眠たげな目をこすりながら、ちょっと寝すぎたかと思う。それから起きようとして起きられないことに気付いた。身体にうまく力が入らない。布団の温もりが心地よいのに、ちょっと冷たい体温。それから心地よい疲労感を感じる。
太腿のあたりに誰かの足が絡み付いている。暖かくて柔らかい感触がした。
意識が徐々にはっきりとしてくる。目の前には濃い桜色の美しい髪。綺麗な白い肌に、整った幼い顔立ち。
綺堂さくらが、変わらない姿でそこにいた。相変わらず頭とお尻から、狼の獣耳と尻尾が出ているが、これが本来の彼女の自然な姿。いわく、ヘアバンドをしているのはちょっとだけ窮屈らしい。だから、普段はそのままで居てもらっている。
震える手で、さくらの頬に手を伸ばしてそっと触れる。
「んんぅ……」
彼女が起きる気配はない。血を摂取してこなかった彼女は、貧血に加えて低血圧で朝に弱い。おまけに昨夜は夜遅くまで交わったので、心地よい疲労感と相まって夢の中でぐっすりとしているのだろう。
せめて、彼女が夢の中でも幸せな夢を見れますように。
とりあえず起きて朝ごはんの準備をしないといけない。洗濯だってしないといけないし、さくらが動けない分、俺が頑張らないと。そう思うのに身体に力が入らない。暖かくて、眠くて、隣で微睡んでいる愛しい人の温もりが、とても心地いい。
意識が遠くなる。ちょっと頑張りすぎた。それにたくさん血を提供したから……
そうして睡魔に抗えなかった俺は、再び眠りについた。
仕方ない。今日はゆっくり休もうと、目を瞑る。
◇ ◇ ◇
次に目覚めると、心配そうな顔で俺を覗き込むさくらの姿があった。いつもの私服姿。夏の暑さに負けないように白いワンピースを着ている。窓から差し込む光は夕焼け色で、もうすぐ夜になりそうだった。どうやら、あのまま眠り続けていたらしい。
「ごめんなさい……」
そう言って泣きそうな顔で謝るさくらに、何でもない、大丈夫と言おうとして。思うように声が出せないことに気付いた。
何度も達して精も根も貪られながら、おまけに最後は血まで吸われたのだ。頭はくらくらするし、起き上がろうとしても起き上がれない。きっと無理にでも立とうとすれば倒れてしまうだろう。貧血と寒気が同時に来るような感覚だ。
これは朝に起きようとして起きれないのも道理だろう。
少しだけ身体が暖かいのは、布団の温もりと夏の暑さが身体を温めてくれたからだろうか。あるいは布団の隣で、俺の顔を覗き込むさくらが看病してくれていたおかげかもしれない。枕元に置かれたおかゆと水と、何かの薬のビンのようなものがあるから。
さくらが心配そうに俺に触れてくる。柔らかい手の感触がとても心地よい。少しだけ腕に力を込めて、俺よりも小さな彼女の手を握りしめた。
「これ……」
さくらが手を放して、薬ビンから錠剤を取り出す。手のひらには赤い錠剤がいくつか乗っている。たぶん増血剤の類だろうと当たりを付けて、それを受け取ろうとした。けれど、やっぱり身体に力が入らなくて、うまく受け取れなかった。さくらがとても申し訳なさそうな顔をする。
仕方がなく錠剤を口に含ませてもらって、それからゆっくりと水を飲ませてもらった。心なしか気分が落ち着いてきて、意識もはっきりしてきたような気がする。本当なら輸血してもらうのが一番手っ取り早いだろうけど。あまり動けそうにない。
やがて、寒さも収まってきて、体温も元に戻ってきたらしい。だいぶ気分が良くなった。
頭が冷静になってくると、さくらに看病されているという状況が、何だかこそばゆかった。胸は相変わらずどきどきしているが、それは愛しい人が傍にいるという安心感からだろうなと思う。
思わず口元に笑みを浮かべてしまった。こんなに充実したのはいつ以来だろう。
「なんですか」
さくらがつられて少しだけ微笑んだ。
その姿が愛らしくて、思わず左手でさくらのほっぺたをつついてしまった。それから、なんとなく獣耳をちょっと引っ張ってみる。ふさふさの毛並があったかい。耳を撫でまわしていると、さくらがくすぐったそうにする。んんって声を我慢してしまうくらいだから、ちょっと敏感なのかもしれない。
触れ合って満たされて、どこか居心地がよい感覚。傍にいてほしいと思ってしまうくらいの愛おしさ。
たぶん、二人で繋がったからだと思う。お互いの身体を全部さらして、絆を深め合って。確かな繋がりになった。それが安心感をもたらした理由なんだろうと思う。
どこかぎこちなかった関係が、ぐっと近くなった気がする。
「たまご粥を作ったから」
「これ、食べてください」
さくらはお盆に乗せたお粥とスプーンを手に取ると、ふーふーしながら熱を冷まして。それから俺に食べさせてくれた。今の貧血気味の体で、スプーンを持とうとすれば俺は、さくらの料理を無残にも落としてしまうかもしれないから。
美味しい。少しの醤油と卵の風味。それから梅干しの酸味が味の薄いお粥を飽きさせない。
「はい、あ~んしてください」
何度も可愛らしくふーふーして、食べさせてくれる彼女はとても献身的だった。夜の一族は赤い命を分けてもらう代わりに、愛する人の傍にずっといるという。たとえ伴侶が年老いて、自分が若々しい姿のままだったとしても。ずっとずっと傍にいる。居続ける。
受け入れてくれた人が愛おしいから。愛してくれて抱きしめてくれる温もりを、その優しさを手放したくないから。
だからこそ、夜の一族を愛してしまった人はこう思うんだろう。この人を支えてあげたいと。
あの日、助けてほしいと泣いていた彼女に何があったのか、俺は何となくしか分からない。それでも、この優しさと愛おしさを手放したくないから。できる限り傍にいたいと思うから。せめて、さくらが一時でも安心していられるように。
「あの、どうしたんですか」
さくらの問いに俺は答えなかった。ただ、彼女の頭をそっと撫でるだけ。喋るのは苦手だし、気持ちを伝えるも苦手だ。それでも、態度を行動で示すことくらいはできるから。
「もう、わたしは子供じゃないんですよ? でも、嬉しいです」
撫でられて嬉しそうに狼の獣耳と尻尾を揺らす少女の微笑みは、安らぎに満ちていて。この他愛ない日常に安寧を感じてくれている証拠で。そんな彼女の笑顔を少しでも護ってあげたいと、俺はそう思った。
◇ ◇ ◇
それから、お互いに手を重ねあって、一緒の布団で横になった。俺もさくらも、話すのは苦手で、物静かな時間が好きだから。傍にいるだけで充分だった。
さくらは寂しがり屋で、拒絶されることを恐れていて。そして、深く傷ついていた。彼女は安心できるような人の温もりと居場所を求めていた。俺は何処か空虚で満たされなくて、自分の存在が曖昧になってしまいそうなほど、何もない日々を過ごしていた。どうしようもない程にひとりだった。
お互いに傷つけてしまうのが怖くて、触れ合って拒絶されるのが恐ろしくて。何処かぎこちない関係を続けていた。だけど、血を、生命を、温もりを分け合うことで絆を確かめ合った。ひとりじゃないと満たしあった。誰よりも深く繋がった。
繋いでいる手が暖かくて、この温もりを手放したくなくて。
だから、気が付けば愛してるなんて言葉を口にしていた。
「あっ――」
さくらが驚いたような顔をする。アイスブルーの瞳が揺れ動く。
自分で言っておいてなんだが、何を言っているんだろうと思ってはっとしてしまった。俺は、自身に人を愛する資格なんて無いと心の何処かで思っている。拒絶されるのが怖くて、傷つくのが恐ろしくて、独りでいようとしてきたから。
だから、受け入れてくれる筈なんてないって思った。今の言葉は忘れてくれって言いそうになる。けれど、さくらは俺の傍に寄り添ってきて、馬乗りになりながら俺のことを見下ろした。その表情は真剣そのもので。だから、俺もさくらの瞳をじっと見つめ返した。
「わたしなんかで、良いんですか……?」
さくらの表情は動かないのに、その声は今にも消えそうなくらい不安に満ちていて。アイスブルーの瞳は今にも泣きそうで。だから、俺はさくらが良いってちゃんと伝える。この想いが伝わるように真っ直ぐ言葉にして伝える。さくらの事を愛してるって。
もしかしたら嫌われるかもしれないという恐怖を、ほんの少しの勇気で塗りつぶして、ちゃんと気持ちを伝える。
愛してるって。傍に居てほしいって。
「……わたしは、普通の人とは違いますよ。もしかしたら、あなたのことを傷つけるかもしれない」
それでも、さくらが不安になってしまうというのなら。
「あっ―――」
何度でも態度で示そう。
さくらを抱きしめて、その顔を俺の首筋に抱き寄せて。無防備に首筋をさらす。
何度でも、この血を、命を分け与えるから。いつだって、どんなときだって。
俺は彼女を受け入れる。
「っ……こわく、ないの……?」
怖くない。
「……バケモノって罵らない?」
黙ってさくらを抱きしめる。
「一緒に……いてくれるの?」
俺の存在が許される限り。ずっと。ずっと。
「…………っ」
声を漏らして静かに泣いている彼女を慰めて。それから、甘い柔らかな。くすぐったくなる様な口づけの感触の後に。さくらは恐る恐るといった様子で、俺の首筋に小さな牙を突き立てて。
その
◇ ◇ ◇
それにしても、血を飲むのってどんな感じだろうか。ふと疑問に思って聞いてみる。
「そうですね。美味しくて、心が満たされていく感じでしょうか」
「一族にとって愛する人に受け入れてもらうのは、とても嬉しいことだから」
「でも……」
ふと、さくらが俺の肩をみる。よく見れば分かってしまう小さな傷痕。さくらに激しく噛まれて、血がにじみ出た場所だ。行為の最中に抱き合っていると、ふと、さくらは相手の首筋を噛んでしまう癖があるらしい。甘噛みよりも少し強いくらいの噛み痕。きっと、本能的に血を吸おうとしてしまうのかもしれない。
「あの……痛かったですよね」
「ごめんなさい」
それに、謝ることはないと告げる。さくらになら、構わないと思う。だって、こんなにも愛おしいんだから。
ずっとずっと、傍にいて。愛してほしい。
その言葉にさくらは静かな優しい笑顔で、はいと頷いてくれる。
そのまま二人で抱きしめあったまま、布団の中で眠りについた。