに俺を見詰めて来る。
「……よかった、無事で……」
そう言って静かに泣き出したそれに、胸が痛む。泣かせたくないと、そう思ったのは間違いないが……そうだ、コアラに思ったのと似ている。
それでも何かが違う。そう、親が泣いてるのを見て何とも言えない気持ちになるのと、何処か似ているかも知れない。
とは言え、俺には親なんて居ないし、親代わりのドラゴンさんが泣いてるのなんて見た事ねェけど。そう思いつつも、ハンカチを差し出せばそっとそれを受取り切なそうに、けれども何処か微笑ましそうに俺を見て微笑む女。
「ありがとう……。ごめんなさい、取り乱して」
「……お前、名は?」
俺の問いに微かにその瞳を揺らして、けれども綺麗に微笑むその姿。何だろう、なんで、そんなに悲しそうに見えるんだろう。
どうして、こんなにも俺を愛しそうに見るんだろう。初対面の筈だ、俺は……こんな女知らねェ。
蜜柑の香りが、蜜柑色の髪が俺の心を揺さぶる。それでも、俺は〝知らない〟筈なんだ。
「……ナミよ、覚えてないとは分かってるけど、久しぶりね。サボ」
その声を、その名を聞いて、知らないと言い張れなくなる。俺は……この香りと、この髪を知っている。
知らずに溜息が零れ落ちる。そして、唇は言葉を紡ぎ出す。
知らないのに知っている。覚えてないのに、懐かしい。
「髪だけ、覚えてる。記憶の中に、この色の髪がチラつく時がある。記憶の中では後姿ばかりだったが……」
「……サボを背に庇ってた事も少なくなかったものね。サボが1番、三兄弟の中ではマトモだったから、喪えなかったの」
「……三兄弟?」
どういう事なのか。俺にない記憶の先で、蜜柑の香りとその色の髪が揺れる。
知らない筈の少年達が俺を呼んだ。早く来いよと、どうした腹減ったのかと心配そうに。
そんな不思議な感覚に襲われてる俺に、ナミと名乗った柔らかな女は声を出す。そして、俺に、笑いかける。
「えぇ、サボとエースとルフィの3人は、兄弟盃を交わして義兄弟になったのよ。私はその時既にそばを離れていたけど……。生きていてくれて、ありがとう」
頭が……痛い。胸が、苦しくて、目眩がする。
「エース、ルフィ……?」
知ってる気がした。でも、知らない気もした。
誰なんだ、お前達は。大切な相手のような、そんな気がするのに、思い出せないんだ。
霞の向こうで笑う2人。そして、その中で視線を動かすと隣に居るやはり霞のかかった少女がいる。
「積もる話もあるだろう。共に食事でもしたらいい。用意するよう頼んである」
ドラゴンさんの言葉に、俺は頷いて食事を共にする事になった。ドラゴンさんは俺を気遣いつつ食事をしてくれていて、それに対して気にしないで大丈夫ですと視線で伝えるけど信じては貰えていない。
食事をするナミとか言うのは、いちいち無意識なのか毒等が無いかを確認しつつだし、なんて無礼な奴なのかと思うが……ドラゴンさんはそんな女を見て納得した様子を見せるばかりだ。俺だけが、何もわかってねェ。
妙な疎外感のようなものを感じて寂しさに似た何かを抱いたそんな時に、ナミが胸元に手を入れたので僅かに警戒する俺と、特に反応しないドラゴンさん。そんな状況の中でナミは、胸元から取り出した何かを俺に差し出して来た。
それは誰かの手配書で……そこに写っているのは……!
身体が平衡感覚を失う。目の前が白くなり、霞の向こうに居た筈の3人が鮮明に見えた。
『サボ!見てくれよ!俺がやっつけたんだぞ!夕飯は豪華だな!』
『何言ってんだ!俺が殆どやったじゃねェか!まァ……夕飯は楽しみだけどよ』
『ハイハイ、2人ともよく頑張りました!サボ、火起こしは出来てる?スープ作って、燻製も作って、その残りは適当に焼いて食べましょ』
『えー!全部焼いて食おうぜ!足りねェもん!』
『ルフィ、違うでしょ。ルフィはスープの野菜食べたくないだけって分かってるのよ?……ダメよ、野菜も食べなきゃ』
穏やかな日常。優しい姉であり、母親のような少女。
俺の焦がれていた家族の姿。頭を撫でてくれる優しい温もり。
『怪我、してない?』
『俺は平気だけど……エースとサボが』
『三人とも、良く頑張ったわね。後は……任せなさい』
泣き虫で手のかかる弟と、喧嘩っ早くて手負いの獣みたいな片割れ。それと、いつも穏やかで優しいのに、本当は誰よりも強い自慢の姉。
そうだ、俺には兄弟がいる。何にも変え難い自分の命よりも大切な、俺の家族。
「……ナミ、ルフィは……?」
今も、まだ、泣き虫のままなのかな。あれから長い事、離れてたけどよ……。
可愛い弟なんだ。愛しい、大切な……。
「元気にしてるわ。私はルフィのクルーなのよ」
「……なら、安心だ。泣き虫は、相変わらずなのか?」
「昔程じゃないわ。今は私の方が泣き虫かも」
ナミの泣き顔なんて、さっき見たのが初めてだよ。そう言いたいけど、でも確かにゼロが1になれば昔よりは泣き虫かもな。
だけどよ、ナミは前が泣かなさ過ぎたんだと自覚して欲しい。俺は……ナミが泣けるようになったのなら、それは成長だと思うぞ。
俺を抱いていてくれたらしいナミから、それがドラゴンさんに移動する。そして、ろくな会話も出来ないままに、俺とナミはその場で別れを告げた。
次に会ったら、ちゃんと支えてやらないと。ガキの頃は見えなかったナミのその脆さに気付けば、そう思って不思議はないだろう。
ルフィの手配書を抱き締めて、エースの手配書を後で手元に置こうと決める。古い手配書を集めたら、エースの成長を目視で確認できるかな。
愛しい兄弟と、愛しい姉が俺にはいる。俺はその事に胸が暖かくなるけど、その喜びの中で意識を失い……思い出したくもなかった貴族だった頃の自分や、その周りまで思い出して行く。
あァ……俺は助けてもらう前にも、ドラゴンさんに会ってたんだな。そんな事を思いながら、記憶と言う大いなる旅へと俺は1人向かっていく。
目覚めると俺を心配そうに見ているハックとコアラがいて、ドラゴンさんは俺を連れて帰ってくれたのだと気付く。俺が目覚めた瞬間に泣きながら飛び付いてきたコアラの頭を撫でながら、本当に泣かせたくないのはこっちだけどなと脳裏でナミに謝れば、幼い姿のナミが嬉しそうに笑った気がした。
「サボ君!私の、事……!わか、る?」
「あァわかる。どうしたんだ、突然」
「だって、失われてた記憶戻ると、その間の記憶無くなっちゃうって!サボ君、このままどこか行くの?革命軍辞めちゃうの!?」
「……記憶はちゃんとあるし、革命軍も辞めねェから、鼻水拭けって」
俺の言葉に、今までとは違う意味で顔を赤くしたコアラが離れる。それが少しではなく寂しい。
さてまずは、何から手を付けるべきかな。やっぱり、ナミについて調べるのからかな。
簡単に調べられるエースは後回しにして、調べるのが大変そうなナミから着手する事を決める。そうして俺は、あの優しい微笑みの裏に隠されていた真実を知る事となるのだが、この時はまだ何も知らなかったんだ。
大切な人が沢山いる。その幸福に俺は静かに笑って、ベッドから立ち上がった。