Ⅶ
飛行機は福岡空港を飛び立った。ボクはあわただしかったこの半月くらいのことを思い返している。ルミさん,リリーさん,ヒロシさん,別れはそれぞれの悲しかった。この3人には,東京に出ることを話し,ボクが仕事することになる店の住所と名前(スターダスト)を教えた。ほかのひいき客には辞めるあいさつだけした。ミユキの結婚相手とは,結局会わなかった。会っても仕方ないと思ったから。ミユキだけが空港に見送りに来た。
豊嶋先生に手紙を書いたら,すぐに返事が来た。前もって送れる荷物は送っておいた。御館さんはエアチケットを予約して郵送してくれた。羽田空港の出口に迎えに来てくれることになっている。
これからのことに,特に不安はない。これまでとそんなに違わないと思うから。御館さんが用意してくれている部屋に住んで,御館さんの店で踊る。違いは,5回ステージがあること。1回が15分か20分くらい。だから1日のペース配分を考えないといけない。これくらいかな,ちょっと心配なことは。でも,それだって,やってみればすぐにコツがつかめるはず。
飛行機はほとんど揺れない。ボクはシートベルトを締めたままウトウトしていて,着陸態勢に入るというアナウンスで目が覚めた。窓から海が見える。東京湾かな・・・・。
到着ゲートを抜けると,御館さんが待っていた。
「やあ,ロミー,こっちだ」
御館さんはボクの手を引いて歩き始める。空港を出て,そのまま歩き続ける。
「どこに行くの?」
「駐車場だよ。まさか,こんなところで路上駐車もできないだろう」
ボクは,見知らぬ土地をぐるぐる歩き回るような気がしてちょっと心細かったから,思わず御館さんの手を握りしめた。御館さんはフッと笑みを漏らした。そうやって歩いていたのは,5分くらい? さほど大きくない,むしろ小ぶりなくらいの車の前で立ち止まり,ポケットからキーを取り出し,ドアを開け,
「先に乗れ。そして助手席に座るんだ」
ボクは言われたとおりにした。それから御館さんが乗り込んで,発進させた。
駐車場から出ると,午後の日差しが降り注いでいた。
「この窓ガラスは紫外線遮断タイプなの?」
「さあ,そんなこと,知らない」
という答えだったので,ボクは帽子を目深にかぶって日差しが顔に当たるのを防いだ。
「そうか,日に当たっちゃだめなんだな。気が回らなくて,悪かった」
「いいんだよ。たいていの人は,そこまで思いつかないから」
「・・・・おうちは,どの辺なの?」
「若松町,と言っても分かんないだろうが,まあ店から遠くない。歩こうと思えば歩ける距離だ。オレは車を使ってるけどな。
「若松・・・・」
「若松が,どうかしたか?」
「ううん。別に,なんでもない」
「オレと一緒に行って帰るなら,乗せてやるよ。お客に誘われた時は,もちろん自分で行き方,帰り方を考えろ・・・・ああ,オレのマンションに住むわけじゃない。すぐ近くのワンルームマンションを寮のように使っている。しばらくはそこに寝泊まりしていろ。オマエみたいに,今住んでいるところから抜け出したいけど引っ越しの費用がないという子をしばらく泊まらせるために確保している。今はオマエ一人で使っていいが,希望者が現れた,仲良く暮らせ・・・・いや,オマエは一応男なんだな」
「男だと,まずいことがあるの?」
「つまり,スタッフはほとんど女だから,寮に泊まるのもほとんど女だ。男と女を同じ部屋に泊めるというのは・・・・まあ,何が起きても仕事に差し支えなければ構わないんだが,えてして人間関係がこじれて仕事に差し支えるんだよな。仕事は仕事,それはそれって,割り切れないんだな,若い連中は・・・・今からちゃんとお金を貯めて自分で部屋を借りれるようにしておけ」
御館さんは,言うことだけ言うと,あとは黙って運転している。やがて車は彼のマンションに着いた。それから,寮まで歩いて1分もかからないところだった。ワンルームマンションに二段ベッドが置いてある。
「ほかに,寝袋もあるが,さすがに3人泊まることはめったにない・・・・今日からさっそく仕事してもらうよ。5時までにオレの部屋に来い。ああ,あのマンションの703号室だ」
これだけ言うと,御館さんは帰った。5時まで,あと1時間くらいある。ボクは,すでに届いている荷物をクローゼットに片付けた。それから御館さんの部屋に出かけた。
5時過ぎに「スターダスト」の楽屋に入った。ここ宛に送ったダンス衣装を物置の空いているところに押し込み,今日踊る予定の曲を聴きながらダンスをイメージする。ステージの広さ,幅,奥行きも確かめる。どこで踊るのも同じといえば同じだけど,やはり初めてだから緊張する。そうやっているうちに,バンドの人たちがやって来た。
「アンタが,ロミーさん? 噂どおりの美形だね」
リーダーとおぼしき人が声をかける。
「歌は,歌わないのかい?」
「ええ,歌は歌えないんです」
「そうか,もったいないなあ。その美形で歌も歌えば,もっと人気が出るのに。なあ?」
と,バンドメンバーたちの方を見やった。メンバーたちは笑っている。
「なにか,歌える曲はないの?」
と問いかけられて,ボクはちょっと考えて,
「ムーンチャイルド」
と答えた。
「ムーンチャイルド?」
「Call her moon child, dancing in the shallow of a river」
と歌ってみせたら,
「ああ,あれか・・・・ずいぶん珍しい曲を歌うね。それにしても,決して音痴じゃないよ」
と言ってくれた。褒められたと思っていいのかな・・・・。
「あなたがリーダーさん?」
「そうだよ」
「ボーカル?」
「いや,まあ,ボーカルもやるけどギターだよ」
「ふーん・・・・博多のお店に出てるバンドは女のボーカルの人がリーダーだった」
「女性ボーカルがリーダー? それはちょっと珍しいな。姐さんっぽい人だったのかな」
ボクはリリーさんを思い出して,
「うん」
と答えた。バンドの人たちはおかしそうに笑った。何か,変なこと言ったのかな?・・・・
やがて,演奏時間になり,バントの人たちはステージに出ていった。ボクは自分のダンス曲をさらうのに集中する。そして,「スターダスト」でのボクの最初のステージ。
その日の最後のステージが終わり,楽屋を出て帰ろうとしたところを,マネージャー(御館さんとは別の人)から,
「ちょっと客席に付いてくれ」
と言われて,客席に案内された。〔初日からお客の相手?〕と思いながらついていくと,女客の座っている席に案内された。マネージャーはボクに,
「常連のお客のエリコさんだ。キミのダンスをとても気に入ってくれたみたいだよ」
とボクに説明し,それから客に
「ロミーはまだ17歳ですので,接客できる歳ではありません。ダンサーが簡単にご挨拶に伺ったということで・・・・」
と言い訳がましいことを話す。客は笑った。ボクは席に座り,
「ボクのダンスを気に入っていただいて,ありがとうございます」
と,当たり障りのないあいさつをした。彼女も当たり障りのない会話を5分か10分くらい交わしてから,
「簡単なご挨拶なら,これくらいで切り上げないといけないわね。でも,店の外で,お酒はまだ飲んじゃいけない歳だけど,お茶でも飲みながら,食事でもしながら話をするのはかまわないのね。お付き合いしてくるかしら?」
と切り出した。ボクはちょっと迷ったけど,御館さんに送ってもらうには,これからまだ1時間くらい待っていないといけないことを考えて,
「いいですよ。でもあまり遅くならないでください」
と答えた。
彼女は「スターダスト」の近くの喫茶店に入り,ウィンナコーヒーを注文した。ボクはミルクティー。
「何か食べるものを注文してもいいわよ」
「ありがとうございます。でも寝る前はあまり食べないようにしてるんです」
「健康のため?」
「それもあるし,体重を増やしたくないんです。ダンスの切れが悪くなりそうで」
「それは見上げたプロ根性だわ」
という具合に,喫茶店でもそんなにきわどい話題にはならなかった。そして30分ほどして,
「そろそろ帰りましょう。タクシーで送るわ」
と言いながら彼女は席を立った。
「どこに住んでるの?」
「若松町」
「一人?」
「今は一人」
「以前は誰かと一緒だった?」
「・・・・これから誰かと一緒になるかもしれない。お店の寮に使ってるワンルームマンションなんです。今はボク一人です。今夜初めて泊まるんだけど」
「じゃあ,帰んなくても誰からも文句を言われはしないのね」
「でも,帰んないと,ボク,寝る場所がない」
「狭苦しいワンルームマンションよりも快適な寝床に連れてってあげるわ」
「えっ?」と驚いているボクを無視して彼女はタクシーをつかまえ,運転手に
「高円寺」
と行き先を告げた。
「高円寺って?」
「わたしの住まいよ」
「でも・・・・」
「心配しないで。いやがるのを無理やり,なんて趣味はないから。まあ,求められるのなら,拒絶はしないけど」
タクシーの中での会話はこれだけ。あとは二人とも黙っていた。
彼女の部屋で,
「ダブルベッドに一緒に寝るのは,想定の範囲内よね? 一人暮らしの部屋にベッドが2つあるはずはないから」
ぼくはうなずく。
「人肌の温もりは好きです」
「それはよかった。じゃあ,先にシャワーを浴びてきて」
ボクは言われたとおり先にシャワーを済ませ,バスローブ姿でベッドに入った。入れ違いのように彼女がシャワーを浴びて戻ってきた頃,ボクは眠りかけていたけど,彼女の唇がボクの唇に重ね合わされるのは分かった。そして,彼女の体の温もりを感じながらボクは眠りに落ちた。
翌朝,9時頃ボクを起こした彼女は,
「わたしのオフィスと同じ方向だから」
と言って,車で若松町まで送ってくれた。
部屋に入ると,御館さんがいる。
「あれ,御館さん,どうしてここに?」
「どうしてって,オマエの初日だったろう。何か困ったこととかないかと思って様子を見に来た」
「ありがとう。親切だね」
「どこ行ってたんだ?」
ボクは昨夜のことを説明した。御館さんは笑い出した。
「初日から外泊,朝帰りとは豪勢なことだ。それにしてもバカ正直というか・・・・そんなことペラペラしゃべらなくても,『ちょっと買い物』とでも何とでも言い訳はできるだろう」
「隠さないといけないことなの?」
御館さんは,今度は爆笑した。
それからも,エリコさんは週1~2回くらい「スターダスト」に来てくれる。来れば,ボクを席に呼び,一緒に喫茶店に出かけて一緒に帰る。そして翌朝,車で若松町まで送ってくれる。そうやって何度目かボクを送ってくれている朝,信号待ちしている車の中で,
「ロミー,これからずっとわたしの部屋に住まない?」
と問いかけられた。
「それって,ボクを囲いたいということ?」
と問い返すと,
「はっきり言うなあ。まあ,そういうことよ。毎日ロミーを抱いて寝たい。朝起きる時,ロミーの寝顔を眺めたい。その日一日が楽しくなるから」
「それだけ?」
「・・・・?」
彼女はボクをチラリと見て,すぐに前方に視線を戻す。信号が青に変わり,彼女は車を発進させる。ボクも前を見ながら彼女に話しかける。
「それだけじゃ済まない気がする」
「最初の日にも言ったけど,無理やりってことはしないよ」
「そういうことじゃないんです。つまり・・・・束縛されているような気持ちになる。エリコさんはそんなつもりでなくても,ボクはそう感じてしまう・・・・」
「束縛されるのは,いや?」
「いやです」
「はっきり言うなあ」
彼女は苦笑いして,それからふっとため息をついた。
「わたしに似てるね。束縛されるのがいやなんて。・・・・わたしは猫なの。気が向けば寄ってくるけど,気が向かないと寄りつかない。束縛されるのはいや」
「じゃあ,猫みたいに甘えることもあるの?」
「若い頃は,甘えてたけどね・・・・今は,そんなことしない」
「どうして?」
「もう若くないから,人に甘えるのは若さの特権だから,ということもあるけど・・・・学習してしまったのよ」
「学習?」
「そう。誰かに甘えたら,後になってその見返りを要求されるってことを学習したの。若い頃はそんなこと分からないから,平気で人に甘えていたけどね」
「それで,見返りを要求されたの?」
「うん」
「どんな見返り?」
「いろんなこと・・・・」
「じゃあ,ボクが甘えたら,エリコさんはボクに見返りを要求するの? だとしたら,なおさら,さっきの話には乗れないじゃない」
彼女はふっと笑う。
「見かけによらず鋭いね・・・・『わたしに限っては,見返りを要求しない』なんて言っても,信じないね。わたしも,自分で言って自分で信じられない」
彼女はまた笑う。寂しげな笑い。
「ともかく,この話は,これでおしまい!・・・・でも,これまでどおり,たまには泊まりにおいで。わたしもロミーの体の温もりは好きだから。特に,これからは寒くなるし・・・・これくらいじゃ,見返りは要求しないよ。そもそも,これくらいじゃあ,甘えてるうちに入らないし」
その後エリコさんは,二度とこの話を蒸し返すことはなかった。
それから1~2週間後,仕事を終えて若松町に帰る車の中で,御館さんがボクに話しかけた。
「部屋を借りるくらいの金は貯まったか?」
「いえ,まだですけど」
「そうか・・・・まあ,仕事を始めて1ヶ月半くらいだから,無理もないが・・・・」
「出ないといけないんですか?」
「うん。実は,寮に入りたいという希望者がいて,それが,女の子なんだな。それで,いくらオマエが中性をウリにしているといっても,一緒に住まわせるのはまずかろうと・・・・」
そのまま会話は途切れたけど,寮の前でボクを降ろす時,
「しばらく,オレのところに寝泊まりするか?」
と訊かれた。
「いいんですか?」
「ああ。2LDKのうち,寝室に使っていない方の部屋が物置みたいになっている。そこを片付ければベッドの1つくらい置けるだろう」
「ありがとうございます」
「まあ,もともと物置だから,オレも時々立ち入るぞ」
「それは,仕方ないです。あのワンルームに二人で暮らすより,いいから。それにしても・・・・」
「それにしても・・・・何か不満か?」
「いえ,不満なんかじゃないんだけど・・・・どうしてボクにそんなに親切にしてくれるのかなって。これまで,こんなことあったんですか?」
「いや,今回が初めてだ。そもそも,寮に男が住んでて,そこに女が入居を希望するという事態が初めてだからな」
「じゃあ,これから同じようなことになったら,同じように泊めてあげる?」
「それはどうだか・・・・」
御館さんはちょっと考え込んだ。
「美しいものをそばに置いておきたい,というんじゃ理由として不足か?」
「ああ,そういうことですか」
このボクの返事を聞いて,彼は愉快そうに笑った。
「おかしかったですか?」
「オマエ・・・・『美しいものをそばに置いておきたい』というセリフに『そういうことですか』と答えるのは,自分は美しいと堂々と主張しているようなものじゃないか」
「ああ・・・・」
ボクは彼の思考の道筋は見えたけど,
「ボク,ウソをつくのは嫌いですから」
と答えた。そしたら彼はなおさら大きな声で笑った。
「『ウソをつくのは嫌い』か・・・・ますますもって・・・・自分の美しさをそこまで臆面なく認められると,かえってすがすがしいな」
それから一息入れて,
「それにしても,ずいぶん不用心というか,警戒心がないというか」
「どういうことですか?」
「つまり,オレの部屋に寝泊まりしてて,寝てるところを襲われないかと心配しないのか?」
「御館さんは,商品に手を出すような人じゃないでしょう」
「おやおや,オレもずいぶん買いかぶられたもんだ」
「買いかぶりかな・・・・」
御館さんはおかしそうに,クックッと笑った。
「こんな所でこんな話をしても仕方ない。さっさと部屋に戻って寝ろ」
と言って,助手席のドアを開けた。
それから3日後,「ベッドを運び込んだから,いつでも来ていいぞ」と連絡を受け,ボクはその日のうちに引っ越した。
翌日の朝,起きてボクは目深に帽子を被って近くのスーパーに行き,パンと卵と野菜を買ってきた。「キッチンは自由に使っていい,食材も使っていいが,使ったら補充しておけ」と言われていたので,冷蔵庫を開けたら,飲み物ばかりで何もないから,買いに出た。
部屋に戻って,ボク一人分を作るか,御館さんの分も一緒に作るべきなのか考え込んでしまった。本人に訊くのが一番だけど,寝てるのを起こすのもなあ・・・・と考えている時に,御館さんが外から戻ってきた。
「あれ,御館さん,もう起きて出かけてたの?」
「ああ,オマエを起こしちゃ悪いと思って,そっと出かけたよ」
「そうなんだ。気を遣ってくれたんだね。ありがとう。それで,朝ご飯はどうする? 食べるなら一緒に作るけど」
「たった今食べてきたところだ。いつもこれくらいの時間に近くの喫茶店でモーニングセットを食べる。それがオレの朝飯」
「じゃあ,ボクの分だけ作るね・・・・トーストと卵と野菜サラダくらいでいいなら,明日からボクが一緒に作ろうか?」
「そうしてくれるなら,ありがたい・・・・ついでにコーヒーも淹れてくれるともっとありがたい」
「OK!」
こんな具合に,御館さんとボクの共同生活が始まった。なぜか,居心地がいい。ボクが目を覚まし,起き出して,目玉焼きかスクランブルエッグとサラダを作り,パンを焼き,コーヒーを淹れている頃,その音や匂いが伝わるのか,御館さんが起き出してくる。さっと顔を洗って,テーブルにつく頃には,朝食ができあがっている。
「オマエはいつでもお嫁に行けるな」
洗濯も,ボクの分と御館さんの分,一緒に洗濯機に入れるようになったけど,ボクの分の方が多い。御館さんは,ジャケットはもちろん,ワイシャツやズボンもクリーニングに出すから。
「ワイシャツをクリーニングに出すの?」
「おかしいか?」
「おかしくはないけど,ぜいたくだね」
「ぜいたく?!・・・・ワイシャツをクリーニングに出すのがぜいたくなのか? オマエ,いったいどんな生活をしてたんだ?」
「どんな生活って・・・・シャツくらい洗濯機で洗えばいいじゃない・・・・まあ,いいけど。その分ボクの仕事が減るから」
「それなら,いちいち文句を言うな」
なぜか,ボクは御館さんには遠慮なく何でも言える。そんなボクを,御館さんは怒ることもなく,笑って受け止めてくれる。「器が大きい」とも思うし「気が合う」とも思う。でも,それだけじゃない。御館さんは,彼なりのやりかたで,ボクを愛してくれているんだと,ボクは少しずつ気づくようになった。ボクと話す時の言葉のちょっとした抑揚,表情のちょっとした変化,ボクに何かを指示したり頼んだりする時のちょっとしたしぐさ,そんなことから,ボクは愛されていると感じる。
御館さんと一緒にいる時間は,意外に少ない。朝,食事が終わったら,ボクは自分の部屋で本を読んでいる。夕方5時に車で出勤するけど,それから7時半の最初のステージまで,ボクは楽屋にいて本を読んだり,バンドの人たちと話したりしている。12時に最後のステージが終わってからも,1時頃に車で送ってもらうまでも,楽屋で本を読んで待っている。二人で一緒に過ごすのは朝食の時だけ? だから,愛されていると感じても,束縛されるような窮屈な思いはしない。
店が休みの日曜日の夜,ライブハウスやショーパブに連れて行ってくれることもある。でもそれは,ボクが新しいダンスの振り付けを考えるヒントを得るためでもあるから,ボクはデートというより仕事の延長のような気がしている。御館さんはまた別の思惑があるようだ。ライブハウスでバンドの演奏に合わせてフロアで踊ると,ボクは注目を集める。お客たち,お店のスタッフ,バンドの人たちからも声をかけられる。ショーパブで踊ることはないけど,客席のボクはほかのお客やスタッフのニューハーフさんたちの目を引いて声をかけられる。それが御館さんにはうれしいらしい。
「御館さん,ボクをダシに使ってるね」
「ああ,そうだ。オマエを連れているとオレも一緒にちやほやされるからな。ダシにしちゃ悪いか?」
「別に,悪くはないよ」
ボクは,そんな御館さんの率直さも好きだった。
御館さんの部屋に住むようになって1ヶ月ほど過ぎた頃,シャワーを終え,LDKを横切って自分の部屋に入ろうとしたボクを御館さんが呼び止めた。
「たまには,一緒に寝ないか?」
ボクは足を止めた。驚いた。でも,まったく予想外,というわけではない。いずれ,こんなことを言われることがあるだろうと,心の片隅で予感していた。それが今夜だとは,思っていなかったけど。初冬の頃,部屋の中は快適に暖房されているけど,暖房を切った夜中は寒い。人肌の温もりが懐かしく感じられる。ボクは思い浮かべる。ヒカルの体の温もり,ミユキの体の温もり,ルミさんやリリーさんの体の温もり,エリコさんの体の温もり。ボクはうなずいた。
ボクはバスローブを着たまま御館さんのベッドに入った。彼は素肌で寝ている。指でそっと触れるその肌は,触れ慣れた女の肌とは違う。筋肉の発達した腕や胸は見知らぬ感触だった。それまで,ボクに触られるままにしていた御館さんがボクの額にキスした。ボクは一瞬,身を引いた。驚いた。でも,これもまた,まったく予想外,というわけではない。こんなことをされるかもしれないと,心の片隅で予感していた。
「いやか?」
「いやじゃないけど・・・・」
「けど?」
「これ以上のことはしないで」
彼は笑った。
「じゃあ,ただ抱っこしてろって言うのか?」
「だめ?」
「女と寝る時はいつもそうなのか?」
「そういう時もあるし,そうでないこともある」
彼はまた笑って,ボクの肩や胸を唇で撫でた。
「滑らかな肌だ。男を抱いてる気がしない・・・・オマエは神様の試作品だな」
「試作品?」
「つまり,男として生まれた存在に,この体やこの顔を授けてみたんだ。すると,どうなるか,天上から興味深げに眺めているんだろう」
「ボクは自分が男だと意識していないけど」
「じゃあ,女だと思っているのか?」
「女だとも思っていない。男とか,女とか,そんなことふだん意識しないよ」
「それもおもしろい」
そう言いながら,彼はボクの体を唇で,そして指で撫でていく。それなりに気持ちいいけど,女の唇や指とは感触が違って,どこか違和感が残る。
「・・・・ああ,やっぱりだめだな。男として,これだけじゃ物足りない」
「えっ?」
「オマエを犯したい気分だ」
ボクは思わず身構えた。
「まあ,そう怯えるな。『無理やり』ってことはしない。オレもそこまで獣(けだもの)じゃないからな。ただ,せめて手でいかせてくれ」
そう言いながらも,彼はボクの手をつかみ,自分のペニスを握らせた。
「吸え,とは言わない。しごいてくれ。それくらいはしてくれてもいいだろう」
ボクはうなずいた。これくらいのことはしてもいいと思う。
しばらくして,彼は果てた。ぐったり弛緩した彼にボクは声をかける。
「終わり?」
「ああ・・・・」
肌は触れあわないけど,肌の温もりは感じるくらいの間隔。ボクはその温もりを感じながらいつの間にか寝入った。
翌朝,目が覚めて起き出そうとすると,御館さんが引き留めた。
「もうしばらく,こうしていてもいいだろう」
そう言って,御館さんは肩を抱き寄せるように腕をボクの首の後ろに回した。
「男とこんなことしたのは,初めてか?」
ボクは,ヒロシさんとのことを思い出した。〔あれは「こんなこと」のうちには入らないだろう〕ボクはうなずいた。
「どうだ? 男の抱き心地,いや抱かれ心地か」
ボクは一瞬考えて,
「やっぱり,女の人に抱かれる方がいい」
と答えた。
「どうして?」
「だって,男の人の体は,筋肉質でゴツゴツしてるし,肌もざらついてるし,毛も生えてるし・・・・それに,射精してしまったらそれで終わりだし・・・・」
ボクがこんなふうに男の欠点を数え上げていると,御館さんは
「もういい」
と,不機嫌そうな声というか不機嫌を装うような声でボクの話をやめさせた。
「怒った?」
「オレも一応男だからな,そんなに男の欠点をずらずら述べ立てられると,いい気はしない」
「ごめんね」
御館さんはボクを見てふっと苦笑いした。
「オマエには奇妙な人徳がある」
「人徳?」
「ああ,さっきみたいなこと言われたら,ほかの相手なら張り倒してやるんだが,オマエだと,つい苦笑いして許してやる」
「それって,褒めてくれてるの?」
「まあな」
そう言って御館さんはボクの唇に素早くキスした。
「許しの接吻だ」
それから,ボクは起き出して朝食の支度を始めた。
こんなことがあってから1週間ほどしたある日,御館さんに来客があった。ボクは部屋で本を読んでいるけど,ちょっと疲れて,紅茶を淹れるためにキッチンに出たところでお客と顔を合わせた。その人はボクを頭のてっぺんから足の先まで,まさに「なめ回すように」見つめ,そして御館さんに話しかけた。
「すごい上玉じゃないか,どうしたんだ,オマエ?」
「博多で拾った」
「そうか,こんな子をそばに置いているから,オマエの夜遊びが鳴りを潜めているのか」
「そんな関係じゃありません」
ボクはムッとして言い返した。
「そんな関係じゃない?」
ボクは唇を噛んでうなずく。
「ふーん,そうか・・・・」
彼はボクの言葉を信じていない様子。それを見て御館さんが,
「そんなふうに疑われてるんなら,いっそ,ほんとうにそうなるか?」
と言うから,
「いやだ!」
と,ボクは即答した。それで二人は大笑いした。
「御館,ずいぶん嫌われたな」
「いや,嫌いじゃないんです。嫌いなら,一緒に住みません。ただ,そういう関係じゃないというだけ」
「こんなかわいい子がそばにいて,オマエが手を出さないなんて,いったいどういう風の吹き回しだ?」
「御館さんは紳士的なんです」
というボクのせりふに彼は噴き出した。
「オマエが『紳士的』ってか・・・・」
ボクはむくれた。それを見て彼はボクの頭を撫でた。
「ああ,お嬢ちゃん・・・・お坊ちゃんかな?・・・・まあどっちでもいいけど,そんなに気を悪くしないでくれ。こんな冗談を言い合える仲ってことなんだ,コイツとオレは・・・・それにしても」
と,客は御館さんの方を向き直った。
「来週オマエが福岡に行くのは,こんな上玉をまた見つけるためなのか?」
「そんなことじゃない」
と笑いながら御館さんが答える。
「御館さん,福岡に行くの?」
「ああ,オマエにはまだ話してなかったか。うん,福岡にはいろいろ縁があってな。だからこそ,オマエとも知り合えたんだし・・・・2泊3日の予定だ。寂しいだろうが,我慢してくれ」
「別に,寂しくはないよ」
と答えるボクに,御館さんは苦笑いを見せる。
「まったく,かわいげのない奴だ。顔はこんなにかわいいのに。そんな奴にはお土産なんか買ってこないぞ」
「うん。いらないよ」
と答えると,御館さんは堪えきれないように笑い出した。
「まったく,オマエはどこまでかわいげがないんだ」
「ボクは,ウソはつけないんです」
「それでよく,この世界で生きてるな。この美形なら,ウソなんかつかなくても大丈夫ってわけか・・・・まあともかく,留守番を頼む。オレ宛の電話には『福岡に出張している』と答えてくれればいい。それ以上詳しいことを訊かれても『分からない』と答えておけばいいから」
「うん,分かったよ。その間に部屋の掃除もしておくよ」
「ありがとう。かわいげはないが,気は利くな」
こんなやりとりを傍で聞いていたお客が,こらえきれないように笑い出した。