「ク、クロ……?」
「なに、かな……」
二人きりの部屋の中、今ぼくの目の前にいるのは、いつものクロとは違う。
天気予報が嘘をついたから雨の中を走って帰ってきて、濡れてしまった服ではなく姉さんが用意した服装に着替えたクロがモジモジとしながら指を重ねていじっている。
こういう服装ってなんていうんだろう。
そんなことを考えて、ぼくはクロの服装をぼうっと見つめてしまう。
「ああ、そっか」
騒がしいクラスメートたちの言っていた言葉を思い出した。
確か……
「童貞を殺す服」
その、小柄な女の子に合わせた形に合わせたバージョン、というのがしっくり来る。
胸を強調していく構造と、タイトな腰回りに、短いスカート。
そんな、男の浪漫が籠もった服なんだ、と確かクラスメートは言っていた。
ただ、その時にちょっとだけ名前が気になって調べた服と違って、肩が露出しているのが寒そうにも見える。
彼女はどんな時も猫のような雰囲気を纏っていたから、そんな寒そうな服装で平気なのだろうか。
「む……」
そんなことを考えているぼくを見つめて、クロは少しだけ不満気な表情。
一体どうしたんだろう。
ぼくが何かしてしまったんだろうか?
「君は、一体どこでそんな言葉を覚えて来るの?」
こちらにずいっと顔を近づけた君は不満そうで。
ちゃんと話を聞かないといけないとわかっているのに、クロの肩を出してる服装をあまり見慣れてなくて、まずそこに目新しさを感じて、その特徴的な部分に目を引かれる。
次に、その小さく細い肩に印象を受ける。
そこで愛おしさすら感じる君に華奢、という印象を受けて、君がどこかに行ってしまうのではないかとどうしようもなく不安になった。
クロのどこか責め立てるような声音に視線を思わず逸らしてしまって、今度は服に隠されてない細い手の先、細い足に目が行く。
転んだら折れてしまいそうだ、という印象を抱いて、目を離してはいけないと思ってしまった。
君の髪を飾る可愛らしいリボンが揺れる様が視界の隅をわずかに行ったり来たり。
困ったような、怒ったような、少しだけ細められた檸檬のような色の瞳の中にある不安を見つけて、彼女が守るべき女の子なのだと思い出した。
「これ、お姉さんがあの子に着せたがってた魔法少女、っていうものをモチーフにした服装なんだって。……それをあんな、ど、童貞を殺す服だなんて」
どこで覚えて来るの、とクロはどこか恥ずかしそうに。
初めて見るはずなのに、どこか懐かしいと感じてしまうその服装。
見慣れないはずなのに、どうしようもなく郷愁の念を感じてしまう。
おかしいな。
ここがぼくの家なのに。
なぜか、どうしようもなく”どこか”で”誰か”と一緒にご飯を食べたくなる。
そこも”家”なのだと、ぼくの心の何処かが叫んでいる。
「えっと、この間クラスメートたちが騒いでて。ちょっとだけ気になって調べたんだ」
ぼくの心の全てが叫んでいる。
”二度と彼女に嘘をつくな”と。
幼い頃からずっと。
多分、覚えていない頃から、ぼくはきっとクロに対してだけは嘘をついたことがないのではないだろうか。
それはきっと、とてもいいことで。
「そうなんだ……」
恥ずかしそうにしているクロ。
ぼくも、とても恥ずかしい。
だけど同時に、どこか嬉しさもある。
君と、こうして感情を共有できていることがとても嬉しい。
二人が同じ行動に対して、心を同じ色に染めて行くことができるということが、どうしようもなく心に染みる。
これまで過ごしてきた一緒の時間は何よりも大切で、これから一緒に過ごすだろう時間も大切で。
ふと、気恥ずかしさのような、普段と同じような、どこか心地よさと居心地の悪さを同時に感じる君との時間。
伝えなければならないことを伝え終えていない、そんな感覚に苛まれた。
その言葉をクロに伝えないといけない。
そう思って口を開こうとしたのに。
「その、君も」
クロの言葉で遮られた。
「え……?」
ただ、ちゃんと聞き取れなかった。
「君も、殺されちゃうの?」
一瞬だけ意味がわからなくて呆けて。
理解が追いついて、顔が焼けるのではないかと思うくらいに熱くなった。
きっと、クロがとても恥ずかしそうだったのもあるだろう。
けれど、まさかクロに、幼馴染に直接的に『君は童貞なの?』と聞かれるようなことになるとは思わなかった。
「どう、なの……?」
いや、彼女はもしかして意味を理解していない?
人のことを言えたものではないが、彼女が恥ずかしがり屋だということはぼくも知っている。
そんな彼女が、あんなことを言えるだなんて、ぼくには信じられない。
「え、えっと、その……」
でも、どうやって答えるのが正解なのかわからない。
君に、なんて伝えればいいのだろうか。
「ごめんね……」
ただ、それを悩んでいるうちに、君は少し暗い顔になって。
今度は、さっきとは違う意味でどうしようと慌ててしまう。
君を、悲しませるようなことをしてしまったのだろうか。
ぼくが、また何かしてしまったのだろうか。
それなら謝らないと。
「わたしがこんな服を着ても、似合わないよね……」
それなのに、君を殺してしまうんじゃないかって悩むのは失礼だったよね、と。
そんなことを言うクロに思わず、肩を掴んでしまっていた。
「そんなことないっ!」
「ひゃ……」
驚かせてしまった。
でも、それでももう止まれない。
君は似合わないなんて言ったけれど、それだけは絶対に間違いだ。
「クロのその服装はとっても似合ってる! 誰がなんと言おうと、君は……!」
ただ、そこまで言ったことでわずかに躊躇が生まれた。
ここで言ってしまえ、と心が叫んでいるのに。
これを言ってしまえば、これまでの関係は必ず崩れてしまうから。
「わたしは……?」
もう言ってしまった。
クロに聞かれてしまった以上、もうここで止める選択肢はない。
「えっと……その……クロは、魅力的な女の子だと思う……」
「あ、うん……ありがとう」
二人で、恥ずかしさに狂ってしまいそう。
でも、それでも何か言わないと。
そう思ってクロの方を向くと、彼女はこちらに背中を向けてしまっている。
どうしたんだろうか。
「えっと、これ」
「これって……」
あの日、君がこの家で生活することになった日に、前日に言えなかった『誕生日おめでとう』を伝えるために使った糸電話だ。
これを使うのは、君がどうしても伝えないといけないことを伝える時。
そして、言葉にすることを恥ずかしいと君が感じていることを伝える時だ。
「その、ね……」
耳元で聞こえる君の声はどこかこそばゆい。
小さい声なのは、きっと君が恥ずかしがっているから。
だからゆっくりと、君が言いたいことを言い終えるまで待つ。
「わたしは、君に死んでほしくないなって」
「それって」
どういうこと?
最後まで言い終えることなく、ぼくは糸電話を投げ出したクロに押し倒された。
幸いにも、ぼくはベッドに腰掛けていたから頭を打つなんてこともなく。
ただじっと、クロの綺麗な瞳を見つめる。
「クロ……?」
どうしたんだろう。
ぼくのことを押し倒した君は、顔を真っ赤にしていて。
恥ずかしがり屋な君が、どうしてこんなことを。
そう思ったぼくに、君はもにょもにょと口を動かしながら、小さな声で。
「わたしね」
そう言って、君は恥ずかしそうに、けれどどこか勇気を振り絞ったような様子で。
「君とこうするのが、好きなんだ」
ぴったりと、その耳をぼくの心臓に当ててきた。
とくん、とくん。
ぼくの心臓は規則正しくリズムを刻んでいる。
普段なら、もっと驚いていてもおかしくないのに。
あまりにも近いクロに、一切の違和感を抱けない。
「それって……」
何を言えばいいのだろうか。
何を言うのが、正しいんだろうか。
わからないことだらけの僕らだけど、一つだけ。
君がそばにいてくれるこの時間がとても落ち着くってことだけは、わかっている。
「だから、ね」
クロは、へにゃりと笑って。
「もう少しだけ、こうしていたいなって思うんだ」
ぼくに、しっかりとしがみつくようにして。
背中にまで手を伸ばしてきた。
本番は次回のはず(この二人、エロいことができるのか……???)