十九回目の誕生日を迎えたこの日、新堂先生が眩いばかりの笑顔で言った。
「ユイ、誕生日おめでとう」
ううっ……!これまた直視できないくらいに美しくて、思わず目を瞑っちゃったじゃない。
一拍置いて覚悟を決めてから、この神々しいオーラに立ち向かうとしよう。
「あっ、ありがと……。どうしたの?誕生日なんて。良く覚えてたね」
「覚えているとも。昨年は祝ってやる事ができなかったから。今年こそはと待ち構えてた」
そうなんだ……。
去年、先生は何も言わずに私の前からいなくなった。あの時の胸が潰れるような苦しみを、ほんの少し思い出して身震いする。
あれから一年が経つのか。先生が指折り数えてこの日を待っていたなんて驚き。でも、正直なところかなり嬉しい!
「さあ。何でも欲しい物を言ってご覧。プレゼントさせてくれ」楽しそうに聞いてくる。
「欲しいものねぇ……別にないよ。新堂先生がいてくれるだけで満足だもん」
本当の事だ。この非の打ち所のない完璧なルックスと、私を何よりも大事にしてくれる優しさだけで十分すぎる。
もう二度と、黙っていなくならないで。これだけだ。
「そんな事言わずに。何かあるだろ?洋服でも宝石でも。何なら新車はどうかな」
私は今、新車のBMWコンバーチブルを手にしている。これも彼が買ってくれた物だ。
「もう車は買ってもらったでしょ。あれ気に入ってるから。それに宝石ならこれがあるし。洋服も間に合ってる」ブランド志向は全くない。服なんて安くて十分!
「何だ。つまらん」
途端に彼はテンションが下がったらしく肩を落とす。
「それより!私のお願い聞いてくれるなら、今夜はとことん愛して?ね!」
彼に抱きついて顔を胸元にくっつける。
ひんやりとした体温が伝わってきた頃、やんわりと離された。
「冬はできないって言ったはずだ」
それは私が凍えてしまうから。この真冬に氷枕を抱きしめるようなものなので?
「何か方法があるはずよ、考えて?先生!それがプレゼントって事で。よろしくね!」
考え込む彼を残して部屋を後にする。
私はベッドにうつ伏せに転がって思った。本当はある。先生との子供が欲しい。
でもそんな事は絶対に言えない。今のとても良好な関係に自ら亀裂を入れるような事なんて。
ああ、それともう一つあった。大人の女の心とカラダが欲しいかな。な~んて、これを彼にねだるのは間違ってるよね。自分で磨けってハ、ナ、シ!
その夜、寝室に向かいドアを開けてぎょっとした。室内が真夏のような気温になっている。
「あっつ~い!エアコン壊れたの?」
「壊れてないよ。例の方法、考えたんだが。……却下か」また肩を落として言う。
そういう事か。「いいえっ!」理由が判明して、慌てて否定の言葉を発する。
私の答えを聞いて彼が室内に入って来ると、途端に幾分暑さが和らいだ。
「これならくっつけるもんねっ!」すぐさま彼に飛びつく。
「あまり勢いをつけるな!痛くなかったか?」心配気に私を見下ろして聞いてくれる。
「大丈夫だって!」
そう答えて、先生をベッドに押し倒す。っていうか彼が倒れてくれたの方が正しい。この人は固くて尋常じゃないくらいに強いから!
「相変わらず積極的だな」先生はおかしそうに笑った。
その上下する胸元に手を当てる。当然心臓の鼓動は感じられない。こんな事実を突きつけられると、否応なくこの人が人間じゃないと実感してしまう。
私と暮らすようになって、彼はさらに人に近づいたと思う。最近は以前のように私に執着したりもしない。影ながらしているのかもしれないけれど、そんな真実は知りようがない。
急に不安とモヤモヤが襲ってくる。
「ユイ……?どうかしたか」その不安を察したのか、彼の表情も暗くなる。
「ホントに先生の心臓が動いてないのか、確認してたの」
「なぜ?」彼が胸元にあった私の手を取った。
「何だか最近、先生が本当は人間なんじゃないかな、って思う時があるから」
されるがままになっていると、私はいつのまにか彼に組み敷かれていた。
私を押し潰さないように気をつけながら、先生が上から私を抱きしめる。
「残念だが、人間には戻れないんだよ」
「いいの、別にそれを願ってる訳じゃない。だって私ってば、もうただの人間とじゃ満足できそうにないし?」
「ふふ!言ったな?」
私達はもつれ合って愛し合った。体の隅々まで満たされる。
彼から注がれる愛は、どこまでも深くて熱い。体がこんなに冷たくても。
彼の甘い吐息に酔いしれて感極まった時、私の意識は途切れた。
ぼんやりと目を開けた時、私は酷く汗ばんでいた。隣りに先生が横向きに肘を付いて寄り添ってくれている。
「気分は?ごめんな、室温を上げすぎたようだ。まだ汗ばんでるな……」
冷たい手が額から首筋へ移動する。
とても気持ちいい。あまりに体がぐったりしていて、身動きするのも億劫だ。
「新堂先生?私、どうなったの?あんまり覚えてなくて……」
「最高!と言ったきり、気を失ったんだ」
「っ……ヤダ、恥かしい」こう答えたけれど、彼は決して私を辱めようとして言ったんじゃない事がすぐに分かる。
なぜなら、先生の顔は全く笑っていないから。
とても気遣わしげな視線を注がれ、まだ彼の手は私のあちこちの太い動脈を冷やし続けている。その手は首から脇の下を通り、すでに足の付け根に当てられている。
微妙な位置……あの部分が疼く。「あぁ……んんっ」無意識に喘ぎ声が自分の口から漏れ出た。
それに気づき、彼は手を引っ込めた。
「やめないで!気持ちいいから。触ってて、お願い」布団の中をまさぐり彼の手を探り当て、さっきの位置まで持って行くけれど、一瞬の隙に私の手は空になる。
「もうすっかり冷えてる。これ以上は体に良くない」
先生はあっさりと自分の手を奪還した。それも目にも留まらぬスピードで!
あまりの疲労感に、これ以上彼に盾つく事はできそうになかった。
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その週の終わり、会社を出たところで携帯電話がバイブする。
「もしもし?新堂先生、どうしたの?」
『済まない、これからオペが入って迎えに行けなくなった』
「え…………?」
予想外の展開に一瞬、言葉が出なかった。こんな事は初めてだったから!
『体調はどうだ?自分で帰れそうか。無理なら終わってからになるが、そっちに……』
我に返って慌てて遮る。「あ~!大丈夫!心配しないで。電車で帰るわ。体調も悪くないから。お仕事頑張ってね!」一気にこう伝えて電話を切ってしまった。
今週の私はずっと疲れ気味だったので、先生がとても心配してくれている。
本当は今も結構ぐったりなんだけど、彼が仕事を優先するのは本当に初めてだから、どんなに疲れていてもここは快く受け入れたい。
だってこれ、かなり大きな一歩じゃない?異様な執着からの脱却に向けて!
それから数週間が経っても疲労感は治まらず、さすがの新堂先生も私を病院に連れ出して、あれこれと検査を始めた。
寝かされたり転がされたり、胸をグリグリされたり頭をガンガン(音だけ)されたりと、終始されるがままとなる。採血の時だけは無駄な抵抗をしたけれど。文字通りムダな、ね。
「どこにも異常は見当たらない」
新堂先生の不服そうな視線を浴びるのは、ちょぴりいい気分だ。今に限っては不謹慎すぎるので口には出さないけれど。
「良かった良かった!だから病気じゃないって言ったでしょ?」
「まだ分からない。こうなったらもう当分、性行為はなしだ」
「何でそうなるのよ!決め付けないでよ、それのせいだって」
「なら他に何か、思い当たる事でもあるのか?あるなら教えてくれよ」
悲痛な叫びといってもいいくらいの表情。人間を装うったって大袈裟すぎ!これは教えてあげた方がいいかも?なんて考えてる場合じゃない!
「それは……っ」何かない?何か言わないと、本当にセックスレスになっちゃう!
「決まりだな。その方がいい。俺は前からそう思っていたんだ」
一人納得する先生に、私は不満でいっぱいになり、頬を思い切り膨らませて睨む。
「可愛くないぞ、そういう顔は。いい子にできないなら寝室も分ける」
「ああ~!!もうこれ以上は勘弁してください!分かったからっ」
彼の足元に縋って訴える羽目になる。膨れっ面なんてやめとけば良かった……。
一応、私達の寝室というのがあって(彼は寝ないけど)、私が寝静まるまでいてくれる。
その後彼は自由に食事に出て行くはずだ。その辺のところは良く知らなくて、必要以上に聞き出したりもした事もない。
どんなに仲が良くても、程よい距離は大切って事くらい今では理解している。
私も少しは大人になれたでしょ?
夜のお楽しみがなくなっても、私は幸せだった。
先生はいつでもとっても優しいし(面白いし!)美しいしで見ていて飽きない。美人は三日で飽きるなんて言ったの誰よ?
何よりも先生とのおしゃべりは白熱して留まる事がない。ヴァンパイアに質問できる機会があったら、誰だってこうなるはず。
「ねえ?新堂先生って、人の考えてる事も聞こえて、今も私の心臓の音とか聞こえてるんでしょ?それって、うるさくないの」こんな疑問が山ほどあるんだから。
先生は苦笑して答えてくれた。「さすがに、全部聞いてたら耐えられないよ。聞きたいものだけを聞くんだ。大抵の音はシャットアウトしてる」
器用ね!で合ってる?
「じゃあさ、泥団子、食べる気になれば食べれるって言ってたけど、その後どうなるの?胃の中に入った後。内臓は動いてないんでしょ」
「ああ。我々の体が吸収するのは血だけだが、いずれ毒で溶かされてなくなるよ」
「毒!何が毒なの?」
「体内の細胞全て、と言えばいいかな」説明が難しいと彼が顔を歪める。
なぁ~んだ。なら泥団子も泥水も何の効き目もないじゃない?あんなに躍起になって飲ませようとしていたのがバカらしくなった。
「だからユイ、セックスも危険だと思ったんだ」ふいに彼が真剣な顔で私に告げる。
「ああ………」毒が私の体に入って来るって事?
「心配しなくてもユイの中には何も残していないよ」何の感情もなくこんな事を言う。
「それって……っ」避妊行為をされていた事を知る。当然の事だけど何だか寂しい。
私の気持ちに気づいたのかは不明だけど、先生が私の頬を両手で包み込んだ。
彼は説明を続ける。「この毒には相手を殺す力はない。自由を奪うだけだ。血流を通して広がり、じわじわ効き始める」
「毒、か……。でも、血流って事は、血管に入らなければいいんじゃない?」
彼の手はまだ私の頬に当てられたままだ。
「ああ、恐らくは。だがおまえの性行為後の体調を見ていると心配になるよ」
目の前の彼が毒そのものだなんて。ならキスだって自殺行為かもしれないじゃない?
先生は淡々と続ける。「そして最後には、この毒がもたらす激痛に相手は動けなくなる。死ぬ事も叶わず、ただ苦しむんだ」
激痛と聞いて身震いがした。「激痛は、イヤかも」何とかこれだけ言い返す。
「分かってる。そんな事にはさせない」
「どうしたらいいの?イヤよ、私はもっともっと先生と一つになりたいのに!」
そう思っているのは私だけ?自分にそこまでの魅力があるとは思えないし。
「先生は、……そうじゃないんだよね。私とのエッチより血の方に魅力を感じるんでしょ」
こっちの方がよっぽど説得力がある。自信喪失。
けれど先生は言った。「ユイの血は……純粋な血という意味ではないが、味わったので良く分かる。これ以上に強大なパワーを持つものはあり得ないと。しかし、それを越える何かがあるんだ。おまえとのセックスには」
「それって?」期待を込めて聞き返す。先生も私と同じ事を思ってくれてる?
「分からない。ただ、抗いがたいというのは事実だ」
議論は時にこんな曖昧な終わりを迎え、そして時に質問が議論へと発展する。
盛り上がるジャンルとしては主に歴史。何しろ彼は生き証人だから!
私は戦闘機とか拳銃の話もしたいところだけど、先生は興味がないみたいだから、こっちはキハラとするとして、後は最新医療とか?こっちは議論というより、もはや講義に近い。
いつだって私の方が先に疲れ果てて、ダウンしてしまうんだけど。
本当に彼は医学についてあらゆる知識を持っている。勉強家で努力家。そんな彼が二世紀にも渡る膨大な時間を、どう過ごしていたのかとても気になる。
前に何人分の医者の人生を歩んだって話をしたけれど、ピアニストの道だってあるじゃない?
「医学は常に進歩する。終わりがないし興味が尽きないよ」
「どうせならもっと、他の分野もいろいろ学んだらいいのに」私だったら、今回はお巡りさん、次はデザイナーで、その次は女優とか?それって、なんて楽しそうなの!
「興味のない事は基本を学んで終了だ。掘り下げて学ぶ気にならないから、先がない」
「そうよね。私なんか学ぶ気にもなれないけど」基本勉強は好きじゃない。
「そういう意味では性にあってるんだろうな。多方面の医学知識を深めるのがとても楽しいよ」
新堂先生はこんな、根っからのお医者さんなのだ。医者は嫌いだけど、新堂先生は大好き!
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年月は過ぎて夏が近づく頃、定期的に行なっていた血液検査のある値に異常が現れた。
「この内分泌は生命維持活動にとても重要な働きをするんだ。これまでの疲労はこれが原因だったのか……」腑に落ちないという様子で一人呟く先生。
「血液に異常が出る前から、症状って出るものなの?」
「敏感な場合には現われるよ。悪化しないと病が発覚しないケースはザラだ」どこかイラ立ち気味に語る。「それにしても、何かがその不安要素を増幅させているとなると……それは」
そして何か答えを見つけた模様。
「何かって何が?」問いかけて私もハッとする。
ヴァンパイアの毒、という言葉が頭に浮かぶ。
「まさか!あり得ないって……!」
そう否定したものの、私達は見つめ合って黙り込んだ。
「ここ数ヶ月、一回もしてないのに……?」
「元々、その行為とは無関係に進行してるのかもしれない」
「でも先生、すぐに疲れるけど、元気だよ?私。そうでしょ?」これで病気だなんて言える?
「今はな。早くに発見できて良かった。心配するな。この時代ならきっと、ユイに効く薬があるはずだから」
何でもその昔は半数が死んでしまう病だったとか。でも有効な薬が開発されて、現在ではほとんどが寛解するらしい。寛解、これは完治ではない。症状が治まるという意味だそうだ。
こんなに元気いっぱいの私がどうして?病に侵された誰もが思う事を、やっぱり私も思った。
こんな事、心配性の塊のような母には絶対に言えない。
「新堂先生、お願いが……」
私は泣きそうな顔をしていたらしい。彼が驚いて、私の目元に指を滑らせる。
「そんなに怖がらなくていい。大丈夫だ。俺が治してやるから」
「違うの。お母さんには言わないで!心配させたくない。先生、治してくれるなら言わなくていいよね?」
一瞬悩んだみたいだったけれど、彼は了承してくれた。
こうして私は治療に専念するため会社を退職し、薬剤の種類が限られているこの国より、より豊富な品が揃うヨーロッパにも近いペテルブルグで療養を、という事になって、再びロシアへ発った。
「こんな形になって申し訳ない。せっかく仕事も楽しくなって来た頃だったろう?」
「どうして先生が謝るの?仕事は別にいいの。私は何よりあなたと一緒にいる時間が大事だから」
むしろこれで良かった。
自分磨きに精を出していた時期もあるけれど、先生以上に私の興味を引くものなんてないと分かってしまったから。何をしても身が入らないし、面白くないんだもの。
さらに彼は、治療の場を日本ではなく外国にした事にも、申し訳なく思っているらしい。
それについては当然、あなたがいればどこでも関係ないと断言したけれど。
ロシアの屋敷に到着して荷物を片付けると、早速病院へ連れて行かれる。
「徐々に医療機器を揃える。そうしたらもう病院へ行く必要はなくなるから。少し我慢してくれ」
「スゴ~い、私のためにそこまでしてくれちゃうの?あそこで開業できそうね!」
「開業はしない。プライベートの場所ではユイの事だけに専念したいんだ」生真面目な表情で淡々と返された。
けれどこの回答は素直に嬉しかった。
だって、こんな腕も見た目も完璧な名医を独り占めできるって事でしょ?
「嬉しい!ありがと!」
こうやって運転中の彼に抱きつくのにも慣れたなぁ。
その昔は良く固まっていた先生も、今では全然気にならないらしく、こっちを見る事もなく前を向いて平然としているもの。
「ユイ。行儀良くしてくれ。頼むから」
こんな指摘ができるくらい冷静なんだから。
だけどこれじゃ、私達ってどんな関係?時々、母に叱られているみたいに感じたりして。
相変わらず、自分の子供っぷりにはうんざりする!
病院には新堂先生の知り合いが大勢いるらしく、すれ違う度にあちこちから声をかけられた。
「先生って、案外、人間関係良好じゃない!」彼を手招きして屈ませ、耳元で小声で囁く。
彼はおかしそうに笑った。
一通りの検査を終えてすぐに病室に通される。
「さあ。すぐに治療を始めるよ。ベッドに横になって」
「え。検査だけじゃないの?」治療って何するの?怖い!根っからの病院嫌いなので。
「進行が思った以上に早い。手遅れになる前に始めた方がいい」
先生は点滴の袋を二つ運ばせ、手際良くセッティングを始めている。
「さあ。腕を」
「て、点滴?私、薬飲むよ」
「ユイ。今の話聞いてなかったのか?進行が早いんだ。内服では効果が出るのに時間がかかり過ぎる」
そんなに自分が切羽詰った状況にある事が信じがたい。体が多少重だるいだけで、他は何ともないんだもの。
そんな不満が顔に出ていたのか、彼が私に顔を寄せて囁いた。「俺とのセックスの痛みは平気なのに、点滴なんかで根を上げるのか?」
「んな……っ、こんな所でそういう事言う!反則よ?先生っ」
私の顔はたちまちカッと燃え上がる。
その様子に吹き出す先生。
「たまらなく可愛いよ、ユイ」そう言って、額に軽いキスをくれた。
その箇所がひんやりして、何ともいえない心地良さに包まれる。
いつの間にか私の両腕には、しっかりと点滴針が装着されていたのだった。