波間の向こうを目指して(新・本編side) 作:夢枕 七変化
忌々しい刺青を隠す事も許されずに、ナミはそれを晒して歩く。その屈辱は如何程のものかと考えたら、無意識で握る拳に爪が食い込み血が流れるのが分かる。
海賊相手に盗みを働き、帰れば海図を描いてアーロンの機嫌を取る。そんなナミが約束してくれて、私には何でも話してくれている。
……多分、表向きは。本当につらい事や嫌な事は、きっと教えてくれてないというのは、わかり切ってる。
それでも……約束したよねと言えば、ポツリポツリと語ってくれるだけマシだろう。それが無ければ、とっくにナミは壊れてるだろうから。
笑顔に覇気が無くなり、瞳が死んだ魚みたいになって行くのを、見ているしかできない現実。ナミにだけ負担を掛けていて、私には何も出来ない。
ベルメールさんと共に、何度悔し涙を流しただろう。何度、もう良いから逃げてと叫びそうになっただろう。
それでも分かってるのよ。私達がそれを言えばナミは自らその命を絶ってしまう事を……。
だから、私達は笑う。〝ありがとう〟と〝お帰り〟を伝える為に。
そんな日々の中でも時は流れる。ナミが12歳になった頃、つらい時に何度も読み返されていた1枚の紙を手に、ナミがいつもの場所へ向かったのを見て何の気なしに後を追った。
……隠れて泣くのだろうか。泣くのならば、その涙は渇いていなかった事になるから、少しはマシかも知れないと思って。
そこでナミは泣くのでは無く、笛での発散でもなく、歌でその感情を外に出し始めた。アーロンに村が占拠されてから、初めて聞いたナミの歌は、可愛らしい少女のような声で始まった。
小さく呟いた〝紙飛行機〟がその歌の題名なのかな?
「ーーー」
ある時代とは、今をさしているのかな。だとしたら、これは表に出せないナミの本心なのかな?
「ーーー」
この曲は知らないけど、恐らく今の歌詞にあった紙飛行機が題名なんじゃないかなと思えた。それから少しの間を置いて、ナミは可愛らしい声で歌う。
「ーーー」
それは何処か幸せそうで、恐らく君と言ってる相手を想っているのだろうと分かる。ナミのいつもより少し幼いその声が、過去にお世話になったと言う人達でも想っているのかと思わせてくる。
「ーーー」
続いた歌詞に、心臓が止まるかと思った。ナミはいつも見てたその手紙の相手に、恋をしていたの……?
「ーーー」
パパとは、誰なのか。そのままでは歌えないから、歌詞を変えたのだとするならば、アーロンなのだろうか?
「ーーー」
会うなと言われて、その手紙だけが支えだと歌っているのかな。だとしたら……もう、逃げて良い。
「ーーー」
私達を想ってか、それとも手紙の相手を想ってかは分からないけど、ナミは優しく歌う。生きてる意味は〝あなた〟が存在する事だと。
「ーーー」
アーロンに支配されて尚、未来が輝いて見える程に、その存在がナミを支えているのだとするならば、私もベルメールさんも泣いてなどいられないし、叶うならその相手の元へ逃げて欲しい。
「ーーー」
日増しに増えるアーロンからの制限と、それにより奪われる自由。それを現してるとしか思えない歌詞に、涙が溢れる。
「ーーー」
生きて開放される事は無いと、諦めてるのだろうか?
なら何故、お金を集めているの?
私達の為に、頑張ってくれているだけなの?
「ーーー」
心配くらい、させて欲しい。他に何も出来ないのだから。
「ーーー」
誰に、決別したの?
涙はあの日から本当に見せなくなったナミに、心が軋む。ニュースクーを使い送っている手紙の相手が、それなんだよね?
「ーーー」
少年のような声で、ナミは歌う。いつかまた会える日を手紙を大切に持って待つと。
なら、その手紙がナミの最後の希望なのかな?
そう思ってる私の目の前で、ハミングを入れながらナミは歌声を響かせる事無く手紙を紙飛行機に作り替えてしまう。その歌にあるように、紙飛行機にする事で誰にも読まれないようにしたのかなと思った直後、またナミは歌い出した。
「ーーー」
自由を奪われて、動きが取れなくなったナミの心情を現しているのかと、そう思った。そう思うと、やるせなくなる。
「ーーー」
別れ際に強がった……?
やっぱり、師匠とか呼んでた人達の事かな。その中に、恋人か想い人がいるの?
「ーーー」
苦しそうに会いたいと繰り返されるそれに、膝から力が抜けて座り込んでしまう。聞かれてるとは知らないから、きっとこんなにも強く感情を乗せて居るのだろうと思えば、情けなくて涙が止まらなくなる。
「ーーー」
手紙だけを支えにしているのだと、歌うナミに、私は何が出来るだろう。私はただ、ナミに幸せでいて欲しいのに。
「ーーー」
擦り切れそうな程に読まれてきた手紙は、確かに霞んでる所もあるだろう。なら、その手紙がダメにならないように、何か考えてあげなきゃね。
「ーーー」
もしくは、行かせてあげたい。ナミの望むその人達の元へ。
そう思った直後、ナミはその手紙を、紙飛行機となったそれを海に向けて投げた。風に乗り、手紙は遠くへと運ばれて行く。
会えない相手に会う為に、飛んでいこうとでもしているかのように。そして、ナミはまた歌い出す。
「ーーー」
笑顔を忘れずにいられたのは、その誰かのお陰なのね。そう思った時、紙飛行機は海の上に落ちて、波に拐われ沈んで行った。
「ーーー」
切り裂いた深い闇は、アーロンの事で良いのよね?
なら、もう、いいから……。私達の事は良いから!
「ーーー」
その約束の場所へ行きなさい。そして、ナミは幸せになって……!
歌い終えたナミに私は飛び付く。それに驚いた顔を見せてから、優しく笑ったナミは小首を傾げる。
「どうしたの、ノジコ。誰かに虐められたの?……それなら、そいつを死んだ方がマシだと言う状態にしてきてあげるから、教えて?」
その声と笑顔が、本気で寒気を呼んだけど、今はそれに負けてる場合じゃない。……もし、誰かの名前を言えば、ナミは本気でそんな目に合わせてしまうだろうとそれだけはわかる。
「ナミ、今すぐ今の歌ってた想い人の所に行きなさい!そして、幸せになりなさい」
「は?……ノジコ?」
「好きなんでしょ。どうして、捨てたりしたの!?」
「……見てたの?」
その言葉に頷くと、アチャーって顔でナミは私を見た。それから優しく笑って、私の頭を撫でて来た。
「違うのよ。あの手紙の相手にアーロンが何かしたらって思ったら怖くて、それで捨てたの。それに、側にあるといつまでも縋っちゃいそうだから……」
縋れば良いじゃない。他に、何も頼れる物なんて持ってないでしょ、あんた。
そう言おうと思うのに、声は言葉にならなくて、泣くしか出来なくて……。そんな私をナミはただ、優しく抱き締めてくれて、そして、微笑んでくれる。
守らないといけないのに、支えないといけないのに、いつも守られるのも支えられるのも、私の方だなんて……そんなのってない!
その後ナミの捨てた手紙を求めて海に飛び込んだけど、手紙は見付からなくて……私は何も出来ない無力さにうちひしがれる事となった。そんな事があってから更に2年、ナミが14歳になった頃、大怪我を負って帰って来たナミは、何日も眠り続けた。
治療の後で帰ってきたから、もう、やれる事は無くて、ただ目覚めてくれるのを待つしか出来なかった。そして、目覚めたナミは小さな声で「ロビン」と呟いた。
女の人の名前としてもたまに使われるけど、基本的には男の名前であるそれを聞いて、あの手紙の主はそのロビンだったのかなと思ったけど、それを聞く勇気は無かった。
それから少しずつ美しさを増して行くナミは、次第にアーロンから色々な意味で狙われる様になっていた。それは言葉の端々から分かってしまうのに、それに対してこうしたらいいと言う事さえ私には出来ない。
代われるものなら、代わりたい。ナミにばかり、こんな思いはさせたくないよ。
大好き、愛してる、ナミから伝わるその想いに、私とベルメールさんは泣く事も出来ない。何も返せない事が、つらかった。
もしも私が名も無い草ではなくて、花弁を多く持つ花であれば、ナミと共に行けたのだろうか。風が花弁を伴って動くように。
揺れて居場所を伝える他に何も出来ない草は、優しすぎる風が運ぶ雨により、既に根腐れしそうな程。ねェナミ、私達はただアンタの荷物でしか無いのかな……?
そうしてそれからも時は過ぎ、ナミが18歳になったある日、その奇跡は起きた。ナミを助けに、明らかにナミを想う男が姿を見せたから。
アーロンを倒してナミを連れて出発するのを見送って、心から願う。ナミ、幸せになれよ、楽しくやれよと。
いつかまた、明るくて穏やかなその笑顔を見られるその日を、私達は楽しみに待っているから……。
草は揺れる。遠く離れた風を想って。
風は動く、それまでかけられていた制限を解き放ち。明るい未来へと、波間の向こうを目指して。
草は揺れる。いつか再び、風が自らを見失った時には、その存在を示せるように。
世界の全てが風の存在を否定しようとも、風自体が己の存在を否定しようとも、貴女はここに居るのだと、ここに居て良いのだと伝える為に。大切な風に、今度はこちらが愛を伝える為に。
この話だけ、本編sideでありながら、あえて助けに来たシーンを書かない事で、助けIFのsideとしても読めるように書かせて頂きました。