Ⅴ
その日は,ヒロシさんに誘われていた。福岡で指折りのホテルの最上階にあるラウンジ。窓の向こうに夜の博多湾,能古島,志賀島,その向こうの玄界灘とその上に広がる冬の夜空が見える。あらかじめ,
「女性の衣装をお望みですか,それとも男の子の格好の方がいいですか?」
と尋ねて,
「夢を見させてくれるなら,女性の衣装をまとってきてほしい」
と言われていたので,ルミさんが買ってくれたドレスとコートを着た。その姿を見てヒロシさんは,まず驚き,それから喜んだ。そして,予約しておいてくれた窓際の,夜景がきれいに見える席に案内してくれた。
「以前,『お酒は飲めないからお茶に』と話したけど,どうしてもキミをここに招待したかった。もちろん,お酒は飲まなくていい。ここには,ソフトドリンクもあるから。わたしも,酔いつぶれるような不様なことはしない」
と詫びるヒロシさんは,どこまでも紳士だった。
ヒロシさんはボクの隣で静かにカクテルを飲んでいる。ボクはBGMで流れるチェンバロの音色を聞きながら夜景を眺めている。黙っているのも気詰まりなので,ボクから話しかけた。
「チェンバロの音色,すてきですね」
「バッハの『フランス組曲』だね。好きかい?」
「初めて聞くんですけど,いいですね」
「そうか,気に入ってくれてよかった」
それからは,時おり彼が話しかけ,ボクが答える。そんな途切れがちの会話が,ボクが「ムーンライト」で踊っている時以外の時に何をしているかという話題に及んだ。
「プライバシーに係わることだから,答えたくないなら,答えなくてもいいよ」
と言ってくれたけど,隠すほどのことではないから,
「本を読んでる」
と答えた。
「どんな本? 小説とか?」
「小説も読みます。ほかに科学関係の本や,歴史の本も」
「歴史小説ではなくて,歴史学の本ということかな?」
「そうです。たとえばホイジンガの『中世の秋』とかピレンヌの『マホメットとシャルルマーニュ』とか」
「おや,ずいぶん本格的な歴史書を読んでいるんだね」
という具合に会話が流れていき,オランダとベルギーという隣り合う国にほぼ同時代に活躍し,同じくヨーロッパ中世を対象にしながら,一方は想像力豊かな文化史,もう一方は手堅い実証的な社会経済史の著作を残した二人の歴史家について語り合った。楽しかった。豊嶋先生とは理科系の話題が多いから,こういう文科系の話題を語りあえるのはうれしかった。
「キミは美貌だけでなく知性にも恵まれているんだね。性格も素直だし,立ち居振る舞いもエレガントだし,非の打ち所がない。唯一の欠点は・・・・」
「唯一の欠点は?」
「・・・・あっ,いや,何でもない。欠点なんかないよ。キミは完璧だ」
それからヒロシさんは時計を見た。
「ああ,もうこんな時間か。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。もう,キミを家に帰さないといけない時間だね」
そう言って,立ち上がり,ボクの手を取った。ラウンジを横切るボクたちを,ほかの客たちが見つめる。
「誇らしいよ。こんな美しくて聡明な人をエスコートできるなんて」
その夜,ボクはまたヒカルの夢を見た。ヒカルが優しくボクにキスする。そこで目が覚めた。すぐ目の前にミユキの顔がある。
「ミユキ・・・・」
ボクはつぶやいた。
「そう,わたしよ。ヒカルちゃんじゃなくて」
「そうなんだ・・・・夢の中でボクにキスしてたのも,ヒカルじゃなくて・・・・」
「わたしよ」
「そう・・・・」
こう答えたボクを,ミユキはちょっと悲しげな眼差しで見る。そして,ボクの唇を塞いだ。それから,ボクの頬,額,首筋,そして,ボクがパジャマ代わりに着ているバスローブの帯をほどき,肩や胸にキスする。そんなところを唇で触れられるのは初めて。くすぐったいけど,気持ちいい。ボクは無意識のうちにのけぞった。ミユキは,唇をボクの体から離し,そんなボクを見ている。そして,自分の寝間着を脱ぎ捨て,ボクの上に重なり,ボクを激しく抱いた。そして,自分の体にボクを入れた。知識としては知っていたけど,体験するのは初めて。
・・・・終わって,ボクはすぐ横に寝ているミユキの裸体を見ている。
「きれい」
とつぶやいた。昔,ヒカルの机で消しゴムで落書きを消した西洋の裸体画を思い出す。〔ヒカルが大人になったら,こんなふうになったのかな〕そして,乳房に頬ずりする。肌の感触が心地よい。ヒカルとは違うにおいがする。
「人の肌って,気持ちいいね。人の肌のにおいも」
ミユキはそんなボクの髪を指で優しくなでる。昔,ヒカルがしてくれたように。
「ロミーは,きれいで,優雅で,素直で・・・・きっと,恋人にするには最高なのね。唯一の欠点は,わたしの甥っ子だということ」
「どうして,それが欠点なの?」
「『どうして』って・・・・」
ミユキは驚いたような顔でボクを見た。そして語りかけた。
「ロミー,わたしとこんなことしているの,誰にも話しちゃダメよ。お客にも,ほかの誰にも」
「これって,悪いことなの?」
「悪いわけじゃないわ。でも,悪くなくても,人に話さない方がいいこともあるのよ」
3月の末頃,ボクが「ムーンライト」から戻って夜食を摂っていると,豊嶋先生が浮かない顔で「淡雪」にやって来た。
「先生,どうしたの?」
「News Letterを却下された」
ボクは,何のことだか分からず,首をかしげた。
「ごめん。これだけじゃあ,何のことだか分からないね。ちゃんと説明するね」
と言って,豊嶋先生は説明を始めた。
「News Letterというのは,ちゃんとした論文になってはいないけど,珍しい症例とか,おもしろいアイデアを,とりあえず『こんなことがありますよ』という感じで報告するものなの。ロミーの症例,アロマターゼ活性過剰という仮説は,まだ証明されていないけど,とりあえず興味深い症例,仮説として報告したかったから,世界的に権威のある英語の医学雑誌にNews Letterとして投稿したんだけど,『根拠不十分』として却下されたの。残念だったわ」
「載っていれば,先生の業績なったの?」
「まあね。News Letterとはいえ,あの雑誌に掲載されれば,箔は付く」
「それは,ほんとうに残念だったね」
先生はボクを見つめて,話を続ける。
「わたしもだけど,ロミー,あなたの知性を認めさせたかったの。News Letterにはちゃんと,患者がサジェストしてくれたって書いたわ。もちろん,ロミーの名前は出していない。でも基礎資料となるカルテにはちゃんと名前が書いてあるから,この患者がロミーであることはいつでも証明できる。ロミー,あなたが『ホルモン活性過剰』というアイデアを思いついたのよ。それを文献に留めておきたかったの」
ボクは,医学の歴史に名前が残らなくてもいいけど,先生がボクのことをそんなふうに気にかけてくれているのがうれしかった。そしてふと,1つのシーンを思い出した。
その日,ボクは九大病院を受診することになっていた。朝から雨だったけど,ボクが出かけるにはむしろ都合がいい。採血や診察が終わり,ボクは外を歩いている。図書館に用事があると言って,先生もボクと並んで歩いている。いつの間にか雨は上がっていて,分厚い雨雲の一部が途切れ,青空が覗いた。こんな時の青空は,ふだん以上に美しい。ボクはつい見とれた。すると,その雲の透き間から日が差した。すぐに豊嶋先生が雨傘を差し掛けた。
「ロミー,日に当たっちゃダメなんでしょう」
ただそれだけの出来事。でも,ボクは先生の気配りがうれしかった。
4月初めの日曜日,ボクはヒロシさんと夕食を共にしている。最初に会ったラウンジのあるホテルのレストラン。仕事の前に夕食をごちそうになるお客は何人かいるけど,日曜日にお付き合いするのは彼とルミさんの2人だけ。この二人がボクに示してくれる好意(ひょっとして愛情?)は,ほかのお客たちとは質が違うと感じられるし,ボクもこの二人とは休日を使っても会って会話したいと思える。
メインディッシュが終わり,のんびり紅茶を飲みながら,レストランの窓の外の景色を眺めている。
「実は,きわめて失礼で恥知らずな欲求が芽生えてしまって,そんなものは胸の奥にしまっておくべきなのだが,万が一にも叶えられないかという思いもあって・・・・言葉にしてもいいだろうか」
「ボクへの欲求なのですね?」
という質問には答えず,彼はボクから視線を外して語り続ける。
「妻は15年ほども前に死んだ。それからは一人暮らしだ。もうすっかり慣れてしまったが,それでも時おり,人肌の温もりが恋しくなる。その温もりは,人の肌でしか味わえないものだよ」
こう言って彼はボクに視線を向け,そしてすぐまたそらした。そんな彼にボクから話しかけた。
「ボクも,姉の肌の温もりが恋しくなることがあります。子供の頃,一緒に寝てたんです」
ボクはヒカルの肌の温もりと柔らかさを思い出す。一緒に寝てたのは10年以上も前のことなのに。ヒロシさんはまたボクに視線を向ける。
「キミもそう思うことがあるのかい・・・・その温もりを,キミに感じることはできないだろうか?・・・・つまり・・・・」
「つまり,ボクが添い寝をするということ?」
ボクはごく自然に問いかけた。彼はうなずく。
「キミはほんとうに賢いね。察しがいい」
そしてちょっと間を置いて,
「もちろん,何もしないよ。命を賭けて約束する。わたしは何もしない。それに・・・・したくても,もうできないんだよ。体が言うこと聞かない」
後半は自嘲の混じった口調だった。
「ヒロシさん,そんな自嘲するような口調はだめです。あなたのような紳士にふさわしくありません」
こう語るボクを彼は見つめる。ボクはゆっくりうなずいた。
・・・・ヒロシさんは先にシャワーを浴びてベッドに入っている。ボクはシャワーを終え,用意してくれているバスローブは羽織らず,バスタオルを巻いただけでベッドルームに入った。その姿を,ヒロシさんは驚いた表情で見ている。ボクは,バスタオルを外してベッドに入った。
「いいのかい?」
「だって,この方が人肌のぬくもりが感じられるでしょう」
ボクは肌を彼のバスローブに触れさせた。バスローブ越しに体温が伝わる。覆われていない手足が,ボクの手足に触れる。その肌の感触は、ヒカルやミユキとは全然違う。枯れてざらついた感じ。女と男の違い? それとも,年の差? 触れあって,心地よくはない。ボクはそっと手足を引っ込めた。彼は,ボクの方を見ず,天井を見ている。ボクも天井を見ながら,彼に語りかけた。
「温かい?」
「ああ,心地よい温かさだよ。ほかの何物でも代えがたい心地よさだよ」
部屋にはチェンバロの音色が流れている。
「フランス組曲ですね?」
「そうだよ。キミのためにCDを買っておいた。キミが『好き』と言った曲だから」
「ありがとう。ヒロシさん」
ボクは,彼の気配りがうれしかった。
「一刻価千金(いっこく あたい せんきん)」と謳われる春の宵。暖かいベッドの中で好きな音楽を聴きながら,ボクはうとうととまどろんだ。どれくらいそうしていたのだろう。肩をつつかれてボクは目が覚めた。
「ロミー,起きなさい。もう1時間が過ぎてしまった。わたしも,気持ちよくて,ついうとうとしていて,気がついたらこんな時間になっている。起きて,おうちに帰りなさい。遅くなると叔母様が心配するだろう」
促されてボクは手早く服を着る。
靴を履いてドアノブに手を掛けたボクに彼が話しかけた。
「今日はほんとうに法外な願いを聞いてくれて,ありがとう。一生忘れないよ,今日のことは。二度とは願わないよ,このようなことは。多くを望みすぎると,すべてを失うからね」
ボクは彼の方を振り返る。
「ヒロシさんは,ほんとうに・・・・」
「ほんとうに?」
「ほんとうに,聡明ですね。そして完璧な紳士です」
「ありがとう。誰よりもキミに褒められるとうれしい」
その言葉,口調に,ボクへの愛情,愛着が感じられる。ボクは迷った。そして,思い切って言葉を続けた。
「愛されていることは分かってます。分かりすぎるほど分かってます。ボクを愛してくれる人の願いは叶えてあげたいです。でも,これ以上はボクには無理なんです」
「もちろん,分かっている。よく分かっているよ。これで十分だ。十分すぎるほどだ」
5月の連休が終わる頃,その日の2回目のステージを終え,楽屋で着替えて帰ろうとするボクをリリーさんが呼び止めた。
「うちらは,今日で最後だよ」
「えっ?」
「つまり,うちのバンドがここで仕事をするのは今日が最後ということ」
「じゃあ,これからリリーさんたちはどうするの?」
「別の店で仕事するよ。ここには,別のバンドがやって来る」
「何かあったの?」
「別に,何もないよ。ただ,何年も同じバンドだとお客にも飽きられるってこと。だから,ほかのバンドに代わるんだ」
「ふーん・・・・」
「というわけで,明日からロミーはもう仕事仲間じゃなくなる」
「そうだね・・・・」
ボクは残念だった。ちょっと悲しかった。4年一緒に仕事をしていて,リリーさんとは気が合うし。リリーさんは,こんなボクの気持ちを分かっているのかいないのか・・・・。
「だから,今日,この場でロミーに告白したい」
ボクは,思わずリリーさんを見る。
「ロミー,好きだよ。ジュリアがいる間は抑えていたけど,そして仕事仲間どうしの恋愛沙汰はご法度だと思って我慢していたけど,もうそんな我慢も要らないんだ」
ボクは,またびっくりしてしまった。
「好きって・・・・つまり・・・・どういう意味?」
「どういう意味って・・・・もう時間がないんだ。それは今度説明してあげるから。それよりも,ロミー,こんどの日曜日,ひま?」
「うん,まあ・・・・」
「じゃあ,デートしよう」
「えっ?」
「いやなの?」
「いやじゃないけど・・・・」
「じゃあ,決まり。5時ね。もちろん朝の5時じゃなくて,夕方の5時だよ。場所は・・・・ここの前でいいか」
リリーさんは,さっさと話を決めてしまって,バンドメンバーに声を掛けた。
「じゃあ,そろそろ始めようか」
バンドメンバーがステージに出て行き,リリーさんも楽屋からステージに出ようとしたところで,またボクに声を掛けた。
「ロミー,ちょっと待ってて。最初の曲だけ聴いてちょうだい。ロミーに捧げる曲だから。それだけ,聴いて帰って」
ボクは,楽屋で演奏が始まるのを待った。そして,耳になじんだイントロが始まり,リリーさんの歌声が聞えてきた。“Moon child”だった。
“Call her moon child, dancing in the shallows of a river ・・・・”
日曜日の夕方5時,「ムーンライト」の前に行ったら,もうリリーさんが待っていた。
「ごめんね,待たせた?」
「ううん,わたしも今来たばかり。それより,ロミーが来てくれて,よかった!」
「だって,約束したじゃない」
「でも,わたしが一方的に言っただけだから,『ほんとうに来てくれるかな』って,心配してたのよ」
ボクは意外だった。いつも勝気なリリーさんが,そんなことを心配してたなんて。
「でも,来てくれたってことは,わたしのこと,少なくとも嫌いじゃないんだよね」
そう言って,彼女はボクの肩に腕を回す。
「お酒はだめだから,お茶にしよう。ジュリアと定番だったコースってあるの?」
「コロンバン」
ボクは,ジュリアと一緒に行っていた喫茶店の名前を口にした。
「ああ,あそこね。じゃあ,行こう」
リリーさんはボクの肩に腕を回したまま歩き始めた。ボクより5センチくらい背が高いから,それが様になっている。ボクは視線をちょっとだけ上に向けて彼女の横顔を見る。
コロンバンの席でメニューを眺める。ボクは,ルミさんが連れて行ってくれる高級レストランより,こんな食事もできるふつうの喫茶店の方がくつろげる。
「ねえ,ここのパフェは大きくて,二人で食べてちょうどいいくらいなの。一緒に食べない?」
「いいよ。ジュリアとも,そうしてたの?」
「うん」
ボクたちは二人でパフェを食べる。時々,リリーさんが
「ロミー,『ああん』してごらん」
と言って,ボクの口にスプーンでクリームやフルーツを入れる。
「かわいいなあ・・・・そうだ,ロミー,好きというのはね,こんなふうに仲良くじゃれ合っていたいということだよ。一緒にいるのが楽しくて,いつも一緒にいたい,そばにいないと寂しいと思うことだよ。それから,ぎゅっと抱きしめたいとか,体じゅうにキスしたいとか,そんなふうに思うことなんだよ。分かった?」
ボクはちょっと首をかしげた。ボクはヒカルが好きだった。でも,ヒカルとそんなふうにしたいと思ったかな?・・・・思ったかもしれない。リリーさんは語り続ける。
「わたしはこう見えても10年のキャリアがあるんだ。14の時から歌ってるからね。でもね,この4年でみんなから『歌がうまくなった』って言われるんだよ。どうしてだか分かる? ロミーがいるから,ロミーがいたからだよ」
「ボクがいたから?」
「うん。ロミーの前でいいかっこうしたかった」
リリーさんはボクをじっと見つめる。それから,緊張を解くようにフッと笑った。
「ところで,パフェ半分だけじゃ晩ご飯にならないね。何か食べよう」
「うーん,パフェもけっこうおなかに溜まるから,チーズトーストくらいでいいかな,ボクは」
「そんなんでいいの? パフェなんて,別腹でしょう」
「ベツバラ?」
「お菓子とかデザートはご飯とは入るところが違うということ」
「そんなことないよ。食べたものは全部,胃に入るんだよ」
とボクが言い返したら,リリーさんは愉快そうに笑いだした。
「ロミーは真面目な顔でおかしなこと言うから,おもしろい」
そう言って,笑いがおさまってから,彼女はパスタを注文した。
二人とも食べ終え,しばらくおしゃべりをして,コロンバンを出た。リリーさんはボクをじっと見据えて。
「ロミー,一緒にホテルに行きたい」
と,きっぱり言い切った。
「ホテル?」
ボクは,一瞬,ヒロシさんが招待してくれたホテルのラウンジを思い浮かべた。でも,たぶん,そういうところではない。
「ホテルって,つまり・・・・ラブホテルのこと?」
「そうよ」
「つまり,リリーさんはボクと・・・・」
「ロミーが欲しいの」
そう言って,リリーさんはボクの腰を強く抱き寄せ,
「行くよ!」
さっきよりも,もっときっぱりと言い切った。
ホテルに入って,お風呂でじゃれ合うように体を洗う。
「ロミー,ほんとうに男の体してるんだ。なんだか不思議」
そう言って,リリーさんはボクの体を撫でる。お風呂から上がると,
「ああ,きれいな亜麻色の髪が濡れてる」
と言って,タオルでパタパタと髪を拭いてくれた。そして,ボクを抱いてベッドに入った。ベッドの中で,リリーさんはボクをぎゅっと抱きしめ,体じゅうにキスして,そして,ミユキより激しいことをした。
・・・・アクメに達したボクの表情を見届けて,彼女は体を離す。でも,ボクはもっと,彼女の温もりに接していたい。
「もう終わり?」
「だって,もう出しちゃったんでしょう?」
「出したら,終わりなの?・・・・もうしばらく抱いてて。人の肌って,温かくて,柔らかくて,気持ちいいから」
「女の子みたいね」
そう言って彼女はボクを抱いてくれた。それから,ボクの手首を指で軽くなでる。その指をゆっくり動かす。触れるか触れないかくらいのきわどい微妙な触覚が手首から前腕,肘,そして上腕へと移動する。ボクはぞくぞくした。ボクのすべての神経が,彼女の指に触れられている1点に集まっているような感覚。指は肩を越えて首筋に達する。ボクは思わず彼女にしがみついた。
「気持ちいいの?」
ボクは声を出せず,ただうなずいた。
「じゃあ,今度はこっちの腕」
と言って彼女はもう片方の手首を軽く舌で触れた。そして,舌をゆっくり動かしていく。触れるか触れないかくらいの微妙な舌の感触が肩に向かって上がっていく。ボクはさっきと同じようにぞくぞくした。ボクは何か声を出した。それを聞いて彼女は一瞬鋭い視線をボクに投げ,それからフッと笑った。
「『ヒカル』って,誰?」
「えっ?」
「今,『ヒカル』って喘ぐような声で呼んでた。誰,ヒカルって?」
「ボクのお姉さん」
「そう? お姉様なの? 好きなの?」
「うん」
「いつも,こんなことしてくれるの?」
「ううん」
ボクは首を振る。
「5年前に死んだの」
「・・・・」
一瞬,リリーさんの表情が翳った。それから,優しい笑みを浮かべてくれた。
「きっとヒカルちゃんはロミーを妹のようにかわいがっていたのね」
ボクはおぼろな目つきで彼女を見る。彼女は笑った。
「どうしたの,そんな夢見るような眼差しで。十代の男の子はもっとギラギラした目でガツガツしてるんじゃないの? まあ,ロミーは『男の子』の範疇に入らないのかな。妹みたいにかわいいよ・・・・じゃあ,今度は」
彼女はボクの腰をつかんで体を裏返させた。そして,うなじにキスをして,唇をほんのちょっとだけ離し,軽く息を吹きかける。そして,唇をゆっくり動かしていく。背中から腰,腰からお尻・・・・。ボクは気持ちよくて体を硬くした。背後から
「ずっとこうしていたい」
という声が聞える。リリーさんは,スレンダーな体をボクに密着させる。背中に当たる乳房の重み,お尻に当たる下腹部の温もり,太ももを挟み込む両膝の圧力,それらがみな心地よい。リリーさんはボクの髪をかき上げ,耳の下から顎にかけて,唇を這わせた。吐息で頬をくすぐりながら,ささやきかける。
「わたしがお金持ちなら,ロミーを囲いたい。仕事なんか辞めさせて,ずっとわたしの部屋に居させたい」
ボクは不自由な姿勢で首を振る。そして,残っている理性をかき集めて返事する。
「それは,いや」
「どうして?」
「だって,ダンスは好きだもん」
「じゃあ,ダンスの仕事はしてもいい。でも,それ以外はずっとわたしの部屋でわたしと一緒にいて,こうやって抱き合っているの」
「それも,いや」
「どうして?」
「束縛されるのは,いやだ」
リリーさんは,またボクの体を回転させて,ボクと向き合った。じっと見つめる,悲しげな視線。そして,親指と中指でボクの首を挟んだ。
「独り占めできないなら,殺してしまいたい」
と言って,一瞬,指に力を入れ,それから,手を離した。
「冗談だよ。いや,冗談じゃない。殺したいというのは本気だよ。でも殺したりしないよ。そんなかわいそうなこと,できないよ」
そう言って,また悲しげな眼差しでボクを見つめる。
「リリーさん・・・・ボク,リリーさんを悲しませてしまった?」
彼女はフッと笑う。
「うん,悲しませたよ。とても悲しませたよ。24年の人生で一番悲しいよ,今が」
「ごめんね」
「いいんだよ,謝らなくても」
そう言って,彼女はまだじっとボクを見つめている。
「ロミーはいい子だよ。かわいい子だよ・・・・好きだよ,ロミー,大好きだよ」
そう言って,リリーさんはぼくをきつく抱きしめる。それから,ふと思い出したようにボクに問いかける。
「そういえば,さっき首を絞められた時,ロミーはぜんぜん抵抗しなかったね。どうして? ああいう時って必死で抵抗するものでしょう」
「びっくりしすぎて,何もできなかった。抵抗しようなんて,考えもしなかった」
「今度からは,必死で抵抗するんだよ。まだ死んじゃだめだから」
「今度?」
「・・・・うん・・・・つまり,ほかの誰かに愛されて,その誰かがわたしよりもっと嫉妬深かったら,本気で殺すかもしれないからね・・・・ロミー,自分の魅力をちゃんと分かってないとだめよ。自分がどれほど強く人を惹きつけるか,分かってないとだめよ。殺したくなるほど魅力的なんだよ,ロミーは」
リリーさんは,ボクを真剣な眼差しで見つめた。それから,ふだんの明るい口調でボクに語りかけた。
「汗かいたでしょう。一緒にシャワー浴びよう」
ホテルを出て別れ際にリリーさんは
「ロミー,しばらくは肌を人に見せない方がいよ」
と,ボクにアドバイスした。
「どうして?」
「体じゅうにキスマークが付いてるから」
びっくりして思わず立ち止まったボクを置いて,リリーさんはそのまま歩いている。そしてボクの方を振り返り,手を振った。
「バイバーイ」
家に帰り着いたのは9時頃。ミユキから
「夜食はどうするの?」
と訊かれて,ちょっと考えて
「少しでいい」
と答えた。
「2階に上がってまた降りてくるのも面倒でしょう。今,作ってあげる」
と言われて,ボクはカウンターに座って待っていた。やがて,ミユキとボクはカウンターに隣りあって座って夜食を食べ始めた。その時,ミユキは気がついた。
「ロミー,髪が濡れてる」
ホテルを出る直前にシャワーを浴びて,髪が濡れたままだった。
「シャワーを浴びたから」
「シャワー?・・・・どこでシャワーを浴びたの?」
ミユキの表情が険しくなった。ボクはウソをつくこともできず,ありのままを話した。
「ホテル」
ミユキの表情がさらに険しくなった。
「ホテル?・・・・友達と一緒にホテル?・・・・何をしたの?」
「何って・・・・ミユキとしていること・・・・いけないことなの? ボクを愛してくれる人の願いを叶えてあげたの。ボクが叶えてあげられることだから」
ミユキは何も答えず,黙々と夜食をつまんでいる。ボクは食べ終えて,2階に上がって本を読んでいる。しばらくして,ミユキが上がってきた。
「ロミー,お風呂に入るよ」
「もう?」
まだ10時くらいなのに。ミユキはうなずく。
「一緒でいいの?」
「もちろんよ。友達と一緒にシャワー浴びたんでしょう。お風呂だって入ったんでしょう。わたしと一緒じゃダメってことはないでしょう」
ボクは本を読みかけにして,ミユキと一緒に浴室に入る。ミユキはボクの体のあちこちにある赤い斑点を指さしながら,
「これも,これも,これも,みんなキスマークなのね・・・・背中を見せて」
ボクは後ろを向いた。
「背中にも,お尻にも・・・・こんなに・・・・」
ミユキはボクの肩をつかみ,荒々しく回して,また正面を向かせ,壁に押しつけた。そして,両掌でボクの首を挟んだ。力を入れようとはせず,そのままの姿勢でボクをじっと見ている。悲しそうな,泣き出しそうな顔。
「わたしだけのものにしておきたかった・・・・誰にも,指一本触れさせたくなかった・・・・」
「どうして,独り占めしようとするの? ミユキと一緒の時は,ボクはミユキのものだよ。それじゃあ,だめなの?」
「ほかの女と一緒の時は,ほかの女のものなのね?」
「それじゃだめなの?」
「だめよ」
「ミユキはボクを愛してくれる。リリーさんだって,ボクを愛してくれる。愛してくれる人の願いを叶えてあげたいと思うだけなんだよ」
「ロミーは,世界中の女が愛するよ。だったら,ロミーは世界中の女と寝るつもりなの?」
「そんな言い方しないで・・・・」
ボクは悲しかった。
「ミユキはボクを愛してくれる。リリーさんもボクを愛してくれる。どうして,それがいけないことなの? どうして,独り占めしないと気が済まないの?」
こう語りかけるボクの首からミユキは掌を離し,ボクの手をつかんだ。
「お風呂に入りなさい。お湯につかって肌がバラ色になれば,そのキスマークも目立たなくなる」
その夜,ミユキはボクのキスマークに自分の唇を重ねるように,ボクの体をキスで埋め尽くした。
/ / / / / / / / / / / / / / / / / / / / /
- (ミユキ視点)
どこかの女が付けたキスマークを一つ一つ消していく。一つ一つ,わたしのキスマークで上書きしていく。せめて,これくらいさせてよ,ロミー。
「痛い! ミユキ,噛まないで」
「あっ,ごめん」
思わず,噛んでしまったらしい。この雪の肌,傷つけちゃだめよ・・・・でも,たまに思う。美しすぎるから,世界中の女たちに愛されてしまう。もうちょっと,ちょっとだけ,傷つけて醜くすれば・・・・でも,そんなことできるわけない。わたしだって,この至上の美形を愛しているんだから。
12歳のロミーと暮らし始めて,いつかはこの日が来ると思っていた。いつかは,どこかの誰かに手折られる日が来ると。叔母と甥,おおっぴらにはできない間柄だから。でも,まだ17歳じゃないの・・・・もう17歳なのかしら? もう,子供じゃないのね,ロミー。 -
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ルミさんから「うちに遊びにおいで」と誘われたのは,5月の終わり頃。拒む理由はないけど,一年で一番紫外線が強い頃,日が落ちる前に出歩くのは避けたかった。それを伝えると,
「じゃあ,車で迎えに来るわ。窓ガラスに紫外線遮断フィルターを塗っておくから」
と言われた。
約束どおり,ルミさんは午後のまだ早い時間に「淡雪」の前に車を駐めて,ボクを呼んだ。ボクは,それでもやはり長袖,長ズボンを着て,つば広の帽子をかぶって外に出た。その格好を見てルミさんは笑った。
「ルミさん,笑い事じゃないんだよ,ボクにとっては」
「あっ,ごめんね」
そう言って,ルミさんはボクを助手席に乗せ,車を発進させた。
ボクの手を取って部屋に入るなり,ルミさんは
「今日は,ロミーに最高のメイキャップを施したいの。ドレス姿でね。ちょっと待ってなさい」
と言い,ボクをリヴィングルームに残して,隣の部屋に入った。そしてすぐ,ドレスと下着を手にして戻ってきた。
「さあ,着替えて」
「下着も?」
「そうよ。ほんとうは,ドレスを着るときには下着もそれ用の下着を身につけるものなの。こないだは,ブティックの試着室だったから・・・・」
ボクは言われるままに下着も脱いだ。その姿を見て,ルミさんはハッとした表情になった。
「これは何!?」
彼女は,ボクの胸や背中に付いた赤い斑点を指さす。〔ああ,それはキスマーク。たぶん,リリーさんじゃなくて,ミユキが付けたもの。噛むようにキスをするから跡が何日も残ってしまう。踊る時に露出する部分には付けないけど〕
「答えなくてもいいよ。キスマークだってことくらい,分かるから・・・・こんなところに付けられて」
ルミさんはそう言いながらボクの胸やお臍のあたり,そして太ももの内側を指さす。そして視線を上げてぼくを見つめる。
「いいから,さっさと下着を着て,ドレスも」
言われるままにボクは衣装を身につける。ルミさんはボクを椅子に座らせ,自分も隣に座り,じっと見つめてから,
「だれも見たことのないほど美しいロミーを作ってあげるよ。わたししか見ることのない極上のロミー」
と言って,ボクにメイキャップし始めた。まず,アルコールを染みこませた汗取り紙で顔を拭いて,ファンデーションを塗って・・・・。
仕上げが終わり,丹念に化粧されたボクの顔をルミさんはうっとり眺めている。
「素顔もきれいだけど,化粧したらほんとうにきれい。神様もよろめくんじゃないかしら・・・・立ってごらん」
ボクは彼女の前に立つ。
「ドレスに映えるわ。その化粧」
そう言って彼女も立ち上がり,ボクをきつく抱きしめた。初めてだった,彼女がボクをこんなふうに抱きしめるのは。これまでは,軽くハグされただけ。さらに,彼女は唇を重ねる。独特の味と匂いがする。
「ルミさん,タバコを吸ってるの?」
「そうよ。これまでは,ロミーの前では遠慮してたけど・・・・タバコを吸う女とキスするのは初めてなの?」
そう言って,彼女はまた唇を重ねる。
「・・・・手を付けるつもりはなかった。眺めるだけで満足するはずだった。でも,あんなもの見せつけられたら」
ルミさんは,ボクの首筋から肩に唇を滑らせた。そして背中に手をかけ,ドレスのファスナーを下ろし,ドレスを脱がせ,ボクを床に寝かせて,その上に覆い被さるようにボクを抱く・・・・。
・・・・激情が過ぎ去り,ルミさんは体を離し,椅子に座り,タバコに火を付けた。ボクは,ぼんやりと床に寝ている。
「せっかくのメイクが台無しね。まあ,いいけど。またしてあげるから。でも,その乱れた化粧の顔もなかなかいいよ。ちょっと淫靡な感じ」
そう語るルミさんに,ボクが問いかける。
「これって,お約束なの? 女の人とは,セックスするのが決まりなの?」
彼女は笑った。
「お約束,かどうか分からないけど,こうなるのが自然じゃない? ロミーはもう17歳なんだし・・・・それとも,こんなこと,嫌い?」
「嫌いじゃないけど・・・・抱かれるのは好きだよ。肌の温もりは気持ちいい。でも・・・・」
ルミさんは上体をかがめてボクに顔を近づける。
「性欲なんて余計なものに邪魔されないで,純粋にこの美しさを愛玩して欲しいの?」
ルミさんはボクを見つめる。
「その気持ちも,分からなくはない・・・・けど,もう遅いの。今さら・・・・知ってしまったからには」
ボクもじっとルミさんを見つめる。しばしの沈黙。
「・・・・さあ,そろそろ起き上がって,ここにお座り」
ボクは椅子に座る。彼女はまたボクを化粧する。
「さっきとは,ルージュとアイシャドーの色を変えてみる・・・・」
そして,出来上がったボクをじっと見つめている。
「このとびきり美しいロミーを連れ回したいけど,ほかの女たちを欲情させるのが怖い・・・・いや,男たちの方かな,欲情するのは。ロミーを極上の美女と思い込んで」
「ボクの顔は人を欲情させるの?」
と問いかけるボクに,ルミさんはいたわるような笑みを見せる。
「そうさせるような,挑発的な化粧をしたからよ。素顔のロミーは清純に美しいよ」
そう答えて,ルミさんは窓の外を見る。日がすっかり傾いている。
「そろそろ,腕を出した衣装で外に出てもいい頃かな,車の中なら。・・・・どこか行きたい所,ある?」
ボクはちょっと考えて
「水平線に沈む夕日と夕焼けを見たい」
と答えた。博多港では,夕日は能古の島や志賀島の向こうに沈む。ヒカルと一緒に眺めた夕日は湾の向かいの半島の低い山並みに沈んでいた。水平線に沈む夕日をボクは見たことがない。
「そんなのお安いご用よ。じゃあ,今すぐ出かける?」
ボクはうなずいた。
30分くらい車を飛ばしたら,西に向かって開けている海岸に着いた。ちょうど日が沈みかけている。ボクは車の窓ガラス越しに,水平線に沈む夕日を眺めた。日が没してしまうと,ルミさんと一緒に車から出て,海の上に広がる夕焼けを眺める。三日月が少しずつ輝きを増してくる。それをずっと眺めていた。やがて海ぎわの空はあかね色から暗赤色になり,三日月からちょっと離れたところで一番星が輝き始めた。ボクは思わず,
「ヒカル」
とつぶやいた。彼女がボク肩に手をかけ,
「そろそろ戻りましょう」
と声を掛けた。車に戻ると,彼女は助手席の背もたれを倒し,ボクを寝かせた。ドレスは脱がさず,ボクの額,頬,顎,首,そして鎖骨あたりまで,何度もキスした。
「ヒカルというのが,ロミーの童貞を奪った女の名前?」
ボクは首を振る。
「ヒカルはボクの姉,5年前,ボクが12歳の時に死んだ姉の名前」
ルミさんは一瞬びっくりした。そしてボクに語りかけた。
「お姉さんが恋しいの? ほかの女たちより・・・・わたしより・・・・」
ルミさんはボクを見つめる。ボクもルミさんを見つめる。
「ルミさん,ヒカルに嫉妬してるの?」
ルミさんはゆっくりうなずく。
「どうして?・・・・どうして,そんなこと?・・・・嫉妬したって,ルミさんは幸せにならないし,ボクも幸せにならないのに・・・・それに,嫉妬はエレガントじゃないよ。ルミさんに似合わない」
ルミさんはなにも答えず,ただじっとぼくをみつめている。