※この作品はR-18です。

トキヨジセツ~第一部・愛した人はヴァンパイア~   作:氷ユリ

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15 血の告白(1)

 

 昨日の出来事が夢じゃないと証明される瞬間が、もうすぐやって来る。

 

 待ちきれずに自室の窓から外を覗くと、もうそこに黒のベンツは停まっていた。

「夢じゃなかった!」

 私はウキウキが止まらず、気もそぞろで着替えをして朝食を摂り、バタバタと支度をした。

 

 

 先生が車の中で待っている。私の方は見てないから、まだ気づいていないのだろう。

 

 たまにはこっちが驚かせてやろう!

 そっと近づいて勢い良くドアを開けてみる。

 

 けれど全く驚いた様子はなく、それどころか向けられた笑顔があまりに完璧で、逆にこっちがたじろいでしまった。やっぱりこうなるのか……。

 それにしても先生?出発する前から、私をどうする気?

 

「おはよう。早過ぎたかな。待ち合わせの時間より三十分も早く着いてしまった」

「全っ然。大丈夫よ。本当に夢じゃなかったんだって、三十分早く気づけたもの!」

 そう返しながら、目どころか体ごと彼に釘付けになる。

「まだ言ってるのか?夢なんかじゃないって言ったろ」

「どうにも信用できなくって!」案外疑り深いのよ、私。

 

「それはそうと、俺の事は気にせず、もっとゆっくりでいいよ」

「大丈夫。私、身支度早いから問題ないわ」

 普段から大してメイクもしない。この国で出回っているイエロー系のファンデーションは、私の白すぎる肌の色に合わないし。母も無頓着な方だからか、そもそもあまり興味がない。

 

「どうした?乗らないのか」まだドアの前で立ち尽くす私に不安そうだ。

「体調が良くないとか?」

「ううん。違うの。元気いっぱいよ」こう答えて、気を取り直して乗り込んだ。

 

 そんな先生の視線は、私の目の下のクマに釘付けだ。

 このクマだけでも消してくれば良かったか。元気いっぱい、という言葉が空回りしている気がする……。

 

「疲れてるみたいだが。本当に大丈夫か?」

 案の定、心配されてしまった。

「眠れなかったの。それだけよ」わざと素っ気なく答える。この話はもう終わらせて!

 私の願いが通じたのか、彼は言った。「そうか。それなら俺もだ」

「まあ、先生よりは眠ったかな」

 

 一瞬の間があって、その後私達は同時に吹き出した。

 

 エンジンを掛けて車を走らせた彼に尋ねる。「それで今日はどうする?」

 私のワクワクした顔が気に入ったのか、彼はしばらく見入っていた。車はもう走り出しているので、当然その間は前方不注意となる。

 

「なあ。ユイは、卒業して何かやりたい事とかないのか?」

 未だ無職、大学にも行っていないプーの私に探りを入れてくる。

「あるにはあったけど……」

「けど?」

 

 家がヤクザのせいか、私は悪を取り締まる側になりたいと子供の頃から思っていた。

 けれど家庭環境を調べられたら、例え私が首席合格を果たしても落とされるのは間違いない。

 

「いいの!もう諦めた。今は……特にないかな」

「それじゃ困るだろ。ユイの人生はこれからだぞ?」

「あ~、なら!都会に出て、街のパトロールでも始めよっかな!」

「…………それはダメだ」先生は言いにくそうに反対する。

「どうしてよ」

「危ない事はダメだ」今度はきっぱり。

「危なくないったら。まだ私の強さを認めてくれないの?」

 

 崖からダイブしたのに?

 さすがにこれは刺激材料として十分過ぎたから、口には出さなかったけれど。

 

「よし、決めた!今日のデートプラン」いい事思いついた!

「どういうの?」

「先生と勝負する、のは、たぶん無理だから……その辺の道場、破りに行こう!どう?」

「それ、おまえは楽しめるのか」

「どうだろ。相手の強さによるかな」

 もう体力・筋力は以前と同じくらいの水準に戻った。私はそう簡単には負けない。

 今ならキハラにだって一度くらいは勝てる?……それは無理か。

 

「ユイは相変わらず勇ましいな!そんなの見せてくれなくても、おまえの強さはちゃんと知っているよ」美しいひんやりした指先が、私の頬に軽く触れる。

「だったら何で?危険だなんて」

「俺がそう感じるのは、ユイを大事に思い過ぎてるからかな」

「なら、箱に詰めて飾っとく?」

 

「いやダメだ。それじゃユイらしくない。もっといいプランがあるんじゃないかな」魅惑的な表情でこんな事を言う先生。

 ああ、また。クラクラする。

「……うん。そうね。じゃあ新堂先生のプラン、聞かせて?」

 

 

 そうして彼が向かった先は、町の外れに広がる森だ。

 進んだ小道の先には、小ぢんまりとした平屋の白い洋風の家が建っていた。

 

「我が家に招待するよ。配達業者以外では、ユイが初めてのお客かな。ようこそ」

「それホント?私が第一号?」三年も住んでいて?

「プライベートでの付き合いは全くないんでね」知っているだろうと言いたげな口調だ。

「第一号、嬉しい!」

 私の返事に満足して微笑んだ彼は、私の背に手を当てて中へと促した。

 

 目の前の家は全然想像と違った。ヴァンパイアの家って、もっと暗くて湿っぽくて、お化け屋敷みたいなのを想像していたのに。まるでモデルルームのようにお洒落だ。

 

「あれは、ピアノ?」

 リビングの奥の窓際に、ひと際目立つ白いグランドピアノがあった。

「先生、弾けるの?」目の前まで進んでから、先生を振り返って尋ねる。

「ああ。聞きたいか?」彼は悪戯っぽい目つきで言う。

 この目、結構好きかも。「うん!聞きたい!」

 

 彼はゆったりとした足取りでピアノの前に来ると、椅子を引いて腰を降ろした。

 一度私の方を見た後、そっと鍵盤に手を乗せる。

 

 聞こえてきたメロディは、先生の車に初めて乗せてもらった日に車内で流れていた、あのモーツァルトの曲だった。楽譜を見ている様子もないのに完璧に(たぶん)弾いている。

「上手過ぎ!ピアニストでもやってけそうね……」あまりの腕に舌を巻く。

 

「俺はロシアで生まれ、転生するまでサンクト・ペテルブルグで暮らしていた。母がこの楽器を好きだったと父から聞いて始めたんだ。母は俺を産んですぐに死んでしまってね」

 彼が弾きながら生い立ちを話してくれた。

 私はソファーの肘掛にちょこんと座って、先生の手元をひたすら凝視する。

 

「辛い時や悲しい時、良く弾く。音楽は唯一心を癒してくれるから。おまえに出会うまではね」

「それって、今は私が先生を癒してるって事?」なら、嬉しいんだけど。

 私の疑問に答えるように、先生は軽くウインクを飛ばした。

 

 ……うっ。今、胸に矢が突き刺さった!これ以上私を虜にしないで。

 

「四人兄弟の末っ子。これといって優秀でもなく、父は俺に何の期待もしていなかったはずだ」

「新堂先生って、いつ生まれたって?」そういえば肝心な事を聞いていなかった気がする。

「十九世紀だ。詳細には一八一八年。驚いたろ」

「それってナポレオンとかが活躍してた頃だっけ?」

「ナポレオンが皇帝になったのは、俺が生まれる前だがね」

 

 こんな会話をしながらも、彼はピアノを弾き続けている。

 

「当時のロシアはアレクサンドル一世の統治。まさにサンクト・ペテルブルグが発展し始めた頃だ」

 そんな説明を聞いていたら、急にロシア語が話したくなった。

「ヤ・ハチュー・ダイェーハチ・フ・ピェテルブールグ!」

 私の口から飛び出した突然のロシア語に、彼はかなり驚いたみたい。

 微動だにせずに私の方を凝視している。再会後初の彫刻となる。

 

 演奏が中断されて、室内は静まり返った。

 

「シトー・ス・ヴァーミ?」

「ユイ、ロシア語できるのか?」彫刻がしゃべった。

「ダー?ニムノーガ!」

 驚くなかれ、それだけじゃない。キハラは私に英・仏・独・伊も仕込んでいるのだ。会話だけしかまともにできないけれど。

 

 先生の口から、ネイティブのロシア語が発せられる。とても真似できない美しい話し方。

 まるで魔法の言葉か何かみたいに聞こえる。この人はきっと何を語っても美しいのだろう。

 

「先生は、ロシア語の方が慣れてるみたいね」

「そうでもない。感情を言い表すならば、日本語が適していると自分では思ってる」

「そうなの?」

「済まない、中断してしまったな」ピアノを見て言う。

 

 私は笑顔で首を振って否定した。

 

「なら、ロシアに行くか?」

 さっき私は、いつかロシアに行きたいですとロシア語で言ったんだけど、これに対する答えをくれたようだ。「連れてってくれるの?」

「ああ。ロシア語を話せるのに行った事がないなんてもったいないよ」

「嬉しい!けど、旅費どのくらいかかるかな……。結構必要だよね」

 今の私は無職。子供の頃からの貯金だけで賄えるはずはない。母にねだるのも悪いし。

 

「そっちの心配はいらない。俺が全て負担する」

「でも悪いよ。私が行きたいって言ったんだし」だから、いくらかかるって?

「いいんだ。払わせてくれ。金の使い道がなくて困ってたくらいだから」

 教えてくれる気はないらしい。使い道に困るなんて。何て羨ましい!

 それもそうか。二百年近く医者をやってて食費もいらなければ、どんどん貯まるもの。

 

「ユイ?」

「あ、うん。ありがと先生。そうしてくれると助かる、けどお母さんに何て言う?」

 母は新堂先生と私が付き合っている事は知らないはず。面と向かって言った事はない。

「ああ……そうだな」

 

 しばし考えた末に、先生が口を開いた。「これは、一つの提案として聞いてほしいんだが」

「うん。どういうの?」

「婚約者をロシアの両親に会わせに行く、っていうのはどうかな」

 

 この人は今、サラリととても凄い事を言ったよね?何か、いろいろ順番間違ってないですか?!

 でも待って、提案って事は本気で言ったんじゃないって事?

 どう答えていいやら分からずに黙りこくる。

 

 案の定、先生が不安そうな顔になる。

「急に困るよな、ごめん、今のは無しに……」

 私は慌てて遮った。「無しにしないで!先生がいいなら、その方向でお願いします!」

「ユイ?」先生は良く分かっていないようで、首を傾げている。

 返事するの、早すぎたかなぁ。軽く思われた?

「あの……だから私は……!」

 

「俺的には結構真剣なんだ。ユイには軽く取られたかもしれないが」

 先生が自信なさ気に口にする。少し悲しそうな顔で。

 ああ、ダメ……、そんな顔しないで!

「私だって!ああん、もうっ!こうなったら、こっちから申し込むわ。新堂先生、私と結婚してくださいっ!」

 

 言ってしまった。今ならありだけど、逆プロポーズを十九世紀の人はどう思うか。

 

 ああ、焦りすぎた。もう、ユイのバカバカ!あの時だって私の大失敗だった。あの初キスの時!何しろ自分から突進したのだから……。それであんな事態になってしまったというのに。

 でも、こういうチャンスを逃したら、もっとバカだと思わない?

 もう二度と離すモンか!

 

「その、済まない、少し驚いて……」先生は口を薄く開いたまま、呆然と私を見ている。

 やっぱり驚いてたか。「ごめんなんさい…………」どんな顔してればいいの?恥かしすぎる!

「なぜ謝る?本気じゃなかったとか?」

「そうじゃない!そうじゃないけど、先生、呆れたでしょ?私が考えなしにこんな……」

「呆れてなんかない。二十一世紀の女性は積極的だなと思っただけだ。だが考えなしには困るな。もっと良く考えた方がいい」

「訂正!考えなしだなんて。ちゃんと考えての上でよ?私は本気ですからっ!」

 

 一気に捲くし立てて先生の反応を待つ。

 

 やがて無表情だった彼の口元が、緩く弧を描いた。

「もちろん、喜んで受けるよ。ユイのプロポーズを」

「ホント?!やった!」思わず先生に飛びつく。

 ひんやりと固い体に予想以上に驚いてしまった。

「大丈夫か?痛くなかった?」先生が心配してくれる。

「私こそ。急にこういう事、しない方がいいのよね?ごめんなさい」

「いいや。前ほど辛くはないんだ。むしろ、こうしておまえの香りを嗅いでいたい」

 先生が私を抱きすくめ、首元で息を吸い込む。

 このまま時間が止まればいいのに。

 

「そうと決まれば、ミサコさんに正式に挨拶に行かなくてはな。その前に……」

「何?」

 彼は微笑んだだけで何も答えてくれなかった。

 

 

 少しだけと留守番を頼まれて、一人家に残された。

 

 

 

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