波間の向こうを目指して(新・本編side) 作:夢枕 七変化
短く纏めました。
母親
悲鳴も、嘆きも、もう……何も聞こえない。大切な友も、部下も、仲間も……もう、皆動かない。
何が……海軍将校なのか。何の為の正義なのか。
もう……いい、かな。このまま目を閉じれば、きっと……楽になれる。
「キャッキャ……あー!」
……な、に?
「きゃはは!あー、う?キャッキャ!」
見れば乳幼児を抱いた子供が立っていた。ここ、オイコット王国の子供だろうか?
「妹?」
「ううん、知らない子……」
「キャハハ!キャハハハハハ!」
「笑ってる……!人の気も、知らないでさ……」
「うん、えはは……」
「ねェ……この国を出る気は、ある?」
「え?」
「私は、ベルメール。1緒に、私の故郷で〝生きて〟みない?」
手放したくないと思った。もう、死のうなんて思えなくなったの。
だってほら、私達が生きると決めたら、何も知らずに笑っていた乳幼児が、穏やかに優しく微笑んだ。生きてるよ、生きられるよと教えてからはまるで包み込むように優しく微笑むそれに、泣いてばかりはいられないと気付かされたのだ。
「私と、1緒に〝帰ろう〟」
「うん、1緒に〝帰る〟」
そうして私は2人の少女を小舟に乗せて、故郷を目指した。長い船旅になってしまったけど、乳幼児が嵐や大時化の直前に必ず泣き叫び、危険を知らせてくれたのもあり何とか帰り着けたのだ。
ただ、島が見えた時に泣き叫ばれたのは無視して進んだ為に故郷に到着した時は酷い嵐の中だったけれど。無視して進まなければ、高熱を出していたノジコが持たなかったのは明らかだったのだから仕方ない。
「ベルメール!」
「子供を抱いてるぞ!!何処の子だ!?」
「ドクターを呼んで!!酷い熱なの!!嵐にやられて、衰弱しきってる!!」
叫ぶ私に、集まってくれた友人達が布や傘を差し出してくれるけど、今はそんなのどうでもいい。お願い……死なせないで!
「引き受けたがベルメール!お前もその酷い傷を……「良いから早く!!お願いだから、その子達を死なせないで!!その子達を助けて!!」」
この時私はまだ、ノジコの名を知らなかった。ノジコもまた、私の名を知らなかった。
親になるなんて、そんな事をこの時点で決めていた訳じゃないけど……。でも、この子達は私にとって唯一無二の希望だったのは間違いが無い。
それから治療を受けて、ノジコとも少し話をして、退役する事を決めた。その報告を兼ねてゲンさんを呼び出したのは、きっと私が海軍に入った理由が憧れのお兄ちゃんを追い掛けていたのが大きな所。
勿論、本人に言うつもりは無い。こんな厳ついお兄ちゃんに、今更この歳で好きですなんて言えないし、私は今から〝コブ付き〟になるのだから。
「ゲンさん、私〝母親〟になる」
「今、なんて言った。この、不良娘!!」
「私が、この子達の親になるの!!」
言い切った時、私は晴れやかな気持ちだった。だって、本当にこの子達が愛しいから。
でもゲンさんも、ドクターも、他の人達もそうじゃないみたいで、顔色がリトマス試験紙のように変わる。それを面白がる余裕も無く重なる声。
「「「「「NO!NOー!NOー!!」「無理だ!!無謀だ!やめなさい!!」」「悪い事は言わんから、政府の施設に預け」」」」
「五月蝿い!!もう決めたの!!この子達は私が育てる!!」
重なる多くの声が五月蝿くて叫ぶように言う私に、ノジコはキョトンとした顔をしている。……嗚呼、なんて愛しいんだろう。
「私だってもう大人よ!!海軍だって入ったし、少しはまともな人間になったつもり!!」
叫ぶ私の胸で、穏やかに眠る幼女。乳幼児とは思えない穏やかな気質は、私には持ち合わせないものだろう。
「この子達は、私が責任もって、こんな時代にも負けない様な、立派な人間に育ててみせる!!」
この時私は海を見て、自覚していないだろう天賦の才を思い出して、乳幼児に名をつけた。ドクターも夏生まれだろうと言っていたから、誕生日もそれに合わせて決めてしまえば良いし、これなら間違えてしまう事も無いだろう。
「ナミとノジコは、私に生きる希望をくれたの」
強くノジコとナミを抱き締めれば、誰も何も言わなくなった。ただ、ノジコだけがよく分からないって顔をしていて……後に聞いてみれば、ノジコの中では〝1緒に帰る〟と決めたあの瞬間から、私は〝お母さん〟だったらしい。
それがどれ程嬉しかったか、きっとノジコは知らない。その後の正直生活は、正直苦しかった。
病院の入院費等はドクター達が良いと言ってくれたけど、退役したお金で買った村ハズレの小さな小屋で3人で始めた生活は、楽しいけど余裕なんて無くて……。私もまだ21歳で、分からない事だらけで……どうしたら良いのかと戸惑う事も多かった。
そんな中で2人の娘は恐ろしく良い子だったと思う。世間の母親はきっと、もっとずっと苦労して来ただろうと、それくらいは分かる。
3歳のノジコは農家を手伝ってくれて、家事も分担してくれた。1歳である筈のナミは文字の読書を覚えて、少し変わってるなとは思ったけど、大人しくて手の掛からない良い子だった。
日々成長する2人の姿を見て、幸せだと思う。慌ただしく過ぎる数年の間に、恐ろしく早い成長速度で2人の娘はその内面を育てていた。
そして、ナミが3歳になった日、悪夢を見るのだと打ち明けられて私は得意な銃を基礎に教えられる事はなんでも教えた。ナミもノジコも必死でそれを身に付け、私もやれる事はなんでもやろうと決めて身体を鍛え直したのだ。
そうしてナミが5歳になった時、1人海へと出て行った。ゲンさんには何考えてんだと叱られたけど、あれば止まる筈ないわ。
「……ゲンさん、ナミは私の娘よ」
「だからなんだ!」
「言い出したら、聞く筈無いじゃない。あの子、頑固で融通効かないわよ。それに見合う実力もあるから、下手な事言うと逆効果だわ」
「お前がそう育てたんだろうが!!」
ゲンさんの言葉に私は嬉しくなる。やっぱり私に似たのよね!!
娘の優秀さを認められて、嬉しくならない親が居るだろうか。否、いる筈がない!!
「私、子育ての才能あるのね!!」
「何故そうなった!?」
「ゲンさん、ナミなら大丈夫よ。私とベルメールさんが泣くと分かってて、死んだりしないわ」
ノジコが言えばゲンさんは呻き、そして力無くその場に座った。ゲンさんはノジコに物凄く弱いのだ。
最初にナミが帰ってきた時、洗剤類が売れたと言っていたし、その後は定期的にお金を入れてくれるようになった。執筆活動や創作活動の傍ら、蜜柑の世話をしてくれて、私達はお金にも心にも余裕を持って生活できるようになっていく。
なのに、ナミは遠い所を見続ける。今にも壊れそうな様子で、焦りながら休み方を知らないとでも言うように、全力で……。
そんなある日、ナミが帰らなくなった。村の人達は、ナミは死んだのだと言い始めるし、ノジコは泣き暮らす。
そんな中で突然届いた1通の手紙が、生存を知らせて来た。修行してお金貯めて帰りますと。
あの馬鹿娘!帰ってきたら、覚悟しなさいよ!
抱き締めて、甘やかして、呼吸も出来ないくらい泣き叫んでやるんだから!そう思ってノジコと2人、指折り数えながらナミの帰りを待っていた。
帰ったらナミが驚くようにと私達もまた身体を鍛えて、蜜柑を増やして、そうやって過ごしていたけど……帰って来たナミを見て、私達が驚かされた。だって、恐ろしく美しくなっていたから。
それは容姿がでは無く、その纏う空気が。仙女だと言われたら、それを納得できそうな程になっていた。
泣く私達を優しく受け止めて、必ず守るからと微笑み、もう遠出はしないと約束して……。私達はその日から、ナミの笑顔しか見てはいなかった。
誰に教わったのかとその肩引っ掴んで問い質したくなるような美しい舞を……剣舞を1人舞うナミの姿を見た時……私は怖くなった。何故か、ナミを失うような、そんな気がしたから。
そして……運命の日は訪れた。飛び出して行くナミの姿に、今日なのだと思わされて……。
ならばせめてナミの好きな物を作ってあげようと料理を進める。美味しい秘蔵の酒を取り出して、2人に開けてやるかと笑った時、そいつらは現れた。
私が戦っても勝てず、鍛えた意味を見いだせず……これを見ていたのかと思えばナミの嘆きがわかった気がした。もうダメだと思った時、ナミがその髪を風に靡かせ姿を見せる。
嫌な予感しかしない。その小さな背中は、必ず守ると〝決めて〟しまっていた。
言い出したら聞かない。融通の効かない頑固者。
実力も備えて、いつもの穏やかな姿からは想像も出来ないくらい冷たい空気を纏い、怒りに震えて動き出す。私達は、護られている。
……今までもずっと、守っているつもりで護られていたのだと気が付くけど、身動きは取れない。嘆くノジコを宥める事さえ上手く出来ずに、ナミを助けようとゲンさんが大怪我をするのをただ、見ていた。
ナミが拐われ、私は意識を取り戻せずに居た。やっと意識を取り戻してみれば、ナミは独り戦い抜く事を決めていて……もう、止める事も出来ない。
何が、母親か。何が、守る……だ!
歩けない所か、立つ事さえ出来ない自分をノジコが支え、ナミは傷付く。心にも体にも消えない傷を付けられて、苦しみながらも私達に優しく微笑むその姿はなんとも痛々しい。
風はそこにあるのに、自らの姿も見えないから、そのまま消えてしまおうとする。だからこそ、私達は草となりナミと言う風に〝貴女はここに居る〟のだと教えなければならない。
苦しい時を超えて、ナミを助ける為に現れた男と共に旅立つその背に私は誓う。いついつまでも、帰る事の出来る場所として、ここにあり続けると。
足を治して、いつかナミやノジコの産んだ子供を抱き締めて、共に走る為にと、私はゆっくりと立ち上がる。そして、ゆっくりと歌い出した。
ナミに聞かせる事が出来なかった、ナミの出した曲を。この想いよ届けと祈りながら。
「たしかなこと」
小説を書いて、音楽を生み出し、海図や地図を描き、なんでも卒なくこなす愛しい娘。ねェ、そんなに急いで何処へ行こうとしてるの?
「ーーー」
見上げていたら、虹が見えるだろうか。誰も何も知らないフリをして、貴女を傷付けていた事さえ、許してしまうその優しさに、私達は何を返せるだろう。
「ーーー」
誰もが見落とすような小さな幸せを、ひとつひとつ拾い集めて抱き締める貴女は、いったい何処を見ているの?
でも、だからこそ気付かないのね、貴女の優しさが私達を哀しませていた事。手放す事が、恐ろしく思えてならない事。
「ーーー」
時を越えられるとして、やり直せるとして……きっと何度でも私は貴女を愛するでしょう。けれど、本当にどうしたら貴女を守れるのか、今でもその答えは出ないまま。
「ーーー」
ナミの為に、何が出来るかな。忘れないで欲しい事は、どんな時も傍にいるって事。
「ーーー」
貴女が私達を想う時、私達もまた貴女を想っている。どれ程遠い所にいても、同じ風に吹かれて、同じ時を歩みながら生きているのよ。
「ーーー」
ねェナミ、貴女は自分の事を大切にして。誰かの事を想う時独りになろうとしないで。
「ーーー」
遠く遠く、独り離れて行かないで。孤独の中で、愛を振りまく貴女が時に痛々しいの。
「ーーー」
疑う事を知らないように、優しく微笑むナミを守って欲しい。それが出来るから、彼はナミを連れて行ったのでしょう?
「ーーー」
例えばその心の傷が消えなくても、なくしたものを探すように旅立ったナミ。支えてもらいなさい、甘える事を覚えなさい。
誰かを、愛する人を頼る事が双方の幸せに繋がるのだと、気づいて欲しい。1人で無理ばかり重ねないで……。
「ーーー」
いつか見つかる筈。心から大切だと想える、自然に笑える幸福の場所が。
「ーーー」
特別な事は何も出来なかった。母親らしいのは寧ろナミの方だったわね。
「ーーー」
それでもいつでも見守ってるわ。出会った時と同じ、救いをもたらすばかりの貴女を、見つめている。
「ーーー」
ナミにまだ言葉にして伝えられてない。出会った時から変わらずに、貴女達を愛しているのだと言う事。
「ーーー」
空を見上げて、風の音を聞いて、それは私達と繋がっている。ナミもノジコも、私の愛しい娘なのよ。
「ーーー」
ここへ二度と戻れないような悪名がついても、悲しまなくていい。帰りたくなれば、帰ってきたらいいのよ。
「ーーー」
特別な事は出来ないけど、ありふれたような幸福を約束するわ。必ず、今度こそ守り抜いてみせるから。
「ーーー」
忘れないで、どんな時も心は傍に居る。同じ時を生きているわ。
「ーーー」
自ら独りにならないで……。その為に同じ風にふかれて、貴女と繋がっているから。
歌い終えた時、背後で草を踏み締める足音が聞こえた。振り向けば大切な、愛しい人達がいる。
「ベルメールさん、私は、そばにいるよ」
「儂も……いるぞ……」
「ありがとう、ノジコ、ゲンさん……。大好き!」
そう言って私は今は離れていて抱き締められない娘の分まで、2人を強く抱き締めた。次に会う時が、結婚式だなんて事になるのかななんて、そんな事を微かに思いながら、波間の向こうを目指して進む娘の無事と幸福を祈っている。
どのルートの視点としてもおかしくないように意識して書かせて頂きました。お楽しみいただけましたら幸いです。