波間の向こうを目指して(新・本編side) 作:夢枕 七変化
蜜柑最強説(蜜柑)
私は蜜柑。間違ってもオレンジではない。
つまり、種が無いから挿し木で増やされるクローンな訳よ。だから周りに居るのは全て私で、でも記憶とかを共有してる訳じゃないって事は間違いようのない事実。
栄養価もオレンジより多くて、オレンジが持ってる栄養の全てを持ってて、オレンジが持たない栄養もあるんだから、私達の方が優秀なのよ!と、自負してる。
そんな私達は皆知っているの。私達を育てるこの家族がこの世界の誰にも負けないくらいに優しくて、強くて、暖かい事を。
そして、知っているの。悲しくて、脆くて、弱い事を。
子供なんて触った事も無かったベルメールが私達を育てながら、我儘を言えない子供2人を愛している姿を見守って来た。四苦八苦する姿を、微笑ましく見詰めてきたの。
ハラハラさせられながら、大切な私の枝を切ろうとするベルメールに他の枝でベシッと頭を叩いてやるような事を繰り返して日々を過ごす。風に合わせて少し動く程度しか出来ないけど、それだって出来るだけ凄い事なのよ。
幼い2人の娘も成長するに従い私達の世話を手伝うようになり、特に下の娘はまるで歌うように〝蜜柑蜜柑〟と私達を呼んだ。それまでは捨てられていた皮迄加工し始めた下の娘は、明らかに普通じゃない。
それでも私達蜜柑は、皆この家族が大好きだ。あ!また切っちゃダメな枝に鋏伸ばしてる!
エイっと蜜柑の実をその頭に落とせばベルメールがイッタァイ!と叫んだけど、どうして1番年上のアンタが1番ダメなミスするのよ!?
「ねェ、ノジコ、ナミ……蜜柑の木が攻撃してきたんだけど」
「偶然だと思うよ。それより、その枝切っちゃダメな枝だから、切らなくて済んで良かったね」
「ベルメールさん、痛い?瘤とかになってないかな?ドクター呼ぶ?連れてくるよ?」
「ナミ、大丈夫だから大袈裟にしないで。ノジコもナミ程じゃなくていいから、少しは心配してくれてもいいのよ?」
そんな穏やかな日々は、下の娘が海に飛び出した事で様相を変える。それ迄のキツイ生活から1変して、中流程度の生活が出来るようになった家族は、けれども下の娘が居ない事で明るさは半減した。
まァ、下の子は居るとベルメールや上の子に何か言われただけで、殺人に手を染めかねないような過激さがある。その為に平穏な日々と呼ぶのは、中々に厳しい部分もあったけれどね。
それでも下の娘が、この家の中では大切な存在である事は間違いようは無かった。私達の香りを纏う小さな娘は、見ていて心配になるくらいのお人好しだ。
その下の娘が数年帰らなかった。死んだのではないかと言われた頃、手紙が届き無事が伝えられる。
それでも帰らないそれに、ベルメールは心配するのを辞めて、上の娘は心配の余り怒り狂うようになった。それは、短い期間だった筈なのに、酷く長く感じられて……私達は少し元気を無くしてしまう。
私達も案じていたのだ。私達の傍で姉妹揃って歌ったり笑ったりしていたその姿を、声を、私達は愛してきたのだから。
それから暫くの後、下の娘は美しく成長して帰って来た。誰かに恋でもしてるのかしらと、私達は噂し合う。
それでも、あの〝最悪の日〟より以前はそれでも幸せだったのだと、私達蜜柑は語り合う。ベルメールと上の子を庇い下の子が戦い、攫われたあの日。
私達はただ見守る事しか出来なかったのだ。泣く事さえ出来なくなった下の子を、抱き締める腕を、涙を拭う指を、想いを伝える声を……私達は持たないから。
自ら孤独な道を歩み始めた下の娘を想い、2人は嘆く。私達もまた、悲しみに沈む。
私達の根元に宝を隠して、苦しみながら、傷付きながら、それを隠して笑う下の子に、私達は何も出来ない。私達に優しく触れて、大好きよと囁き、歌声を響かせる強くて弱いこの子を、守る力を包む腕を、私達は持たない。
口惜しくて、苦しくて、けれども花を咲かせ実をつける他に私達は何も出来なくて……そんな私達にこの家族は笑うのだ。今日も美味しい蜜柑をありがとうと言って、笑うの。
その下の子を魚が裏切り、私達の目の前でまた、その身から血を流させる。許せない……!
そう思うのに、動く事さえ私達には出来ないのだ。私達は泣く事も出来ず、ただ枝を揺らす。
そして高い位置だからこそ見えた奴らの居住が崩れた瞬間、私達蜜柑は1斉に木にあった花を全て咲かせて、お祝いをした。私達の世話をするのは、いつの間にか上の子だけになっていた。
だけどこれでまた、あの騒がしくも幸せな日常に戻ると信じて、私達は喜び合う。けれども何故か掘り返される私。
……あれ?
何が起きてるのかと思っている間に、何故か植え替えられる私。それも船の上に。
待ちなさい、下の子。蜜柑の木に、海風が良いと思うのかね?
「1緒に行こうね。大切にするわ」
晴れやかに、優しく笑う下の娘に、私が勝てる筈なんて無かった。……嗚呼そうですか!わかった、分かりましたよ!
育ってやろうじゃないの。どんな環境でも、アンタが笑うなら、育ってやるわ!
残されて心配する位ならば、嵐にも波にも耐えてみせる。アンタが安心して食べられる貴重な物が私達だと言うのならば、育ってみせようじゃないの!
優しく笑う下の子を、ベルメールと同じようにナミと呼ぶ男達。それに笑顔で応えて、そして、少し寂しそうに過ごす事の多い下の子……。
……まったくナミは、強がりなんだから。私はいつでもそばに居るから、どんな時でも花を咲かせて、実をつけるから、だからアンタは……泣きたくなったらここに来て、好きなだけ泣きなさい。
泣く事を忘れた私達蜜柑の愛しい娘は、麦藁帽子を被り、隙あらば私達を盗もうとする不届き者に甘い。この船の環境は最悪だ。
雪が降ったと思ったら、灼熱の炎に包まれる。かと思えば雹が降ってきて、そんな環境でもナミが笑うなら私達は生き抜くと決めたの。
だからほら、男共ウチの子を守りなさい!
そんな私達の想いに応えるように、男達はナミを守り、そして、笑顔も涙も取り戻させた。だから許してあげるわ、無理ばっかりさせるけど、困らせてばかりだけど、ウチの子の瞳を生き返らせたアンタ達だから。
仲間割れしようと、元に戻るアンタ達の為にも、海水被ろうと、毒ガスに塗れようと、美味しくて栄養のある実をつけ続けると決めたのよ。だから、進みなさい。
光を目指して、波間の向こうを目指して、新たな世界へと。私達はいつも、ここで見守っているわ。
私達は蜜柑。間違ってもオレンジじゃない。
私達は蜜柑。涙を拭う指も、慰める声も、抱き締める腕も持たないけれど、いつもいつでも、愛してる。
『ねェ、僕も1緒にいさせてよ』
別れの時、そばにいなかった私達に、そっとその魂が寄り添う。
『少し小さくなったけど、ちゃんと魂も、想いも残ってる。でも、きっともう伝えられないから……ねェ1緒に見守らせてよ』
仕方ない、特別よ。私達は少年のような姿をしたそれに、枝を揺らして返事をする。
どんな時でも、私達は僕達は願い、祈っている。君達の明るい未来を。
今日もまた、私達の枝の上ではフードを被った少年が、私達と共に愛しい彼等を見守っている。優しく私に触れるその手は暖かく、その瞳は煌めいている。