※この作品はR-18です。

自分は悪くないみたいな顔をして   作:氷菓くん

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05 分岐音

 自分に出来る、「正しい」決断は一つだけだった。

「ところで、それじゃあさっそく、デミさんにお願いがあります」

「はい、なんなりと」

「風呂と夕食の準備お願いします」

 昨日の自分は、電池が切れるように眠ってしまったらしい。ただ椅子に座っているだけでいたのが退屈だったのか、それとも魔女が言う通り緊張で消耗していたのか、どちらにせよ寝落ちしたことは事実だ。

 つまり、眠れるのだ。そこそこ早い時間でも、その気になってしまえば。むしろその気にならなくても、場合によっては眠ってしまうくらいなのだから。さらにさらに、緊張やストレスという話をするなら、今日という日だって、十分消耗する物ではあったと思う。眠れる理由には事欠かない。ストレスが「眠れる理由」として作用するには、どうにも恵まれている気がする。

「どちらもすぐに用意できますが、どちらを先にした方が良いですか……?」

 とにかく今日という日を、それに付属する自分の意識や心を、さっさと打ち切ってしまわなければ。そう思って適当に出した要望だったけれども、考えてみれば昨日寝落ちした自分にとって、何が必要かといえば明白だった。

「あー、じゃあ風呂で」

「わかりました」

 そう言って、タオルを数枚渡された。バスタオルともう一枚、体を洗ってくださいと言わんばかりのサイズの物を。

「え?」

「お着替えは脱衣場に用意しておきます」

「は、はぁ」

 何か、おかしくないか? そう思って、一つの可能性に行き当たる。まさかと思って風呂場を見に行くと、湯船から湯気が上っていた。今朝、パッとライトが点くみたいにテーブルに突然現れた、味噌汁のことを思い出した。

 頼めば湯の上に、アヒル人形でも花びらでも何でも浮くのだろうな。そう考えながら入る風呂は、なかなか良い物だった。

 数十分後、ところで着替えってどういう物を用意するつもりなのだろう、と疑問に思いながら風呂から出ると、特にこれといって感想を抱くこともない、普通の寝間着らしき服が脱衣場に置いてあった。いや、むしろ子ども用の服であることを考えれば、感想を抱くことのない普通こそが、大人の自分にとってはもっともありがたいことなのかもしれない。

 もはや遠い過去のようになってしまった記憶を思い返す。自分を子どもにした魔女が、部屋に置いていったのは書き置きだけではなかった。目が覚めた時の自分は、まあ昨晩そういうことをしていたのだろう、裸だったのだ。そのあたりやはり、優しいというか無慈悲ではないというか、しかしまともとも思えないその、魔女の倫理観がわからない。

 リビングに戻ると、食事の準備は一切されていないように思われたかわりに、何かの雑誌が数冊、端に積まれたボードゲームと同じくらい豊富で大量に、テーブルの上に広げられていた。何かと思えば、料理本だった。

「すみません、何をご用意すれば良いのかわからず。良ければ指示していただけると嬉しいのですが……」

 この中から選べ、というのではなく、これをインスピレーションにしてメニューを決めてくれ、と言われていることを瞬時に察した。自分はすでに、魔女やそれに準ずる者との生活に、慣れを覚えてきているのかもしれない。

 正直なんでもいいけどな……と思いながらペラペラとページをめくって、目に入ったチキン南蛮が旨そうに見えたのでそのままそれを頼んだ。と思った時にはすでに、テーブルの上に望みの品と、あと白米その他基本セットが出ていた。

「あの、一人で食べるのもあれなので、よければ一緒にどうですか……?」

「はい、ぜひ」

 放っておいたらずっと視界の隅で立っていそうなデミを、さもこちらが食事を用意したような口ぶりで誘ってみた。普通に考えれば一方的にご馳走になっている状況で、別の誰かを誘ったりはするはずがないので、口ぶりは自動的に不自然になってしまうのだ。

 二人で食卓について、一緒にいただきますと手を合わせる。要望通りに用意されたそれは、食べてみると期待通り旨かった。

 味は文句なしに旨く、原価からして無料、異次元の爆速提供。能力の性質上、魔女本人が一度実際に食して味を知る必要はあるのだろうけれど、その過程さえ一度突破してしまえば、その力は食において無敵であるように思えた。その上自身だけではなく、こうして分身にも力を分け与えて、人員を増やすことまで出来るときている。

 食べながらそんなことを考えていて、ふと一つ疑問が浮かんだ。

「そういえば、同居してる男の人って、働いてるから昼間はいないんでしたっけ」

 そんなつもりはなかったけれど、思いのほか自然な会話の切り出し方っぽくなって、自分の中でちょっと満足感が生まれた。自己満足極まる。

「はい、そうですよ」

「なんで働いてるんだろう、とかちょっと思ってしまって。魔女の力があれば、真面目に働くことって馬鹿らしくなったりしないんですかね」

 例えば食事に関することにしても、こんな異空間すら作れるくらいなんだから、場所から何から全て魔女の力で用意できることになる。自宅で店でも開けばいいんじゃないか、と思ってしまう。接客の労力はそのままながら、逆にそれ以外は一切の苦労がなく、全てが無から生まれているので、赤字という概念がないのが何より重要であるように思える。

 毎日出かけて毎日帰ってくるその男の仕事というのが、サラリーマンである確証はないけれども、仮にそうだとすると毎朝満員電車に揺られて、上司だ部下だ取引先だノルマだ人間関係だ……とつまり今の状態になる前の自分がしていたような、普通の仕事をしなければならない理由なんて、魔女を味方につけてしまえば何一つ無いのではないかと、そう思えてならない。

「お金を用意することだけは、魔女にとっても難しいことなんです」

 珍しく、苦々しい調子でそう言われた。

「どうして」

「身分が証明できないからです。魔女は人の子ではありませんから、人間社会に溶け込むのは中々に難易度の高いことなんですよ。逆に言えば、人間社会のセキュリティはとても優秀です」

 魔女は人間の突然変異なのではないかという説が、偶然あっさり否定された。人の子でないなら、何の子なのだと思ったけれども、神の子……つまりある日突然天から降ってくるとかだったらどうしようと考えて、もしそうだったらせっかく慣れてきた魔女という存在が、また精神的に遠く離れた存在となってしまいそうでおっかなかった。

「そこは何か、身分証くらい、魔女の力でなんとか出来ないんですか」

「どうでしょうね……。手も足も出ないというわけではないのですけど、いつかボロが出そうで。そうなってしまうと、まあ一人で逃げることは容易なのですけど、どこに住んでいるのかなど調べられて、せっかく仲良くなれた人間と離れなければならなくなることを考えると、やはりどうも……といった感じです」

 話を聞いて、改めて、魔女が妙に人間を好いていることを知った。話しぶりからするに、その今一緒にいる男個人にものすごく惚れているだとか、そういうことではなさそうで、人間と共に暮らすという点について、すごく価値を感じているようだった。

 なぜそうなのか、それはあの魔女個人の価値観であって、どうやらそこそこ数がいるらしい「魔女」という種族全体の価値観というわけではないのか。気になることは続々と浮かんでくる。が、しかし、

「けれど、魔女が暮らすことにはほとんどお金はかかりませんし、逆に一緒に暮らす人の役に立つはずですから。ウィンウィンの関係だと思いたいのです、こちら側としては」

 そう言われて、自分の興味はまず「ウィンウィン」という言葉に対して真っ先に向かった。

「え、でも僕いま、完全に一方的に面倒見てもらってますよ……? 働いてないですし」

 今まで通り自立した人生を送りつつ魔女を生活の中に受け入れることが、人間側から提供しなければならないことだとしたら、いやそれに対しての見返りがすでに大きすぎるけれども、ただでさえそうなのに今言った通り、自分は働いてさえいないときている。これはどういうことなのだろう。問いただして、じゃあ出ていけと言われたら、本当に洒落にならないけれども。

「あなたの場合は特別なんです。魔女を魔女と知って訪ねてくる人なんて、普通いませんし」

 それはそうだろう、見た目が人間なのだから。あからさまに異能を見せびらかしていたならともかく、魔女という存在が……自身が致命的に関わってしまわない限りは、そもそもまったく認知されていない時点で、普段の魔女たちがどのように生活しているのか大体想像できる。

「仮にそこを見破って訪ねて来る人がいれば、その人も僕みたいにその、面倒見てもらえるんですか」

「いいえ、あなたの場合はさらに、同族が迷惑をかけたということもあったので、引き取るという結論に至りました」

「なるほど……」

 そう考えるとものすごくラッキー……いやこんな体にされてそれは言えないが、とにかくなんというか、すごく例外的に今の扱いをされていることがわかった。知らず知らずのうちに細い綱を渡り切っていたような感覚で、少しおそろしくもある。

「つまり結果としてですけど、僕が今こうしていられるのは、事実上コネの力ですか」

「なるほど、そういう言い方も出来ますね」

 反則的なルートをたどった代償が、この小さな体なのか。そう思うと、むしろ魔女の言うウィンウィンの関係よりむしろ、得る物と失う物が釣り合うことに近付いているような気もする。何しろ、普通に生きていたら、当然普通の人生を送るはずなのだから、それに対して魔女から異常なほど見返りをもらうことより、異常な事態におかれてから同じ見返りをもらった方が、釣り合っているような感じはしてくる。

 しかしそうすると、普通に生きていた人間の中から、今魔女と暮らしているらしい男が選ばれたのには、どういう理由があったのだろう。どういう経緯で一緒に暮らすことになったのだろう。そう思いを馳せてみるけれども、あの夜のことを思い出して、いやいやあまり深い過去も理由もないのかもしれないという気になった。

 突然声をかけてきて、とんとん拍子で都合よく話が進んで、まあ自分の場合その末に体がこうなってしまったわけだけれども、魔女との出会いなんてその先の結果に何が待っていようと、出会い自体はそうやって「唐突」でしかないんじゃなかろうか。たしか、退行の魔女はショタコンだと言っていた。体を子どもにする力を持っていることを思えば、その上で自分を選んで声をかけてきた理由なんて、浅い浅い物しかないように思えてならない。

 その後も、こちらの見立てでは何やら魔女は「焼く」という調理法にこだわりがあるように思えるのだけれど、分身の目線から見てそのあたりどうなのかとか、当たり触りのなさと内容のそれなりな有意義さが両立された会話をしているうちに、食事も全て胃の中に納まっていった。

「ごちそうさま」

 手を合わせると同時に、済んだ皿は跡形もなく無音で消え去った。何かが出てくるにしても消え去るにしても、本当に一瞬なので、ただ元々そこにあった物が、見えたり見えなくなったりしているだけなんじゃないかと思ってしまう。もちろんそんなことはないのだけれども。

 ……というわけで、いよいよ眠る時間だ。お腹もふくれて、まさに最適なコンディションと言えそうだった。さっさと歯を磨いて、寝室に引っ込むことにする。

「それでは、おやすみなさい」

 こちらを寝室まで見送ったデミはそう言って、リビングの方へ向かって行った。おそらくまた、部屋の隅にスタンバイした状態に戻るのだと思われる。魔女にもその分身にも、必要かどうかという話をするなら食事は不必要だと聞いたけれども、睡眠どころか少しの休憩でさえ、同じように不必要なのかもしれない。

 部屋の電気を真っ暗に消して、ベッドの上で布団をかぶって、目を閉じた。明日になったら、ボードゲームの一つくらい試しに遊んでみてもいいかもしれない。そんなことを考えながら……。

 …………何分か経って、いや、もしかすると数時間が経って、自分の中には、焦りがあった。眠れないのだ。これだけ完璧に、眠れそうな条件だけを重ねたのに、一向に眠れる気がしない。なぜだろうというのは、考えるまでもなかった。

 下半身の、不釣り合いな部分が、明らかに原因だった。風呂に入った時にも改めて思ったものだ、この小さくなった体の中で、その部分だけが例外なのは、やはり相当不釣り合いに見える。言い方によってはそう、気色が悪いほどに。

 何がいけなかったのかもわかっていた。デミとあんな話をして、結局彼女を便利なものとして扱うことを、ほとんど認めてしまったせい……ではない。本当にまずかったのは、この寝室で、分身ではなく魔女とあんなことをしてしまったことだ。ここにいるだけで脳みそが、勝手にその時のことを思い出してしまうのだ。

 仕方がないので一人で一度落ち着けてしまおうとして、ここは異空間なのでインターネットが使えないことを思い出した。自分はブックマークはしても動画や画像そのものを保存することはしなかったので、今手元で見られる「そういう物」は何もなかった。

 魔女が過去にそういう物を見ていたなら、くれとデミに頼めばすぐに用意してくれるだろう。しかしそれは、どういう辱めなんだろう。このあらゆる願いが叶う生活の代償は、体が子どもになることだけでは足りなかったのか。

 仕方がないので、何を見るわけでもなく、ただし頭の中であの時のことを思い出しながら……。記憶の限り脳内に映像を蘇らせるだけでも、それは今まで見た何よりも刺激的で、途方もなく魅力的だった。そうしてやはり「もう一度」という気持ちを、自分は完全には抑えられないだろうことを実感する。

 今、デミのことを見てしまったら、もうダメだ。一人で処理して、世界はこの部屋しか存在しないと自分に言い聞かせて、今度こそ眠るしかない。一晩明ければ、案外けろっとしていられるものだ、そうに違いない。

 そう言い聞かせる中で聞こえた、ガチャリ……とドアの開く音は、人生の分岐路が、切り替わった音だったように思う。

「……すみません」

 寝室のドアの隙間から、控えめな様子でこちらを除く、デミがそこにいた。廊下は白い電球で照らされていて、その光がベッドの上まで差し込んでくる。咄嗟に、自分のモノを隠そうと、布団をたぐり寄せた。

「言われたんです……。あなたを満足させるには、あなたの要望を本当に叶えるためには、待っているだけではダメだと」

 そろりと、少しの流水が静かに流れ込んでくるみたいに、彼女が部屋へ入ってきた。自分の顔が、熱くなっていく。

「その通りでしたね。待っているだけでは、私、失格です。でも、魔女の力でも、人の心は読めないんですよ……?」

 丁寧にドアを閉めてから、ベッドの上に彼女が上ってきて、ぎしりと軋む音がした。あの時もそうだったに違いないのに、今初めて、自分の心音が跳ね上がっていることを自覚する。

「本当に、なんでも言ってください、してください。私ちゃんと、全部叶えます、だからお願い、隠さないで……」

 知ったかぶった表現をするなら、ベッドの上で迫りくる魔女は、妖艶といった風に表現できたように思う。それは全てを知っていて、あらゆる行為は二度目以降であるという、余裕をひしひしと感じさせるものだった。それがあの時の自分を高ぶらせ、最終的には、あんな行為を実行するに至った。

 それが、デミは違った。這いよるようだった魔女に対して、彼女は縋り付いてくるようだった。その時自分は、魔女の時と同等かそれ以上の、尋常ではない興奮を覚えながら、しかし同時にこうも思った。

 自分は、恵まれた人間だった。己の存在価値なんて、ほとんど考えたことがなかった。仮に自分に価値なんかなくたって、それを理由に虐げられでもしない限り、さほど問題ではないとさえ考えていた。それを、今のデミを見て、なんて幸せなことだったんだろうと振り返った。自分の存在価値を満たせないって、どんな気持ちなのだろう。考えたこともなかった。

 たぐり寄せた布団で隠した下半身を、彼女がめくって露わにさせようとしていた。

「ちょ、ちょっと待ってください!」

「は、はい……」

 真っ暗な部屋で、顔なんかほとんど見えやしないのに、彼女が泣き出しそうになっている気がした。涙声だったわけでもないのに、不思議とそう感じた。

「僕が、あの……魔女に、何をしたか、知らないんですか」

 どうやら魔女とデミの間には情報が共有されているようだったので、それも当然伝わっているものだと思っていた。あの魔女が、それはプライベートなことだからと、自分の分身にまで黙っているところは想像できない。

 まあそうでなくても、寝室からリビングまでさほど距離があるわけでもない。防音だってあってないような物だろう。隅に立っていた彼女に、何も聞こえていなかったと考える方が楽観的すぎるというか、現実逃避気味であるとは思うけれど。何にせよ、だからなおさらだ。

「知っています」

「なら、なんで、……怖いでしょ」

 暴力どころか、拷問に近いことをするような男だとわかっていて、その男にこんな近付き方をするのが、怖くないはずがない……というのは人間の感覚で、魔女にはまるで通じていないように見えたけれど、けれどもデミには魔女にあった、余裕というか、強さが纏われていなかった。

 しかしどこかで予想していた通り、彼女は問いかけを否定した。暗闇の中で、ぶんぶんと首を横に振るのがわかった。

「いいえ、ちっとも」

 もしかして魔女には、痛いとか苦しいとか、そういう感覚がなかったりなんてしないだろうか。いっそ、そう思ってしまいたかった。痛そうにするのも苦しそうにするのも、体が反射的にそうなってしまうだけで、意識的なところではまったく何も感じていないんじゃないかと。

 しかし、本当に心の底からそう思ってしまったら。苦痛を耐えてでもこちらを満足させる義務があるのだ……という意識すらせずに、そもそもこれは何でもないことなのだと、心の底から思ってしまったら。その時自分はもう、手遅れなのだと思う。

「僕は、僕が怖いですよ」

 やっぱり不思議なもので、彼女がポカンとした顔をしたのがわかった。口をふさがれているはずの魔女の声が聞こえるのは、魔女の力によるものなのだろうけど、暗闇の中で表情が察せられるのは、特別でもなんでもない、多くの人間が持っている力なのだと思う。

「本当に目の前で苦しんでいるところを見て、それどころか自分の手で苦痛を与えても、ただただ興奮するだけでした。もっとやってみたいという思いが、射精するまで少しも収まらなかった。……普通に考えて、人を痛めつけて楽しむなんて、異常者じゃないですか」

 すでに半分踏み越えてしまったような一線を、それでもまだその線を守ろうと布団を握りしめる自分の手。その手がデミの両手に包まれた。魔女も、その分身のデミも、手が暖かいのはどちらも同じだった。

「そんなことありませんよ。何が好きで、何に興奮するかなんて、千差万別で、良し悪しなんかありません。人間なんですから、そういうものですよ」

 その言葉に、思わず笑ってしまった。ため息を吐きたいような気分だったのに、出てきたのは吹き出すような笑いだった。そんなわけないだろう、というのは、言うまでもないことだった。

「ありがとう」

 そう言ってデミの手を撫で返す。……とはいえ、こういう状況になってしまえば、別にそこまでエッチがしたいわけじゃないんだ、なんて言い逃れは出来るはずもない。

「言えばなんでも、叶えてくれるんでしたっけ」

「はい、なんでも」

 デミの声にどこか喜びが宿る。こういう時の彼女はどうやら、恋人に対するもののような雰囲気を出すらしい。こういう時というのは、性的なという意味ではなく、とにかく「求められた時」のことだ。

 彼女が、存在価値を満たされることで、そんな声を出すなら。人間の価値ってひょっとすると、誰かに愛されることなんだろうか……? そうだとすれば、自分はあまり満たされないまま何年も生きていたことになるけれど、別にこれといってつらくはなかったな。

「じゃあ、セックスさせてください」

「はい。体位はどうしましょう?」

 やっぱり、ちょっと笑いそうになってしまう。なぜだろう、思い通りにいきすぎるからか? というよりは、エロとギャグが紙一重の関係にあるせいのような気がする。

「普通にしましょう。下、すぐ脱げます?」

 聞いた時には、すでにいつの間にか、挿入を妨げる布の一切は消え去っていた。こちらは布団で隠さなければならなかったほどなので、今から脱ぐ物はない。ただ、必要な物はまだあった。

「あ、ゴム出してもらえますか」

 当然魔女の力で瞬時に出せる物だろうと高をくくっていた。

「無くても大丈夫ですよ」

 予想の斜め上を行く返答に、一瞬頭が真っ白になってしまう。

「いや、大丈夫って」

「望みを叶える力は、望まないことを不実現にする力ですよ。心配ありません」

「え、あぁ、そうなんですね。じゃあ……」

 正常位の体勢でこちらを受け入れるべく、すでに彼女は準備を完了している。一方で自分は、準備が出来ていないわけではなく、むしろ客観的に見て、よほど飢えているようにさえ見えるけれども、しかし……。

 正直なところ、生でするということを、したことがなかった。けれども言い出せず、なんとなく、それこそまた流されてしまうみたいに、僕は吸い込まれるようにして彼女に挿入したのだった。

「うわ……」

 初めての生の感触は、全然違う……とまではいかなかった。もちろんゴムを着けてする感触と違いは大いにあった。けれど、コンドームの薄さは、本来のこの感触をあそこまで近く再現していたのかと思うと、むしろそっちに感心してしまった。

 そしてこれもまた、どこか的外れな気がするけれど、自分が子どもになったことで、相手の体がすごく大きく感じて、それによって自分は、安心感のようなものを覚えた。セックスをしているというのに、母性だなんだというのを感じているのだとすれば、滑稽なことだと思う。

 彼女の中は十分すぎるほど濡れていた。馬鹿になってみるなら、そんなに期待していたのか、と言えるのだろうけど、まあそれは違うだろう。望みを叶える力はこういうことも出来るのだ……という話があるだけだ。

 とにかく、初めての感触を存分に楽しむために、ただひたすら腰を振った。そうすればするだけ、「望んでいる」と示すだけ、その分の快感が得られるのが、なんというかとても、らしかった。

「んっ……」

 艶っぽい声が聞こえて、思わず腰を止めてしまう。思わず興奮してむしろ加速してしまうならまだしも、なぜ止めてしまったのかというと、それは個人的にそして勝手ながら、それをらしくないと思ってしまったからだった。

「あっ、すみません……」

「いや、いいですけど。むしろ、なに、そっちの方が……」

「そうですか……?」

 腰を止めたことで、彼女に何か罪悪感のようなものを抱かせてしまったらしい。だからといってむしろもっと聞きたいと言ってしまえば、今後聞こえる喘ぎが全てまんべんなく嘘っぽく聞こえてしまうけれど、あまり深く考えて物を言えるほど自分は落ち着いてもいなかった。

 らしくないと思ったのは、てっきり彼女は、それが自分の役目だからと、セックスの道具を演じてくれようとしているのだと思っていたからだ。けれど、彼女にも快感を覚えることはちゃんとあるらしい。そんなことに少しとはいえ驚いてしまった自分はひどく薄情で、正直な気持ちやっぱり、自分で自分がおそろしかった。

「ん……あぁ……あっ……」

 喘がれると、どうしてもその声がする方を見てしまう。暗闇に目は慣れてきていて、彼女の表情が確実に見て取れた。なんというか……楽しんでいるように見えた。

 ……自分は、心の底からセックスがしたくて、彼女に申し出たのではない。本当は、「もう一度」という思いが、これっぽっちも抜けきっていない。いや、何ならもっとひどい。次は本当に、吐瀉物をぶちまけるところまで見たい、そう思っている。かといって、彼女を納得させるために、ポーズとしての性行為をしているわけでもない。

 悪魔のような欲望に対して、それはそれとして、と思いたかった。そう思えるはずだと信じたかった。醜い欲望は消えないけれど、それより幾分マシな欲望で、一時的にでも上書きが出来るはずだと、それを証明したかった。だから普通のセックスを彼女に所望した。そしてそのセックスで満足して、眠りたかった。

 それなのに、気持ちよさそうな顔をして喘ぐ彼女の、その顔の下。無防備な首筋に、次第に視線が落ちていって、離れなくなる。……それを両の手で握って、絞めてしまったら、自分はやはり異常者なのだと、それをほんの一時誤魔化すことさえ出来ないのだと、認めてしまうことになる。そうなってしまうと、わかってはいるのに、目が離せない……。

 脱力して、気持ちよさそうに喘いでいた彼女が突然、僕の腕を掴んだ。

「……こうですか?」

 そしてその腕を、首元に引き寄せるのだ。直接触れてみると、自分の手が、思っているよりなお小さいことを知った。小さく、非力そうな、子どもの手……。

 自分は、おそるおそる、その細い首を包むように握って、少しずつかける力を強めていった。……そして、まだ細々と、しかし十分に呼吸は出来るであろうというところで、力を強めるのをやめて、そのまま握りしめていた。

 子どもの体とはいえ、なにも大人の半分程度しか身長がないような、幼児というわけではない。本気で抵抗されれば敵わないかもしれないけれど、無抵抗の相手の首を絞める程度なら、不可能ということはまったくなかった。

「もっと、強くしてもいいですよ」

 彼女の顔が見られなかった。見れば、あの微笑みがこちらに向けられているだろう。それを見れしまったらまるで、許してもらえたような気になってしまう。自分のこの欲望は、決して許された物でも、許されていい物でもないのに。

「……後悔しませんか」

「はい」

「絶対に?」

「はい、絶対に」

「……僕が、魔女に何をしたのか知っていて、僕が、……魔女もあなたも、殺したって死なないことを知っているとしても?」

 魔女は一度、結果を知ってから言えば……ひどいイラマチオをされる寸前に、こう言っていた。極論だけど、殺されたっていい……と。あれは、もっと正確に言えば、そうされたって何の問題もない、つまり死なないということだ。

 想像できる限りの望みを叶える力。人間社会に溶け込めないという話から、想像以外にも何か条件があるようではあるけれども、「生きる」という日頃すでに行い続けていることが、望みを叶える力で叶えられないとはどうしたって考えにくい。そしてあの陽気な魔女が、物事に関して趣だとか、こだわりのような物を感じているらしい彼女が、本当に死んでもいいと思っているとも考えづらい。

 死なないのだ、魔女は。死んでも、自らの力で生き返る。当然その分身であるデミも同じだろう。……死なないように、という最低限のことさえ、忘れてしまっても……そう思わせられてしまう。

「ええ、死にません」

 見なくたって、その表情が思い浮かぶようだった。

「だから、思う存分好きにしてください」

 言ったからには、義務がある。という思考回路でさえなかった。自分が思ったことは、もう二度と、彼女に滅多なことを言わせないことか、それとも今後、もう彼女を人間として扱わないことか、どちらに転んでも喜ばしいから、それを試そうということだった。

 後悔させてやる。……そう頭の中で呟いたのは、魔界から人をたぶらかしに来る悪魔じゃない。その内なる声は、人の子である、僕の心の一部だ。

「か……はッ……ぁッッッ……!!」

 渾身の力で首を絞めると、しぼり出されたような声がした。反射的に顔を見ると、さっきまでと表情は一変して、何かに助けを求めるような表情で、しかし目線はこちらではなく、少し上の方に向いているように見えた。

 その表情に、この手の中の感触に、どうして、……どうしてこんなに興奮を覚えてしまうのか。まるで理解できず、首を絞めながら、叫びだしそうになった。実際には一言も話さず、その代わりめちゃくちゃに腰を振った。首を絞めると締まりが良くなる、なんて漫画で聞くような話が本当なのか、フィクションなのか、判断するだけの余裕もなかった。

 急激に湧き出た興奮と共鳴したように、一気に射精感が高まって、気が付いたら彼女の中にぶちまけていた。相手が魔女でも人間でも、この時ばかりは迷わずそうしていたとしか思えない。

「っっ……ッッッ……!!」

 一番奥まで打ち付けたまま、息を切らして呆然としていると、一言も発さなくなった彼女から、弱々しく腕を叩かれた。……それで我に返って、熱い鉄板に触った時みたいに、反射でバッと手を離した。

「ゲホッゲホッゲホッ……!! ゲホッ……うっ……ぁ……はぁー……はぁー……ぅ……ゲホッ……おえぇ……」

 顔を背けて、必死で息を吸いながらむせかえる彼女を、僕は見下ろしていた。咳が収まると、初めのうち彼女はひゅーひゅーと死にそうな呼吸を繰り返していたけれど、それもすぐに、ただ大きく息を吸い込む普通な音にも変わった。

 終わったと思っているんだろうなぁ、と思った。いや、実際終わったのだけれど、けれど今、再び彼女の首を絞めてかかったら、どんな顔をするのだろう。……そんなことを考えながら見下ろし凝視していると、それなりに息を整えたとはいえ、まだ苦しそうな彼女と目が合った。

 彼女は真っ赤な顔で涙を流していた。彼女がそんなに顔を赤くしていることに、自分はその時まで気が付かなかった。そして、なんでもないみたいに、微笑んだ。

「気持ちよかったですか……?」

 自分でも恐ろしいほど、冷たい声が出た。

「デミさん」

「はい?」

「僕は、おかしいみたいです」

 彼女が取った行動は、魔女と同じだった。あの時と違って正面から、それも裸で抱きしめられたので。柔らかい胸が頬に当たるのをこれでもかというくらい認識した。

「おかしくなんかないです。求めてもらえて嬉しかったですよ」

 本当に、一度殺してしまっても、同じことを言ってくれそうな気がした。

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