その町に着くと、雨が降っていた。
だからってこれが不吉なサインという訳ではなく、ここは大抵こうってだけ。一年の大半が太陽に恵まれない。冬季は特に。
もともとお日様大好き!って感じでもないから問題ない。むしろ美白命!の私には大助かりだ。
母が駅まで迎えに来てくれていた。
「よく来たわね、ユイ。あなたがここへ来るのは、赤ちゃんの時以来ね」
「えっ?私、ここに来た事あったんだ」
その頃の記憶なんてあるはずもなく、私としては初めてこの地に足を踏み入れた気分。
母の故郷は降雪地帯。雪の時期はまだ先だけど、ちょぴりワクワクする。
今まで住んでいた地域は、あまり雪とは縁がなかったから。
「来てくれて嬉しいわ。これからはずっと一緒に暮らせるのね……!」
母はそう言って私を抱きしめた。
「そうよ。オヤジは相変わらずでさ~!イヤになっちゃう事だらけだったし」
「あんな人でも、あなたの父親よ。こっちへの引越費用や、学費だって出してくれたでしょ?」
「そんなの当然の義務じゃない?でもアイツ言ったの。高校は義務教育じゃないって!信じられる?」だから親が費用を負担する理由はないって!
こんなオヤジに似て短気な私は、つい「ならいらない!一円も出さなければいいでしょ!」って怒鳴り返したってワケ。
あとあと母が連絡を入れてオヤジを
「転入の手続きは済んでいるから、すぐにでもこの町の高校に登校できるわ。でもね、ちょっと距離があるのよ。お母さんが車で送迎するつもりだけど……」
「あ~!いい、いい!体力付けるためにも、自転車で登校するから」
私がここへ来る事で母の負担が増えるとしたら、来た意味がない。それに、七、八キロくらいの距離なら余裕だ。何せ、これまでスパルタ訓練を受けて来たんだから!
そう、私の師匠(私はこう呼んでいる)キハラ・アツシによって。
私が唯一オヤジの元を離れるのを躊躇った理由は、キハラと離れ離れになりたくなかったから。白状すると、私はキハラに恋をしている。もちろん向こうには全くその気なんかなく、私のただの片想いだ。それも叶わぬ恋。だって、あっちには婚約者がいるんだから……。
何とか踏ん切りをつけて、本格的な冬が来る前にとこっちへやって来た。思い立ったが吉日って言うじゃない?
母の軽自動車で、母の暮らすアパートに辿り着く。
「ここよ。何でも好きに使ってちょうだい。あっちの家とは比べようもなく狭いけど、我慢してね」
「全然!狭い方が落ち着くし。掃除も簡単でいいじゃない」
「おばあちゃん家の方が広いけど、あそこは山奥で不便だから」
私の父はヤクザのボス。広大な敷地にドデカい屋敷を構えている。大勢の部下(組員)がいて、彼らも寝泊りしたりするから。
当初キハラもそのうちの一人だったけれど、どういう経緯かオヤジに気に入られて私のお守りを任されたみたい。
祖父母の家については、母の姉一家が同居しているため、私達がご厄介になる余裕はない。
それに母は、着物の仕立てとか洋服の直しの商売をしているので、町中にいた方が都合がいい。
「長く電車に乗って疲れたでしょ。先にお風呂に入ってらっしゃい」
「ありがと。じゃ、そうさせてもらおうかな」
案内された自室に荷物を放ると、洗面用具を持って浴室へ向かった。
湿気を含んだ髪は、いつもよりも艶めいている。ロングヘアのこの髪は私の自慢のひとつだ。
鏡の中の自分を改めて見る。血色が悪くて不健康そう。肌は透明感があって透き通るようだけど、これじゃまるで病人じゃない?でもまあ、良く言えば美白って事で。
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翌朝も小雨が降っていた。
制服の上にレインコートを羽織り、構わず外に出て使い古しの自転車にまたがる。使える物は有効活用。この中古自転車はご近所から譲ってもらった物だ。
「行って来ま~す!」
「ユイ!初日からずぶ濡れで登校する気?乗って行きなさいってば」
「このくらいなら平気平気!道も確めたいし。じゃあね!」
母の申し出を断ると、立ち漕ぎで勢いをつけて走り出した。
雨は学校に着く頃に本降りになった。
何とか迷わずに来れて良かった。初日から遅刻なんてカッコ悪いし?でも思ったより時間がかかってしまった。もっと近道があるはずだ。今度晴れた日にでも、ゆっくり探す事にしよう。
こじんまりした教室に、十五名程の生徒がいる。担任に促されて前に出る。
「朝霧ユイです。どうぞよろしく」
「期の途中での転校で、何かと戸惑うかもしれないけど、皆協力してあげて」
は~い、と気のない返事がこだまして、早速授業が始まった。
「朝霧さん、よろしく。多香子って呼んで」
隣りに座ったメガネを掛けた女子生徒が声をかけてきた。長い髪を後ろで纏めている。
「私は知子で!多香子は学年一の秀才だから頼りになるよ!」多香子の後ろの席の子が続く。
こちらはとても元気溌剌のショートヘアで体格のいい子だ。
見るからに体育会系って感じ。
「よろしくね」教師の声が響く中、小声で答えてはにかんだ。
昼休みになり、声をかけてくれた二人と共に昼食を摂る。
好奇心剝き出しの、初対面の子達との会話が始まり出したその時だ。廊下から漂う冷たい気配に意識が向く。そこでは、男性教師らしき人と女子生徒が会話していた。こんな学校でありがちな光景なのに、私にはなぜか違って見えた。
気になったのはその男性。どこか空気が普通じゃない。
キハラのお陰で、私には様々な特技がある。中でもこの秘められた人の力を推し量れる目?
それによると、あの人は何ていうか……。
「朝霧さん?どうかした?」多香子が不安そうに私の顔を覗く。
「あ、ユイでいいよ。ねえ、あの男の人は誰?」
「ユイね、オーケー!あの人は新堂先生よ。ウチの学校の校医なの」
「校医?お医者さんって事?保健の先生じゃなくて」
「そ。この町、お医者さん少ないから、急患入ると行っちゃうけどね」
「それより!超イケメンでしょ!驚くのも無理ないわ」知子はなぜか自慢げだ。
確かにスラリとしていて見栄えはいい。いいどころか、まるで彫刻みたい!
そう思ったのは、どこか日本人っぽくない顔つきに加えて、肌が作り物のように見えたから。
対面の女子生徒は、対照的に顔を真っ赤にして俯き、何かを差し出している。
「いつもの光景よ。新堂先生に手作りのお弁当持ってく女子が、殺到するワケ」
「大抵は断られてるけどね~」多香子が続ける。
「何で?結婚してるとか?若そうだけど、いくつなんだろう」
「確か……二十七歳じゃなかった?あれでなぜか独身っていうから不思議よねぇ。何かあるのよ、きっと!」知子が意味深な事を言う。
「何かって?」
「だから、人に言えない秘密とか?きゃ~っ、エッチ!」
「ちょっと知子!ストップ。先生に聞こえるよ?何想像してんの!」
廊下をチラリと見て、多香子が知子に釘を刺した。
私はその人から目が離せなかった。それは陶器のように真っ白な肌のせいでも、目の下の薄紫色のクマのせいでも、その圧倒的な美しさのせいでもない。
得体の知れない冷気のようなものが、ひしひしと伝わってくるからだ。
新堂先生は、視線を感じたのか教室内にいる知子の方を見た。そしてその深い色の瞳は、チラリと私の方へ揺らめいた。
その瞬間、私は硬直した。殺気を感じた訳でもないのに、なぜか硬直した。
こんな事は滅多にない。対する向こうの態度は、私になんて全く興味なしって感じなのに!
「ちょっとちょっと!見た?今、新堂先生と目、合ったよ!キャ~っ、ヤバイ!!」
「はいはい……」多香子はため息混じりに相槌を打った。「ちょっと?ユイまで一目惚れしたとか言わないでよね?」ぼーっとしている私にも嘆きの入った声で言い放つ。
「そ、そんなんじゃないの。ただ…………」
こんな言葉は、周囲にいた女子生徒達のさらなる悲鳴によって掻き消された。
なぜなら、視線を反らしたはずの新堂先生が、再びこっちを見たからだ。
じっと見つめていた私と視線が絡む。今度はどこか、好奇心に満ちた目に変わっている。
堪らずに私の方から目を背けた。
「ねえ。新堂先生、まだユイの事見てるよ」知子が不安げに呟く。
「きっと転校生だからよ」
「でも……何だか、怖い顔してない?ねえ、転入早々、何かした?」
「何かって何をよ!私、今初めてあの人に会ったんだけど」こっちが聞きたい!
お弁当を渡し終えた女子生徒はすでにいない。廊下には新堂先生一人が残され、どういう訳か私をじっと睨んでいるらしい。手には丁寧に包まれたお弁当を持って。
「いつもはお弁当、断るんだよね?」
「うん……あれ?今日は受け取ったんだ」不思議そうに多香子が答えた。
「珍し~!!何なに?あの子が本命?うっそぉ!」両手を頬に当てて嘆く知子。
それに共鳴するように、周囲の女子もこぞって悲鳴を上げた。
「いいじゃん、別に!きっと先生、お腹空いてたんだよ」
一人冷静な多香子に男子生徒が賛同。くだらねぇ事で騒ぐなよ!と叫ぶ。
「ね、ユイ。ユイ?」
「え?あ、うん、そうだね」呼びかけられて、慌てて多香子の方に向き直る。
再び廊下に目を向けた時には、新堂先生の姿は消えていた。
「ねえ、新堂先生ってここの土地の人なの?」
「まさか!」見て分かんない?とでも言うように知子が応じる。
周りにいた女子生徒も会話に混じって、今や座談会状態。
「三年前に越して来たの。どこか外国から。どこって言ったっけ?ねえ」
あの顔立ちからすれば、異国の血が入っていてもおかしくない。
「って事はあの人、純粋な日本人じゃないんだろうね」
この私の質問にどの子も首を傾げる。どうやら誰も真相を知らない様子。
「あっ、思い出した!確か、ロシアって言ってなかった?そうよ!医務室にどこか外国の文字の本が置いてあったよね」
「ああ、あれね~。ならあの本はロシア語だね。そうそう、英語もメチャ上手かったよね!」
悪いけど、そのどっちも私は得意ですから!と心の中で訴えた。
これもまたキハラ師匠のお陰で習得した特技。なのにテストの点はなぜか良くない。
それにしても、新堂とかいう男の謎は増すばかりだ。あの異様な雰囲気が、外国人だからという理由だけで片付くモンですか!
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翌日もその翌日も、晴天で清々しい青空が広がった。
新堂先生は学校に来ていなかった。あのゾクッとする気配を感じずに済んで安心するところなのに、どこか残念がる自分がいる。
何だっていうの?私、ヘンになったのかも。
そして三日目は、どんよりとした朝を迎えた。
校門に着くと、前方で何やら人だかりが見える。その輪の中心にいたのが新堂先生だと分かって、思わず意識を集中してしまう。
しばらく様子を伺っていると、私に気づいたらしく、顔をこっちに向けた。
反射的にお辞儀をして挨拶するも、彼は奇妙な表情を浮かべて私を見つめるばかり。それもあからさまに体を強張らせて!
その表情は次第にトゲトゲしく、我慢ならないというように歪んで行く。
私は居た堪れずに、自転車のハンドルを握り締めて、急いでその場から走り去った。
その時、ふと気がついた。あの人の瞳が、明るいブラウンだった事に。
登校初日の昼休みに、廊下で見た時はもっと暗い色だった。髪の色がオリーブ系のブラウンなので、どこかチグハグな気がしたから良く覚えている。
さっきは屋外だったから光が反射していたとか。……こんなにどんよりなのに?空を見上げて、今にも降り出しそうな重たい雲を見つめた。
この日はこんな事ばかり考えていて、ぼんやりしていたのがいけなかった。
体育の授業中に、クラスメイトにケガをさせてしまったのだから……。
「ホンっトにゴメン!私、ダブルス向いてないね……」
「イタタ……っ。朝霧さんて、見た目より力あるね~。私が弾き飛ばすなら分かるけどさぁ」
「誰か、医務室に連れて行ってあげて!」
教師の叫び声に、真っ先に自分が手を挙げる。「私、行きます」
「ただの掠り傷だし、申し訳ないよ。こんな事で新堂先生のとこなんて!」
「いいのいいの、向こうはそれが仕事でしょ。ほら、立てる?」
私は尻餅を付いたままの彼女に、手を差し伸べた。
授業のバドミントンで、快く私とダブルスを組んでくれた彼女と、試合中に激突。
相手は私よりかなり体格が良かったのに、倒れたのは向こう。チビで青白くて、見るからに弱そうなこの私が打ち負かした(!)事に、周囲は大いに驚いていた。
こういうのは体重の問題じゃない。要は足腰の踏ん張り。これもスパルタ訓練のお陰……って、威張っている場合じゃなかった。
「ホント、大した事ないから。気にしないで朝霧さん!」
医務室行きを渋っていた彼女なのに、どう見ても行く気満々。どうやらこの子も新堂先生のファンクラブ(きっとあるに違いない)に入っているらしい。
医務室のドアを開けると、白衣を纏ったその人はさっそく私だけに敵意に満ちた視線を送ってきた。なるべくその視線を避けて、ケガをした子を引き渡す。
すると今度はさも迷惑そうに、あからさまに私から体ごと背けた。その背中からは、近寄るなオーラが出ているみたい!
「さあ。用がないヤツは出て行ってもらおうか?」
顔も上げずに言い放ち、ケガをした子に優しい笑顔を向けて手当てを始めた。
「……ごめんなさいっ、失礼します」
治療風景をジロジロ見ていた私も悪かったと、慌ててドアを閉めた。
閉めた後で考える。それにしても、あんな態度ってあり?心配でケガの様子を見ていたのが、そんなにいけない事?何もあんな言い方しなくてもいいじゃない!
段々イライラして、ドアに付いた小窓からこっそり中を覗いたけれど……。
大いに後悔した。まるで私が覗く事を想定していたかのように目が合って、それも不快感でいっぱいの黒の瞳(やっぱり黒だ)。視線で殺すって、こういう事を言うんだと実感した。
あの人の視線は明らかに狂気、いや凶器だ。物凄く感じ悪い!
こんなのってフェアじゃない。だって私はあの人の事を何も知らない。向こうは転入生の私の情報なんて、とっくに掴んでいるんだろうけど?
だからって私、何もしてないじゃない。サイアクな学校生活になりそう!
医務室から戻って来た彼女が、私の方に近づいて来て耳打ちする。
「ねえ朝霧さん。あなた、新堂先生に何かした?」
だから……何もしてないってば!「あの人が何か、言ってたの?」
「ううん。ただ、あんな先生初めて見たっていうか……いつも穏やかだからさ」
穏やかという言葉は、あの人には馴染みのないものに思えた。私にとって、って事だろうけど!
この異様な状況を相談できる相手は、母しか思い当たらない。
「お母さん、あの高校の校医してる人、知ってるでしょ?」
「新堂先生の事?もちろん知ってるわ。この町で唯一の外科医の先生よ」
「外科医?!内科じゃないの、あの人」
「ええ。どんな難解な手術もやってのけるって。とっても優秀らしいわ」
私は絶句した。何でそんな優秀な外科医が、わざわざ校医なんてお金にならないような仕事を?
「この町にはそもそもお医者さんが少ないの。今までの先生はご高齢だから」
そんな時に、ちょうどあの人がロシアから越して来た?……怪しい!校医は慈善活動って訳か。私にはどう見ても〝いい人〟には見えないけど!
この語り口から、母も彼の異様さは分からないみたい。一体どうなってるの!