私は順調に回復を続け、ついに寛解の段階に入ったと先生に告げられた。
「良く頑張ったな。偉いぞ、ユイ」
先生が私を優しく抱きしめ、すぐに体を離す。
もう冬も近い。気温は一気に下がり出した。つまり、また彼とくっつけない日々がやって来たという事。当然私の機嫌はあまり良くない。病を封じ込められたっていうのに!
案の定、彼が不思議そうに聞いてくる。「ユイ?どうした。嬉しくないのか?」
「だって…………。私、冬ってキライ」
そう言って彼に手を伸ばす。
すぐにその手を掴んでくれたけれど、一度絡んだ指はすぐに外された。
「ほらね?これだからっ!」
「我がままを言うんじゃない。仕方ないだろう?冷えは人間にとって大敵なんだ」
「分かってるけど!……分かってるけど」
私は離されてしまった手を握り締めて下を向いた。
そんな私の頭に、ひんやりした手が乗ってポンポンと上下する。
「気持ちは一緒だよ。そんなユイに朗報だ。年末はイタリアで過ごさないか?」
「イタリア?お母さんに会えるの!」
「ああ。会いに行くって約束してたしな」
覚えていたんだ。やっぱり律儀な人!
嬉しい、一年ぶりに母に会えるのね。これも病に打ち勝ったご褒美かな。
向こうはこっちよりも温暖だと彼が微笑む。つまり、ここよりも彼にくっつけるって事!
こんな調子で私は、未だにどこまでも新堂先生に首っ丈なのだ。
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そしてついに、母と一年ぶりの対面を果たす。
ここイタリア・シチリア島は、太陽の光がサンサンと照りつけるイメージだけど、神様が味方してくれたのか今日は幸い太陽が雲に隠れている。
「ユイ!何だか、少し痩せた?」
こんな母の第一声にドキッとする。さすが鋭い。再会は、もうちょっと体重が戻ってからにするべきだったかも……。
「ダイエットよ、ダイエット!太りすぎてたから?幸せ過ぎて!ね?センセ」私は彼を引き寄せて同意を求めたけれど……。
「私も、もう少し丸みのある方が好きなんですけどね」彼のコメントは微妙だった。
もう!少しは話、合わせてよね?
憤慨する私を
濃いサングラスを掛けている。そんな姿は一見、ヤクザの元父を彷彿とさせるけれど、首元に巻いたスカーフがとても似合っていてお洒落だ。元父とは大違い!
[以下カッコ内は伊語]
「さあさあ!紹介するわね、あなた達の義理のお父さんよ」
「ピアチェーレ!(我が子供達。コルレオーネだ。よろしく)」
恰幅の良いその人は、私達に満面の笑みを向けて言った。良く響くテノール歌手みたいな声で。
この人がお母さんのお相手かぁ。ちょっと想像と違ったけど、いい人そうだ。
「(お会いできて嬉しいです。パパ、でいいのよね?)」
私が、はにかみながらイタリア語で返すと、父は(早速父と呼ぶ事にする)とても喜んだ。
父が視線を私から新堂先生に向けて、手を差し伸べた。
握手を求められている様子。
しまった!先に、この人冷え性だって言っとけば良かった。ああ、失敗……!
「ボン・ジョルノ、コルレオーネ。新堂です」
先生は躊躇いもせず手を出し、笑顔で快く握手を交わした。
ここはロシアと違って暖かいから、寒さで冷えてしまったという言い訳は通用しない。
どうしよう!一人あたふたしていたけれど、不思議な事に父が表情を崩していない。
……あれ?冷たくないの?
「ユイ、通訳、してくれないかな」耳元でコソッと彼が訴えてくる。
どうやらイタリア語は本当に分からないらしい。
「ああ!はい、もちろんっ!」考え事を中断して通訳に取りかかる。
母がいろいろと話してくれていたらしく、ほとんど自己紹介の必要はなかった。
「(優秀な外科医だそうで!仕事、きついんじゃないか?)」
これを通訳すると彼は言う。「いいえ、全く」
「先生!ダメよ、そんなふうに言ったら。私が適当に言っとくから」
何かと問題ありの彼の発言を、上手く修正しては伝えを何度か繰り返す。
「(こっちでも仕事が入る予定なんです)」私はこう締めくくった。
「(そうかそうか!こんなに若いのに、優秀な証拠だ。将来有望だな!)」
お父さん、お言葉ですが彼はずっと若いままですので!これは通訳できないけど。
そして先生が出かける理由は決まっている。もちろん仕事なんかじゃない。いや、本当に仕事もしているのか。本当のところは不明だけど。
室内に案内されて、ティータイムとなる。
家の中でも、コルレオーネはやや薄めの色のサングラスを着けている。
私達の視線に気づいたのか、父が申し訳なさそうに説明してくる。「(これかい?私の目は光に弱くてね。許してくれ)」
私は先生と顔を見合わせ、慌てて全然何とも思ってませんからと返した。
このやり取りを見ていた母が、今思い出したとばかりに「そうそう。話してなかったわ、ごめんなさいね」と付け加えた。
「(まあまあ掛けてくれ、二人とも。ミサコの入れたティーは美味しいぞ)」
「(あらやだ!お茶なんて誰が入れても一緒よ?あなた!)」
そんな事はない!と大袈裟な身振りで言い返すコルレオーネ。テノール歌手から舞台俳優に早変わりだ。
「とても仲がいいな、ご両親は」先生が顔を寄せて私に囁いた。
「そうみたい」
母はこんなに楽しそうな顔を、元父と一緒の時に一度だってしていただろうか。私の記憶の限りでは思い出せない。
「ユイったら、私の若い頃にそっくり。本当に幸せいっぱいって顔してるわ。ねえあなた!」
お母さん、その言葉そっくり返すわ。とっても幸せそうな顔、してるよ。
「(全く、美男美女カップルだな!まるで映画のワンシーンのようだ)」
両手でフレームをかたどり、私と先生をそこに収めて満足気に頷いてる。
「(パパったら。その私を生んだのは、あなたのお隣の人よ?)」
あまり彼に視線を向けさせないように努力する。
誘導にあっさり乗って、父の視線は母へ向けられた。そのまま愉快そうに肩を揺らして笑い、大袈裟に抱き合う二人。
先生が私の方を見て優しい笑みを浮かべている。
私はそっと先生の手を握った。彼も握り返してくれる。……ん?何かが変だ。違和感の理由がすぐには分からず。
しばらく笑顔のままの彼の顔を見つめていて、ようやく気づく。手がほんのり温かい事に!食事の直後以外は、彼の体で温かい部分は一切ない(心を除いて!)はずなのに。
先生の笑顔が含みのあるものに変わる。「おまえにしては反応が遅かったな!」
「ねえ、どうやったの?」二人がまだ抱き合っている(まだ!)隙に小声で尋ねる。
先生はポケットから、丸い手の平大の何かを取り出した。触れてみると暖かい。
「電池式のカイロだ」
なるほど。一時的でいいならこういう手もあるのか。
「考えたわね!」私は肩を先生に当てて押した。
たちまちひんやりが伝わってきてゾクッとなる。全身温めておいてほしいわ!
こうして父が先生を不審がる事もなく、楽しい団欒の時間は過ぎて行った。
タイミング良く彼の携帯が鳴り響く。
「失礼」携帯を掲げて断ると、席を立つ先生。
私はその姿を無意識に目で追った。
「相変わらず忙しいのね、新堂先生は」母も先生の去った方に目を向けていた。
「しょうがないよ。優秀なお医者さんって、皆こんな感じじゃない?」人間のドクターと付き合った事がないから良く知らないけど。
母が隣りにやって来て私の肩に手を置く。「そんなに寂しそうな顔しないの!」
「っ!悲しそうな顔なんてしてないしっ!」こう言い返すも、私のテンションがさっきの半分にも満たないのは明らかだ。
少しして先生が戻って来た。
「申し訳ない。今から少し出て来ても?夜には帰ります。できればこちらに泊めていただきたいので」私の方を見て通訳を促す。
「ユイ、いいわ」母が私に代わって父に説明してくれた。父はもちろん承諾した。
そして先生は、抜かりなく夕食は結構と言い残し、出かけて行った。
その晩、父と三人で母の手料理を味わう。食事中も話題は尽きない。
「(ユイ。お前達も、ここで一緒に暮らさないか?あの男は少し白すぎる。私のように小麦色になった方がいいぞ!どうだ?)」ワインも上手いし、ミサコの料理は絶品だと続ける。
残念ですがお父さん、それ、無理ですから。彼はワインも料理も堪能できないし、あの肌は太陽でも焼けないので。これについては羨ましい限り!
笑って誤魔化して、私達はロシアが好きだから遠慮します、とだけ答えた。
でもこの程度の感想で助かった。目の良くないコルレオーネは、彼の異常さにはほとんど気づいていない。肌の感触さえクリアすれば怪しまれないって、先生は分かっていたんだ。
相変わらず事前調査は抜かりない。恐れ入ります!
・・・
ユイが寝静まった頃、新堂が帰宅した。こんな遅くに帰ったのには理由がある。
「済みません、遅くなってしまって。父上は?」出迎えたミサコに頭を下げる。
「少し前にベッドへ。気にしないで、お茶でも淹れるわ、来て」
「いえ、あなたももう休んでください、ミサコさん」
こんな言葉をかけつつも、彼はその先の展開を知っている。彼女がイエスとは言わない事を。
案の定、ミサコは聞く耳持たぬといった様子で新堂をダイニングに通した。
勧められるままに腰を降ろし、新堂はお茶を淹れるミサコの後ろ姿を見つめる。
「遅くまで疲れたでしょう。ユイもずっと待っていたんだけど、もう寝かせたわ」
「ええ、それで結構です。ありがとうございました」
状況は聞かずとも把握している新堂だが、それを感じさせてはいけない。
「どうぞ」トレイに載せたカップの一つを彼の前に差し出す。
「ありがとうございます」
新堂はミサコから視線を外し、目の前に置かれたカップへと向けた。
そっと手を伸ばして、湯気の立ち上るカップに触れる。その温かさは彼にユイの肌の温かみを思い出させ、自然と笑顔になる。その表情はとても人間らしかった。
そんな彼を眺めながらミサコが言う。「私と新堂先生が親子になるなんてね。全然思ってもみなかったわ」
「私もです。娘さんが転校して来なければ、こんな未来はなかったのでしょうね」
そうよねぇ、とミサコが感慨深げに同意する。
そんな様子を不自然な程に見つめてしまう新堂。
「先生?どうかしました?」
「あ……。済みません、つい見惚れていました」これは
彼女をユイに重ねて見惚れていたのは事実なのだから。
「イヤだわ!新堂先生ったら。私はもう四十を超えてるのよ?それと、あなたの義理の母なんですからね?」
母、という言葉に衝撃が走り、思わず彫刻になりかける。
改めて瞬きや呼吸をいつも以上に意識する新堂。
ミサコの笑顔に変化はない。この場は何とか阻止できたようだ。
ユイと出会って以来、新堂は素のままでいる事に若干慣れた感がある。ユイ以外の人間との一対一は、久しぶりに気を遣うシーンだ。早々に退散しなければ危険だ。
何しろ相手はあのユイの母親。意外に鋭い感性の持ち主で、娘同様に考え方が吹っ飛んでいる。
こんな危険を冒してまでミサコと二人きりになる理由、それはユイに口止めされた例の件だ。
娘の体調について、母親には知る権利がある。主治医を仰せ付かったからには、その義務は果たさねばならないと新堂は考えたのだ。
「ミサコさん。一つ、大事な報告があります」ついに新堂は切り出した。
「何かしら。まさか、孫の顔でも見せてもらえる?」ミサコは頬杖をついたまま楽しげに尋ねる。
「それは……それについては、申し訳ないですが、その予定はありません」
まあ残念!とミサコが大袈裟に両手を広げた後に、冗談よ、と軽く微笑んだ。
「二人が元気で暮らしてくれれば、私はそれで満足だから。気にしないで」
「その事なんですが……」新堂は唇を噛む。演技ではなく自然にこんな仕草をしていた。
「どうしたの?」
下を向いたままの彼に、ミサコが念を押すように言う。「私にウソはつかないでね」
この言葉に観念したのか、新堂は顔を上げた。
「私はユイのパートナーであると同時に、主治医です。彼女の体調についての報告です」
「どうかしたの?」さすがにミサコも不安な様子だ。
「ご安心ください。事後報告です。病はすでに寛解の状態にあります」
新堂は簡単に病の内容と寛解について説明した。
「まあ……。そうだったのね。あの子ったらそんな大事なこと内緒にして!」
「お母さん!ユイを責めないで下さい」
新堂が初めてお母さんと呼んだ。
ミサコもその事に気づいて、自分の主張を一旦引っ込めた。
新堂は話を続ける。「ユイは、とても母親思いのいい子です。あなたをどうしても心配させたくなかったんです。それに、私が治せば問題は解決だ。私としては責任重大ですがね」
ここで肩を竦め、安心させるような笑みを投げかけた。
照明の元でも、彼の瞳はあり得ないくらいに美しく光り輝いている。
吸い込まれそうなその瞳を、ミサコはただ見つめる。
「どうか許してあげてください。それから、私が話した事はくれぐれもご内密に」
「もちろんです。言いません。話してくれてありがとう、新堂先生」
ミサコには彼の魔力が通じないのか、彼女は自分を見失う事はなかった。
「この際だから正直に答えて。再発も、あるのね?私よりも先に……あの子が死ぬ事は?」
直球で来た。彼女が考えている事は新堂には分かっていたが、こんなにストレートに口に出すとは思っておらず、しばし固まる。
だが答えは決まっている。新堂は口を開いた。「場合によっては、起こり得ます」
それはどこまでも冷静な、医師としての回答だった。
そんな自分の冷酷な言葉に後悔して、新堂は不安そうにミサコの反応を観察する。
だが、ミサコの反応も冷静だった。「そうですか。正直に話してくれてありがとう」
その様子に安心して、新堂は次の言葉を発した。
「大丈夫、そんな最悪の事態にはさせません。私がずっと側に付いています。きちんと体調管理をして行きますのでご安心ください」
ミサコにとっての最悪とは、どんな事態だろうか。例えば生きながらえるために、人ではない存在になったとしたら?
新堂がこれをする事はあり得ない。例えユイが切望しても。
自分がすべき事は医師としての役目を全うする事。再発させない。したとしても、また寛解に持ち込む事だ。ユイが、人間として生を全うするために。
「新堂先生、娘の事、これからも末永くよろしくね。何があっても私は、ユイの幸せ、そしてあなたの幸せを願っているわ」
「もちろんです。ありがとうございます」新堂は深々と頭を下げた。
娘の相手が人間でない事を知ってもなお、ミサコは自分の幸せまでも願うだろうか。あるいはすでに、全てを承知の上での言葉であるなら?新堂の中で様々な思いが錯綜する。
そんな今の新堂の表情はなぜか、未だかつてない程に安らかだった。