私達は今、レストランでディナーの最中だ。
「先生?どうかした?お食事、進んでないけど!」
からかい混じりに言ってみたけれど、数日前から彼の変化には気づいていた。こんなふうに上の空な事が、ここ最近何度もあったから。
「いいや。何もないよ。おや?ユイこそ、まだ食べてないじゃないか」
「え?そんなはずは……」たった今完食したはずだけど?
それなのに、手元の皿には手付かずのチキンステーキが。「っ……先生!やったわね?」
そう、これは彼の仕業。目にも留まらぬスピードで皿を入れ替えたのだ。
「ご馳走様。ゆっくり食べなさい」
「もうっ!そうやって私を太らせる気でしょ!」ヤケになって二皿目を頬張ってやった。
食べながらも彼から片時も目を離せない。どこか不安そうな顔。どうしたのかな……。
心配しつつも話題を振る。
「ねえ?今度は違うとこ行きたいな。私達のデート、いつも映画じゃない?」
「いいよ。リクエストある?どこがいいかな」
「水族館行きたい!それか動物園とかは?私動物って大好き!癒されるじゃない?先生は……」好き?と言いかけて気づく。動物はまずい、と。
「残念だが無理だ。動物達を怯えさせたくなければ、やめた方がいい」
そういう事。
二皿目を食べさせられているにも関わらず、目の前の人がヴァンパイアって事を忘れていた。
彼には、動物どころか昆虫一匹近づかない(お陰で蚊にも刺されなくて助かる)。彼をそんな場所に連れて行ったりしたら、異様な光景を見る事になるだろう。
動物達にとっては命の危機が(彼は決して動物を手に掛けたりしないけれど)迫るようなものだから……。生ある者は彼を本能的に恐れるって事。だから私が恐れない事が不思議らしい。
「ごめんなさい。これからはもっと良く考えて発言します」素直に頭を下げた。
こんな反省を何度した事か……。
「気にするな。ユイがどこに行きたいか分かって良かったよ。叶えてやれないのが残念だが」
私は首をブンブン振って言い返す。「それこそ気にしないで!」
「なあ。それなら海外旅行はどうかな」
「いいわね、どこに行く?」私は好奇心いっぱいで身を乗り出す。
なかなか話し出さない彼に首を傾げていると、意を決したというように口を開いた。
「実は、古い知り合いから会いに来ないかと誘われているんだ」
「それってどういう関係の人?」これが彼の心配の種なのだろうか。
説明によると、その人とは研修医時代(という想定)に北米シカゴの大学病院でお世話になったドクターだそう。もちろんその人もヴァンパイア。先生よりも年上の三十三歳との事。
「カーライル・カレンは、とても温厚な人物だ。家族もいる。もちろん転生後の、という意味だが。通常我々の間では集団と呼ぶんだが、彼らの繋がりはまさしく家族だからね」少し羨ましそうに、先生は語った。
「その人が、新堂先生に会いたいって?」
「ああ……。少々、厄介な話になるかもしれない」彼は小声で呟いた。
辛うじて聞き取れた言葉を繰り返す。「厄介な、話って?」
「いや。何でもない。ユイを一人残して行きたくはない。できれば一緒に……」
先生以外のヴァンパイアに会う?それも家族って、何人いるんだろう。何だか怖い。
こんな不安に気づいたのか、彼が言ってくれた。「心配するな。おまえは会わなくていい。ただ俺のテリトリー内にいてほしいんだ」
そういう事か。少しほっとした。「うん。そういう事ならオーケーよ」
その後も、先生はどこか上の空だった。
彼の握り締めたコップに霜が降り始める。真冬じゃなくてもなるのよ、これが。因みに季節はもうすぐ春。
この現象をどうして知っていたかというと、前にも家であったから。
あれは私に生理痛の薬を飲ませるために、水の入ったコップを持って先生がやって来た時だ。
受け取ったコップはキンキンに冷えていた。中の水がシャーベッド状になっていた事もある。
それ以来、先生はお湯を汲んで来るようになった。
「先生っ!コップ、握りすぎじゃない……?」慌てて指摘する。
「……ああ、これはマズイ」
そっと置いたものの、テーブルに置いた衝撃でパリン!と音を立てて割れた。
「大丈夫?ケガ、……してない?」こんな心配は無用だった。
だって、彼の肌に当たったガラスの方が砕けて行ってるんだから!一体どういう原理?
ウエイターが音を聞きつけてすぐさま現れ、おケガは?!と慌てて尋ねる。
彼は首を振って否定してから丁重に詫びを入れ、破片だけを片付けさせた。
先生が人前で、こんな失態を冒かすのはとても珍しい。
一体何に動揺しているのだろう。そのカーライルという人が関係してる?無表情すぎる先生を前に、何となく嫌な予感がした。
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早速、旅行が決行された。
カーライルさんが住んでいるのは、北米ワシントン州のフォークスという小さな村。シアトルまで直行便で行き、私はそこからやや南下した、オリンピアという町のホテルで待機する事になっている。
これから、およそ九時間のフライトだ。長いなぁ。
「何かあればすぐに言って」先生が、横の座席で緊張気味の私に言ってくれる。
「ファーストクラスでこんなにゆったりなのに、これ以上の贅沢は言えないわ」
こんなコメントを吐きながらも、私の心臓は異様にドキドキしている。その理由は明らかだ。
会わなくていいと言われたのに、それでも怖い。一体何が怖いっていうの?私は!
「やっぱり、留守番お願いすれば良かったかな」先生が私の顔を覗き込みながら言う。
「何で?」
そんな事言わないで。私は例え一日でも離れたくないんだから!
「とても不安そうな顔してる。そりゃイヤだよな、モンスター一家の近くに行くなんて」
「そんな事ないよ。だって、いい人達なんでしょ?私なら友達になれるかもよ」
「そうかもな。でも、ならなくていいんだ。そんな事は望んでないよ」
どちらも、と続けたかったのはすぐに分かった。
人間と友達になりたいヴァンパイアなんていない。あ~あ。何だか突き放された感じ。
「ねえ、もっと教えて?そのカレンさん達の事」
「眠らなくていいのか?向こうに着いたら朝だぞ」
眠れる訳ないでしょ!と目で訴える。心が読めなくても、どうやらこれは分かったらしい。
「カーライルは、とても慈悲深い人だ。転生後、自分が忌まわしい存在となった事を酷く悔やみ、何度も身を滅ぼそうとしたらしい」
「その人もお医者さんなんでしょ?」
彼が頷く。「俺と同じ外科医だ」
「それに、善良な方のヴァンパイアなんでしょ?だったら新堂先生と変わらないね」
「そうでもない。向こうの家族は皆、菜食主義者だから」
「菜食?」ベジタリアン?!
「人間の血は一切吸わない。食すのは動物の血。だから、内々ではこう呼ばれている」
「動物!?そんな事が、できるの?」
「できるんだろうが、俺は無理だな。大抵の者は無理だろう。本当に意思が固いよ、彼らは」
「あと、家族って何人いるの?」ここは重要だ。
どんな人達なんだろう。一瞬、映画のアダムスファミリーを思い浮かべてしまった。
「一番最初に家族になったのは、十七歳の息子。エドワードというそうだ」
「それはいつの話?」
「ちょうど二十世紀に入った頃かな。俺がカーライルと別れた後だ。それから妻のエズミ、娘のロザリーと、そのフィアンセのエメット。それから養子のアリスとジャスパー」
次々に名前を読み上げられて唖然となる。
そんなにいるの?この世界にヴァンパイアって一体何人いるの!知らないだけで、本当は大勢いるのかも……。
「ごめん……。やめた方が良ければ」先生が私に気遣って言ってくれる。
「いいえ。大丈夫。続けて」私はキハラと話している時の冷静さを心がけた。
続いた話によると、その最初の息子にして末っ子の(年齢の関係でそうなる)エドワードが、最近結婚したのだとか。今回呼ばれたのは、そのお披露目も兼ねてとの事らしい。
「結婚って、ヴァンパイアとよね……」
どうやって巡り合うんだろう?やっぱりヴァンパイアって世の中に大勢いるのか。
「それがそうでもないらしい」彼はどこか迷いながら答えた。
「はい?」話が見えなくなった。そうでないなら何?人間?!人間と結婚?
「詳しくは会って聞いてくるが、場合によっては……」私も呼ばれるかもって事ね。
今はあなたの考えてる事、読めたわよ。
私は渋い顔で拒絶の意を表してみた。
善良なヴァンパイア一家で、人間を餌食にする事もなく、社会に溶け込んで生活を送っているなら、人間と一線を越える事だってあるかもしれない。
それはまさに、新堂先生と私のように(先生は人の血を飲むけれど)。
恐怖の中に、少しだけその家族への興味が芽生え始めた。特にその人間(かもしれない)エドワードのお嫁さんの方に。
目的地に到着後、私をホテルに残して、すぐに新堂先生は出かけた。
何かあったらすぐに携帯に連絡をとか、観光してもいいが絶対に危険な事はするなとか、いろいろと注文をつけて行くのも忘れない。
何でも私は、すぐに厄介事に巻き込まれたがるから、ですって!失礼しちゃう!
「さっ!私も早速外出しよっと。ずっとホテルに缶詰なんてゴメンだもの?」
寝不足も何のそので、ハイテンションのまま一人街へと繰り出したのだった。
・・・
オリンピアから北上する事およそ百八十キロ、新堂はフォークスに降り立った。
彼もここへ来るのは初めてだ。
出会った当時はまだカーライルに家族はおらず、この地で定住するのはもっと後になる。
[以下、括弧内は英語]
「(やあ。ドクター新堂!また会えて嬉しいよ)」カーライルがにこやかに出迎える。
「(ご無沙汰しております。こちらこそ、お招きいただきありがとうございます)」
カーライルが横の女性を示して紹介する。「(こちらが妻のエズミだ)」
「(初めまして。新堂先生)」エズミははにかんだ笑顔で控え目に言った。
差し出された手を恭しく取り、新堂が軽く口づける。
「(これはお美しい奥様で……!)」カーライルに向けて悪戯っぽく笑う。
「(だろう?それと、息子も紹介したいのだがちょっと出ていてね。すぐに戻ると思うが……)」
森の方を眺めながらカーライルが答えた。
「(ご子息がご結婚されたとか。おめでとうございます)」早速新堂が祝福の言葉をかけた。
二人は朗らかに礼を述べた。
室内の客間に通され、新堂はソファに腰を降ろす。
この場に人間がいなくとも、彼等の動きは至って人間らしい。常日頃から意識しているのだ。
人間との共存を心から望む彼等にとっては、この些細な積み重ねが重要な意味を持つ。
通常は茶などが振る舞われるが、ここでは違う(さすがにそこまではしない)。エズミはキッチンへ向かう事もなく、夫の隣りで朗らかな笑みを称え続けている。
しばし新堂とカーライルの昔話やら医学談義が繰り広げられた。
そしてついに話はプライベートの話題へと移る。
「(時に新堂。君には恋人は?)」
「(ええ。いますよ。私もようやく巡り逢えました。運命の相手に)」
とても幸せそうな新堂を見て、カーライルは一度微笑むも、目を細めて笑みを消す。
「(そのお相手は、人間だね?)」
こう指摘しても驚かない新堂に、苦笑して続ける。「(私の考えなどすでに読んでいる、か)」
「(申し訳ありません)」決まり悪そうに新堂が答えた。
カーライルは機嫌を損ねる事もなく言う。「(謝る必要はないよ)」
「(ならば、私が言わんとしている事は承知しているね?)」説明は省きたい、と続ける。
「(一つ、伺っても?)」新堂は答えずにこう切り出した。
手振りだけで許可を出すカーライルに、新堂は率直に質問した。
「(あなたの息子さんも、ですよね?)」
エドワードが人間と恋に落ちた事には、薄々気づいていた。確証はなかったが。
「(君に隠しても仕方がない。どうせすぐにバレる!正直に話そう。そうだよ。イザベラは数ヶ月前まで人間だった。彼女はエドワードの子を身籠ったんだ)」
「(何ですって!)」
そこまでは知らなかった新堂は、驚いて力任せにテーブルに手を付く。
大理石のテーブルがミシリと音を立てる。
「(おいおい、気をつけてくれ?このテーブルはエズミのお気に入りなんだ)」
「(これは申し訳ない……つい興奮して)」新堂は慌てて手を離し、エズミに向かって謝罪の言葉を述べる。
手を上げて、気にしないでとエズミが答えた。
「(それで子供は?彼女が転生したなら当然……)」犠牲になったはず、と新堂は思う。
「(いや。子を産んでから転生させた。これにはとても骨を折ったがね)」
ヴァンパイアの頭脳を持ってしても、すぐには理解できない内容だった。
新堂はどうしても自分達の姿をそこに投影してしまう。口にはしないが、ユイは子供を望んでいる。それが可能かもしれないと?
「(あり得ない!)」新堂は思わず叫んでしまう。
するとそこへ、タイミング良く男女の若いヴァンパイアが現れた。
女はその腕に赤ん坊を抱いている。
「(遅くなって済みません、父さん)」エドワードだ。
「(戻ったな、我が息子夫婦よ。ちょうど良かった。新堂、紹介しよう、私の息子のエドワードとその妻、私の新しい娘イザベラだ)」
二人は新堂に深々と頭を下げ、それぞれ挨拶を述べる。
新堂は名を名乗って二人の肩に親しみを込めて触れた。
「(それと孫のレネズミ)」カーライルは席から動かずに紹介を続ける。
女に抱かれてニコニコと笑っている赤ん坊を覗き見て、改めて衝撃を受ける。
「(この子が、半、ヴァンパイアだと?……信じられない!)」
「(聞こえませんか?レネズミの心音が。この子は生きています)」エドワードが娘に触れながら新堂に説明する。
「(……そのようだ。カーライル、あなたは本当に……どんな分野でも超越している!)」
自分には到底できないとの意を込めて、彼を称える。
それはこの三人の心を読み、その壮絶なシーンの数々を目の当たりにしたからこそ、出た言葉だった。
人間であるイザベラの背骨を砕き、腹を突き破って生まれ出た半ヴァンパイアの赤ん坊。
死を目前に痙攣する血塗れの彼女に、カーライルは自らの毒を注入して行く。血を吸う必要はなかった。出血多量で体内の血液はすでに、ほとんど流れ出ていたからだ。
そして転生の過程で、もがき苦しむイザベラ。
無理だ。やはり自分には、ユイにこれと同じ事をさせるなど……!新堂は改めて強く思う。
「(新堂。君にも試練が待っている事は、もちろん分かっているね?)」
人間と深く関わったからには、その相手を葬るか、仲間にするかのどちらかしかない。
それは古くからの掟のようなもの。当初から彼の苦悩はここにあった。
「(もちろんです。出会った時から、どうするべきかは考えていました)」
「(その結論はいつ出る?)」
新堂は答えられない。
「(エドワードも悩んでいたよ。息子はイザベラを、仲間にしたくはなかったんだ)」
今となっては円満解決という訳だ。
「(もし、その人間が我々の正体を知っても、他言せずにいたら?何の脅威もなかったなら。その者を葬る必要があるのでしょうか)」秘密さえ守られれば!
穏やかに語っていたカーライルが突然声を荒げた。「(新堂!それはこじつけというものだ。掟には誰も逆らえない。それに、私が見逃したとしてもあの連中が許さないだろう)」
ヴァンパイアの世界にも、統率する組織が存在する。
それがイタリアに拠点を置くヴォルトゥーリだ。世界各国から選りすぐりの者達(もちろんヴァンパイア)が集められ組織された、最強の集団と言われる。
その職務は、この世のヴァンパイア全てに掟を遵守させる事。つまりは監視だ。例外を認める事は決してなく、逆らえば容赦なく消される。
カーライルは新堂を心から心配しているのだ。それが分かっているから、新堂も反論できず口を閉ざす。
「(君の選択肢は増えた。彼女と子を成す事も可能なのだ。その後で仲間に引き入れればいい。もし自信がないのなら私が喜んで手を貸そう。いずれにせよ、どうかな、一度その彼女に会わせてもらいたいな)」
「(もし彼女を転生させるなら、その時は自分でやります)」新堂はこれだけ言う。
「(会わせてはもらえない、という事かな)」
「(それは……)」ユイの不安そうな顔が浮かび、すぐには答えられなかった。
カーライルがユイに会いたがった理由はただ一つ。自分が持つ特殊能力が役立つと考えたからだ。彼には自分以外の者の近い未来が見える。人間もヴァンパイアも関係なく。
そんなカーライルの心を読み、自分達の未来が何か分かるならと、新堂も思い直す。
「(彼女は今オリンピアにいます。こうなる事は予想していると思う。分かりました、近いうちに連れて来ましょう。ただし一つ、お願いがあります)」
「(何かね?もちろん、彼女が怖がる事のないよう、細心の注意は払わせてもらうよ)」
「(それについては問題ありません。その、お孫さんの話は無しでお願いしたい)」
どうしても彼女には知られたくなかった。子供を欲しがるのは目に見えている。
だからといって、あんな壮絶なシーンには耐えられない。
新堂の苦しげな表情でそれを読み取ったのか、カーライルは快く受け入れた。
「(ならば、今日息子夫婦に会った事はなかった事に。次の訪問が初対面という事でいいかな)」
「(助かります。勝手を言って申し訳ない)」
新堂はカーライル、そしてエドワード夫妻に順に目を向けて謝罪する。
「(いいんですよ。子供の件は、ユイさんが驚かれて当然ですから。レネズミは信頼の置ける相手に預けて来ます)」代表してエドワードが答えた。
「(因みにそれは、ご兄弟のどなたかですか?)」
新堂がこんな質問をしたのは、レネズミの思考を読んだからだ。小さな彼女の頭の中には、一人の人間らしき若者の姿が見えたのだ。
「(いいえ。実はこの子にはもう、許婚がおりまして……)」答えたのはイザベラだった。
状況が分からず、カーライルへと目を向ける新堂。
「(いやはや!実は私にも良く分からない事象が起きていてね……。その辺の説明は、どうか勘弁してくれないかな)」
「(もちろんです。込み入った事を伺って済みません。では、そのようにお願いします)」
訪問の日時は追って連絡すると告げ、新堂はカーライル邸を後にした。