※この作品はR-18です。

ロミーVer.2   作:松村順

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第2話

Ⅱ

 

 ボクが中学に入学する直前の4月初旬の夕方。ヒカルは風邪を引いて寝込んでいる。ボクはそばに座っている。

「ロミー,今日は一人でお散歩に行っておいで」

ボクは,一人で出かける決心が付かない。

「今日は前から楽しみにしていた三日月よ。先月も先々月も曇って三日月が見えなかったでしょう。3ヶ月ぶりの三日月よ。わたしは行けないけど,ロミーは行っておいで」

ボクはちょっと悲しげにうなずいて立ち上がる。

 ボクは海岸への道を歩く。いつもなら,ヒカルと手をつないで前を見て歩くんだけど,今日はちょっとうつむいて。そうして,岸壁に着いて,向かいの半島の低い山並みの上に広がる夕焼け空と,そこかかる白い三日月を見ている。夕焼け空が暗くなるにつれて月は輝きを増していく。大好きな三日月,大好きな夕焼け空だけど,ヒカルと手をつないでないと物足りない。いつもなら,空が暗くなるまで眺めているけど,この日は早めに切り上げた。

 ・・・・家の前に着いて,ボクは呆然と目の前を見ていた。ボクの家が燃えている。周りの人たちが,タンクローリーが突っ込んで一瞬のうちに家が火に包まれたと話している。消防隊が放水してなんとか両隣への延焼を防ごうとしている。〔ヒカルは? お母さんは? お父さんは?・・・・〕

 

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 5日後,ボクは叔母さんと電車に乗っていた。お母さんの妹。父方の親戚と付き合いがなかったボクたちが親戚づきあいしていたただ1人の人。博多に住んでいる。それまでも時々遊びに行き,ヒカルと一緒におうちに泊めてもらったこともある。1階がお店で2階に叔母さんが住んでいる小さな家。そのお店が「バー」と呼ばれる場所であることを,ヒカルもボクもいつの間にか知っていた。夜になれば玄関の前に「淡雪」と書かれた看板が出されることも。叔母さんはヒカルに似た顔立ち,そしてヒカルと同じようにボクをかわいがってくれていた。

 お葬式が終わった夜,今まで一度も会ったことのない伯父という人,お父さんの兄という人が突然現れて,ボクを引き取ると言い出した。

「バーのホステスふぜいに引き取られるより,医者の家に引き取られる方がいいに決まってるだろう」

という言葉に,ボクは生まれて初めて怒りと憎しみを感じた。そして,心の底からの嫌悪感も。ボクは

「いやだ。ボクは叔母さんと暮らすんだ」

と言い張り通した。伯父という人は,優しい言葉や脅かすような言葉でボクを説得したけど,結局,根負けした。

 そして今,ボクは叔母さんと並んで電車のシートに座っている。ボクは叔母さんに体を寄せかける。叔母さんはボクの肩を抱いてくれる。ヒカルがそうしてくれたように。叔母さんの体の温もりがうれしい。叔母さんはボクの亜麻色の髪を指で撫でてくれる。ヒカルがそうしてくれたように。

「叔母さん,これからボクのこと『ロミー』って呼んで。ヒカルはそう呼んでたの。そして『ロミーは外人みたいにきれいね』って言ってくれてたの」

叔母さんはボクの顔を覗き込む。

「そう,分かったわ。ほんとうに,外人みたいにきれいよね。じゃあこれから,ヒロミちゃんを『ロミーちゃん』と呼ぶね」

「『ちゃん』は要らないの。『ロミー』って呼んで。ヒカルはそう呼んでたから」

叔母さんはちょっとの間ボクを見つめた。そして

「分かったわ,ロミー」

と言って,またちょっと間をおいて,ボクに話しかけた。

「それじゃあ,わたしのことも『叔母さん』じゃなくて『深雪(ミユキ)』と呼んで。『ちゃん』も『さん』も付けないで,『ミユキ』と呼んでね」

ボクはうなずいた。そして,そう語る人に体を寄せ,耳元でささやいた。

「ミユキ」

ミユキはボクの方に顔を向ける。ボクは言葉を継いだ。

「ヒカルはいつもボクの味方だった。ヒカルはいつもボクを守ってくれた。ヒカルはいつもボクを信じてくれた。だから,ミユキもボクの味方になってね。ボクを守ってね。ボクを信じてね」

ミユキはゆっくりうなずき,ボクをさらにきつく抱き寄せた。ヒカルとは違うにおいがする。

 ミユキの体のぬくもりを感じながらうとうとしているうちに,電車は博多駅に着いた。

 

 ミユキは部屋のタンスの抽斗を開け閉めしている。

「何も持ち出す暇もなく焼けちゃったから,ロミーは着る服もないのよね。わたしの服じゃ大きすぎるけど・・・・わたしも子供の頃の服なんかとっくに捨ててしまったけど,1着くらい残っていないかしら」

と言いながら,抽斗の中をあさっている。

「この前,ヒカルが着てた着物があるでしょう」

「ああ,あれね!」

ミユキの表情が一瞬輝いた。

「そう,これよ」

ミユキは着物を手に取っている。お正月にヒカルが着せてもらっていた黄色い地に赤い花模様のある着物。

「子供の頃とても気に入っていた小袖。ヒカルちゃんにはちょうどよかった。ロミーにはちょっと丈が長いかもしれないけど,大丈夫よ。ロミー,着てみて」

ボクは戸惑った。着物を着たことがなかったから。

「ああ,着方が分からないの? とりあえず袖を通してごらん」

ボクは言われたように袖を通し,前を重ねた。ミユキはじょうずに帯を結んでくれた。

「似合う。とてもよく似合うじゃない。今日,明日くらいはそれを着てなさい」

ボクはうなずいた。生まれて初めて着る着物。きれいで,ボクも気に入った。

「今日は,これから晩ご飯を作っている時間がないから,外に食べに行きましょう。うどんでいい?」

「うん」

 ミユキは近くのうどん屋さんにボクを連れて行った。店に入ると,中にいた人たちが一斉にボクに目を向けた。ミユキはうれしそうに微笑んだ。

 夕食を終えて家に戻る。1階の入口を開け,店を通り抜けた奥に2階に上がる階段がある。

「わたしはこれからお仕事だから,ロミーは上にいて。一人で本を読んでいられるでしょう? 眠たくなったら,お布団を敷いて寝てていいからね」

ボクはもうちょっとの間ミユキと一緒にいたかった。

「ここにいちゃだめ?」

「えっ?・・・・まあ,いいけど・・・・お客さんが入ってきたら2階に上がるのよ,いい?」

「うん」

そう答えて,ボクはカウンター席に座った。

 ミユキはお店を開ける準備をしている。ボクはそれをおもしろそうに見ている。これまで一度だけ,ヒカルと一緒にお泊まりした日に,ヒカルと一緒にカウンター席に座って見ていたことがある。カウンターの中のキッチンで何か作ったり,棚に並んでいるお酒をチェックして足りないものを酒屋さんに電話で注文したり,おしぼりをヒーターに入れたり・・・・自分の家では見ることのないものだから,見ていて飽きない。

 やがて開店準備が一段落したら,ミユキがボクの隣に座った。

「見てておもしろい?」

「うん」

そう答えるボクに,ミユキは優しく微笑みかけた。そうやって二人とも何も話さずに並んで座っている。どれくらい時間が経ったのだろう,店の入口がガラリと開いた。ミユキは席を立って振り向く。

「あら,お久しぶり」

「お久しぶりだね」

入ってきたお客はそう言ってから,隣に座って彼を見ているボクに気づいた。

「あっ,ロミー,2階に上がっていなさい」

ボクは席を立って階段に向かおうとしてお客と目が合った。

「いやあ,可愛い子だねえ。ミユキさん,知り合いの子かい? ロミーというの? 外人の子?」

「日本人よ。でも,外人みたいにきれいでしょう?」

「へえー,日本人なのかい。でもほんとうに外人みたいだ。外人のきれいな女の子が和服を着たらこんなふうになるんだろうねえ」

お客は感心したようにボクを見る。ボクはちょっとうれしくなった。そして階段を上がった。

 2階の部屋で,ボクは本を読んでいる。この日,博多のミユキのうちに着いてすぐ,ボクは図書館に連れていってもらった。ここから歩いて15分くらい,博多港の波止場のそばに図書館があるのは知っていた。ヒカルと一緒に何度か行ったことがあるけど,本を借りたことはなかった。この日初めて,この海の見える図書館で本を借りた。ミユキと一緒に開架書庫に入り,本棚に並んでいる本の背表紙を目で追いながら,気に入った本を選ぶ。

「ロミーは難しい本を読むのね。頭がいいのね」

ミユキは感心していた。

 そうやって借りてきた本を読んでいるうちに眠くなり,ボクは布団を敷いて寝た。布団の真ん中ではなく,ちょっと隅に寄って。何時間かしたら,仕事を終えたミユキがミユキ隣に寝るはずだから。

 その夜,ミユキが部屋に戻り,ボクの隣に寝るのを夢うつつの中で感じていた。翌朝,遮光カーテンの隙間から漏れた朝の光で部屋が明るくなった頃,ボクは目覚めた。ミユキはまだ眠っている。その体のぬくもりを感じながらボクはしばらくうとうとしていた。どれくらいそうやっていたのか,ミユキの

「ロミー,そろそろ起きる?」

という声で目が覚めた。

「よく寝てたわね。昨日は疲れたのね」

「今,何時?」

「10時くらいよ」

「もう,そんなになるんだ」

ボクはぼんやり天井を見上げた。

「朝ごはんにしようか?」

「うん」

「じゃあ,服を着て下に降りてなさい。朝はパンでいい?」

「いいよ」

 ミユキの2階の部屋には小さな流しがあってお湯を沸かしてお茶を飲むくらいはできるけど,キッチンは1階にしかない。だから食事は1階で摂る。ヒカルと泊まった時,カウンターに座ってご飯を食べるのがおもしろかった。

 トーストと目玉焼きの朝食の後,

「これからロミーの服を買いに行かないとね」

とミユキが話しかけたけど,ボクは外の天気を見て怖気(おじけ)づいた。昨日はどんより曇っていたけど,今日は抜けるような青空。日差しが怖い。

「そうだったね。ロミーは日に当たってはいけないのよね。でも,夕方まで待ってると,わたしがお店の支度をししないといけないから・・・・ロミー,自分の服はやっぱり自分で選びたい? わたしが一人で選んで買ってきてはいいけない? ロミーにお似合いの服を買ってきてあげるよ」

「それでもいいけど・・・・」

「けど,どうしたの?」

「ボクは,ヒカルが着てたような服が好きなの」

「分かってるわよ。ロミーはヒカルちゃんのお下がりがお気に入りで,そればかり着てたのよね。お姉さんがあきれてた。『ロミーのために服を買おうとしても,あの子は『ヒカルが着た服をボクも着るんだ』って頑固に言い張るの。とうとうわたしたちも諦めた』って言ってた」

「だって,好きなんだもん」

「なにも,悪いとは言ってないわ。似合ってたし。ヒカルちゃんはどっちかというとボーイッシュで,中性的な服を着てたから。そんな服を買ってきてあげる」

 そう言って出かけたミユキは,1時間くらいして戻ってきて,買ってきた服を見せてくれた。ボクがそれまで着ていたようなデザインの服。

「気に入ってくれた?」

「うん」

その返事を聞いて,ミユキはブティックの紙袋の底からもう1着出して僕の前に広げて見せた。フリルのついたかわいいブラウスと,膝までの長さのキュロットズボン。

「ロミーは女の子のようにかわいいから,と言うか,並の女の子よりずっとかわいいから,こんな服も似合うよ。着てごらん」

ボクはその服を着てみた。

「すごい。とても似合ってる。鏡を見てごらん」

そう言ってミユキはボクを鏡の前に立たせた。生まれて初めてこんなかわいい服を着た自分を,ボクはしげしげと眺める。

「お人形さんみたい,フランス人形みたいでしょう」

ボクはミユキの方を向いてうなずいた。そんなボクにミユキは

「今日は,それを着てなさい」

と話しかける。そして楽しそうに,

「そんなかわいいブラウスの上に学ランを着るのもおもしろいわね」

と言って,考え込んだ。

「そうだった。学ランも焼けちゃったのよね。もう中学の入学式は終わったのかしら。早く学ランを買わないと」

それを聞いて,ボクは思い詰めたような顔でうなだれた。

「ロミー,どうしたの?」

ボクはしばらくためらったけど,思い切ってミユキに訴えかけた。

「学校なんか,行きたくない。いじめられるに決まってるから」

「えっ,どういうこと?」

「小学校でも,みんなから『ガイジン』って,馬鹿にされたんだ。でも,ヒカルがいてくれたから,馬鹿にされるだけで済んでた。ヒカルがいなかったら,ぜったい,いじめられていたよ」

ミユキは驚いたようにボクを見る。

「もう,ヒカルはいないんだ。学校でボクを守ってくれる人はいないんだよ」

ミユキは,なおもじっとボクを見つめる。

「・・・・そうね。ヒカルちゃんがいてもそんなこと言われていたんなら,ヒカルちゃんがいないなら,もっとひどいこと言われるわね。『オカマ』とか」

と言って,ミユキはハッとした。

「隠さなくていいよ。ボク,その言葉知ってる。言われたことあるから」

「そうなの・・・・どうして,こんなかわいい子が・・・・いや,かわい過ぎるからいじめられるのね。でも,だからといって学校に行かないのは・・・・」

今度はミユキがうなだれた。そんなミユキにボクは懸命に話しかける。

「ミユキはボクを守ってくれるんでしょう。ボクを信じてくれるんでしょう?」

ミユキは顔を上げた。

「もちろんよ。わたしはいつでもロミーの味方よ」

そう言って,ミユキはボクを抱きしめた。

 

 学校に行かないから,ボクはミユキと同じ時間に寝起きするようになった。

 朝10時か11時くらいに起きだして,朝昼兼用のブランチを摂る。ミユキはそれから出かけることもあるけど,ボクは日中は部屋の中で本を読んでいる。たまに教育テレビの高校講座を見ることもある。ミユキは初めのうちは驚いた。

「ロミー,高校講座を見て分かるの?」

「分かるよ。理科と社会と国語は分かる。英語と数学は難しすぎるけど」

「ふーん」

「学校は嫌いだけど,勉強は好きなんだよ」

「さすが,お姉ちゃんの子供だわ」

ミユキは感心したように,そんなボクを見ている。

 数学は中学の参考書を買って読んでいる。英語は・・・・あまり好きになれなかった。アルファベットをローマ字読みするラテン語に慣れていたボクは,英語の綴りと発音の関係が無秩序なのに戸惑った。“a”,“e”,“i”,“o”,“u”,5つの母音字すべてに2つ以上の発音があり,どんな時にどの発音になるのかがまったく不規則(この時のボクにはそう思えた)。子音字にも“c”とか“g”とか“s”とか“th”などは不規則な読み方をする。それに加えて,ボクは“cat”や“hat”の“a”の発音が嫌いだった。「美しくない」。ラテン語では,“a”は大きく口を開けて明るく発音する「ア」の音なのに・・・・。それでも,「基礎英語」の番組は見るようにしていた。

 そんなふうにして昼間の時間を過ごし,夕方5時過ぎに早めの夕食を摂る。夕食を終えると,ミユキは開店準備を始める。ボクは,散歩に出かける。たいてい那珂川の岸辺を博多港まで歩いた。

 ミユキのお店は,博多中州から川一つ隔てたところにある。そこを出てちょっと歩けば那珂川の岸。川べりに沿った道をずっと歩くと博多港に着く。図書館もそこにあるから,たいていその日に読み終えた本を持って行って返却し,新しい本を借り出した。向かいの埠頭の倉庫の群の上に,そしてその斜め後方に見える能古島や志賀島の上に,夕焼けが広がっている。

 うちに帰り着く頃,もうお客さんが来ていることもある。

「ロミーちゃん,ジュースでも飲まないか?」

などと声を掛けられることもある。ボクは素直にカウンター席に座ってジュースをもらう。それから2階に上がって借りてきた本を読む。

 10時くらいになるとお腹が空くのでお店に降りて

「おなかがすいた」

とミユキに声を掛ける。するとミユキは簡単な夜食を作ってくれる。小ぶりのおにぎりを作ってくれたり,小さなお椀にご飯をよそってくれたり。おかずになりそうなシシャモとかツクネとかを添えてくれる。お通し用に作った酢の物やサラダも一緒に出してくれることもある。たまにはうどんを作ってくれる。ボクは,初めのうちはカウンターの隅に座っていたけど,お客さんがなじみになるにつれ,

「ロミーちゃん,こっちにおいで」

と呼ばれるようになった。こんなふうにボクを呼ぶのはたいてい女のお客さんだけど,たまに男のお客さんから呼ばれることもある。夜食を終えると,ボクは2階に戻り,ミユキの仕事が終わるまで本を読んでいる。ミユキが上がって来たら,一緒にお風呂に入って,寝る。これがボクの一日。

 毎日が平穏に過ぎていく。お店のお客さんたちは,ボクを馬鹿にしたりしない。「かわいい」,「きれい」,「愛らしい」と言って可愛がってくれる。ヒカルが「大人になったら,みんなロミーの美しさに驚くようになるよ」と話してくれた時,小学生のボクにとってそれは遥か遥か遠い,現実感のない話だった。でも,ボクが大人になるのを待たなくてもいいんだ。ボクの周りが大人であればいいんだ。大人たちは,外人みたいなボクの髪,肌,目の色を「きれい」とほめてくれる。大人たちは,女の子のようなボクの華奢な体,可憐な顔を「かわいい」とほめてくれる。

「ロミーちゃんは『淡雪』の看板娘ね。いや,男の子だってことは分かっているけど,でもつい『看板娘』という言葉が出てきちゃう」

などと言ってくれる。

 

 そうやって2週間くらいが過ぎた4月の下旬,2人の人がうちにやってきた。ボクが通うはずだった学校の教頭と,ボクが入るはずだったクラスの担任教師。ボクがずっと欠席している理由を探り,学校に来なさいと督促するのが目的。ボクの代わりにミユキが相手してくれた。アルビノ症なので日中外出するのが危険なこと,そして,小学校での経験から,ボクがいじめにあう危険が高いことを説明し,

「そんな危険なことをさせられません。そんな危ない場所に行かせられません」

と,二人を相手に堂々と主張した。二人は顔を見合わせた。そして,教頭が

「ご病気については学校医と相談してみます。いじめについては,絶対いじめられると決まっているわけではありませんから」

と言うと,ミユキはきつい表情で教頭をにらみつけ,

「よくもそんないいかげんなことを・・・・他人の子供だと思って。じゃあ逆にお尋ねしますけど,この子が絶対いじめられないと保証してくれるんですか? 絶対いじめにあうことはないという確実な証拠があるんですか? あるんなら,見せてください」

と言い返した。二人はまた顔を見合わせた。それから,担任教師が

「叔母様のご心配は理解できるのですが,子供を学校に通わせないというのは虐待の可能性もあるので」

と言い出したので,それまで黙っていたボクが反論した。

「ボクが行きたくないと言ってるんです。叔母さんはそんなボクの味方になってくれるんです。虐待なんて,失礼なこと言わないでください」

ボクは担当教師をにらみつけた。ミユキは教頭をにらみつけている。結局,二人は諦めて帰っていった。二人が戸を出るとすかさず,ミユキは戸をピシャリと閉めて鍵をかけた。

「ミユキ,ありがとう」

「お礼なんかいいのよ。約束したじゃない。わたしはいつでもロミーの味方になるって」

 それから2~3日して,また学校から担任教師がやってきた。ミユキは中に入れようとしなかったけど,

「無理やり学校に来なさいというお話ではありません。学校に行かずに済ませるための手続きをお願いしたいんです」

という声がしたので,戸を開けた。担当教師は「就学免除申請」と書かれた書類をミユキに渡して,

「これを提出していただけませんか。『免除の事由』には『アルビノ症のため通学が困難』と書いていただければけっこうです。日射を避けないといけないという診断書を添えて提出してください」

とだけ話して帰っていった。

 翌日,ミユキはすぐにかかりつけの医者にボクを連れて行き,診断書を書いてもらい,書類を提出した。

 

 ある日,ボクがここに来た最初の日に会ったお客がカウンターに座っていた。夜食を摂っているボクに,

「あの日,着物を着ていた子だよね。もう一度,あの姿を見せてくれないか?」

と声をかけた。それを聞いて周りのお客も

「ロミーちゃんの着物姿? ぜひ,見たい」

と言い出した。ボクは2階に戻って着物を着たけど,帯を結べない。仕方ないからぐるぐる巻きにして蝶々結びして,1階に降りた。ミユキは

「まあ,ロミー,そんな帯の結び方!」

とあきれたけど,カウンターからは

「あら,それもかわいくていいじゃない」

という声が掛かる。さらに,

「ちょうどカメラをもって来ている。写真撮らせてくれ」

と言い出すお客がいた。ミユキは戸惑っていたけど,ボクは

「うん,いいよ。でも,ご飯を食べてからね」

と返事した。

「そうよ。ロミーちゃんはお腹が空いて下りてきたのよ」

と,ボクの代わりにほかのお客が説明してくれた。

 夜食を食べ終えて,撮影開始。まず,ふつうにカウンターの椅子に座って,前を向いたり横を向いたりした。それから立ち姿。そして,

「今度はカウンターに座って。裸足になって,足をぶらぶらさせて」

と言われた。リクエスト通りにすると,

「ああ,いいね。そのお茶目な感じ。着物とのアンバランスが絶妙」

と言って,その客は何度もシャッターを切った。

「撮影会は終わり?」

と,女客が声をかけた。

「ああ,終わりだ。今度,焼き増しして持ってくるよ。みんなも見たいだろう」

「ぜひ,お願いするわ。それと,ロミーちゃん,その蝶々結びも可愛いけど,ちゃんとした結び方を教えてあげる。もう一度,ここに立ってごらん」

ボクは彼女に言われたとおりに立つ。彼女は帯を解き,ボクに説明しながら帯を結んでいく。

「一番簡単な結び方を教えてあげるからね。よく見てなさい」

そう言って結び終えると,また解いた。

「今度は,ロミーちゃんが結びなさい」

ボクは,さっきの彼女の手つきを思い出しながら結んでいくけど,時々手が止まる。すると彼女がヒントを出してくれる。そうやってなんとか結び終えた。

「ちょっと怪しいわね。もう一度」

彼女はボクが結んだ帯を解いて,もう一度ボクに結ばせた。今度はちゃんとできた。彼女も満足げにボクを見ている。

「明日はこうやって帯を結んで下りておいで」

 翌日,ボクは言われたとおりに帯を結んで夜食を摂りに1階に下りた。昨日の客がそんなボクを見て,

「あら,ちゃんとわたしの言ったことを覚えていてくれたのね。うれしい」

と話しかけた。それから何日か,ボクは着物に着替えて夜食を摂りに下りるようにした。ちょっと面倒だけど,お客さんたちが喜んでくれるのが分かるから,ボクもうれしい。

 食べ終わると,2階に戻る。

「お部屋で何してるの? テレビを見てるの?」

と訊かれることがある。

「本を読んでるの」

と答える。

「どんな本を読んでるの? 小説?」

「小説も読むけど,いろんな本を読んでるよ」

「ふーん・・・・今,なんて本を読んでるの?」

ボクはその時々で読んでいる本のタイトルを答える。小説のこともあるし,歴史の本のこともあるし,科学の本のこともある。『黒の過程』とか『中世の秋』とか『生命形態学序説』とか『動いている物体の電気力学』と答えると,びっくりされる。ミユキが取りなすように

「ロミーは難しい本を読んでるのよ。テレビなら高校講座を見てるの」

と説明する。それで,この話題は終わりになることが多い。

 

 少しずつ日が長くなる。夕食を終えてもまだ日が落ちないから,ボクはしばらく部屋で本を読んでから散歩に出かけるようになった。

 博多港の上に三日月が懸かっている。1か月が過ぎたんだ。三日月を見るとヒカルを思い出す。いや,ヒカルのことはいつでも思い出すけど,三日月を見るとなおさら強くヒカルの記憶,ヒカルと一緒だった12年の日々の記憶がよみがえる。悲しい?・・・・そんなことはない。むしろうれしい。ヒカルのことを鮮明に思い出すのは,うれしい。

 

 ある日,女客が

「ロミーちゃん,これを着てごらん」

と言って,ハンガーケースからきれいなドレスを取り出した。黒をベースにアクセントとして白のレースや金糸,銀糸が所々に使われている。

「わたしが中学生の頃,ピアノの発表会で着たドレスだけど,ロミーちゃんの体にちょうど合うと思うよ」

ボクはさっそくその場で着ていたブラウスを脱いで着替え始めたら,みんなが驚いた。

「ロミーちゃん,ここで着替えなくても・・・・」

ボクはほかの人たちが驚く理由が分からない。

「だめなの?」

お客たちは戸惑っている。ミユキが

「ほかの人のいる所で下着姿になるのは,よくないわ」

「どうして?」

ボクは,裸体画を見慣れていたから,裸がわいせつだという観念が薄かった。それでも,さすがに人前で裸をさらすべきではないということは分かっていた。下着を着けていればいいだろうと思っていたけど,下着姿でさえわいせつと見なされるとは,想像もしていなかった。でも,ミユキの表情や口調からすると,それもまたわいせつなことのようだった。ボクはドレスを持って2階に上がり,着替えを済ませて戻ってきた。

 こんなトラブルがあったけど,ボクのドレス姿は好評だった。丈がちょっと長すぎるのでボクは手で持ち上げて歩いた。それも「お姫様みたい」と言われた。

「似合うわ!とてもよく似合う。ロミーちゃんにあつらえたみたい。長さだって,すぐに背が伸びてちょうど良くなるわ。あげるから,わたしが来た時にはこれを着てわたしの隣に座って」

「もらっていいの?」

「だって,今のわたしには小さすぎるから。気に入ってて捨てられないでいたけど,ロミーちゃんが着てくれるなら,うれしいわ。わたしが着るより似合ってるかも」

これがきっかけとなって,ほかに2人のお客がドレスをもって来てくれた。真っ赤なドレスと,深い青のドレス。そしてもう1人,パンツスーツをくれた。それからボクは,夜食を食べに1階に下りる時には,もらったドレスやジャケットを着るようにした。たまには,ミユキが買ってくれたフリルのシャツとキュロットパンツを着ることもある。

 そんなボクの姿は少しずつ評判になったらしく,ボクが1階に顔を出す時刻にはたいていカウンターが満席になった。それでボクはカウンターの中で夜食を食べる。ある時,シャッターを切る音がした。音の方を向くと,いつかボクの着物姿を撮影したお客さんがカメラを持って微笑んでいた。

「マリンブルーのドレスを着てシシャモを頬張っている姿は絵になるよ」

という言葉に店内がどっと湧いた。

「ロミーちゃんはなにをしても絵になるでしょう」

「まあ,そうだけど」

 

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- (ミユキ視点)

 

 ロミーが姉に連れられてヒカルちゃんと一緒に初めてうちに来たのは,4つか5つの頃。この世にこれほど可愛い男の子がいるのかと思った。ヒカルちゃんもきれいだけど,ロミーはそれに輪をかけて可愛い。こんな可愛い子供を授かった姉が羨ましかった,妬ましかった。

 それから,年に何度かやって来るようになり,ヒカルちゃんが10歳くらいになった頃からは,ヒカルちゃんに連れられて二人で来るようになった。おとなしい子だった。いつも,勝ち気なヒカルちゃんと一緒にいた。いつだって,「これをしたい」,「あれをしたい」,「これをしよう」,「あれをしよう」と言い出すのはヒカルちゃん。ロミーはヒカルちゃんの言うとおりにしていた。ロミーはヒカルちゃんになつき,ヒカルちゃんはロミーを心から愛していた。

 そんな内気でおとなしいロミーが,父方の伯父に引き取られるのをきっぱり拒否して,わたしと一緒にいたいと主張した時,わたしは驚いた。そして,とてもうれしかった。これからはヒカルちゃんの代わりにわたしがロミーを心から愛し,慈しみ,その美しさを花開かせてあげる,そう誓った。

 でも,ロミーの美しさはわたしが手を貸すまでもなく花開いている。うちにやって来たその日から,お客の注目を浴びた。それからずっと,みんなの人気者。夜食のためにロミーが2階から降りてくる時間帯にはカウンターが満席になる。だれもが,男も女も,ロミーに注目する。服をプレゼントする客さえいる。そして,おとなしくて引っ込み思案だったロミーが,少しずつ大胆になっていく。自分が誰からも愛されることを自覚するようになったのかしら。

 喜ばないといけないのかもしれない。だれもがロミーの魅力に惹かれ,ロミーを愛することを。でも,どこか喜べない。ロミーを囲ってしまいたい,そんな気持ちがくすぶる。無理なことなのに。ロミーのためを思うならそんなこと考えちゃいけないのに・・・・。あの子がこれからどんな人生を歩むにしても,人に好かれるのはプラスにこそなれ,マイナスにはならないんだから。 -

 

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