ジェットコースターのレーンにもたれかかるように傾き、夕焼けを受ける観覧車の巨大な車輪。
各所にて行動不能になった戦車たちを回収する連盟のトレーラーが、まるで本当の戦争に晒された市街地の如く瓦礫の転がる大通りを進んでゆく。
北海道戦車道演習場・中央広場。大洗女子学園の制服を着た幾人もの少女が、そして大洗の増援として加わった各校の女生徒たちが歓喜の表情で牽引されてきたボロボロのⅣ号戦車を囲んでいる。
そこに現れるクマの姿を模した電動カート。乗っているのは大学選抜で隊長を務めた島田愛里寿。Ⅳ号戦車の前にいた少女、西住みほの手前でクマは止まり、愛里寿が降りる。
愛里寿はポケットを探ると小さなクマのぬいぐるみを取り出した。体の至る所に包帯を巻きつけ、絆創膏を貼られた痛々しいクマ。
「……私からの勲章よ」
「ありがとう、大切にするね」
みほは笑顔でそれを受け取った。
「ふぅ……次からは、わだかまりの無い試合にしたいものね」
「全くね……
そんな二人の隊長の様子を観客席から見守っていた島田千代の言葉に西住しほは答えた。文科省の思惑に巻き込まれた形のこの試合の裏舞台は徹頭徹尾酷いものだった。だがそれだけでなく、もう一つのわだかまりの可能性をこの試合は抱えていた。
今、試合を終えて友情を育んでいるあの二人は自分たちが同じ男性と身体を重ねている事を知らないだろう。それを知った時、彼女らは今感じている想いのまま絆を築けるだろうか。
複雑な思いを抱えつつ、しほは席を立った。千代が扇子を手にこちらを見る。
「和明君のところへ行くの?」
「流石に合わせる顔が無いわ。世話は菊代に任せてあるから、私は先に熊本に帰ります」
「……随分と冷たいのね。今の試合を観ていて、貴女も疼いているんじゃないの?」
「
激しい試合であった。観ているだけで血が滾る試合であった。実際、今のしほの中には熱く滾る気持ちが湧き上がりつつある。
今の状態で和明に会えば、我慢しようと思っていてもきっと自分は彼を求めてしまうだろう。そして彼は──例え身体が疲労の極みであろうとも、それを受け入れようとするだろう。
手前勝手な理由で気絶させてしまったその日に和明に更に求める事を恥と思える程度には、しほは自分を律する事が出来ていた。
「貴女こそどうなの、千代? 疼いているなら、今にでも逢いに行きたいんじゃないの?」
「そうしたい所だけど……すぐに
「『強め』ね……泣き出す子が出ない事を祈ってるわ」
それ以上の会話を拒否するようにしほは身体を翻す。その背中に千代の声が投げかけられた。
「彼の大学、あと数日で後期の授業が始まるわ。遠くへの呼び出しは難しくなる」
「知ってるわ。だから……『あの場所』にしましょう」
振り返らずにしほは答え、客席を降りてゆく。
残暑の暑さを残す夕日が、北海道の平野へと沈もうとしていた。
「ええ、はい、はい……はい、畏まりました。ではお帰りは、はい……承知しました、家元。お気をつけて」
通話を終えた菊代は携帯を袖に戻すと、布団から身を起こしてテレビの戦車道チャンネルを見ていた和明に言った。
「家元は都合で先にお帰りになられるそうです。篠原様のお帰りについてはわたくしがお世話する事になりましたので、よろしくお願いします」
「え? いや、でも、出店の片づけや横浜の店への輸送とかで、俺も大学選抜艦に乗らないと」
「それについては店長様からご許可をいただいております。『店のシフトも都合をつけるから、身体を休めてゆっくり帰ってきて』との事でした」
「……面倒かけさせてますね、俺」
「こういう場合、お言葉に甘えておくべきです。下手に頑張ろうとすれば相手に余計に心配をかけるだけですから」
気まずさを覚える和明に菊代がさらりと言う。
「さて……みほ様たちも無事に勝たれたようですし、ご夕食と致しましょう」
空気を切り替えるように菊代は言うと、しほからの電話を受ける前に持ってきていた小さな土鍋を盆ごと布団の横に置いた。調理場を借りて菊代が作ってくれた卵入りの鳥雑炊である。土鍋の蓋を取ると、大量の湯気と共に何とも良い匂いが漂ってくる。まだ疲労の取れ切っていない和明でも食欲をそそられる程だ。
「ありがとうございます。それじゃ、いただきま……」
「いえ、篠原様。お待ちください」
食膳の合掌を行い、早速和明は陶製のレンゲに手を伸ばして雑炊を食べようとした。しかしそこで菊代の制止が入る。
「えっ?」
どうしたのかと和明が一旦止まると、菊代はそのレンゲを持ち雑炊を掬い、吹いて少し冷ますとそれを和明に差し出した。
「ふぅ、ふぅ……はい、あーんしてください」
「い、いや、菊代さん! 大丈夫ですから……」
「篠原様、『自分の身体は自分が一番知っている』と申しますが、あれは嘘でございます。まだ篠原様は安静の状態です。なのでお食事の補助もさせていただければと」
流石に
強引に断るには実際ここまで看病してくれた負い目もある。和明はしばらく迷ったのち、おずおずと口を開けた。
「あ……あーん……」
「結構でございます。それでは……はい」
「んっ、んむっ……」
傾けられたレンゲから程よい温かさに調節された雑炊が流れ込んでくる。ダシも上手く取っているのだろう。野菜と卵と鶏肉の旨味が調和した濃厚な味わいが口腔内に広がり、そのまま体へと吸収されてゆくのを感じる。
「はい、もう一度。あーん」
「あ、あーん」
もうひと掬い。先ほどよりは抵抗なく和明は口を開け、再び雑炊を口に含む。レンゲを口に運ぶ菊代はどこか嬉しそうで、戸惑う和明の反応を楽しんでいるようにも思える。
どうも菊代は千代などとは別の方向でこちらを翻弄するのが好きなのかもしれない。そんな事を思いつつ、和明は口を開けた。
「はい、あー……」
「……えーっと、お邪魔だったかな?」
その時、菊代の後ろから別の少女の声が飛んできた。
「ンッ?」
雑炊を口に含んだまま和明はそちらを見た。休憩室のドアが開いており、ツインテール髪の小柄な少女、角谷杏が気まずそうに立っており、その後ろにはみほとまほが居る。
「どーも、一応ノックはしたんだけどねえ」
「ど、どうも、篠原さん……」
「……
みほは遠慮がちな挨拶を、まほは額に指をあて困ったようにそれぞれ言った。雑炊を呑み込んで和明が返す。
「か、からかう?」
「菊代さんは他人に雑炊やお粥を食べさせる時、いつも『あーん』をさせて反応を楽しむんです。私やみほも病気の度にそれをやられました」
「あら、わたくしとした事が……ノックを聞き損じておりましたか。これは失礼致しました」
まほの言葉を軽く受け流し、菊代はスッと身を引くと盆を手に部屋の隅へと下がった。
改めて和明は杏たちを寝たままの姿勢で見上げて言った。
「お疲れ様。勝ったのは菊代さんから聞いたよ」
「い、いいえ! 勝ったって言っても本当にギリギリで……」
「それでも、勝ちは勝ちだ」
照れつつ謙遜するみほにまほが言う。
「それで……どうしたんだい? 撤収とかで忙しいんじゃ?」
「まあ、そうなんだけど……その前に、筋は通しておこうと思ってね」
和明の問いかけに答えたのは杏だった。おもむろに正座すると、みほやまほもそれに続く。
「え?」
「……篠原さん。正直、家元の話を聞いても貴方に対しては半信半疑でした」
杏は普段の軽い笑顔でなく真剣な表情でそういうと前に手をつき、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。貴方が西住さんを治してくれたお陰で、大洗は守られました」
「いっ、いや! 頭を上げてくれよ! 俺はそんな……」
「いいえ、篠原さんが居なければ、私は多分集中できずに負けていたと思います。そうなったら、友達のみんなとも別れ別れになってました。私からもお礼を言わせてください」
仰々しく礼をする杏に慌てて和明が言うが、続けてみほも礼と共に同様に頭を下げる。
「そんなこと……だって、俺がしたことと言ったら……」
「それで、私達は救われました。私自身の事も含めて、和明さんは我々の恩人です」
どう返事して良いか分からなくなった和明に対し、更に続けてまほが頭を下げた。
窮して部屋の隅の菊代に助けを求めようと視線を送るが、彼女は袖で口元を隠して笑いを堪えていた。和明の反応が面白いようだ。
どうやら、これは和明がそれっぽい事を言わなければ収まらなさそうだ。柄じゃないなと思いつつも、和明は顔を引き締めて言った。
「いや……俺がやった事は、みほさんやまほさんが実力を出せるように手助けしただけさ。やっぱり、凄いのは勝つだけの実力を持っていたみほさんだよ」
「そ、そんなことは……」
「それに、その……気絶こそしたけど、俺も、良い経験をさせて貰った訳だし」
「………!」
寝ぼけながら和明に口淫したことを思い出したのか、みほの顔が急に赤くなる。
言葉が出なくなったみほをフォローするようにまほが言った。
「和明さん、横浜に戻られた頃にまた連絡させてください。みほが一緒に行きたい場所があるそうです」
「ああ、喜んで」
「……角谷様、篠原様もまだ疲れが取れ切っておりませんので、この辺りで」
「はい、お邪魔しました」
そろそろ水の入れどころと踏んだ菊代が杏に声をかける。杏も長居する気も無かったのか、それを受けると何処からか薄い袋を取り出し和明の前に置いた。
「……干し芋?」
「ウチの名物のひとつです。大洗に寄る事があったら是非ウチにも来てください。特製の鮟鱇鍋をご馳走しますから……それじゃ西住ちゃん、帰ろうか、大洗に」
「はっ……はい!」
「菊代さん、私は飛行船で一度黒森峰に戻ります。和明さんの事、よろしくお願いします」
「はい、お気をつけて」
杏が立ち上がり、みほが慌てて続く。まほは菊代に一言伝えると、和明に改めて一礼してから二人を追う。
三人が去り、再び休憩室内は和明と菊代だけになった。
「さて……それでは篠原様、改めてお食事を」
「自分で食べます」
再びレンゲを手に雑炊を掬おうとした菊代に、和明は今度はきっぱりと断った。
「申し訳ありません、母上」
「二人だけの時に『母上』はいいわ。それに、大学選抜としての面子こそ潰れはしたけど島田流としては貴女単騎で十数両を撃破し、西住姉妹を相手に二対一で立ち回り西住みほには白旗を上げさせた。『大学選抜の一般メンバーの実力があれば勝っていた』という程度には島田流の強さは示したと言えるわ……皆に示すためとはいえ、さっきの全体会では厳しく言ってごめんなさいね」
大学選抜演習艦・島田千代専用執務室。精巧な彫刻が施された机を挟み島田千代と島田愛里寿は言葉を交わしていた。大学選抜としての全体の反省会を終え、
背筋を伸ばし、まっすぐに千代に顔を向けてこそいるが愛里寿の表情は暗い。そこに浮かぶのは不安と落胆だ。
そんな愛里寿の表情を晴らすような柔らかい口調で千代は更に言った。
「だから愛里寿、礼の約束の件については了承します」
「っ!? それじゃ……」
「ええ。ボコミュージアムへの諸経費の出資、させてもらうわ」
「……ありがとうございます、お母様」
ぱっと愛里寿の表情が明るくなり、千代は微笑む。娘の笑顔のために
「そして、そこまで愛里寿が実力を発揮できたのも和明君のお陰……彼にもお礼を言わないといけないわね」
「そういえばお母様。和明さんが向こうで体調を崩したと聞きました。艦にも医務室はありますが、乗れないくらい酷かったの?」
「一時的にね……今は、もう体調を戻したそうよ」
安心したのか、愛里寿は日頃の千代に話しかける時の少し砕けた口調で問いかける。千代は詳しい事情を愛里寿に話してはいない。只でさえ敗北で落ち込んでいる娘に「西住姉妹の二人とも和明に抱かれて調子を戻した」とわざわざ言って更に曇らせる必要はない。千代は愛里寿に言った。
「ねえ、愛里寿。和明君の事は好き?」
「その事で、私からもお母様に聞きたいことが」
「何かしら?」
愛里寿の問いかけに、千代は意外に思いつつも表面上は何気なく聞き返す。
自分の感情をどう表現すれば良いか測りかねているのだろう。愛里寿は少し考えてから言った。
「私は和明さんとは数度会っただけで、和明さんの好きな食べ物も趣味も、何も知りません。でも……」
「ここには私達だけよ。恥ずかしがらず言いなさい、愛里寿」
「……今、私は欲求不満などを感じていません。先の戦いで自分の全てを出し切ったと感じています。それでも……和明さんに抱かれたい。そう感じています」
愛里寿の頬に朱が差す。千代は無言で娘の次の言葉を待つ。
「………」
「お母様、私のこの感情は『好き』と言っていいの? それとも、単に欲情しているだけ?」
「……それは、とても難しい質問ね」
机の上で指を組み、千代は言った。
「プラトニックラブなんて言葉もあるけど、基本的に恋愛と肉欲は生物の本能的に切り離せない。好きだから抱かれたい。また逆に、相手が性的に魅力的だから好きになる。これはどちらも間違っていないわ」
「じゃあ、私の場合は?」
「好きになってゆく過程で交際し、時間を共有することで色々な事が見えてくる……その人のもっと良い所も、あるいは悪い所もね。その人をもっと好きになる時もあれば、嫌いになってしまう時もある……愛里寿、まだ貴女はその感情が『好き』かどうか判別できない場所に居るわ。もっと和明君と接して、時間をかけて理解してゆきなさい」
「分かりました。ありがとうございます、お母様」
まあ、前の処女より先に尻穴を貫かれた後で好きも嫌いも無いものではあるのだけど。千代は内心でそう付け加える。
しかし、愛里寿が和明に好意を抱いているのであれば
「ねえ、愛里寿。相談があるのだけど……」
窓の外で鈴虫が鳴いている。
「うぅん……」
常夜灯の弱い光が照らす休憩室内。和明は唸りつつ寝返りを打った。
「うぅん……」
暑い訳ではない。八月末の北海道の最低気温は横浜の秋のそれに近く、むしろ涼しさを覚える程だ。
「……うぅ」
何度か寝返りを打ってみたが、どうにも意識が眠りに落ちてくれない。おそらくは昼間に眠りすぎたためだろう。
体のだるさは残っているが眠ることも出来ない、何とも困った状況である。一人ならば抜いてスッキリして改めて寝る事も出来ようが、今は横で菊代も寝ている。「お休みの間に万一があってはいけませんから」と言って布団を持ってきて一緒に寝ることになったのだ。
まあそうでなくでも未だに和明の肉棒は本調子にはほど遠く、独りだったとしても勃たせて抜けたかは怪しいのだが。
そんな事を考えていると、ふと背中に声をかけられる。
「……篠原様、眠れないのですか?」
「あ……起こしちゃいました? 大丈夫です、そのうち眠くなると思いますから」
どうやら唸り声で菊代を起こしてしまったようだ。申し訳なく思いつつ、和明は安心させようと答える。
「………」
菊代は答えない。
「(……ん?)」
もぞもぞと背後で菊代が動く気配がする。和明の被っていた毛布が持ち上げられ、彼女の体温が急に近くなったように感じる。
和明は驚き、菊代の方に向き直ろうとした。
「ちょ、菊代さ……んぷっ!?」
寝たまま振り向いた和明の顔が柔らかな双丘に挟まれる。同時に頭に手を置かれ、優しく髪を撫でられる。
菊代は寝間着も和風の着流しのような服を着て寝ていたが、胸元を緩め、そこに和明の顔を迎え入れたようだった。
「よし、よし……」
抱きつくでもなく、かといってただ身を寄せているだけでもない。菊代はこちらが苦しくない程度に抱き寄せ、頭を撫でている。
寝る前にベビーパウダーを叩いていたのだろうか。サラッとした肌の感触と共に甘い匂いが和明の鼻孔をくすぐる。
柔らかな乳房であった。穏やかな弾力が和明の頬を押し返しながらも、全体としてはビーズクッションをより柔軟にしたような感触で頭全体を枕のように包んでいる。大きさも相当のはずだ。
「昔、お嬢様がたの寝つきが悪い日にはいつもこうしていました。落ち着かれるまで、少しこうしていますね」
「菊代、さん……」
「ンッ……」
彼女の谷間に包まれながら息を吸い、吐く。菊代の口から吐息が漏れる。
本来ならば興奮すべき場面なのだろうが、不思議なことに和明の中からは性欲が溢れることは無かった。
菊代の撫でる動きは愛撫でなく疳の虫を起こした子供をあやすそれで、また胸の谷間に和明の顔を埋めさせつつも、それ以上の行為を行う気配も無かった。
「(ああ……そうか)」
その時、和明は何となくだが理解した。
和明の肉棒に触れて勃起の具合を確認した時も彼女は和明に快感を与えようとかでなく、あくまで調子を確かめるためだけにやっていた。おそらくは尿かぶれを起こした子供の性器を確認するような感覚だったのだろう。菊代にとって、まだ自分は性の対象ではない、世間擦れもしていない「子供」なのだ。
同時に和明は自分の意識が眠りに落ち始めている事に気づいた。頭に靄がかかり、瞼が重くなってゆくのが分かる。
「……菊代さん」
「どうしました?」
「菊代さん、は、長いん、ですか?」
半分眠った意識から出た途切れ途切れの、言葉足らずの質問。しかし菊代は理解できたのか小声で答えた。
「ええ。みほ様やまほ様のお生れになる前から家元にはお仕えしています。お嬢様がたのオムツもお取替えしていました」
「そう、です、か……なんで、しほさん、に?」
「わたくしも拙いながら若い頃は戦車道を修めておりまして。そこで今の家元にお会いして……この方の支えになりたい、そう思いまして」
「それで、その……んっ、相手、探しも、です……か」
いよいよ八割くらいの意識が眠りに落ちてきた。
「はい……ですから、わたくしとしても篠原様には感謝しております。篠原様と交わるようになってからの家元は、わたくしから見て若返ったと見紛う程です」
「あり、が……」
和明の息が吹きかけられたことで菊代の谷間は湿気を含み、甘い匂いがより強くなる。もう九割は眠りの中だ。
「……お休みなさいませ、篠原様」
菊代の声を子守唄に、和明は今度こそ眠りについた。
翌朝、和明が目覚めた時には既に菊代は起床しており、朝食の支度までができていた。
会場の撤収も完了し、宿舎も次の利用までは閉鎖されるとの事で慌ただしく朝食を摂り終えると菊代は窓の外を見て言った。
「……来たようですね。篠原様、では二時間ほどで横浜までお送り致します」
「二時間って事は……」
「はい、アレでございます」
近づくヘリの音で和明が察すると、菊代は微笑んで上空から接近する軍用輸送ヘリを見上げた。
そこからは瞬く間に横浜へと帰還し──数日は何事もなく過ぎた。
店長の厚意で一日、二日は休ませて貰ったが、店長の腰の調子も悪い中で和明は貴重な男手である。仕事に復帰し、いつもの生活リズムになってゆく中で体調も戻り、起床時に朝勃ちする程度には回復してきた。
『さて、次の話題は先日北海道で行われた大学選抜対大洗女子学園のプロリーグ想定戦について! リスナーの皆からもこの試合についての感想を色々と貰ってるわ。まずは一人目、ラジオネーム「紅茶の園のダージリンティー」さんからのお便り……』
店内に流れるラジオ番組「蝶野が斬る!」でも先日の試合について盛り上がっている。この試合に自分が(肉体的な意味で)深く関わっていた実感が未だに沸かない。
「ふぅ……店長、お疲れ様でした」
「はい、お疲れ」
店長はいつも通りだ。本番でダウンした事を責めるでもなく笑って許し、今まで通りに働かせて貰っている。
その日のシフトを終え、和明は鞄を肩にかける。
「……ん?」
その時、マナーモードにしていた携帯が震えた。画面に表示された名前は「島田千代」。
「………」
呼吸を整え、和明は電話を取る。
「はい、篠原です」
『島田です。
「ええ、お陰様で。こちらこそ心配をかけてすみません」
表面上は普通の挨拶。
しかし、千代は初手から和明の事を名前で呼んだ。この意味は──
『それなら良かったわ。それで和明君、もし時間が空いていればなんだけど……この後、会えない?』
「大丈夫です、特に予定も無いので。えっと……何処に行けばいいですか?」
『……「私たちの初めての場所」と言えば分かるかしら?』
千代の声に艶が増す。
「……はい、分かります」
『良かった。それじゃ、待ってるわね』
おそらくは其処にしほも居るだろう。そして、二人とも和明に対して何らかの話があるはずだ。
自分にとっても初体験の場所である高級ホテル。そこへ続く道に踏み出しながら和明はごくりと喉を鳴らした。