それにどうやらおかんむりの様子の子がいるようで…?
(番外編)
「どうっすか、ふたふた」
「うまぴーの声大きすぎ」
「マジンガー!?えぐー!?」
とある早朝のばあちゃる学園。まだ登校時間より幾分は早い時間であるのに学長室には一組の男女がいた。生徒会会計にしてアイドル部に所属する『北上双葉』とこのばあちゃる学園の学園長にしてアイドル部のプロデューサーの『ばあちゃる』の二人だ。
「えぇ、なにがダメなんっすかね」
「うまぴー、声が大きいの。ASMRなんだから耳元に囁くように喋らなきゃ」
「うーん。難しいっすね」
困ったように首を傾げるばあちゃるの机の上に設置されているのは両サイドに耳の形をしたマイク、通称『バイノーラルマイク』だ。録音するマイクは耳の丁度鼓膜の部分に設置してあり、これで録音したものを再生するとまるでその場で味わうような臨場感が味わえるマイクとなっている。そして二人がこのバイノーラルマイクを使用して録音しているのは、ばあちゃるのASMR音声だ。
ASMR(Autonomous Sensory Meridian Response )。訳して砕けた言い方をすると『脳がとろけるように気持ち良くなる現象』である。これを最近では『(音楽ではない)音・視覚全般から得られる心地よさ』というジャンルとして扱われようになった。布が擦れる音、雨の音、焚き火の音、ハサミで物を切る音などの環境音で心地よさを感じるのであれば、その音声はその人にとってASMRとなる。環境音だけではなく、シチュエーションの音声を聞いて心地よくなれるのであればそれもASMRだ。
要約すると、二人がやろうとしていることはばあちゃるの声でリラックスができる音声を作成しているのだ。
「ねーふたふた。もうやめに「ダメ」…そっすか」
言葉を遮り拒否する双葉にガクッと肩を落とす。どうしてこんな早朝にこんなことをやっているのか。ばあちゃるはつい数十分前を思い出した。
朝、めめめと別れ学長室にてスケジュールの確認をしているとそこに双葉が乗り込んできたのだ。
『ふたふた?今日は朝早いっすね。どうしたっすか?』
『うまぴー。ふーちゃんは怒っています』
『はい?』
そうして彼女が見せてきた携帯端末の画面に映し出されていたのは、つい先日に自分が投稿した動画だ。
『ああ。これがどうしたっすか?』
エイプリルフールのネタ動画として投稿したこの動画は逆の意味で評判で、一日を待たずして低評価が二千を超えるという偉業となしえた。ばあちゃるとしてはそういった目的もあったため、その評価は当然と思っており大したことはなかったが目の前の少女は違うようだ。
『うまぴーの初ASMRがこんなんなんて納得できない』
『いや、そうは言ってもすでに投稿しちゃいましたし、どうしようもないっすよ』
『だから、しっかりしたASMR動画を作りたいの』
『はい?』
そう言って持っていた鞄から取り出したのは件のバイノーラルマイク。あまりの急展開にばあちゃるは混乱する。
『え、っと。ふたふた?』
『うまぴー。朝収録だよ?』
こうして状況が分からないまま、ASMR収録が始まった。フリー素材として適当に見つけた台本を双葉の指導の下、何度か録音を試みるもその結果はよろしくないようだ。
「うーん。何がだめなんだろう?」
「はいはいはい。なんというか、マイクは特殊すぎてどうやって喋っていいのかわからないっすよね。これ」
「あー。初めてならそうかも」
双葉もASMRに関心を持ってからバイノーラルマイクを知った時もその奇怪な形に困惑したことを思い出した。今でこそ配信でも使うため慣れてしまった故に、その奇怪さを完全に忘れていた。
「なら慣れたらいけそう?」
「どうっすかね。そもそもばあちゃる君は動画勢でスタジオ収録してる身っすからこういったマイクの扱いは分からないのが正直なところっす。そもそも、ばあちゃる君の声が好きな物好きなんているっすかね?」
後頭部を掻きながら思っていることをそのまま口に出す。自己評価が低いばあちゃるらしい発言に双葉は苦笑するがその内容は納得できない。
「…ふたばはすきだよ」
「ふたふた?」
双葉に視線を向ける。ばあちゃるの発言を否定するように、力強い視線が向けられる。
「うまぴーのいつもの声も、たまに出る素の声も、だめだめなふたばの背中を押してくれる優しい声も、ふたばは全部好きだよ。だからそんなこと言わないで」
真剣な眼差しがばあちゃるに向けられる。双葉にとってばあちゃるの声は背中を押してくれる存在であり、手を引いてくれる存在でもあり、隣にいてくれる存在でもある。それを否定されるのは本人であっても許せることではない。その双葉の姿に、ばあちゃるは胸が熱くなるのを感じた。
「ふたふた。その、なんと言ったらいいかわかないっすけど。そう言ってもらえて嬉しいっすよ!」
「なに照れてるの。ふたばまで照れちゃうじゃん」
珍しく照れるばあちゃるに釣られて頬を赤くする。ばあちゃるも久方ぶりのその感情を誤魔化す様に、そして気合を入れる様にマスク越しに頬を叩き声を上げる。
「よーし。そこまでね、期待されちゃうならばあちゃる君もね、頑張っちゃうっすよ。完全に!」
「頑張るのもいいけど、先に慣れないと。…あ」
何かを思い出したかのように少し間抜けな声が零れた。双葉買ったこのバイノーラルマイクはとある機能が実装されている。購入時その機能は面白そうだと思ったが、結局使わず仕舞いだ。しかし、この状況であればその機能は使えると双葉は思った。
「うまぴー。マイクじゃなくて、ふたばに直接囁くならいける?」
「ふたふたにっすか?それならばあちゃる君でも声を落とすことできるっすよ。けど、収録なんっすからそれじゃ意味ないんじゃ?」
「んーん。できるよ。このマイク、面白い機能があるの」
そうして取り出したのはマイクと一緒に持ってきた説明書だ。開き、その科目を確認する。そこに書かれている内容はマイクと人物の耳をリンクさせるというものだ。
「つまり、マイクじゃなくふたふたの耳に呟けば、マイクに呟くのと同じ様に録音できるってことっすか?」
「そう。おもしろいでしょ?」
「はいはいはい。すっごい機能っすね。これならもっと人気になってもいい気がするっすけど」
「これ、欠点があって。マイクになった人の言葉も拾っちゃうから余分な音声も混じっちゃうの」
「はいはいはい。それは致命的っすね。完全に」
奇怪なマイクにやるより、実在する人物に囁くのを録音するほうがより臨場感が生まれるだろう。そのためこの機能は発売前は好評だったが、実際に発売されてから双葉の言う欠点が発覚。結果、封印安定の機能と化した。しかし、バイノーラルマイクに囁くのに違和感を覚えるばあちゃるに対して、この機能は有能であるはずだ。
「これ以上やっても上達するのに時間かかりそうだし、とりあえず試してみる?」
「ばあちゃる君的にはそっちの方がやりやすいっすからうれしいっすけど、本当に大丈夫っすか?」
「ふーちゃんはおっけーだよ」
『役得だしね』と内心呟く。既に数回に渡り収録したものを聞いている双葉は完全に高を括っていた。ばあちゃるの不安も空しく、双葉に押される形でその案が決定してしまう。
「もしくすぐったかったりしたらね、すぐに言うようにね、お願いっすよ?」
「大丈夫だよ。心配性だなーうまぴーは」
楽観視する双葉に一抹の不安がよぎるが、もし双葉に問題が起きればすぐにやめればいいとばあちゃるも納得した。そしてバイノーラルマイクと双葉の両耳をリンクさせ、録音を開始する。声が出せないため、双葉はジェスチャーでばあちゃるに合図を出した。
双葉の失敗点をあげるとしたら三つ。一つ、マイクではなく直接耳に語り掛けるということは吐息も混ざるということ。二つ、どうやっても二人の距離が近くになるということ。そして三つ、双葉の激昂によりばあちゃるも今まで以上にやる気に満ちているというところだ。
近づいてきたばあちゃるは自然な流れで双葉の腰に腕を回し、抱き寄せた。
(え?)
あまりの自然の流れに声を出しそうになるが、そこは何とか堪え踏みとどまる。どういうことかと自身の真横にいるばあちゃるの確認すると、そこには鼻先までマスクを上げ、口を露出しているばあちゃるが確認できた。その予想外な光景に呆然としているその時、ばあちゃるの口が開いた。
「お帰り、今日も大変だったろう?お疲れ様」
「~~~~ッ!ふぅ…んん…ッん!~~~」
知っているけど知らない声。いつもより素に近い低さだがそれはどこか艶があり、さらに優しさに溢れるその声に双葉は腰を抜かした。また、耳に当たる吐息がどうもくすぐったく、背中に電量が走ったような快楽が走る。録音していることをなんとか覚えていたため、何とか声を出さずに済んだが、それでも口からは吐息が零れた。
「やりがいがあるのはわかるけど、無理しちゃ身体に響くだろう?ご飯が出来ているからゆっくりしようか」
「ぁ…んぅ~~ふぁ…ぁッ…ん」
踏ん張ってみても全然力が入らず、身体は既にばあちゃるに預ける形になっている。それを支えるため腰に回された腕により強く抱き寄せられた。腕の中にいる状態ということを理解すると双葉の脳はさらに沸騰する。それでも双葉は奥歯を噛み締め、意識を保つ。
「今日は双葉の好物のカレーだよ。一緒に食べようか」
「んん!~~んふぁ…ぁぅ~ッぁ!」
右耳から離れ次は左耳に囁かれる。快楽からか目には涙が溢れそうになり、視界が歪む。このままでは涙を流してしまうと思い、眼を固く閉ざした。しかし、それは悪手だ。
「離れたくない?仕方ないな。ならこのまま連れていくぞ?」
「ひぁん…ぅぁ~~んぁ~あぅんんっ!」
目を閉ざした為か耳から入ってくる情報がより鮮明に伝わってくる。踏ん張っていた口も徐々に脱力していき、吐息とは別の甘い声が漏れ始めた。一度抜けてしまった力は早々に入れることはできない。漏れる声は大きくなっていく。
ばあちゃるにフリー素材だと渡された台本の中身は、実は双葉が自己流にアレンジしたものだ。先に言ったように、双葉はばあちゃるのASMRに対して怒りを感じていたのは事実。しかし、それ以降の行動は双葉の欲望からだ。ASMRについて言及し、あわよくば自分専用のばあちゃるASMRを収録するのが双葉の真の目的だった。その為、台本に書かれていることは全部が双葉がばあちゃるに言ってほしい内容となっている。シチュエーション系統はもちの領分であるが、それでも聞きたい一心で作り上げた自信作だ。
そして今、双葉は彼の声、体温、吐息、腰に回る腕の強さ。そして台詞全てが双葉の弱点を的確につき、快楽という穴に導かれようとしていた。
(も、もうむりッ)
「ほら、しっかり捕まってないと落ちるぞ?よしよし、いい子だ」
「ふぁん!ンンッ…んぁッ!ヒゥッ!だ、だめだよぉ…ぁんっ、うま、ぴー…んん」
ついに食いしばる力すら抜け落ち、唇の端から唾液が伝え落ちる。もう録音など気にしている余裕はない。このままでは意識がどこかへ飛んでしまう感覚に襲われながら双葉はばあちゃるに縋る。しかし、現実は無常だった。
「ほら、キッチンまでもう少しだぞ?瞼が落ちそうだけど、寝室のほうがいいかい?」
「ひぁっ!?うまっ、うまっぴーんん…んぁっ!みみ、みみぃ…だめぇっ」
マスクを捲っているためか双葉の状況を確認できないのに加え、ばあちゃる自身が演技に熱に入ってしまい双葉の声が聞こえていないようだ。さらに双葉の声は元々大きい方ではない。それに加え快楽による嬌声交じりの小声は完全に演技に入っているばあちゃるには届かなかった。
「よっぽどお疲れみたいだね。ご飯は今度にして今日はもう寝ようか?…大丈夫、俺も一緒に寝るよ」
「うまっ、うまぴーッ…あぅ…トん、じゃうから…んぁ…やめへぇ」
背中から這い上がってくる快楽に危機感を覚えなんとか伝えようとするが、届いていないことに双葉は絶望する。しかし、今のセリフから終了まであとわずかだと気づき、最後の力を振り絞り、耐えるために脱力した身体に力を籠める。
「ほら、寝室だ。言っただろ?俺も一緒に眠るよ」
「うま、ぴーッ…うまぴー…ッ!…ぁんッ!」
「一緒に寝転んで、そう、いい子だ。落ちそうになってる瞼、もう閉じても大丈夫。また明日、お話ししよう」
「だめッダメェ…ッ!がまんッ…ふぁ…がまんんんッ!」
喋っている内容はすでに理解ができない。ばあちゃるの声が一言一言が双葉を着実に、確実に絶頂へと導く。脱力したはずの腰がなぜか動いていることに双葉は気付かない。口から浸る唾液、目から零れる涙により双葉の顔はもうぐしゃぐしゃだ。
「おやすみ」
なんとか聞き取ったそのワード。それは双葉が台本の最後に書き記したものだと、かすかに残る意識が訴えてくる。つまり、これで終わり。安心感と一緒に何故か沸く物足りなさに内心首を傾げながら強張っていた身体の力を抜く。
「ふうぅ」
「ふぁ?」
耳に吹きかけるのはばあちゃるのアドリブによる不意打ちの吐息。終わったものだと思っていた身体は完全に油断しており、急なその快楽に脳の処理が追い付かない。そして、脳が、身体が何をされたか理解したと同時に双葉は絶頂へと導かれた。
「あ、あ、あ、あ、あ、あッ!だめ、これ、だめぇッ!ふたば、イっちゃっ!」
「へ!?ちょ、ふたふた!?」
痙攣しながら絶頂する双葉にばあちゃるは驚愕する。縋りつくように彼のスーツをきつく握りしめ、何とか絶頂の快楽を逃がそうとするがあまり意味がない。ぼやける視界の中、最後に彼の困惑する口元を見ながら双葉は意識を暗転させた。
「はっ。…知らない天井…でもないや」
目を覚まし辺りを見渡すと、そこは見慣れたばあちゃる学園の保健室。寝ぼける意識の中、何故自分はここにいるのか思考し、思い出した。
「ああ、ああああああぁぁぁぁ」
羞恥により耳まで赤に染め、絶叫する。ASMRの録音を行っていたのに何故か絶頂して意識を失うというとんでもない着地点に双葉はただただ頭を抱えることしかできなかった。
「うぅ。今度どんな顔してうまぴーに会えばいいのー」
何時もの間延びした声で問うが、その答えは返ってこないし、びしょびしょに濡れた下着は気持ち悪い。問題は山積みでどうしようかと悩んでいる時、自身の携帯端末が目に入った。
「あ!録音!」
そこで当初の目的を思い出す。収録した音声データの保存先は双葉の携帯端末に設定しており、問題がなければ無事端末の中にあるはず。確認の為に双葉は携帯を開く。
「よし、あった」
音声データはしっかりと端末に保存されていた。自分の声が煩わしいが、それは編集である程度はなんとかなるはず。色々と問題はあるが、当初の目的は無事達成したことに、双葉はホクホク顔で確認の為に音声データを再生した。
『データが破損してます』
「は?」
無常に記されたワードに無意識に言葉が零れる。そもそも正規の方法で収録を終了していないのだ。さらにマイクである双葉が気絶したことなど原因である事柄はある程度考えられる。しかし、それでも納得できるものではなかった。
「なんなん!?」
双葉の渾身の叫びは保健室に空しく響いた。
後日、書記に土下座してまでとあるデータの修復を頼む会計の姿が生徒会で確認された。