日曜日。
私の携帯に見慣れない番号から電話がかかって来た。国際電話のようだ。
「もしもし……?」
不審な声を出した自分が恥かしい。だって相手は母だったのだから!
『ユイ!元気にしてる?どう、新堂先生とはうまくやってるの?』
「お母さん!元気よ。もちろん順調。そっちは?まさか私に弟ができた、とか言わないよね?」
だって相手は情熱的なイタリア人。あり得る話じゃない?
『さすがにないわ。残念だったわね。それよりあなた達、婚約の状態でしょ?いつ結婚するのよ。新堂先生は何か言ってないの?』
そろそろ言われると思っていた。避けては通れない問題だ。
「お母さん。冷静に考えてみてよ。十代で結婚する人ってどんな人達か!」
『まあ……できちゃった人達かしら』
「いい線行ってる。焦る必要はない訳だし。私はもう少し大人になってからしたいのよ」
しばし沈黙が続いた。これ正論でしょ?どうか分かって、お母さん!
『でも、しといた方がいいんじゃないの?できちゃった後じゃ、それこそ不良よ?』
「でっ!できないから!ちゃんと考えてくれてるし。だってあの人お医者さんよ?」
そう言えば、ヴァンパイアって子供作れるの?
こんな疑問に頭を捻っている間に、それもそうねと、母があっさり納得していた。
そしてあっさり話題が変わる。『お正月に、おばあちゃんの所で会いましょう。ちょっと、聞いてる?ユイ』
「え?あ!うん、おばあちゃん
『新堂先生も一緒によ?』
そんな事、念を押さなくても大丈夫よ、お母さん!「分かった。伝えておくね」
こんな約束を交わして電話を終えた。
さっそく新堂先生に、母からこんな電話があった事を伝えに行く。
「ミサコさんが心配するのも最もだな。別の事に気が行っていて忘れていた」
「別の事?」セックス?私の身辺警護?いろんな意味を込めて問い返す。
「婚約したまま、いつまでもはいられない。だが……」
私の意向もすでに伝えた。彼は判断に迷っている様子。
私を見つめたまま動きが止まる。
「ごめんなさい。こっちからプロポーズしておきながら、結婚は待ってなんて。意味分かんないよね……」何だか申し訳なくなる。我がまますぎる。
でも何かで彼を縛っておかないと、どこかへ行ってしまいそうで不安だった。
絶対に絶対に、この人を手放したくなかった。
指輪の嵌まった左手中指を強く握る。
貰って以来いつも肌身離さずに着けている。今では、なくてはならない体の一部みたいになっているくらいだ。
「気にしなくていい。それに、ミサコさんが心配しているもう一つの件も」
「それって、できちゃった婚の事?」
遠くを見つめながら、先生は頷いた。
何の感情も映していないその瞳を見ていて、途端に彼が人に見えなくなった。
呼吸は意識してしてるんだろう(前に本人がそう言っていた)。肩が僅かに上下したりの細かな動きがあるから、彫刻には見えない。けれど、なぜか今の彼は人間にも見えない。
こんなに見慣れている私にさえ、どこか異様に見える。これがヴァンパイアの素の姿なのか。
彼は頷いたまま何も言ってくれない。説明は不要って事?「ねえ新堂せ……」
私が声を出した途端に彼が遮った。「生み出してはいけないんだ。この忌まわしい存在を!」
何?って事はつまり、できなくもないって事?急にこの人との子が欲しくなった。
だってきっと史上最強で美貌の持ち主になる事間違いなし!私だってそこそこキレイだし(!)、彼はギリシャ神話の神よ?だけどハーフって事になる訳で……。食事は何を与えるの?半分だけ不死ってどうなる?疑問の嵐が私の頭を駆け巡る。
「ユイ。今、何を考えていた?」いつの間にか彼が私を凝視していた。
「え?何って…………」先生の思いを覆して、子供が欲しいなんて言える訳がない。悩ませるだけだから。
答えない私に、明らかにイラつき始める先生。「言うんだ。何を考えていたのか」
先生が迫る。深いブラウンの瞳が暗示を掛けてくる。
ダメ、見ちゃダメ!そう思った側から口が勝手に……。「子供が、欲しい……なんて」
「なんて?」先生が繰り返す。
私は意思に逆らって何とか絞り出す。「なんて思わない」
これを聞いて、彼は満足気に頷いた。は~ぁ、どっと疲れた……。
「結婚は急ぐ事はない。ユイが納得できた時でいい。人にはそれぞれの事情があるものだ。そのくらいは大目に見てくれるさ」ようやく彼が微笑んだ。
「うん。ありがと、先生」
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こうして年末を迎える。寒い時期、この人と共に過ごすのはかなりの試練だ。
「寒くないか?」事ある毎にこうして聞いてくる。
「大丈夫よ。先生ったら、出会った頃じゃないのよ?私だって何かと学習してるんだから。そう心配しなくても平気だから」私もお陰で、大分寒さに強くなった。
今、車で母の実家へ向かっているところだ。
「ミサコさん達に挨拶して、少ししたら行くよ」
「ホントに行っちゃうの?先生も泊まればいいのに」
「そうは行かない。家中の全員を、凍死させる訳にはいかないだろ」
「言いすぎよ。あなたは雪女か何かだった?」
それだけでなく、ここの人達にはあまり関わらない方が無難かも。母の親族は妖怪の類いの伝説や謎めいた昔話がやたらに好きらしく、その手の事になると大袈裟に騒ぐから。
一緒にいられないのは残念だけど仕方がない。彼の正体がバレるよりマシだ。
私が親達と一緒なら安心だと、先生は久しぶりに遠出するつもりのよう。もちろん仕事(食事!)のために。
「新堂先生!ご無沙汰しております。娘はどうですか?ご迷惑かけてません?」
母は先生を見つけると、目を輝かせて走り寄る。
ちょっとお母さん、私より先に先生?その光景に思わずムッとしてしまう。
「こちらこそご無沙汰して済みません。ミサコさん、いやお母さん。先生はやめてください。私はあなたの息子になるのですから」
「あら、そうだったわ。でもねぇ……。先生は先生よ。ねえユイ?」
そこでようやく私に声がかかった。良かった、私の姿、ちゃんと見えてたのね!
「私もいまだに新堂先生って呼んでる」和矢さん、とか呼べな~い!「まあいいじゃない、先生で!ね?新堂センセ!」私は彼の肩を叩いた。
こんな力じゃ絶対に動かないはずだけど、今日の彼はよろめいた。
「まあユイ!先生を叩くんじゃありません!全く乱暴ね。ちっとも成長してないじゃない?どういう事?」その後もブツブツ小言が続く。
「まあまあミサコさん。今のは軽く触れられただけですから」
悪戯っぽい笑みを向けられ、思わず下を向く。
今のは、って強調するの、やめてくれる?
「ごめんなさいね、私の躾がどうも行き届かなくて。あの男が余計な事をいろいろと吹き込んでくれたお陰で!」
「お母さん!キハラの悪口は禁止!助けになってくれた事だっていっぱいあるでしょ」
私達親子の相変わらずの言い合いを、彼は静かに見ていた。とても眩しそうに目を細めて。
新堂先生の母親は、先生を生んですぐに亡くなったらしい。つまり初めて母という存在と、こうして接する事になる訳だ。義理のではあるけれど。どんな心境なんだろう。
こうしてしばし歓談の後、新堂先生は一人出かけて行った。
「残念ね……。今度こそお料理ご馳走しようと思っていたのに」
「しょうがないよ、こういう事は良くあるの。だって彼は優秀な外科医だから。あちこちから引っ張りだこなの!」という事にしておく。
あの人の優秀さについては、母の方が私より良く知っているだろうけど。
「だってお正月なのに?」
「お母さん、ケガ人病人に暮れも正月もないって!」
食卓にて。伯母さん一家も加わり、とても賑やかな時間だ。
「ユイちゃんにお相手がいたなんて、おばさんビックリだわぁ」
彼は宣言通り、皆にきちんと挨拶をしてから行った。
あの時は誰もが魔力を掛けられて何も言えなかったらしく、今になって様々感想が飛び交う。
「イヤだわ、姉さんには話したじゃない?」母が隣りの伯母の肩を叩く。
「だ、か、らっ!あんなイイ男って意味でしょ!イヤねぇミサコったら」
そこへ祖父が口を挟む。「俺はあの手は好かん」
「そんなあからさまに……イヤですよ、じいさん!ユイちゃん、気にしないでね」祖母がフォローを入れてくれる。
あの手、ってどういう意味だろう?
「ユイ。少しおばあちゃんからいい?」夕食後、祖母がそっと私だけに声をかけて来た。
祖母の内職部屋に連れられ、そこでお茶菓子を振舞われる。
「ありがと。でも夜は太るから食べない事にしてるのよ、ごめんね」
「いいのよ」シワくちゃの笑顔だけど、どこか母に似ている。
「それで、何の話?」こんなふうに呼び出される事なんて今までなかった。
祖母は、私の頭の天辺から、正座する膝小僧までをゆっくりと眺めた。
私の左手で光る指輪を見下ろして聞かれる。「それ、あの人から?」
「うん!凄くキレイでしょ。絶対に外さないって決めてるの」っていうか、どういう訳か外せないんだけど。
祖母が僅かに顔を強張らせて言った。「ユイが生まれた時、おばあちゃん思ったの。あなたはとても美しかったから。将来何か良くないものに好かれて、連れて行かれるんじゃないかって」
私はドキッとした。良くないものには、ヴァンパイアは含まれる?
「おじいちゃんが言った事、悪く思わないでね?あの人は嘘とかお世辞とか言えないから。でもあの程度で済んだのは、ちょっと意外だったわ」
「どういう意味?それって、私達の結婚に、反対なの……?」
祖母は頷くでもなく、ただ目を細めて穏やかな顔をし続ける。
「ユイが自分で選んだ人だもの。私達は口出しする権利はないわ。私達はみんな、あなたの幸せを願ってるの。ただ、それだけよ」
祖母の穏やかな顔が、また少しだけ歪んだ。
「それをもし奪う存在が現れたなら、私達は断固戦うから」
「奪う存在って?新堂先生が?誰もそんな事しないよ。戦うだなんて!おばあちゃんたら……案外過激なのね」
祖母の発言には驚いた。でも、本気だって事は良く分かった。
それにしても〝存在〟という言葉には違和感がある。人とあえて言わないのは、彼の正体を……知っているから?!
祖父も祖母も、新堂先生を受け入れていないし信じてもいない。悲しいけれどそれは当然だ、あの人がこの世のものじゃないと分かれば。
分かる人にはすぐに分かる。彼が人間として生きていない事が。
でも、邪悪か善かなんてすぐには判別できないよね?
自分がこんなにも大事にされている事が分かって、とても嬉しかったのは事実だけど。
その夜。母と同じ部屋で布団を敷いて横になる。
「ねえユイ」母が私の方に体を向けて言った。
「なあに?」
「今、本当に幸せなのよね?」
「どうしてそんな事聞くの?もちろん幸せいっぱいだよ。そう見えない?」
「そういう訳じゃないわ。ただ……」ふいに母が黙った。
何?お母さんまで何か感じたとか!心臓がドキリと鳴る。
ひたすら続きを息をのんで待つ。
「ほら、結婚は二番目に好きな人とするのが幸せの秘訣っていうじゃない?あなたは一番好きな人と……だから、どうかなって思ったの」
ああ、そんな事か。「お母さんだってそうじゃないの?それとも今の人は二番目?」
「……そうね。やっぱり一番好きな人と一緒にいたいわね」母は薄明かりの中微笑んだ。
障子の向こうに積もる雪が、青白い光を放っている。私は母を通り越してその障子に目を向けた。考え事を纏めるために。
母が本当に言いたかったのはこんな事じゃない。私にはそんな気がした。
「心配しないで、お母さん。彼は本当に私に良くしてくれてる。自分の事以上に大切に」
「ええ。見ていれば分かるわ。あなたが大事にされている事くらい。あなたも、彼の事を大事にしてあげるのよ?」
「はい、もちろんですっ!」私は満面の笑みで言い返す。
「まあ珍しい。素直なお返事だこと!」
「ヤダぁ、お母さん!私はいつも素直でしょ」どこが?と真顔になって聞かれる。
こんなやり取りをしながら、夜は更けて行った。
例え母が彼の正体に気づいたのだとしても、私達がお互いを求め合っている事を理解してくれた気がした。私達が、運命の二人なのだと。
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「新堂先生、今度は是非イタリアへ遊びにいらして、ユイを連れて」
「はい、近いうちに必ず参ります」
雪の積もる庭で、先生のベンツを前に別れの挨拶をしている。
「ユイ。先生を困らせちゃダメよ?いいわね?キハラに言いつけますからね」
「お母さんったら!こんな時ばっか、キハラを利用しないの!」
ふと先生の方を見ると、肩が小刻みに震えている。笑いを堪えているらしい。
私と目が合った先生は、大きく息を吐き出してから言った。「さあ、そろそろ出発しようか」
「は~い。それじゃあね、お母さん。弟か妹、できたらすぐに知らせてよね?」
母は、バカ!と顔を赤らめて怒りながらも、私達に笑顔で手を振ってくれた。
車内にて。
「弟か妹って?」雪道をゆっくり走らせながら先生が聞いてくる。
まだ後ろでギャラリーが見守っているから、いきなりスピードは上げられない。本当は雪なんて、この人には全然問題じゃないんだけど!
長年人間の世界で生活している彼は、そんな事もちゃんと弁えている。こんなところも凄いなぁ。こんな器用な事、私にはきっとできないだろうから?
「ユイ?」
「あ、ごめん。何だっけ」
「何考えてたんだ?」
彼はすぐに私が何を考えていたのか知りたがる。時にはめんどくさそうに!
言っておきますけど、考えが読めないのは普通の事なんですからね?
「新堂先生は完璧に人間になりきってるなって。感心してたのよ」
「どんなに完璧でも、意味を成さない場合もある。気づいたか分からんが、ミサコさんの両親は怪しんでいた」
「気づいたよ。もちろん」だから先生の話題にならないように、わざとお母さんの子供の頃の話なんかを持ちかけて、気を削ぐのに忙しかったんだから!
「怪しんでただけだからね?ダメよ、戻ってって手に掛けたりしちゃ!」
「ユイ。冗談でも言うな、そういう事は。頼むよ」
雪道から目を反らして私を睨みつける事、一分経過。
スピードメーターの針が徐々に上がり始めている。
ここまで離れれば大丈夫か。こんな雪の降り積もる三が日、外に出てる人もそうそういないと見えて人影はない。
「分かりました。ごめんなさい、もう言わない」
「素直だな。これも俺の魔力とやらか!」
「違うよ。今のは本当に私が悪いもの」まだ彼に見つめられているけれど、この気持ちは本心だ。
「分かってくれたならいい。それで、久しぶりの親子水入らずは楽しかったか?」
「うん。ありがとう、里帰りを許してくれて!」もう結婚した気分だ。
「ねえ?先生が結婚を急がないのはさ、もしかして……」
「もしかして何だ」
「結婚て当人同士だけじゃなくて、家同士が繋がる意味もあるでしょ。気にしてるのかなって。その……」言い出しにくい。モンスターが人間の親族なんてあり得ないと。
「まあな。俺の考えを読むなんて、やるじゃないか」
「ふふふ!でっしょ~?」
「もちろん良く思わない人達もいるし、そもそもあり得ない事だよ」先生が悲しそうに言う。
「分かってる。でも結局はさ、結婚するのは私なんだし!私が認めてるんだから……」
「おいおい!自分が言ったんだぞ?結婚が家同士の繋がりでもあるって。どっちなんだ?」
矛盾してるのは分かってるけれど、ああ……何言ってるんだろ、私?
「だから!あなたが家同士を心配してるんじゃないかって言ったの。私は関係ないって思ってるけど。分かった?」面倒だ。いい加減私の心も読んでくれないと!
「少しは分かってくれたか。心が読めないと心底イライラするんだ」
私のイラ立ちを察してか、こんな事を言ってきた。
「よ~く分かったわ。面倒よね~、人間って!」
でも、あの祖母の話を思い返すと、もしかしたら私達は共存できるかもしれないという期待も生まれる。皆に彼の善良さがきちんと伝わったなら。
もしこの人が受け入れられたなら、彼にも家族ができる。一度でいいから、彼に幸せな暮らしを体験してほしい。人間の頃にもできなかった体験を。
ヴァンパイアになった今も、人間の心を忘れていない彼なら、きっとできる。
私はそう、心から願った。