珍しく夜ではなく、まだ日が昇っているうち(もうすぐ夕方だけど)に、私達は街へ繰り出した。
夢にまで見たサンクト・ペテルブルグの街並みを、どうしても明るいうちに見たくておねだりした。何せここは、幼い頃から憧れ続けた街。遠い昔にテレビで見たあの日から……。
「一人でも良かったのに」
「行くなら付き合うよ、どこへでも。大して案内できないのが玉に
「どこへでも?」疑わしげに斜め上のサングラス姿の先生を見上げて確認する。
「何だよ」定位置の斜め下を見下ろして、彼が言い返してくる。
「ううん。別にっ!」
どこへでも、はウソだ。実際今も、極力人混みを避けて歩いている。日の光の下で、彼の姿はどうしても眩しく映る。つまり異彩を放ってるって事。
それについては別段不満はない。私自身も彼を人目に晒したくないと思っているのは事実だ。
それは単なる独占欲。見られたからって、何かが減る訳でもないのにね。
「ユイ?何を考えてるんだ?」
黙り込んでいつまでも見つめている私に、不安そうに聞いてくる。
「大した事は考えてないよ」
「どんな事でも教えてほしいな」
サングラス越しでも、彼が今どんな瞳をしているか想像できる。けれど、さすがに魔力はレンズを透過しないらしい。大助かりだ。
だから安心して本音を打ち明ける。「あなたの事、独り占めしたいなって思ってたの!」
「してるだろ。俺の目にはユイ以外入ってない。今までも、これからもね」
「新堂先生ってホンットにキザよね。こればっかりは生まれつきだと思うよ?」
良く分かってないって顔で肩を竦められた。本当にこの人って……罪なオトコ!
街が一望できる、聖イサク大聖堂の展望台に来ている。ガイドブックに良く出てる、ドーム型の金色の屋根が輝いているあれだ。これ、何と百キロの金を使っているとか!
高さは百一メートル、展望台までは六十メートルだから、そんなに高さはない。鳥の目線で街を見る感じ。
五月から九月の間は、二十二時半まで営業しているらしい。柱廊は午前四時半まで出入り自由っていうから凄い。夜明けまで入れるなんて、ヴァンパイアに打って付けの街じゃない?
「ここは一八五一年に、四十年もかかってようやく完成したんだ。俺が人間だった頃はまだ建設中だった」
「出来上がった時は、ここにいなかったの?」
「転生してすぐは、とても街にはいられないよ。北欧近くの深い森の中で暮らしていた」
「そっか~。なら、どう?改めて見て」
「ああ。こんなに美しい街に成長していて嬉しいよ。何より、ユイに好意を持ってもらえている事を誇りに思う」
私達は見つめ合って笑った。
それから先生は、私に水面からも街を見せてくれた。
小さな船で街を巡る。川の流れに任せて、ゆっくりと進んで行く。沈み行く太陽、なめらかな水面、そこに反射する建物と橋。人気のない静寂の中の瞑想の時間。
この時ばかりは、おしゃべりを中断してこんな風景に夢中になった。
夕食は市南部のレストラン四十一階で摂る。といっても食事するのは私だけ。一度でいいから、この人と一緒に食事をしてみたい。
そこはさっきの場所よりもとても高さがあったから、夜景がとてもステキだった。
家に戻った時には零時を回っていた。
「疲れただろう。もう寝た方がいい。さあ、寝室へ行こう」
先生に手を引かれてベッドへ向かう。
美しい街並みを堪能して、とてもいい気分。このまま彼と夜の部に突入したい……のに、ダメだ。目を開けていられない。
「お休み、ユイ。また明日」
「……先生?もう日付変わってるよ!ああん、待ってよ、新堂先生ってば……」
夢の入り口で、必死に眠りの欲求に抵抗しながら彼に訴えるのだった。
こんな調子で夕方から観光して周り、ぐったり疲れて帰宅して、即就寝の日々が続いた。
「ねえ先生?先生は食事、ちゃんと摂ってるの?」
ここへ来て彼の瞳が黒くなった事はない。
それでも、いつでも私の側にいてくれる彼が食事をしているのか気になった。
「ああ。ユイが眠った後でね」自分は眠る必要はないからちょうどいい、と先生が付け加える。
だから私を早く寝かせたいの?だとしたら、夜の部は永遠になしになっちゃうじゃない!
「心配してくれたのか」
私の気持ちになんて微塵も気づかず、嬉しそうに言ってくる。
「まあねっ!いつも私ばっか食べてるし?」
私が食事中はもちろん彼もフリはしている。時には赤ワインに見立てて、こっそり血をグラスに入れ替えて!なんて、そんな訳ないかぁ。
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こっちへ来て数週間が過ぎ、ロシアでの生活にも慣れてきた。
朝起きると、体が重だるくてお腹がじわじわ痛い。女子は本当に面倒。月に一度のこの時期が本っ当にキライだ。
「おはようユイ。どうした、顔色が良くないな」
トイレから出た私の顔を覗き込んで、先生が指摘する。
「うん…………」言い出しずらい。
悩んでいると、「月経痛か」と彼から言ってくれた。さすがはお医者さん、察しが良くて助かる。
「うん。私って結構酷い方でさ。今日は出かけるの、無理かも……」
「無理する事はない。たまにはここでゆっくりしよう」先生は優しく微笑んで言ってくれた。
「鎮痛剤を飲むといい」
ソファーでぐったりしている私に、先生は飲み薬を出してくれた。
弱々しく手を伸ばして受け取る。見覚えのある名前が印字されている。
「飲んでも効かないんだよね、大抵は。だから諦める。いいよ、出してくれたのにゴメンね」
薬を先生に返して言った。
「何だ、そんなに酷いのか。診察した方が良さそうだな」
「婦人科もできるの?新堂先生ったら!ビックリなんだけど」
「オールマイティさ。年輪が違うからな、一般の医者とは?」これまで何人分の人生を歩んで来たと思ってる?と笑う。
確かに。学ぶ時間は無限にあるしね。
それにしても診察ってどうやるの?婦人科健診の経験はまだない。
怖気づく私に先生が迫る。背中に腕を回され、膝裏を支えられて体が軽々と持ち上がった。
「ちょっと……、どこ行くの?病院はイヤよ!」例え大好きなペテルブルグのでも。
「寝室に戻るだけだよ」
私をベッドに戻すと、カーテンを閉める。たちまち部屋が暗くなる。
でも照明を点ける気はないらしい。
「先生、こんなに暗かったら見えないんじゃない?」
当然の指摘なのに、なぜか彼は悪戯っぽい笑みを浮かべているだけ。
「な、何よ」
「婦人科の診察がどういうものか知らないようだな。俺は別にいいけど。じゃあ、点けるか。その方が楽しめる」
「楽しめるってどういう意味?!待って!点けないで」
スイッチに手を伸ばした彼を慌てて制止する。
ヴァンパイアは暗闇でも十分視界が利く。私が恥かしいだろうと、気を遣ってくれた事にようやく気づく。でも、楽しめるって何?
「脱がせるよ。力、抜いてて」
彼は私のスカートを捲って両の膝を立たせると、下着に手を掛けた。
「あ!ダメ!血が、その、漏れるでしょ……」
生理中の人の下着を脱がすなんて!この真っ白なシーツがどうなるか分かってる?
恥かしさの前にそんな事を心配してしまう。
「気にするな」対する先生は、全く気にしていない。
下半身に外の空気が当たって、改めて恥かしさを覚える。
自分からはスカートの裾で見えないけれど、こんな箇所を誰かに見られる経験がない。そう、私は処女だから!
先生は何も言わずに、ただその部分を凝視している様子。
まさか彫刻に、なってる?ウソでしょ?ちょっと、勘弁して!早く済ませてほしいのに……。
「あの……新堂先生?私、どうしたら……」
居た堪れずに上体を起こそうと肘を付くと、目にも留まらぬ早さで、先生の手が私の体を押さえつけた。
そのあまりのスピードに驚いて体がビクッとなる。
「動かないでくれ。あと、静かにして。音をよく聞きたいから」
「音?」何か音がする?良く分からない事を言っている。
先生は質問に答えずに呟く。「……経血が邪魔をして見えないな。拭わないと……」
「先生?」どうも様子がおかしい。
暗がりでさえ、体を起こした彼の瞳が、怪しく漆黒に光るのが見て取れた。
まさか私の血で、我を忘れそうになっているとか?
どうしよう……。こんな状態で私にどうしろっていうの?下半身を丸裸にされ、押さえつけられている私に!
次の瞬間、あの部分にひんやりしたものが当たった。
またもビクッと反応してしまう。「ちょっ!ヤダ、先生?んん……っ、くすぐったい……!」
ようやく上体を起こせた。
私の足の間から、先生の頭が見え隠れしている。彼の両手は私の両膝に乗っている。……という事は、今あの部分に触れているのはやっぱり……。
「い、いや……っ。やめて!」私は反射的に拒絶した。
そう、彼は私の経血を舐め取っていたのだ。冷たい滑らかな舌が触れる感触は、恐怖と快感という相反する感情を私に与えてくる。
彼は本当に我を失っているの?だとして、こんなに優しくなんて……。
そこまで考えた時、痛みが走る。何かが裂けるような痛み。
「痛い!!痛いよ、先生!……何したの?」
「ああ、ダメだ。こんな行為は……!ユイ、済まない。診察どころか、おまえの処女膜を……」
シーツにはすでに真っ赤な血のシミが作られている模様。
痛みがあった箇所から流れたのか、滴っている経血なのか分からない、薄暗がりのシーツに広がって行く赤黒い部分。
怖い。この黒いシミが私をこの上なく不安にさせた。
勢い良く起き上がって、先生を振り払う。今の彼はもはや無抵抗も同然だった。
「何をしたの!……説明して」
「我慢できなくなった。おまえの匂いが、あまりに魅力的で……。この経血を味わってみたいと、ほんの一瞬考えただけだった。それがいつの間にか……」
「どうかしてる!そんなの、そんなのを味わうだなんて……」
きっと今の私は見れたモンじゃない形相をしていたはず。
おぞましいヴァンパイアの姿を目の当たりにして?
「その通りだ。こんな事なら、きちんとユイを抱いてやるべきだった。本当に済まない」
処女膜をこんな形で破られて、って哀れみ?彼は何について謝っているのだろう。
彼が力なく立ち上がり、私の前を通り過ぎようとする。
「ちょっと、どこ行く気?ダメよ先生、ちゃんと診察して。こんな事されて行かれちゃったら、私、どうすればいいの?」慌ててこう訴えた。
立ち止まった彼が振り返る。
その表情は激しい悲壮感が漂っていて、とても見ていられない。
「こういう事、経験ないんだからね?……責任とってよ、新堂先生」
まだ何の反応も示さない彼に、迷ったけれどこう付け加えた。「……さっきの、案外気持ち良かったり、したんだから……」
彼の目が大きく見開かれた。「今のは聞き間違いか?」
「違うと思うよ!」恥かしい!後になって恥かしくなってきた。
「軽蔑しただろ?こんなヤツが医者なんてって。俺はやはり人じゃない。これからも時として、人間が思いつかないような事をするかもしれない」
「ちょっとビックリしただけだよ。その、経験、ないからさ……。人だって、いっぱいバカな事するじゃない。気にする事ない。だって、ここまで来たらもう断れないものね、先生?」
これのお陰で、逆に壁が取り払われた気がした。
あんな訴えを起こしたけれど、本当は私も踏ん切りが付かないでいたから。どうやるのか、上手くできるのか。未知の世界への不安は、先生に負けないくらいある。
それに彼の完璧すぎるルックス。私なんて、胸は小さいし、まだまだ子供で全然つり合っていない。こんな自分に、本当に魅力があるのかって。ほら、性的な?
「ユイ……。いいのか、本当に?」
「逆に何が良くないのか教えてほしいわ。だって先生、今私の事傷つけた訳じゃないじゃない?」
あそこが裂けたのかと思うくらい痛かったけれど。
「分からない。ちゃんと診せろ。それから判断する」
暗がりの中、急にてきぱきと動き始める彼に、ようやくほっとした。
今度は経血を脱脂綿で拭いながら、慎重に診察をしてくれた。
「少し赤くなっている程度だ。舌を強く入れすぎた、申し訳ない……」
「恥かし~!!いいから、具体的な事言わなくてっ!」
真っ赤になる私を、穏やかに見つめる先生が言う。「とにかく、傷はなさそうだ」
良かった、気持ち、落ち着いたみたい。
「それでも、本当に済まなかった。ユイの大事な初体験が台無しだな」
「ううん。むしろこれで良かったかも。ホントはさ、怖かったんだ、その初体験が」
なぜ?と彼が不思議そうに聞いてくる。
「だって、痛いって聞いてたし。その、処女膜?破く時に血が出るとか……」
「処女膜というのは、曖昧な部分でとても薄いものだ。この繊細な舌は容易に判別できるが、する側もされる側も通常はそんな感覚はない」
ヴァンパイアは舌も繊細なのか。
「でも、すごく痛かったよ?」
「それはさっきも言ったが、強く入れすぎたせいだろう」
そうだったんだ。いろいろ分かって安心した。彼が医者で良かったと初めて思った。
「それで?どうだったの」話を戻して尋ねる。
「何が?」先生は何の事か分かっていない。
「味見して、どうだったかって聞いてるの!」だって知りたいじゃない?
彼が酷く驚いている。また彫刻になりそうだったから、慌てて付け加える。
「ほら!経血って、血だけじゃなくて老廃物が混じってるんでしょ?不味いんじゃないかなって思ったの!」
先生は目元にシワを寄せ、笑って答えた。「確かに。だからいい趣味じゃないって言ったんだ」
素朴な疑問が湧く。「こんなの味わったヴァンパイアって、今までいたのかしら」
「さあ。聞いた事ないな」と彼も肩を竦める。
「なら、新堂先生が初ね。ステキじゃない?何事も、初めてチャレンジするって」
「相変わらずプラス思考だな、ユイは!味の方だが、なかなかだったよ」